第4話

 三上さんと再会し、それから半年後の事だった。またもや前触れもなく僕は三上さんの夢を見た。

 僕らはやはり中学生で、色褪せた白い壁紙の埃っぽい部屋の中に2人でいた。日光が強く差し込んでおり、逆光になり三上さんの顔はよく見えない。そんな中、三上さんは呟く。

「夢とモンブランの共通点ってなんだ?」

 三上さんは、夢で僕にそう言ったのだった。


 僕は目覚めた。胸が悲しい気持ちで溢れていた。まるでその時の記憶を今まで忘れていた事に対する悲しみのようだった。

 僕はベッドから出て、三上さんに連絡しようか迷った。

 その時、スマホが鳴った。三上さんからのメールだった。僕は急いで内容を確認した。

『突然ごめんね。稲村君の夢を見たんだ。少し意味深な夢だった』

 またもや共時性の波が来ているようだった。

『実は俺も君の夢を見たんだ』と僕は返信した。

『今度会わない?』

 三上さんと次の日曜に再び会う事になった。

 

 待ち合わせは大宮の大通り沿いにあるブックカフェにした。

 三上さんは10分後にやってきた。マジマジと見る三上さんは、整った顔立ちをしている。服装なども清潔感のある気遣ったものだった。それより驚いたのが、長かった黒髪が、茶色のショートカットになっていた事だった。まるで夢の中の三上さんだった。

「半年振りだね」僕は言った。

「そうだね。半年前の約束覚えてくれていた?」

「覚えていたけど、けれど本当にまた君の夢を見るとは思わなかった」

「また中学生の私に何か言われたの?」

「うん、夢とモンブランの共通点ってなんだって」

「へえ、なぞなぞみたいだね」

「そんな事言った記憶ない?」

「ないよ。けれど本当にあった事かもしれないね」

「君の夢はどういうものだったの?僕は何か言っていた?」

「うん、それが気になって今日呼んだの。ねえ、最近変わった事ない?」

「変わった事?」

「うん、なんでもいいんだけど」

「特に何もないよ。ただ漫然とアパートと大学とバイト先の居酒屋を往復しているだけ」

「そっか」

「で、なに?」

「ううん、忘れてただの夢の話だし」

「俺、死んだんだね。夢で」

「察しがいいね」

「それくらいしかないと思ってさ」

 三上さんは俯き「あまりにリアルで、何か訴えているようなものだったから」とポツリと言った。

「そうか、ただ、夢は夢だ。それに対しできる事も少ないし、気にしすぎても駄目だと思うよ。まあ、健康や事故には気をつけるよ」

「うん・・・」

「三上さんは大学に行っているの?それとももう結婚していたりするの?」

「ううん、大学に行っていないし、結婚もしていないよ。長く付き合ってる人はいるけど、私は結婚はしないと思う」

「どうして?」

「結婚生活に憧れがないから」

「三上さんと俺って中学の時仲良かった?」

「えー、私は仲良かったと思ってたよ」

「そうなんだ」

「私のファーストキス、稲村君だしね」

「えっ、本当?」

「忘れたの?心外だな」

「ごめん、本当に覚えていないんだ」

「残念だな。それより稲村君、学校には車で行ってる?」

「いや、電車だけど」

「車の運転に気をつけて欲しいの」

「夢の話?」

「うん」

「わかった。努力するよ」

「うん」

「ねえ、夢とモンブランの共通点ってなに?」と僕は三上さんに聞いた。

「それは私じゃなくて、中学生の私からのなぞなぞ、考えてみて」

 三上さんは、口元に人差し指を立て、微笑んだ。


 僕はそれから、些細な心がけとして、三上さんの言葉通りに車に気を付け生活をした。自分から運転をする事もなかった。

 けれどそれから1年後の事だった。三上さんの言葉の効力も薄れつつある頃、僕は当時付き合っていた彼女の実家のある川越まで彼女の車で来ていた。

 僕は緊張していた。

「そんなに緊張しなくても何もないよ。同棲の許可を取るためにわざわざ来るなんて律儀な人だと思われるよ」運転席の彼女は、年下の僕をなだめる様に言った。

「そうかな」

 彼女とは半年前にネットで出会った。彼女は一つ年上で、お互い価値観も似ており、すぐに交際に発展した。ネットでショッピングするように簡単だった。

 両親との挨拶の場は彼女の言う通り緊張感もなく、一家の団欒にお邪魔したかのように和やかだった。

 このまま彼女と同棲をし、就職し、結婚するのかもしれない。自分の人生ながらとても平凡だが、レールに乗ったように安心感があった。これから色々とあるだろうけど、人と同じ事に苦労し悩むのだから気楽な部分があった。

