第22話 大学生活に罠を仕込むな

「こんな風に相談できるの、美野里ちゃんしかいないからさ」

「そうなんだ……」


 なんかこれ違うな、と思った。大学に入り、初々しい一年が過ぎ、後輩もできてお酒も飲めるようになった秋口。同じ授業をとるので前から顔見知り程度だった同期女子、福田と少しばかり話すようになり、本日相談に乗ってほしいと声をかけられた。

 深刻な顔をするので了解して大学近くのお店で軽く話を聞いていたのだけど、恋バナでフラれた話や誤解されやすくて、なんてのはよかったけどなんか段々、なんか違うなと感じだしていた。


 意味ありげに肘から先に何度も触れてくるし、流し目をおくってきたり顔を寄せて正面から上目遣いで見つめながら情感を込めて名前をくちにされると、いくら美野里でもおや? と気が付く。

 これはもしや、相談を口実に誘惑をされているのではないだろうか、と。


 実際彼女は見目はいい。いかにも色っぽいと言うか、瞳も肌もどことなく水っぽい感じがして、人によっては簡単に惚れてしまってもおかしくない。

 しかしこの福田には悪い噂がある。超がつくほどのビッチで人の物ほど欲しくなり、カップルに声をかけては破局させて楽しむと言う噂だ。


 だけどあくまで噂は噂だ。授業のグループワークで話した様子は常識的なもので、そこそこ人懐っこい態度で話しやすくて普通にいい子だと感じられた。仮に噂が本当だとしても、色恋さえ関わらければまともなら、友人関係があってもいいし、恋愛に悩んでいるなら相談にのってもいい。そう思っていたのだけど、まさか自分がターゲットになるとは。


「その、でもあんまり役に立たなくてごめんね。相談にのるのになれてないからさ」

「ううん。そんなことないよ。話聞いてくれるだけで、すっごく気持ち落ち着いた」


 カップを持っている手を手首をつかむように触れられる。ちょっとねっとりしたように感じられるのは偏見が顔をだしているかもしれない。

 美野里は福田とそんな仲よくないけど、恋人がいることは雑談の流れで言っている。だからもしかしたら噂が本当でガチで口説かれている可能性もあるかもしれないけど、だけどそれにしても美野里は別に好かれるようなことは一切してないし、さすがに自意識過剰な気もする。

 今のところちょっとスキンシップが激しい以外、言葉の上では変なこと言っていないし。


「あのさ、福田は誤解されやすいって言ってたけど。ちょっと距離が近いところあるからそう思われちゃうのかもね。福田の手、ちょっと冷たくてしっとりして、白魚っぽいっての? 触れられるとびっくりするから、恋のドキドキと勘違いしちゃう人いるかもだし、そう言うの気を付けた方がいいかも」


 なのでさり気なく手を離させながら、そう真面目にアドバイスしてみた。

 福田が本当に失恋でへこんだり、根も葉もない噂に困ったりしているなら、これでマシになるかもしれない。仲がよくないし、距離感戸惑うけど、本当に困ってるなら力になってもいい。


「美野里ちゃん……優しいんだぁ?」

「そ、そうだね。私って結構優しい感じで有名な女だったりします」


 一瞬きょとんとしてから、うっとりとしたように微笑んで、身を寄せてこられた。予想外の反応に思わず身を引いてしまうけど、福田は全く気にならないようでますます笑みを深くする。


「ふふっ、何その話し方。でも、ほんとだよ、私、白魚なんて初めて言われちゃった。なんだか、本気になっちゃうな」

「えーっと?」


 やっぱり口説かれているのだろうか、と思いかけたところで本気になる、とは、単に噂を知ってるだろうからからかおうとしていただけだったような物言いだ。それならそれでいいのだけど、本気になっちゃうが本当なら今度こそ口説こうとしているわけで。でもそれも冗談っぽい言い方だし、あまり過剰反応するのも、それはそれで恥ずかしいし。


「……あのー、前も言ったけど、私恋人いるし、自意識過剰かもだけど、あんまり距離近いと誤解されちゃうから、離れてもらってもいいかな?」

「私は、誤解されてもいいけど?」

「私は困るから言ってるんだけど」

「ね、私が奢るからもっと飲んでよ」


 話聞かないな。そしてどうやら本気かはともかく口説かれているような流れっぽい。帰りたい。でも福田はお酒を飲んでいて二杯目の途中だ。一人にするのも気が引ける。福田を引き取ってくれそうな友人も心当たりがない。

 落ち着こう。一番困るのは雅美に誤解されることだ。つまり、雅美を呼んで自分から説明すれば誤解はされない。だけどこれで面倒かけるのも気が引けるというか、こんなのに引っかかって! とか怒られそうだし。


「と言うか美野里ちゃん何飲んでるの? あれ? これお酒じゃない?」

「ちょっと! いい加減にしなさい!」


 悩んでいると福田が勝手に美野里のカップを飲みだして好き放題しだしたところで、突然後ろから声をかけられた。びっくりしすぎて一瞬お尻を浮かしながら振り向くと、当然の様に雅美がいた。


「ま、雅美!?」


 こ、これは違う! と言おうとして、いやなにがどう違うんだ? 別に今勝手に飲まれただけで変なことは何もしてない。でも怒られてるし?

