第21話 同棲って

「……」


 目が覚めた。腕が重くて振り向くと、雅美がいる。幸せそうに眠っている。そっと腕を抜いて上体を起こす。目を凝らして壁掛け時計を見ると、時間は起床時間の少し前。

 フライング起床だ。ちょっとだけよしっと言う気分になる。雅美はまだ寝ている。しめしめ、と特に意味もなく得意になる。


 それにしても、雅美は改めて見ても可愛い。寝顔を初めてみるわけでもなく、すでに何度も見ているけど、それでもまじまじと見るとやはり可愛いと思わせる。じっと見ていると、アラームがぴぴぴとなった。手を伸ばしてすぐにとめる。


「……ん……」

「おはよう、雅美」


 雅美がゆっくり、むずがるように眉をしかめながら目を開ける。正面から目があい、雅美はしばしぼーっとする。


「……んん。なに、見てるのよ」

「いいじゃん。可愛いから見てた」


 喉をならすように声をだしてから意味もなくガンをつけてくるところさえ可愛い。だから素直にそう言うと、雅美は唇を尖らせながら起き上がる。


「なによ、素直に。私が馬鹿みたいじゃない」

「そう言うところも可愛いよ」

「馬鹿みたいなのは否定しなさいよ」


 起きて、一緒に朝ごはんを食べる。同棲を始めて三日目。親にこってり怒られたものの、元々の予定ではあったので無事同棲は始めている。

 お泊りはしょっちゅうだったのでそう変わりはないだろう楽観視していたけど、思いのほか実際に生活してみると色々と問題はあった。


 例えば洗い物の仕方の違いや掃除機のかけかたなんかの、掃除意識の違いなど、ちょっとしたことで二人ともが実家を出て家事を全て自分たちでするのが初めてで、ちょっとごたついている。まだまだこの生活になれるには時間がかかりそうだ。

 それでもなんとか、ご飯を作ったら作ってもらった方が洗って片づけるとか、基本お茶を沸かす方針なのは二人とも同じなので、ちゃんとお茶ポットは早めに洗って同時にお茶を沸かすとか、トイレットペーパーは必ず切らした人間が交換だけじゃなく補充するとか、細々したことがルール化されてきている。

 ちょっと面倒なことはある。最新家電が色々してくれるとはいっても、結局人間の手が必要なこともあるし、洗濯物だってたたんではくれない。


 だけどまあ、今のところは順調と言ってもいいだろう。今までいかに甘えていたか実感したし、雅美にばかりしてもらうのも申し訳ないし、雅美の為ならと思えばひと手間もそう苦ではない。

 むしろ一人暮らしだともっと自堕落な生活になっていただろうことを思うとありがたいくらいだ。


「ちょっと。たたみ方、ちゃんとたたんでいれなさいっていってるでしょ。衣装ケースまた蓋がちょっと空いてるわよ」

「う……あの、共用じゃないとこは、よくない?」

「よくない」

「はぁい」


 ちょっとめんどくさいけど。母親かよってくらい口うるさいけど。まあ、憎まれ役をしてくれてるうちが有り難いのだと思っておく。


「今日は消耗品の予備とか、いざって時に助かるもの買いに行くんだよね? それって非常食とかも?」

「ん? それは別に考えていなかったけれど、そうね。非常用バックはさすがに事前に用意していないし、災害対策もあって困ることはないでしょう」

「あ、ごめん。そうじゃなくてカップラーメンとか、レトルトカレー的なやつ」


 今のところ三食全て手作りで毎日ご飯を炊いているけれど、春休みで生活が始まったばかりだからできているところだ。この生活の質を維持したまま大学生活は辛いかもしれない。なのでここは最初から、そういうのもありだよね、と言う姿勢をみせておきたい。

 今のところ雅美が夕食を作ってくれている流れだけど、それはそれで雅美が無理をしても困るし、同レベルを求められても困る。


「…………そうね。さすがに毎日休みなく手作りと言うのも、きっと疲れる日もあるでしょうね」

「そうそう。話がわかるー。冷凍食品も多めにかっとこ。冷凍室大きめのやつだし」


 雅美は何かを言いかけたけど、口をつぐんで口元に手をあてて考え込んでから、ちょっと不満そうにしつつも頷いた。よかった。ちゃんとわかってくれた。

 美野里も料理が苦痛と言う訳ではないし、雅美がつくってくれたら美味しいし嬉しいけど、それはそれとして最近の冷凍食品の進化はめざましい。無理しないどころか積極的に活用して、むしろ手料理の方が週末の余暇くらいでもいいくらいだ。美野里がめざすのは無理のない生活である。


