第23話 プロポーズは突然に

 上向きの膝枕から起き上がり、くっつくように座りなおして美野里は不満そうな雅美とおでこをくっつけて至近距離で見つめ合う。


「あのさ、もうちょい恋人を信じてよ。てかそもそも、なんであんな賭けなんかしたの?」

「あれは、むしろ、信じてるからしたと言うか。だってあの子、美野里のこと、とっちゃおっかなとか、軽く言うから」


 それについては雅美も多少の後ろめたさはあったようで、顔はうごかせないものの目線はそらしてそう責任転嫁した。言われたとして、のっかったのは雅美だ。


「雅美に対してからかっただけでしょ」

「なによぉ。と言うか、なに普通に二人きりでお酒なんか飲んでるのよ。居酒屋なんて行って、その時点で浮気だわ」


 むぅと雅美は反省するどころか逆切れしてそんな文句をつけてきた。グルだったくせにどういう立場で物を言ってるのか。

 おでこを離して、ため息をついて雅美の頭をくしゃくしゃに撫でて髪を乱してやる。


「あのさ、二人きりなのは相談があるって言われたからだし、あの店は近いし安くて通し営業だからよくつかうだけで、お酒は飲んでないよ」

「……ふーん」


 美野里が手を下すと、雅美は素直にぼさぼさ頭にされた髪を後ろに流して誤魔化しつつ、不満の表明はやめない。めちゃくちゃ悔しいのだけど、その適当な感じすらむっとした真顔と相まって様になっている。

 頬を撫でまわして照れさせてからキスをしたくなるけど、多分そうしたらまたため込んで後からグチグチ言いそうなので、とりあえず不満を吐き出させることにする。


 居酒屋だったのが不満だったようだが、別に普通にお酒もだすし夜遅くまでしているだけで昼のランチもしているし、お酒なしで軽食とかも普通にありな店だ。まるで如何わしい店にいったかのような態度はなんなのか。いったい何がそんなに不満なのか。


「雅美、言いたいことがあるなら全部言って。そうやって察してもらおうとするの、雅美の悪いところだよ」

「……今回はまだ飲んでないにしても、二人きりで居酒屋の時点で怪しいわ。私の前でも飲んだことないのに」

「今回はっつーか、普通に私まだ一滴もお酒飲んでないけど? 人生において飲酒してないんだけど」


 雅美はどうやら美野里がお酒をのんでいることそのものが気に入らないようだ。が、普通に飲んでないし、飲んでないって雅美にも言っているのに、いつのまに雅美の中で美野里は雅美のいない場所でお酒をのんで羽目をはずしていることになっているのか。

 だから普通に改めてそう言ったのに、何故かますます雅美は怒った顔になる。


「は? 成人してすぐのサークルの飲み会でめちゃくちゃお酒臭くなって帰ってきたし、それからだってちょいちょいにおいさせてきたじゃない。変な嘘つかないでよ」

「最初の時は強引に飲まされそうになって服にこぼされたって言ったでしょ。他も普通に匂いうつっただけでしょ。雅美が成人してから一緒に飲みたいし、まだ飲んでないよ」


 こいつまじで、恋人に対して信頼しなさすぎじゃない? とちょっと呆れつつ美野里は真面目に答えた。

 確かに美野里はもう成人してお酒を飲めるし、サークルの集まりの時に成人を知っている人にすすめられたりもしたけど、普通に断った。その時にちゃんとそう言ったのに、信じていなかったらしい。

 飲んでいないのは高校時代に雅美と、大人になったら一緒に初めてのお酒を飲もうと約束したからだ。約束と言うほど大したものではなく、寝る前にだらだら話している内のひとつにすぎないけど。

 それでも美野里は約束だと思ってるし、楽しみに待っているのだ。なのに普通に一切信じられてない。何故なのか。


「…………ほんとうに?」


 めちゃくちゃ疑う。この状態で大真面目に言っているのに、まだ疑う必要があるのだろうか。

 怒るとか呆れるを通り越して、疑心暗鬼すぎるのはそれだけ美野里が好きすぎるせいで、ほんとに可愛いなと思えてきて、正面から軽くキスをする。


 キスで誤魔化そうとしていると思ったのか、キスしたままぶすっとした顔をしている。思わず笑ってしまう。


「ははっ。本当だよ。てか約束したじゃん。人生最初のお酒は部屋に二人っきりで、オシャレなシャンパンをクリスマスに飲むんでしょ? めちゃくちゃ楽しみにしてるんだけど?」

