第3話

「先生、また寝ている」

 声がし、霧のようなまどろみが段々と晴れていく。

「立木・・・、みんなは?」

「もう帰ったよ」

 教室の壁掛け時計は5時10分を指していた。窓に目をやる。夏の太陽はまだ西の山の上にあり、カーテンを薄橙色に染めていた。

「君も帰りなさいよ」

「ねえ、先生って夢を見る?」

「夢?まあ見るよ。普通の人くらいは」

「普通の人ってどのくらい?夢の平均なんてあるの?」

「知らないけど、俺は至って普通にできているからね。ビーフジャーキーを主食としている訳でもないし、逆さ釣りで寝る訳でもなければ、冷蔵庫を崇めている訳でもない。見る夢の内容や頻度だって普通に違わないさ」

「なにそれ。そもそも普通の人はそんな事言わないけどね」

「そうか?」

「先生あまりにもよく寝ているから、何か良い夢でもみているのかなって思ってさ。ほら次の劇の芝浜だって夢がキーワードじゃない。不真面目な旦那が大金の入った財布を浜で拾った事を妻が夢と勘違いさせて、改心させる」

「そうだな、夢と現実の差なんてないからな」

「そうなのかな?」

「夢をみている時は、これが夢だなんて思わないだろ?」

「でも覚めて、現実に戻ってくるよ」

「もしかしたら、この現実だって覚めるかもしれない。今だって夢を見ている最中かもしれない」

「だから先生はやる気がないの?」

「はは、そうかもしれないな。そうだな俺は夢の中にずっといるつもりなのかもしれないな」

 何か確信をつかれたような気がして、僕は可笑しさと同時に少し悲しい気持ちになった。すると 立木は涙でも止めるかのように、右手で僕の頬にそっと触れた。

「先生、暖かい?」

「ああ・・・」

 なめらかな暖かい手だった。立木は手に力を入れ、僕の頬をつねり「変な顔」と言って笑った。

「先生、ちゃんと髭剃りなよ。チクチクするよ」

「夕方の中年はこんなものだよ。夜にはヘミングウェイみたいになっている」

「ははっ」立木は笑って「ねえ先生デートしようよ」と言った。

「言っただろ。榎田とでもしたらいいじゃないか。君の貴重な時間を奪いたくない」

「関係ない」

 立木は間を空けずに強く言った。怒っているようだった。

「何怒ってるんだよ」

「怒ってないよ。でも今日は諦めるよ」

「ああ、寄り道は程ほどにな」

「うん、そうする。ねえ先生、夢とモンブランの共通点ってなんだ?」

「えっ」

「ばいばーい」

立木はそう言って去っていった。

 薄橙から飴色に変わっていく教室の中、彼女のなぞなぞが頭を逡巡した。

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