「というか、やっぱりちょっと冷蔵庫大きすぎたんじゃないかしら。実家のと同じ大きさって、二人暮らしでいる?」

「いや、いるでしょ。絶対いるって。鍋ごとはいるでしょ」

「あー、なるほど? そう言われたらそうね」


 むしろ実家ではあれでも足りなくて、追加で別に小さい冷凍庫もあったくらいなので、冷蔵庫を選ぶ際に迷いなく大きいのを選んだ。雅美も実家をでて二人分の生活に必要な大きさと言うのに詳しいわけではなくふわっとした気持ちで言っているので、簡単に納得してくれた。


「食料も多少は買わないとだよね」

「そうね。実家からもらったものがあるけど、料理をするにも偏りがあるものね。何か食べたいものはある?」

「んー……とんかつ」

「なるほど……そう言えばパン粉とかもないわね」

「お、そんな感じで色々買わなきゃね」


 買い物に行った。一緒に買い物に行くのは今まで何度もあったけど、こうして生活に必要なものを買うのは新鮮で、一緒にトイレットペーパーを買うだけでもなんだか同棲しているのだなと実感して照れくさい気になった。

 それにしても、車が本当にありがたい。徒歩圏内にお店があるとはいえ、たくさんの物を持ち歩くのは大変だし、車がないと何度も往復しなければならなかっただろう。


 昼食はパンを買ってきて家で食べた。片付けも終えたので、二人でソファにどかりと座る。


「ふー、今日はいっぱい働いたんじゃない?」

「そうね。休憩しましょ」

「やっぱ最初は買うものいっぱいあるもんだね」

「そりゃあそうでしょう。まだ思いついてないだけで足りないものはあると思うわ」

「そっかー。ごめんね、最初から来なくて」


 そう言う意味でも、今生活を始めていてよかったのだ。四月までだらだらしていたら、きっと慌ただしいまま大学が始まっていただろう。

 だから普通に謝ったのに、雅美はちょっと驚いてからくすっと笑って悪戯っぽく肩をぶつけてきた。


「今更なーにいってるのよ」

「真面目に謝ってるのにちゃかさないでよ。キスするぞ」

「なによそれ。もっとちゃかせって言ってるのと同じ意味だけど?」

「揚げ足とるんじゃない。キスしたいって言ってるんじゃん」

「ふふ。ごめんなさい」


 雅美は軽く微笑みながら謝罪して、美野里を向いて目を閉じた。

 そこに軽くキスをする。寝室のプライベート空間に行かなくったって、ご飯を食べたすぐ横で誰かを気にすることなく、当然の様にキスをすることができる。なんだかとても、特別というか、いけないことをしている気分にすらなる。


「んふふ。雅美、好きだよ」

「知ってるわ」

「ほんとかなぁ」

「何を疑ってるのよ」

「だって、雅美はすーぐ嫉妬したり、拗ねたり怒ったりするじゃん」

「し、嫉妬なんてしてないわよ。それに怒ってるのは関係ないと言うか、あなたが怒らせてるんでしょうが」


 そう言う怒るではなく。雅美は美野里がちょっと愛情表現を怠ったと判断すると怒る。先日は引っ越しに対してだらけただけで怒ったし。

 嫉妬に関しては隠せていると本人も思っていないだろう。雅美がいない状態で学校の友人と話しているのもちょっと不機嫌になるし、必要なこと話しているのとか本当にどうでもいいことでもすぐ嫉妬している。

 そう言うのが美野里からすれば、雅美は美野里がどれだけ雅美を好きなのか、全然わかってないなと思う。


 まるで美野里の好意なんて大したことないみたいに、自分ばっかり好きだみたいにあからさまに拗ねたこともある。そう言うのも可愛いけど、もうちょっと伝わってほしい。

 美野里としては普通に、ストレートに好きだ愛してる、世界で一番と伝えているのに。


「……ま、いっか」


 一瞬だけ、伝わってないのちょっと悲しい。と言う気になったが、これはこれで嫉妬する雅美も可愛いし、それに同棲も始めたのだ。いくら雅美でも朝から晩までずっと一緒にいて雅美しか見えない美野里を見ていれば、その内おのずと理解するだろう。