「……覚えてたのね」


 雅美も忘れていたわけではなかったらしい。驚いた顔をしてから、ゆっくり表情をゆるめてそっと美野里の手をひいた。ようやく疑いがはれたらしい。


「あのさ、最愛の恋人との約束、忘れるわけなくない?」


 そう言いながらもう一度キスをすると、雅美はぱちっと瞬きをしてからぎゅっとしかめっ面になる。


「っー、う、そ、そんなの、っ、ずっ、るいわよ」

「あー、もう、泣いちゃうとか、可愛いなぁ」


 そしてぽろぽろと、さっきまでの性格の悪さと真逆の綺麗な涙をながす雅美を、美野里はそっと抱き締めて背中をなでてなぐさめてやる。


 約束をしたとはっきり言えないような、あいまいな約束。だからきっと雅美は美野里が忘れてお酒を飲んでると思ったのだろう。でもちゃんとした約束じゃないから文句も言えなくて、うじうじ怒りをためこんでいたのだろう。

 めんどくさい女だ。最初に嘘だと思って不愉快だったならはっきり言えばいい。お酒がでるお店を選んだだけで不満になるくらいこじらせて、あげくに冗談にのっかって恋人が口説きおとされるか勝手に勝負して。全部雅美が勝手に思い込んで、勝手に苦しんで、勝手に暴走してるのだ。


 だけどそんなめんどくさい雅美が、愛おしい。

 大したことなくて指摘するほどでもない約束を忘れたこと、表面的には指摘したり怒ったりせずなんでもないふりしたくせにずっと気にしてたのだ。

 美野里が雅美がいないところで、雅美には見せない飲酒姿を人に見せてると思って不機嫌になって、美野里が雅美以外に無防備にならないか不安になって、ずっとイライラしてたんだろう。

 そしてそれを美野里に悟られないよう、我慢してたんだ。馬鹿だなぁ。


 どれだけ美野里のことが好きなんだ。好きすぎる。知ってるけど。

 去年から思ってた。雅美は美野里が好きすぎて、すぐ不安になる。軽率に疑って、その癖それ自体は後ろめたいのか直接的に問いただすことはせずため込む。

 はっきり言ってめんどくさい。もちろんそんなとこも可愛いけど、めんどくさいことには変わりない。


 だから不安にならないようにしてやりたいと思ってた。恋人になって、同棲までしてほとんど一日中一緒だ。24時間離れたこともない。なのに不安になるのだ。

 それほどの不安を失くしてやる方法は限られているだろう。美野里の頭で思いつくのなんて、ひとつしかなかった。雅美の誕生日に言おうと思っていたけど、こうなったら仕方ない。


「ちょっと待って」


 雅美が泣き止むまでにそう覚悟をきめた美野里は、涙がとまったのを確認してからそう言って一度ソファをたち、すぐ近くの小さな小物入れから絆創膏を手に取ってもどった。


「なに? もしかしてどこかひっかけてしまったの?」

「いや、そうじゃないよ。雅美、左手だして」

「え? 私は別に、怪我してないけど」

「いいから」


 強引に雅美の手をとる。左手は手前にあるので楽なものだ。絆創膏をはがして、美野里の左手の薬指にまいた。どこにでもある安物の絆創膏も、雅美の薬指についているだけでなんとなく、愛おしく感じてそっと唇をおとす。

 まだ事態が飲み込めずにぱちくりと可愛らしく瞬きをする雅美に、美野里は囁くように優しく気持ちを伝える。


「これ、予約ね」

「え?」

「結婚しよう、雅美」

「……い、いきなり、すぎるわ」


 端的なプロポーズに、雅美は目を白黒させながら返事をにごした。掴まれている左手の指先をうねうねさせて、頬を赤くして口元をぴくぴくさせて、驚いたのは一瞬で喜んでいるのは明白なのに。

