第71話 出逢ったばかりでも

「新見さん、大丈夫ですか?」


 透子の悲鳴が聞こえた瞬間、すぐさま、女性用休憩室に駆け付け、ドアをノックして尋ねた雅人。


「ごめんなさい、大声出して驚かせてしまって……苦手なゴキブリが出て、パニックになっていたから」


 バスローブ姿の透子は、その姿を雅人にさらす事を躊躇ためらい、ドア越しに返答した。


「それは、大変ですね。自分が退治しますか?」


 雅人の申し出は有り難かったが、思わず大声を発し恥じていたり、先輩としての面子めんつを保ちたい透子。


「ありがとう、でも大丈夫! 私が、何とか、出来るので」


 雅人が去って行く足音を確認してから、ゴキブリの動きを目で追いつつ、急いで下着を身に着け、眠れる気はしないが就寝用の作務衣さむえに着替えた透子。


 殺虫剤などは、道具室に有るはずだったが、休憩室からかなり離れていた為、作務衣でうろつき、監視カメラに写りたくはなかった。

 休憩室内に、ゴキブリ退治できそうな道具は何か無いかと見渡したが、対処出来そうな物は見当たらない。

 使用済みのバスローブを片手に、もしも、ゴキブリが近付いて来た時には、それで追い払いながら、一晩中見張る覚悟でいた。


 ベッドで、壁を背に上半身を起こした状態になり、ゴキブリの動きを気にしながら、たまにウトウトしかけていた時。


 突然、照明が消えた。


「えっ……?」


 利用者達の部屋ならともかく、深夜番の休憩室に消灯時間が有るとは聞かされてなかった透子は、突然の暗闇に驚いた。

 懐中電灯が壁に設置されているはずだが、この暗闇の中で、ゴキブリがどんな動きをしているのか確認出来ず、懐中電灯を壁伝いに探す事は出来ない透子。

 ベッドに乗っている状態のままで窓に視線を移すと、この部屋だけでなく、外の照明も消えている様子に、停電と確認出来た。


 ゴキブリがいるだけでも、頭がパニックになりそうな透子だったが、その上、停電で、ゴキブリがどこにいるか分からない恐怖に堪え切れなくなった。

 幸い、廊下も暗闇で、監視カメラも記録されていないと判断し、意を決した透子は、雅人がまだ就寝前である事を祈りながら、隣の休憩室のドアをノックした。


「はい……」


 雅人の返事が聴こえ、安堵した透子。


「新見です、ごめんなさい。ゴキブリだけなら、寝ないで見張っていたら我慢出来たのだけど、停電まで発生して、どうしていいのか分からなくて……」


「それは無理も無いです。それじゃあ、入れ替わって、自分が女性用休憩室に行きますか?」


 懐中電灯を手にし、ドアを開けた雅人が、透子に気を遣い申し出た。


「ううん、この部屋にもゴキブリが出たら困るから、一緒にいて……」


 女性用休憩室へ行きかけた雅人の腕を引き留めた時に、足元の段差につまずいた透子が体勢を崩した。


「危ない」


 よろめいた透子を懐中電灯を床に落としながら、もう1つの腕で支えた雅人。

 身体を支えられて、戸惑いながら雅人を見上げた透子。


 下に落ちた懐中電灯により、照らされる2人の顔。

 次の瞬間には、見えない何かにより引き寄せられるように、どちらからともなく唇を合わせていた。


「すみません」


 唇が触れ合った瞬間、我に返り反射的に透子から顔を背け詫びた雅人。


「そんな謝らないで……私の方こそ……」

 

 雅人の謝罪により、罪意識を感じさせられた透子。


「今のは……体勢を崩したはずみだったので、無かった事にして下さい!」


 頭を下げて弁解する雅人。

 そこまで雅人が否定的になるのは、颯天への後ろめたさと、自身への関心の欠如によるものだと思った透子。


「そうよね……矢野川君は、淡島さんに憧れているのだから、引退間近で葬られるような私と噂にでもなったら黒歴史よね……」


 卑屈になっている様子を雅人に見られたくなくて、背を向けた透子。


「何度も言いますが、淡島さんはフェイクです! 自分が本当に好きなのは新見さんです!」


 そんな透子を背中から抱き締めて、誤解を解こうと告白した雅人。


「それが本当なら、どうして無かった事にしようとするの……? 宇佐田君との友情の方が優先?」


「それも有りますけど、他にも……」


 言い難そうに口籠った雅人。

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