第58話 ボタンは案外見なくても外せる

 お粥を完食した後、寝転ぼうとする玲奈れいなの背中を支えた瑞斗みずとは、彼女の着ているパジャマが汗で濡れていることに気が付いた。

 顔色も大分良くなって来ているように見えるが、こんな格好をさせていてはまたぶり返してもおかしくはない。

 十分に休むことも大事だが、その前に着替えておくべきだろう。彼はそう判断すると、先程畳んだ中にあった別のパジャマを取ってきて差し出す。


「濡れたままじゃ寝づらいでしょ。これに着替えて」

「それもそうね」


 玲奈は素直にそれを受け取り、ボタンを2つほど外したところで瑞斗の方を見上げた。

 無言の視線が訴えるものを感じ取った彼はハッとすると、慌てて背中を向けて部屋から出ようとする。

 しかし、またも引き止められてしまうと、不満そうに「どうして離れようとするのよ」と文句を言われてしまった。


「だって、出てけって目が言ってたから」

「全然違うわ。このまま着替えても、汗をかいてることは変わらないじゃない。だから、汗を流したいと思っていただけよ」

「なるほど。でも、熱がある時にお風呂はまずいんじゃないかな。さすがに一緒に入って手伝うことも倫理的に出来ないし」

「倫理観さえなければ喜んで入るってことね」

「もちろん。女の子とお風呂なんて、男にとってご褒美でしかないからね」

「そんなド変態偽彼氏くんに私から提案があるの」

「提案?」

「ええ、今から言うものを用意してもらえる?」


 その提案とヤラの内容を先に聞いておきたかったものの、「早く早く」と急かされてしまえばそんな余裕も無くなってしまう。

 彼は言われるがまま水を貯めた風呂桶と、中ぐらいサイズのタオルを数枚持って戻ってきた。

 そしてその内の一枚を水に浸しておいてから、こちらへ背中を向ける玲奈に手招かれて歩み寄る。


「脱がせて」

「……ん?」

「脱がせてって言ってるの」

「いや、いくら恋人のフリだからってそこまでするのはやりすぎじゃないかな。鈴木すずきさんが完璧主義なのは分かったけど……」

「何おかしな妄想してるのよ。熱のせいで指先に力が入らないから、代わりにボタンを外して欲しいって言ってるのよ」

「あ、そっか。着替えるんだっけ」

「忘れないでもらえる? それにしても、あなたは私のことを卑猥な目で見ていたのね」

「いや、可愛い女の子に脱がしてって言われて興奮しない男の方がおかしい」

「……強引に正当化してるんじゃないわよ」


 彼女はそう文句を言いつつも、「可愛い……?」と満更でもなさそうに呟いてから、ノールックで膝を叩いてきた。

 いいから早くやれという意味だろう。彼も少し強引な催促に折れてあげると、大人しく3番目のボタンから外し始めた。


「……」

「……こら。こっそり覗こうとしない」

「違うよ。見ないと難しくてさ」

「その割に目が変態チックよ」

「元々だから許して」

「はぁ、仕方ない。今日だけは大目に見てあげる」

「ありがとう」

「だからと言って、堂々と見ようとしない」

「……はーい」


 瑞斗は上から覗き込むようにしていた視線を前へ向けると、チャンスを逃すことを悔やみながら手探りでボタンを外していく。

 途中、胸やお腹に指が触れた時に艶かしい吐息が漏れたような気もするけれど、それを現実として捉えたらせっかく繕った紳士モードが解除されてしまいそうなので何とか堪えておいた。


「よし、外し終わったよ」

「じゃあ、脱がせて」

「わかった」


 ボタンが全て外れれば、次は予定通り脱がせるターン。体を動かしづらい彼女の代わりに、瑞斗が袖を引っ張ってあげる。……しかし。


「な、何よこれ」


 前を見ないように意識するあまり、少しばかり後ろへ引っ張りすぎたらしかった。

 上手く腕の抜けなかったパジャマ(上)が後ろ手に引っかかり、不本意にも玲奈を拘束してしまう形になったのだ。

 上半身裸の女子高生が縛られている。字面だけ見ればとんでもない爆弾である。

 ただ、相手は病人で自分は紳士。腹の奥底から込み上げてきそうになる何かを理性で滅多打ちにして沈めると、冷静になって改めてシャツを脱がし出すのだった。


「ごめん、出来たよ」

「ん、ありがと」


 玲奈の頬が少し赤く見てるのは熱のせいだろうか、それとも―――――――――。

 そんな考えと一緒に、汗だくのパジャマは軽めに畳んで横へと退けておいたことは言うまでもない。

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