 挨拶を終えると車で長瀞まで足を伸ばし、そこで一泊する予定だった。

 長瀞までの道中、彼女に運転の疲れを感じた。僕は運転を代わることにした。

「大丈夫?稲村君運転嫌いじゃなかった?」彼女は僕を心配した。

「大丈夫だよ。嫌いじゃないんだ。ただ・・・、ペーパードライバーなだけだよ」

 僕は運転に緊張したが、それは最初だけだった。すぐに緊張は解け、緩やかな山道で気持ちも穏やかになった。

 隣では彼女が寝ている。僕は安らかな彼女の寝顔にこれからの生活に対し、胸に温かいものを感じた。


 道幅が狭く、欄干も低い橋を渡っている時だった。対向車が来ていた。いやに速度が速い。

「嘘・・・」

 僕は、全身が鋼のように熱く硬直し、汗が吹き出した。対向車がいきなり中央線をはみ出し、僕らの車の正面に現れたのだ。

 僕は反射的にハンドルを切ったが、信じられない轟音と衝撃で目の前が真っ暗になった。

 気が付いた時、頭から血が滴っていた。身体の至る所の感覚が麻痺し、つながりが曖昧になっている。

 ここはどこだ?何が起こった?車にぶつかった?

 ひび割れたフロントガラスから見える世界がおかしい。空がない。どこにある?滴る血が変な方向に流れていく。なんでだろう。血の流れる方向を追いかける。そこには彼女がぐったりとエアバックに顔を打ち付けている姿があった。

「サチ、おい、サチ」

 そこで僕はやっと気がついた。車が横転している。

 ギギギと車から不気味な音が鳴っている。助手席の窓から、下方に川が見える。かなりの高さがある。まずい。まずい。このままでは、川に転落してしまう。すぐに脱出しなくちゃいけない。けれど膝から下の感覚が戻らない。

「おい、おい」

 僕は彼女に声をかけた。彼女の目は開かない。

 その時、声がした。

「おい!あんた大丈夫か?」

 誰かが助けに来てくれた。中年の男二人が焦った表情で横転した車を覗き込んでいる。

「彼女を助けて下さい」僕は言った。

「あんたがまず、出ないと彼女の方を助けられん。おい、荷台のロープを持って来い。早く」

 僕は男二人が持って来てくれたロープにつかまり、ズルズルと車から引きずり出された。

 僕が外に出た瞬間、車は大きく傾き、僕の視界から消えた。

 僕はそれを、ゆっくりと無音の世界の中で、ただ見ることしかできなかった。

 誰かが囁いた。この世界の全ては、決して逆に進む事はないと。

 

 それからの記憶はとても断片的で曖昧だ。救急車で運ばれたと思う。全身打撲と両足の骨折で、暫く入院することになった。確か警察の事情聴取があった。完全に対向車の過失で、飲酒による居眠り運転だった様だ。対向車の運転手は死亡し、彼女も・・・、死んだ。

 何故こんな事になってしまったんだ。彼女とはこれから同棲をし、その後の未来を漠然と思い描いていた。 彼女はまだ若かった。22だ。これから幸せな事がいくらでもあったはずだ。それを一瞬にして奪われた。誰を怨めばいい。対向車の運転手か。でももういない。勝手にどこかへ消えてしまった。

 彼女の両親はどうしているだろう。行き場のない悲しみと怒りを、僕に向けている事だろう。

 僕は三上さんに言われた事を考えていた。車に気をつけて欲しい・・・。三上さんが見た夢の通りになったのだろうか。この事はあの時から予定されていた事なのだろうか?でも僕は生きている。すると彼女は僕の代わりに死んだのか?

 溢れ出てくるやり場のない悲しみの中、僕は病室で布団にくるまり泣いた。


 退院の日、父が車で迎えに来てくれた。

「彼女さんの両親の所へ行くから」と父は言った。

「わかった」と僕は答えた。

 同棲の報告の際は、和やかに接してくれた彼女の両親。それから一ヶ月。

「すまんな。妻は今、会える状態じゃないんだ。わかっているんだ。向こうの完全なる過失だって事は。ただまだ上手く呑み込めんから」彼女の父親が顔を出してくれた。顔がやつれきっている。自分のせいで二人の人生は大きく狂ってしまった。

「申し訳ありませんでした」僕は頭を下げた。

「君は悪くない。君は娘を先に助けてくれって言ったんだろ?それは聞いている。君は悪くない。妻もそれはわかっている」

「申し訳ありませんでした」父も頭を下げてくれた。

「また日を改めよう、な?」

「申し訳ありませんでした」僕は頭を下げ続けた。彼女の父の顔を見るのが怖かったからだ。


 父は車では、何も言わなかった。言葉で解決できるような、そんな問題ではないからだ。言葉は時としてあまりに無力だ。


 それからの僕は、何も手につかなかった。心は置いてけぼりで、体の傷は治っていった。今思えば、鬱病になっていたと思う。大学も一年留年した。そんな僕を見かねてトオルが声をかけてくれた。トオルの所属する環境保護団体に僕を誘い、できるだけ体を動かし、生活を忙しくする事により、色々な雑念が頭に入る隙を与えない様にしてくれた。その甲斐あって暫くして大学にも通える様になった。教員免許も取得した。心の傷は徐々に治っていった。それはつまり、彼女を忘れていくという事だった。


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