第11話

 先生が学校を辞めた。先生が家に来た次の日、学校の相談室で安田先生から聞いた。

「立木さん、この後、校長先生と3人で面談があるからね。それからお父さんも交えて再度面談を行います」

「はい・・・」

「それで立木さん、確認したいの。立木さんは被害者かどうかという事を」

「被害者じゃありません」

「立木さん・・・」

「先生が全て自分のした事だって言ったんですか?それは違います。先生は何も悪くありません」

 安田先生は切ない顔をした。

「立木さん・・・、これは先生の優しさなの。もしあなたが同意の上での出来事なら、あなたにも処分があるかもしれない。停学か、最悪転校しなくちゃいけなくなるかもしれない」

「私は先生と対等でいたいんです。だから先生が責任を取ったなら、私も責任を取ります」

「先生の言う通りだった・・・」

「えっ?」

「先生が辞める前に言ってたの。立木はそう言うだろうって」

「先生が?」

「先生からの手紙です」

 安田先生から手紙を受け取った。白い便箋だった。

『立木、君の事だから自分も責任を取ると言うかもしれない。けれど君に責任は取れないんだよ。君は未成年で学生だからね。君が責任をとると言う事は親が取る事に繋がるんだ。だからしっかり学校を卒業しなさい。そして大人になったらまた会おう。ウミウシより』

 手紙を閉じた。

「私はまだ子供なんですね。先生にはそう映っている・・・。あー、自分が嫌になりそうです」 

 安田先生は首を振り「一生懸命恋をしているのよ」と優しく言った

「はい・・・」

 私は手で顔を覆った。

「先生の言う通りにします。じゃないと先生に怒られちゃう。でも安田先生、先生の住所を教えて欲しいです。私、このまま先生に会わなかったら一生後悔して生きていくと思うの。だからお願いします。まだまだ子供っぽいお願いですが・・・」

「ううん。子供にしかわからない事の方が多いと思う。だから私は教師をしているのよ。だから立木さん、後悔ないようにね」

「ありがとう先生」

 安田先生はお母さんのように優しく抱き締めてくれた。


 夕方に安田先生に教えてもらった住所を訪ねた。川沿いにある古いアパートの二階の角部屋、そこが先生の住んでいる場所だった。先生、会ってくれるだろうか。

 私は緊張の面持ちでインターホンを押した。反応はなかった。続けざまにインターホンを押したけれど何の反応も気配もない。

 どこかに出掛けているのかもしれないな。私はドアの前に座り込み、先生が帰って来るのを待った。日が暮れ夜になり、街灯の灯りが一つ、二つとついていく。

「ねえ君」と誰かに声をかけられ、私は急いで顔を上げた。アロハシャツを着た長髪の男性が私を見下ろしていた。

「俺、ここに住んでいる奴の友達なんだけど、外村トオルっていうんだ。君はあいつの生徒?」

「あっ、はい。先生留守みたいだから、ここで帰って来るのを待ってたんです」

「そうなんだ。俺もあいつと約束があったのに連絡がとれないんだ。風邪でもひいてるのかと思って様子を見にきたんだ。一体どこをほっつき歩いているのやら。ところで君、あいつと付き合っているのかい?」

「えっ、どうしてですか?」

「いや、普通、生徒は教師の家に一人で来ないだろ?それにあいつがさ、以前に面白い生徒がいるって言っててさ、楽しそうに見えたんだ。もしかして君の事かなと思ってさ」

「私は先生の事が好きです。それで、先生・・・、私のせいで学校を辞める事になったんです」

「おー、そうなのか」

 トオルさんは、楽しげに笑った。

「笑い事じゃないんですよ」

「悪い、悪い、けれど奴も君の事を好きだって言ったんじゃないか?」

「先生が話したんですか?」

「いやいや、あいつはそんな事言わないよ。ただそうなるんじゃないかと、そうなればいいなと思っていたからさ」

「でも先生の本当の気持ちはわかりません。好きって言ってくれたのも、私が言わせたみたいなものですし、本当は凄く迷惑に思っているかもしれません」

「いやー、君たちは似ているな。人の気持ちを慮って、自分の気持ちを殺してしまう所。好きなら好き。それだけでいいんだよ」

「でも気持ちを押し付けて、先生は学校を辞める羽目になりました」

「奴は後悔なんてしていないさ。いいかい?普通は後先考えずに好きになれる相手なんて出会えないものだよ。仕事なんていくらでもある。人生の花はどんなにみそばらしくても恋以外にないんだから」

