第62話クラリッサ・シェフィールド

 クララは家族を処刑されるまで、どちらかといえばお嬢様と呼ばれる立場だった。


 幼い頃から教養だけでなく、あらゆる分野の知識や経験を積む努力を怠ったりはしなかった。


 ……そのぶん、恋愛に疎くなったのは仕方がない。


 でも、それらの分野をこうして殺し合いに活かすつもりでは全くなかった。

 けたたましい音ともに白い研究棟の壁に無骨な弾痕だんこんがいくつも刻まれる。

「走って!」


 研究施設棟内の曲がり角から銃弾を放ち、相手を牽制した隙に一斉に走り出す。

 クララたちの役目はただ一つ。

 アリスをマークレストに乗り込ませること。


 協力者からの支援で研究施設まではスムーズに来れたが、さすがは軍の研究施設といおうか。


 それなりの数の警備兵がおり、程なくして潜入したことを発見される。

 10人いた潜入メンバーは足止めも含め、半数にまで減ってしまっている。


 半数も残っていると思った方がいいか。

 マークレストのあるハンガーブロックは目と鼻の先。

 しかし、シャッターの操作室は別の場所にある。


 つまり……。

「アリス、ここでお別れね」


「お別れじゃないよ、約束したでしょ?」

 アリスとクララは手のヒラを触れあう。


 そう、約束した。

 3人でハジメテは共に、と。

 桃色の誓いだ。

 まだそのハジメテはなされていないのだ。


 だがクララにはわかっていた。

 その誓いを叶えるのはもう難しいほど自分たちが危ういのだと。

 だからせめてアリスだけは……。


「師匠が必ず迎えに来るから」

「あっ、えっ、そっち?」

 クララの頭の中がピンク一色だったわけではないはずだ、多分。


「そっちって、どっち?」

 アリスが来た方向の通路を見返すが追手はまだ追いついて来ていない。


「いやいやいやいや、うんうん、先生ね。

 必ず迎えに来てくれるはずね!」

 クララも忘れていたわけではない。

 忘れようもない。


 桃色の誓いに至る前日のこと。

 クロがクララたちを襲撃した次の日。

 セラがクロの後をつけて、疲労でベッドに入ったままのアリスがクララに言った。


「あの人の庇護に入ることが私たちが生き残れるたった一つの方法なんだよ。

 そのために私はこの身体を含む全てで彼に賭ける」


 迷いや戸惑いなど一切ない、覚悟を決め切った顔でアリスはクララに告げた。

 それは重い荷物を背負った皇女の顔で。


 そして。

 そうである根拠は自分のその直感力以外ないけどね、と苦笑いしながら。

 いつも3人でいるときだけに見せる陽気なアリスの顔で。


 クララがあの怪しげだが、知れば知るほどお人好しなクロという男を信じるには、それだけで十分だった。

 それはセラもまた同じだった。


 そんなことを言った後、3人でまた話をしているときにアリスはこう付け加えるのだった。

「あ、あと……正直ちょっと、顔もタイプ、です、はい……」


 そうアリスが真っ赤な可愛い顔でモジモジしながら言うものだから、私たちは思わず顔を見合わせ笑いあった。


 戦争という救いのない世界で奇跡のように一雫。

 降ってわいたような楽しい日々だった。


 ……それで十分だ。


 クララたちの回収が間に合う可能性はほとんどないことに彼女たちは気づいている。

 研究施設に入りすぐに敵の通信を傍受ぼうじゅできた。


 クララたちはそこで知ってしまう。


 すべて罠だったのだ。

 政府軍は旧都ラクトに侵入を許したのではない。

 北部反乱勢力を使って旧都ラクトに誘い込んだのだ。


 当然、予想しうる戦力状況はガラリと変わる。

 クララたちの回収どころではない。

 すでに味方は撤退も危ういかもしれない。


 それでもクララたちができることはただ一つだけ。

 アリスをマークレストに乗り込ませること。

 そして味方を救出に行くのだ。

 そこにクララたちは含まれない。





 アリスと別れ、同行してくれた潜入班の1人も陽動のために途中で別れた。

 なので操作室にたどり着けたのはクララ1人だ。


 操作室からモニターと小窓でマークレストが見ることができた。

 放たれる弾丸をかい潜るようにしてアリスがマークレストに飛び込んでいく。

 一瞬、アリスから鮮血が舞った。


 クララは身体の奥底から冷える感覚がしたが、かすっただけのようでアリスは問題なくマークレストに乗り込む。


 そのわずかなときにアリスと目が合った気がした。

 アリスは口を動かす。


『信じて』


 クララはハッと胸を打たれたような衝撃を感じながら、慌ててシャッターを起動する。

 その軌道は緩やかだ。


 最低限、マークレストが出られるぐらいシャッターが開くまで、この操作室を操作させてはいけない。


 クララは内に潜ませていた爆破装置を確認する。

 最悪は……覚悟していた。


 家の再興を願いながら、本当はただ家族と過ごしたあの暖かな陽光のような日々を取り戻したかっただけ。

 それが戻らぬこともわかっていた。


 それでも気のおけない友人もできた。

 自分の命を賭けてもいいと思うほどの友人。


 そして、恋と呼んでいいかもわからない淡い想い。

 ……初恋も。


 クララ……クラリッサ・シェフィールドは自分が最期の時を迎え、いつのまにか微笑んでいたことに気づいた。


 そこで。

 なにかの気配を感じ、クララは操作室の入り口方向に銃を構えた。


「ちょっ〜っと待とうか、小猫ちゃん。

 いや、ペンギンちゃんだっけかな?」


 そこにいたのは。

「……フラッグ、さん」


 操作室入り口の壁にもたれかかり、ニヒルな笑みを浮かべたアゴ割れ金髪ナイスガイ、フラッグだった。

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