「なに一人で納得してるのよ」

「いや、気づいたんだけどさぁ」


 美野里の物言いにまだ納得していない雅美には、新たに気づいたことを話すことにする。先の事より、もっと大事なことに美野里は気付いてしまったので。

 重々しい雰囲気で切り出すと、雅美はちょっとだけ気圧されたように身を引きながら相槌をうつ。


「なによ」

「この家に、二人っきりじゃん?」

「当たり前でしょ」

「これ……一緒にお風呂入れんじゃん?」

「……えっち」


 と言いながらも頬をそめた雅美は引いた体を寄せてきて、ぐいと肩同士をぶつけてもたれてきた。手を伸ばして反対にある肩を抱く。


「昨日とかも普通に実家感覚で別々にはいったけど、もったいないことしたよね」

「馬鹿。まだお昼なのに、そんなことばっか考えてるの? すけべ」


 そんな風に言いながら雅美はすりすりと美野里の膝を撫でてくる。そもそも会話だけなら今夜一緒に入ろうと言うお誘いとも受け取れるのに、普通に今すぐみたいな流れで受け取っている雅美の方が相当ノリノリだと思うのだけど。

 どちらかと言うと積極的に今誘惑しているのは雅美だし、そこで太ももではなく。ちょっと控えめに膝を撫でると言うのがまた可愛いすぎる。


「うん。考えてる。お風呂わかそっか」


 こうして昼風呂と言う休日の特権も堪能した。二人でだらだらして、夕方から晩御飯を二人で協力しながらつくって食べる。

 ベッドは大き目のやつだ。今後の生活で課題などで片方だけ夜更かししなければ、逆に早く寝なければ、ということも想定して、大き目のやつにした。そこまでするならベッドをわけてもいい気もしたが、雅美が同じベッドが当たり前みたいな顔をしていたので同意した。

 大きいとやはり転がりがいがある。大きなマットレスに転がるのは気持ちいい。


「もう、いつまで大きいベッドにはしゃいでるのよ。子供みたいにとびこまないの。スプリングが痛むじゃない」

「ちょっとくらいいいじゃん」

「よくないわよ」

「えー? もしかして、ベッドに嫉妬してる?」

「ばーか」


 雅美はくすっと笑うと、美野里に重なるようにしてのりあがってきた。


「ぐえー、おもーい」

「羽のように軽いと言いなさい」


 抱きしめながらふざけると雅美に頬をつねられた。


「羽のように軽いよ。抱っこしたまま眠っちゃいそうなくらい軽いなぁ」

「ふふ。いいわよ」


 ごろりと横になり、雅美を抱きしめたまま体重をベッドに渡す。乗せたままは無理だけど、抱っこしたままなら可能だ。

 くっついていると温かくて、暖房をつけるほどではないけどまだ肌寒い夜の気温に心地よくて、ほどよく眠くなってくる。


「はー、気持ちいい。雅美って、抱き枕としてめちゃくちゃ高性能だよね。百点」

「なによそれ、褒めてるつもりなの?」

「いやだった?」

「私は既製品じゃないもの。オーダーメイドに百点なんて、馬鹿にしてるわ」

「はは。すぐ満点こえようとするじゃん。愛情は常に120点超えてるから許してよ」

「仕方ないわね。美野里だけ、特別に許してあげるわ」


 オーナーだから? とツッコもうとしたけど、眠気であくびがでたのでやめる。


「んー、ねよっか。おやすみー」

「ん。おやすみ」


 最後の挨拶をしてから、軽く抱きしめたまま姿勢を寝やすく整える。お互いの静かな吐息が体の芯まで響きあう。

 今までのお泊りだったら、眠りにつくときにも明日は何時に帰らないといけないなと思う。すごく幸せだからこそ、眠りにつく前にいつ別れるんだなとふと寂しくなる気持ちが沸く時があった。

 だけど、もうそんな風に幸せな気持ちに水をさされることはない。


 一緒に住むと言うことはもう二度と、また明日と別れることはないのだ。


 同棲って最高だな。と幸せを噛みしめながら、でもそれを口にするとまた、すぐ引っ越してこなかったとか責められそうだから、少しだけ雅美を抱きしめる力をこめるだけにした。

 今日も明日も明後日も、ずーっと幸せであることを確信しながら、美野里は夢の世界に落ちていく。もちろん、夢の中でも雅美と一緒だ。





 同棲編。おしまい。

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