「詩人みたいです・・・」

「坂口安吾の引用さ。しかし、奴は一体どこにいるんだろうな」

 トオルさんはそう言いながら、先生の部屋のドアノブを回した。

「あらま、空いてるな」

 トオルさんは、悪戯な目で私に合図し、躊躇なく部屋の中へと入っていった。

 私も勝手に部屋に入ってしまった。先生の部屋は本がぎっしりと入った本棚がまず目に入る。キッチンはあまり使っていないのか、綺麗だ。部屋は片付けられているというより、あまり物がなかった。なんか先生らしい。

「しかし、鍵もかけていないなんて、その内帰って来るかもな」

 トオルさんはそう言って引き戸を開け、隣の部屋へ入っていった。私は本棚を眺めていた。

「立木ちゃん、これ」

 トオルさんが隣の部屋から出てきて、メモを私に渡した。そこには電話番号が書かれていた。

「こっちが俺の番号で、こっちがあいつの番号。あいつが帰ってきたら、俺に連絡するように言ってくれ。それと何かあったら、立木ちゃんも連絡してくれ。俺は帰るよ」

 そう言ってトオルさんは、玄関へと向かった。

「あと、隣の部屋を見てみるといいよ。あいつの秘密が見れるよ」

「えっ」

 トオルさんは、にやりと笑って部屋を出て行った。


 木の引き戸で区切られた隣の部屋。私はそこを恐る恐る覗いてみた。6畳の畳の部屋にベッドと衣装掛けと、古めかしい飴色の艶のある机と椅子があった。机にはアンティークなクリーム色の傘がついた電気スタンドが乗っており、万年筆と原稿用紙が出しっぱなしになっていた。

 前に一度見た事のある原稿用紙だ。これが先生の秘密?

 私は椅子に座り原稿用紙を手にした。先生の綺麗な字に赤い訂正や書き込みが沢山ある。

 これは小説だ。

 私はそれを一字一句読み飛ばすまいと、じっくりと読み始めた。


 この小説は稲村という主人公と三上さんという中学の同級生が、夢を通して繋がる話だ。そしてこの小説はまだ途中であることがわかった。

 先生が書いた小説で間違いない。先生はこれをたぶん夜に書いているんだ。先生は小説家になりたいのかな。それともまた違う目的で書いているのだろうか。ひょっとして先生の過去にあった出来事なのかもしれない。主人公は先生にどことなく似ているし、トオルさんも登場する。先生は10年前に彼女がいたとも言っていた。

 確か小説のジャンルに私小説というものがあって、作者の経験を着色せずにそのまま書くというものだったはずだ。これは先生の私小説?

 そうすると三上さんという人は実際にいるという事なのかな。先生が教えてくれた集合的無意識。人は心の奥で繋がっていて、夢はその集合的無意識からのメッセージ。先生は実際に三上さんと夢で繋がった事があるの?それとも先生の創作?

 私はそれから何度も何度も先生の小説を読み返した。

 気がついた時、先生の部屋の壁時計は夜の1時を指していた。先生はまだ帰って来ない。私は先生のベッドに潜り込んだ。先生の匂いがする。

 ベッドの中で先生に語りかけた。

「先生どこにいるの?先生が恋しいよ。先生、私、先生の小説を読んだよ。気になる所があったよ。私と先生との会話、それが小説に沢山入っていた。先生は私の事を思いながらこの小説を書いてくれたんだね。先生は私の事ちゃんと思ってくれていたんだね。私は先生の中でちゃんと生きているんだね・・・」

 その日、私は先生のベッドで眠った。夢を見た。先生と一緒に住む部屋で紅茶と一緒に買ってきたモンブランを食べる夢だった。


 次の日、トオルさんから連絡があった。

「外村だけど、立木ちゃん、昨日はどうも」

「トオルさん、あの、先生から連絡があったんですか?」

「ああ、実はあいつ交通事故にあってたんだよ」

「えっ、嘘」

 私は体が冷たく硬直するのを感じた。

「ああ、大丈夫。心配しないで。命に別状はないらしいからさ」

「本当ですか?よかった・・・。それで先生は元気にしてるんですか?」

「それが、一昨日の晩に事故にあって、軽傷なんだけどまだ意識は戻ってないみたいなんだ」

「病院はどこですか?教えて下さい」


 蒼山総合病院、そこに先生は入院していた。急いで病室に駆けつけると、先生はベッドでいつものように寝ているように見えた。

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