 すぐに答えずもったいつけてる。いや、それとも恥ずかしすぎて答えられないのだろうか。


 だけど美野里だって、こんなのは一生に一度のことなのだ。絶対にOKとわかっているけど緊張しているし、照れももちろんあって落ち着かなくてそわそわしてしまう。だからそれを誤魔化すようにいつもより早口に説明をつけたしてしまう。


「前から思ってたんだ。学生結婚の方が時間に余裕あるし、私たちにはいいと思うんだよね。本当は雅美も成人した今年のクリスマスに、一応指輪も用意してって思ってたけど。でも、雅美には気持ちだけでも先に伝えておこうと思ってさ」

「……馬鹿。こんな、こんな、ば、絆創膏なんて、間に合わせがすぎるわ」


 そう言いながら、雅美はまた泣き出してしまう。だけどもちろんうれし涙で、頬は喜びで紅潮し眉を八の字にしながらも満面の笑顔になってくれる。


「指輪は今度、一緒に買いにいこ。それより、返事は?」

「ん……。その、嬉しいわ。私も、あなたと結婚したいわ」

「よくできました」

「馬鹿。子供扱いしないで」


 涙をぬぐいながら、珍しくストレートに返事をしてくれたので頭をなでて褒めてあげたのだけど、雅美には頬を膨らまされてしまった。頬にキスをして涙を完全にとめてから微笑みかける。


「子供扱いしてたらプロポーズなんてしないでしょ。とりあえず雅美の誕生日に籍をいれて、式は来年で計画たてる感じでいい?」

「式はそうね、それでいいけれど。でも籍はもう、すぐでも私はいいわよ?」


 嬉しそうにしながらそうおねだりされた。すぐにその気になる雅美可愛い。そんなに喜んでくれるなら、空手形でもプロポーズした甲斐があるというものだ。


「そう? じゃあ、週末親に話に行かないとね」


 雅美はまだ未成年なので、両親の許可なく籍はいれられない。とは言え、別に公認の仲ではあるし障害があるわけでもない。成人しているからって学生でまだ養われているのにめんどくさいだけで無断でしたら多分引っ越し時の比ではなく怒られるだろう。

 少しめんどくさいけど、だからこそ今のうちから始めるのがいいだろう。


「ん? あぁ、そうね。親の許可がいるのよね。もどかしいわ」

「そんな今すぐは無理だから。はは。まあ、そんなに喜んでくれたなら嬉しいよ」

「なによ。美野里はいつもそうね。余裕ぶって。結婚に舞い上がっているのは私だけみたいに」


 ニコニコしてまだまだ喜び満載なくせに、雅美はまたそんな風に拗ねたような言葉選びをする。すぐそうやって責めるような強い言葉をつかって、美野里から否定の言葉を引き出そうとする。

 雅美の感情が手に取るようにわかる美野里からすれば、めんどくさいいちゃもんすら、いじらしく感じられて可愛くて仕方ない。


「そんなわけないでしょ。さっきから私も舞い上がってるよ。それにこれで、雅美を誰かにとられちゃう心配をしなくていいんだから」

「美野里……そうね。いちいち嫉妬しなくていいものね? ふふ。好きよ」


 美野里も心配しなくていいし、もちろん、雅美ももう心配しなくていいのだ。それが伝わったのだろう。雅美もふっと笑みを深く柔らかくして、そっと美野里にキスをした。


「私も好きだよ。だからもう、罠をしかけないでよ? 疑われるのも、結構しんどいからさ」

「う……わかってるわよ、私が悪かったわ。でもその、さっきも言ったけど、お酒の件は疑ったかもだけど、ほんとにひっかかると疑ったわけではないのよ?」

「そんなのは当たり前だけど、その上で、いちいち嫉妬しないでいいよってこと。私には、雅美しか見えてないんだからさ」


 申し訳なさそうにしながらも唇を尖らせて言い訳する雅美に、美野里はキスをして抱きしめて、この言葉を疑わなくていいよう、行動で愛を示した。


 こうして唐突なプロポーズは大成功をおさめたし、間に合わせの絆創膏も、週末に親を説得して指輪を買いに行くまで毎日絆創膏を張り替えてキスをするようねだられるくらいには気に入ってもらえた。

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