 と混乱する美野里の前で、雅美は何故か福田の肩を掴んでいる。


「あなたねぇ、美野里は断っているでしょうが! 何しつこくしてるのよ! 負けを認めなさい!」

「何言ってるの、こんなの全然いけるって。むしろ押しに弱そだし、ここからが本番だよ」

「はー!? ふざけるんじゃないわよ!」

「ちょ、ちょっと落ち着け!」


 お店の迷惑になるので、ヒートアップしている雅美を膝にのせて落ち着かせて事情を聞く。なにやら二人は友人ではないけど面識はあるようで、どういう流れか美野里が福田にひっかかるか勝負していたらしい。


「どうしてそうなったかは置いといて、そもそも恋人で賭けるなよ。福田も、そう言うことしてるから変な噂でるんだよ」

「別に、嘘ってわけじゃないわよ。私惚れっぽいし、誰かが大事にしてるものほど素敵に見えるタイプだし。行列があると、よくわからなくても並んじゃう、みたいな。でも美野里ちゃんってほんといい子だし、本気になっても、いいけど?」

「そう言うの大丈夫です」


 ウインクされたのを軽く払う。よくあるタイプわけみたいに言ってるけど、行列の先に何があるかわからずに並ぶとか聞いたことない。


「とにかくそう言うことなら、相談も嘘でしょ。ならもう帰るよ。はい、雅美も行くよ」

「……」

「言いたいことがあるにしても、ここだと迷惑でしょ。帰ってからね」

「また来週、授業でねー」

「はいはい。またね」


 不満げな雅美を引きずって家に帰る。福田は全く悪びれずに手を振ってくるし、支払いは負けたし持つと言ってくれたので任せた。負けたとか関係なくドッキリにかけられたようなものだし、そこは堂々と奢られた。


 家に帰り、いまだふくれっ面の雅美とソファに座ってその頬をつつく。


「で、雅美、何か言うことあるでしょ?」

「……ほんとはちょっと、揺らいでたんじゃないでしょうね」

「は? あのね、恋人をひっかけておいてまず謝れよ」


 まあまあイラッとしているのだけど。何を浮気を責める恋人の立場から物をいっているのか。

 喧嘩をしたくないし、何故か雅美が理不尽に腹をたてているのはいつものことだから穏便に落ち着かせたいのもあって、とりあえず膝枕を強引にしてもらいながら話をつづけることにする。

 これで美野里も心地よさで冷静になれるし、雅美も美野里と接触していれば馬鹿な嫉妬心も落ち着くはずだ。


 こんな状態でも雅美の膝枕はほどほどに弾力もあり心地よくて、頭の高さもちょうどいい。これをこの世で自分だけが味わっていると思うと優越感も抱くし、そう思えばちょっとめんどくさい雅美の性格も、体が極上だから仕方ないなと思えてくる。

 よし、落ち着いた。


「まずはっきり言うけど、私が好きなのは雅美しかいないし、揺らぐとかありえないよ。信じなさい。そして雅美は謝ってくれる?」

「……ごめんなさい。でも、だって、……白魚とか、褒めてたじゃない。私の手だって別に、日焼けには気を付けているわ」


 ちょっとしょんぼりした感じに謝りながらも、雅美は拗ねたようにそう自分の手をアピールするように美野里の目の前で振ってくる。美野里はその手を取りながらも首をかしげる。


「んん? 白魚ってそんな言われたい褒め言葉なの?」

「……どういうつもりで言ってたのよ」

「白くてちょっとぬめってる手ってことじゃないの?」


 めちゃくちゃジト目で見下ろされている。魚にたとえられて褒め言葉のほうが美野里にはわけがわからない。白魚のような、という形容詞自体は知っていたが、白くて魚っぽい手と言うそのままの意味だと思っていた。


「……テストは悪くない癖に、どうしてそう言うところは馬鹿丸出しなのよ」

「失礼すぎじゃない?」


 ため息をつきながらとんでもないことを言われた。流れで間違って覚えていたことはわかったけれど、馬鹿丸出しなんて恋人に向けて使う言葉じゃないだろう。

 つないだ手を宙で握り合いながら、雅美は呆れつつもちょっと笑う。


「ぬめってる手って意味の単語を人に向けて言う方が失礼でしょうが」

「いい風に言うと、ほら、水もしたたるいい女的な感じの濡れ方もあるし」

「美野里はぬめってるなーって思いながら言ったんでしょ?」

「まあ、そうだけど」


 そうだけど、悪口とか褒め言葉とか思って言ったわけではなく、ただ純粋に、イメージの白魚っぽい手と言いたかっただけなのに。体格のいい人を熊みたいと言う、可愛いともいかついとも受け取れるどっちにも言えるみたいな感じで。

 ちょっと唇を尖らせる美野里に、雅美はすっと自分の指先を強調するように伸ばしてみせる。


「まあ、いいわ。今後は覚えていなさい。白魚の手って言うと、白くてすらりと長くて優美で透明感のある美しい手指をさすのよ」

「なるほど。つまりの雅美の手と言いたいわけだ」

「……自分では言ってないわよ」


 素直に頷いただけなのに、雅美は恥ずかしそうに眉を寄せて美野里の手をぎゅっと握って見せつけた指先を誤魔化した。絶対そう言うつもりだったし、そんな感じで話していたのに。

 でもその恥じらう姿は可愛いから、誤魔化しにのってあげることにする。


「ごめんごめん。嘘。雅美の手にぴったりすぎてびっくりする。だってほら、こんなにすべすべで、白くて細くて、作り物みたいに綺麗だもんね」

「馬鹿にしてるでしょ」

「してない」


 真面目に雅美の指先を撫でながら言ったのに、普通にジト目が返ってきた。褒めてるのに。今日は雅美からの信頼感を全然感じないぞ、と美野里は眉を寄せて起き上がった。

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