第3話 痛客

店の会計を済まし、店の外で待っているように言われた私。なんか夢を見ているような気分だった。


酔っていた私は現実かどうか確かめる為に、何度か頬をつねらずにビンタしていた。


季節は冬。冷たい風が頬に張り付く。


ビンタして火照っていた頬が、あっという間に冷たくなった。さすがに外は寒かった。


ロングコートを着ていた私は両手をポケットに入れて身を縮めて待っていた。


「お待たせ~!」


ナツコさんが私に駆けよって来て、私のポケットに入れていた腕にしがみついてきた。


あくまでも、これは単なるアフター。


今なら、勘違いしないように自分に言い聞かせられるかもしれない。しかし、16歳。おまけに女に免疫がまったくない。勘違いするなという方が無理だろう。


生まれて初めて、女性と腕を組んで歩いた。


「絶坊主ちゃんの行きたいところに行っていいよ!」


私の耳元で囁くナツコさん。甘くていい香りがした。


考えてみると、店の中で話している時よりもなっちゃんとの距離が近かった。ただでさえ舞い上がっているのに、いきなり行きたいところと言われても・・・


「ん~~、・・・き、喫茶店!」


「か~わいいっ!」


今なら下心丸出しで「ホテル!」とか言うかもしれない。純情な少年には「喫茶店!」がお似合いだったのかもしれない。


私は完全にナツコさんの事を好きになっていた。でも、いつかくる現実と向き合わなければいけなかった。


「私がよく行くお店があるの!行ってみない?」


喫茶店でひとしきり話した後、ナツコさんは私に言った。


“スナックパブ ひじり”


とある雑居ビルの1階にその店はあった。中に入るとカウンターとボックス席が2つある小さな店だった。


「お~ナツコ、いらっしゃい!」


カウンターには渋い感じのマスターがいた。


「あの店、絶坊主ちゃんにはお金が高いと思うから、これからはこの店に来てね!」


ニコッと笑いながらナツコさんは言った。その気遣いが私には嬉しかった。


ナツコさんはこの店でも働いていた。


「マスター!この子、絶坊主ちゃんって言うの!プロボクサー目指してる16歳!」


マスターは一瞬、「えっ」と驚いた顔になった。


「ダメじゃないか~、16歳が~!」


でも、すぐに笑いながらマスターは言った。


「座って、座って!」


ナツコさんはボックス席に私を座らせた。


それからは“ひじり”に週に2,3回の頻度で通うことになった。今考えても本当に恥ずかしくなるけれど、相当面倒臭い客だったと思う。


16歳にしては多すぎる給料をもらっていた私。家賃、食費がかからない寮なので、給料はまるまる使えた。


タクシーで繁華街まで行き、くわえタバコ、ダブルのスーツを着て、店までの道中、肩で風切って歩いて粋がっていた。


“ひじり”は小さな店で、女の子がナツコさんともう一人の子しかいなかった。


そのせいかナツコさんが忙しく、他のテーブルについていて、なかなか私のところに来てくれないこともあった。


やっと私の席に「ただいま~!」と可愛い声で帰ってきても、「俺もう帰るわ!」と言うおなじみのアレをやって帰ってしまったり・・・


そんな時はいつも店の外まで追いかけてきてくれて、私の腕にしがみついてくれた。


「もう~、すねないでよ~絶坊主ちゃん・・・」


本当は私の席に帰ってきてくれて、嬉しいのに素直になれなかった。


「ね、機嫌直して戻ろう!」


そう言ってくれて戻ることもあれば、なっちゃんの手を振りほどいて帰ってしまったりしていた事もあった。


そんな時、いつも、なっちゃんはこう言ってくれた。


「もう~、絶坊主ちゃんのバカっ!また来てね!待ってるよ!」


背中越しに聞く、そんな言葉が嬉しかった。


そんな日々を一年ほど過ごしたある日。


とうとう、私の生き方を変えたある出来事が起こる。


その日、いつものように“ひじり”で相当飲んでいた。


隣にはなっちゃん。


「いらっしゃいませ!」


3人組の男の客が入ってきた。その内の一人が、あるTシャツを着ていた。



“全日本プロレス”



メジャーなプロレス団体の名前が書かれていた。


「おっ!なんや、全日本プロレスやんけ!」


私は中学生からボクシングを始め、プロを目指していた。


「お前はファイトスタイルがプロに向いている。だから、プロに行け!」


トレーナーからそう言われた。その言葉を本気にして、アマチュアは眼中になくプロになる!という事を強く決意していた。


でも、ただそれだけで実践経験はほとんどなかった。


なのに「おれはプロボクサーになるんだ!」という根拠のない自信。


ただその一点だけで、怖いものがなかった。若いって無謀だなぁ~と今では思う。


隣に座っているなっちゃんに良い恰好を見せたかったというのもあったのだろう。


「絶坊主ちゃん、やめなって!」


立ち上がってる私の腕を引っ張りながら、なっちゃんは言った。私は酔いのせいもあり、そのプロレスのTシャツ男を睨みつけていたらしい。


「なんや、兄ちゃん、えらい威勢がエエな!」


「Мさん、この子、Мさんと同じプロボクサーを目指してる子なんよ・・・」


心配そうにマスターがМさんに声をかけた。どうやら“ひじり“”の常連さんらしい。


「兄ちゃん、プロ目指してんのか?ちょっとこっち来てみ。」


Мさんは元プロボクサーだった。私はえらい人にケンカを売ってしまったらしい。


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