第10話 優しさの根源

『私の彼氏になって』


 その予想の斜め上だか下だか分からないようなことを言われてから、一体どれだけの時間が流れただろう。

 ようやく言葉が喉を通って腹に落ちた瑞斗みずとは、それでも理解出来ずに首を傾げることしか出来なかった。


「いや、どうして?」

「喜ばないのね」

「喜ぶ前に意味が分からなすぎて混乱してる」

「言ったじゃない、私はモテるって」

「僕が納得出来る言い方にしてくれないかな」

「はぁ、面倒臭いわね」


 玲奈れいなは深いため息を零すと、思い出したように「あ、別にあなたのことは好きじゃないわよ?」なんて言ってくるから、尚更意味がわからない。


「好きな相手がいれば、今頃こんな苦労してないもの。彼氏と言っても偽彼氏、勘違いしないでちょうだいね」

「はあ、偽彼氏……」

「そう。何度も言うけど、私ってモテるのよ」

「それは夢に出そうなほど聞いた」

「だから、告白で呼び出されることも多いのよね。二年生になってからの1ヶ月半で12人も」

「へぇ」

「興味無さげね」

「そりゃもちろん」

「あのね、言っておくけど私って結構可愛いのよ?」

「知ってる」

「……あっそ」


 彼女は冷たく言葉を返すと、自分自身に向けていた人差し指をつまらなさそうに引っ込めた。

 羨ましがったり褒められたりすると期待していたのだろうか。残念ながら瑞斗はそういう空気を読む人間では無いので、気付いたとしてもお世辞なんて言わないだろう。


「とにかく、そういうわけで困ってるのよ。知らない人にまで呼び出されて、私だって暇じゃないの」

「だったら無視すればいいのに」

「……あなた、モテないタイプね。何人の異性に好かれようと、相手は本気なのよ。あっさり振るつもりでも、面と向かってするのが筋ってモノでしょ」

「それは、ごもっともだよ」


 よく言えばクール、悪く言えば無愛想な彼女のことだから、てっきり振られて悲しむ男の顔を見てほくそ笑んでいるのかと思っていたのだ。

 だが、言葉の奥に込められた本心のようなものが垣間見えた瞬間、瑞斗の知らない人間的な一面が見えた気がした。

 それは温かくて優しい、それでいて曲がることなく真っ直ぐに伸びた一本の線。

 今はむしろ、そんな玲奈に対して非情な提案をしてしまった自分が恥ずかしくて、反射的に「ごめん」と謝罪の言葉を漏らした。しかし。


「今、謝ったわよね?」


 その弱い部分に漬け込むかのように食いついてきた彼女は驚くほどの速さで切り替えると、こちらへグイッと距離を縮めてくる。

 そして「ああ、謝ったけど……」と戸惑っている彼へ畳み掛けるように、高圧的な口調でベラベラと話し始めた。


「それなら偽彼氏、やってくれるわよね。本気で悪いと思ってるはずだもの、それで断るなんて最低にも程があるわ」

「いや、僕だって暇じゃないし……」

「ずっと寝てる人のセリフとは思えないわね。どうせ彼女も居ないんだから、私を少しは自分のものにできると泣いて喜んでもいいのよ?」

「靴舐めれば満足してくれる?」

「汚いから嫌よ」

「奇遇だね。僕もそう思ってた」


 何だかつい最近も『偽彼氏』的なワードを聞いた気がするが、花楓かえでとの件はあの日で既に終わったことになっている。

 今更、このお願いという皮を被った命令を断る理由に持ち出すのは気が引けた。

 しかし、面倒臭いことになるのは間違いないし、言い訳を考える前にダッシュで逃げれば何とかなるかもしれない。

 ……そう判断するのがあと数秒早ければ、瑞斗はこんな厄介事に巻き込まれずに済んだはずなのだ。


「……ごめんなさいね、もう人の好意を断ることが辛くなってしまって。それであなたを頼るなんて、私のわがままでしかないもの。忘れてちょうだい」


 そう言ってこちらへ向けた寂しげな背中を見せられれば、お人好し過ぎる彼に断るという選択肢は残されていなかった。

 花楓の時と同じように、後のことなんて考えないまま手を差し伸べてしまう。

 それは人に何と言われようと変えようのない、彼の性格よりも性質と言うべき行動だ。


「僕は何をすればいいの?」

「それは、助けてくれるってこと?」

「話くらいは聞く。やるかどうかは内容次第だけど」

「……ありがとう」


 そう言って安心したように微笑んだ彼女の顔は、初めて睨まれた時の瞳と同じくらい脳裏に焼き付いたそうな。

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