第73話 ドジでも可愛ければ許されますか?

「はーい、ちょっと触りますよ」

「もう、姉川あねかわくんのえっち〜です♪」

「そんなこと言ってる場合ですか」


 部室に戻ってきた瑞斗みずとは、意外にも大人しく待っていた陽葵ひまり先輩の前にしゃがむと、持ってきたアセトンの原液をソファーとスカートの狭間に流していく。

 肌に触れたりする分には問題は無いらしいので、手が汚れるのも気にせず、なるべく接着剤に触れやすいように垂らした。

 決して先輩のお尻を触りたいとか、そんなよこしまな気持ちなんて持っていない。あくまで紳士的な心持ちで救出作業に励んでいる。そして。


「剥がれましたよ」

「わあ、ありがとうございます!」


 ようやく立ち上がることが出来た彼女は、嬉しそうにくるりと横へ一回転。スカートにはまだ接着剤が着いているけれど、とりあえず動く分には問題無い。


「トイレ、行って来てください」

「あ、そうでした!」

「尿意忘れるってどういうことですか」

「限界過ぎてほんの少し漏らし―――――――」

「あーあー! 聞きたくないこと言わなくていいんで」

「姉川くんには知る義務があります」

「それは先輩が言いたいだけですよね」

「……違います」

「だったら、今の間は何ですか」

「……帰ります」

「ちょっと、そのまま帰るつもりですか?」


 都合が悪くなったのか、頬をふくらませて部室から出ようとする先輩を、瑞斗は慌てて引き止める。

 トイレに行くくらいなら大丈夫だろうが、公道を歩くには、お尻に白い塊をつけて歩くのは色々な誤解を招きかねない。

 だから、彼女にはとりあえずお手洗いだけを済ませてもらい。帰ってきたところで再度アセトンの原液を使って丁寧に剥がしていった。

 さすがは原液なだけあって、繊維にまで絡みついた接着剤ですら綺麗に取れる。これがものすごく気持ちがいい。

 立ちっぱなし&履いたまま作業をされた先輩からすれば、スカートを通り越して下着に原液が染み込んでくる感覚は気持ち悪かったらしいけれど。


「帰ったらスカート洗ってくださいね」

「もしこのまま明日も来たら?」

「アセトン星人って呼びます」

「……ふふ、かっこいい」

「感性バグってますね」


 スカートに若干出来ているシミについては、とりあえず保健室で借りたセーターを腰に巻いて隠してもらうとして、帰るのも遅くなったので家まで送って行ってあげた。

 どうせなら家に上がっていけばいいのにと言ってくれたけれど、ハハーンに遅くなるという連絡をしていないことを思い出して遠慮しておく。

 これ以上遅れたのなら、どこで何をしていたのか詳しく問い詰められるだろうから。

 いくら親と言えど、『ドジな先輩を接着剤から解放してあげていた』なんてバカみたいな話をするのは恥ずかしいのだ。


「よし、走ろう」


 今ならまだオレンジ色が完全に濃くなるまでには帰れるだろう。

 飛行機雲の伸びる空を眺めながら心の中でそう呟いた彼は、制定カバンを抱えて走り出したのであった。


 一方その頃、部活という名目の雑用を終えて帰る支度をしていた山田やまだ 夢結ゆゆはと言うと。


「アセトンの容器、返ってきませんでしたね」

「ああ。まあ、忘れられるだろうなとは思っていたよ。だけど問題は無いさ」


 彼女は、一緒に理科室を出た間瀬まぜ先輩から鍵を受け取ると、トコトコと走って二つの扉をしっかりと施錠した。

 それから先輩の隣に戻ってくると、彼女がカバンから取り出したものを見て目を丸くする。


「ふ、紛失届……?」

「容器が返ってきたなら、こんなものを出す必要は無い。化学部が使ったことにすればいいだけだからね。でも、外部で無くしたのなら別だ」

「でも、そんなものを出して意味あるんですか?」

「ワタシも部外者に薬品を渡したと教員に知られるのはまずい。それは向こうも同じで、結局誰も本当のことを言わないだろうね」

「だったら……」

「でも、もしもワタシが容器にGPSを付けていたとしたらどうする」


 彼女はそう言いながらスマホを取り出すと、何度が操作して赤いマークが点滅している画面を見せる。

 そこに映っているのは学校の見取り図で、点があるのはどこかの部屋。瑞斗と陽葵が居た部室だ。


「紛失届を出す時、盗まれた可能性が高いなんて言えば捜索が始まる。そこでGPSの最後の信号が彼らの部室から発信されたとなれば……?」

「う、疑われるのは瑞斗さんになります!」

「それは彼らにも不都合に違いない。だから、ワタシは取引を持ちかけるのだよ」

「取り引きですか?」

「ああ。何せ、彼らはらしいからね」


 奇妙な笑みを浮かべる間瀬先輩に、夢結が少し怖くなってスカートの裾をギュッと掴んだことは言うまでもない。

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