第9話 河川敷には青春が埋まっている

 商店街を離れた玲奈れいながやって来たのは、時々少年たちが野球をしている河川敷。

 緑色のカーペットを敷いたような斜面の先には、走り回れそうな広くて平坦な場所があって、その脇には穏やかな川が流れている。

 遊ぶ子供たちから視線を上げれば、対岸には一層高い塔のような建物が見えた。何だかこちらののどかな雰囲気とは全く別の世界を見ているようだ。


「こんなところまで来る必要あったの?」


 その質問に答えようとしない彼女は階段で斜面の中腹辺りまで下りると、風になびく草の上を少し歩いてから突然腰を下ろした。

 瑞斗みずともその背中を追いかけて隣に座ろうとするが、いつもの鋭い目で睨まれると、不満そうにため息を零しながら曲げた膝を伸ばす。


「悪いわね、ここも私の指定席なの」

「指定し過ぎじゃない?」

「気に入ったんだもの」

「だからって……まあ、確かにいい場所だけど」

「でしょう?」


 ほんの少し胸を張った玲奈は鋭かった視線を和らげると、心做しか口角を上げて笑たように見えた。

 ただ、瞬きをした間にいつもの無愛想な顔に戻ると、淡々とした口調で「さっきはすぐにお礼を言わなくて悪かったわね」と言いながら黒くて綺麗な髪をさっと耳にかける。


「あんな場所、早く逃げ出したかったのよ」

「見られることには慣れてるんじゃなかったの?」

「時と場合によるわ。ナンパから助けられた可哀想な子なんて目で見られるのは御免ごめんよ」

「僕はどんな意味でも見られたくないけど」

「あなたのことは聞いてないわ。もっともな話、私はあなたに助けてなんて頼んでないのだから、お礼を言う義務はないはずなのよね」

「人としてどうなのかな、それ」

「人としてまともだから、こうしてありがとうと伝えてるんじゃない」


 瑞斗はその言葉に『確かにそうか』と頷きかけて、やっぱりイヤイヤと首を横に振った。

 確かにお礼を言わなかったことの謝罪はされたし、言いそうな雰囲気もここにあるが、実際にはまだお礼なんて言われていない。

 そのことに気が付いた彼が「まだ言われてないよ」と返すものの、当の本人は「そうだったかしら」なんてとぼけ顔。

 何がなんでも見下している相手には頭を下げないつもりかとイラつきかけたところで、ようやく「冗談に決まってるじゃない」と顔をこちらへ向けた。


「助けてもらったこと、感謝してるわ。相変わらず頼んだ覚えはないけれど」

「僕だって助ける予定は無かったよ」

「私を見捨てるつもりだったと?」

「気持ちではね。でも、その後が分からないほど寝付きの悪いことは無いから」

「あくまで自分のためにやったってことね。まあ、その方がこっちも変に気負わなくて済むわ」


 相変わらず口を開けば高慢で鼻につく女ではあるが、一応のところ感謝はしてくれているらしい。

 毎度毎度全身から放たれる圧みたいなものが感じられなかった。いつもとは反対に彼女が座っていて、自分が立っているせいかもしれないが。

 瑞斗がそんなことを思っていると、短いため息を吐いた彼女が独り言のように「私、見ての通りモテるのよね」なんて自慢話を始めた。


「それ、今聞かなきゃいけない話?」

「何か用事でもあるのかしら」

「おつかいの帰りなんだ。早く帰らないと母さんに怒られちゃう」

「この話を聞かなくても、私が怒るわよ」

「一応だとしても、恩人への待遇悪くない?」

「過去は引きずらないタイプなの」


 玲奈は彼の抗議をバッサリ切り捨てると、まるで何も言われなかったかのように話を再開する。

 普通の高校生なら他人の色恋沙汰にも興味を持っただろうが、瑞斗はやはりどう足掻いても例外に変わりなかった。

 ましてや、自分の嫌いな相手がどれだけ異性から人気なのかなんて話には、鼓膜を震わせるほどの興味すら持ち合わせていない。

 だが、ここのように静かな場所では、単なるぼやきすら耳を塞がなければ聞こえてしまうというもの。

 心の中でやれやれと呆れた次の瞬間、彼女の口から放たれた突拍子もない一言に、彼も思わず「は?」とマヌケな声を漏らすのだった。


「単刀直入に言うわ。私の彼氏になって」

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