第14話 今

 美野里が雅美にゆっくり恋すればいい、と言ったことで雅美も多少落ち着いてはいるのだけど、何故かそれはそれで不満そうだ。

 雅美が美野里に恋をするとなぜ思えるのかって、そんなのは美野里にとっては当たり前だ。


 だってここまで二人で恋人として振る舞い、二人ともお互いに素直にときめいてきてたのははっきりしてるのだ。すでに恋に落ちるまで秒読み段階だったし、恋愛対象として見てときめくなら、お互いの性格なんてわかりきってるしここから急に冷めることもない。普通に自信をもって雅美も美野里を好きになると言えるだろう。だって、他ならぬ美野里が好きになったのだから。

 だけどどうやら、断言してるのが気に入らないらしい。こんなに可愛らしくときめき顔を見せてくれてるくせに、いざとなるとそんなちょろくないぞとアピールしたいらしい。可愛すぎか。


「平気で言えるとか言われてもね。実際私は雅美を好きになったし、そんなもんじゃない?」


 だいたい何回もわかりやすくときめいていたじゃん? キスの話題で混乱して頭突きまでしてきたじゃん? もうすでにだいぶ惚れてるでしょ? なんてことを言うとガチでキレてくるのはわかっているので、無難にそんな感じで答えた。


「そんなもんって……そんな、簡単に言わないでよ。私は……そんな、軽い女じゃないわ」

「はいはい。わかってるって。高嶺の女だもんね」


 拗ねたように言って膝をたててそこに顎をのせた雅美に、美野里はぽんぽんと頭を撫でる。


 軽いだなんて思ってない。雅美がちょろいのだって美野里との関係があってのことだってわかってる。美野里だってこんなにすぐに雅美を好きになったのは、雅美のいいところも悪いところも全部知っていたからだ。

 知らない相手に簡単に心を開かない鉄壁な程固くて、雅美の心が軽いどこかめちゃくちゃ重いって知っている。だけど他ならぬお互いだから、簡単に好きにだってなれるのだ。


「そう言うことじゃなくて……馬鹿。……さっきの質問、答えてあげてもいいわよ」

「ん? なんだっけ?」


 膝に顔を半分隠したまま雅美は美野里に目線だけやりながら唐突に話題を戻した。美野里はぴんと来なくて同じように自分も三角座りになって自分の膝にもたれるようにして顔をあわせて尋ねた。


「……いつするかって、聞いたでしょう?」

「ん? あぁ、でもそれ、雅美さっき答えたでしょ。十人十色だから、答えはないって」

「そうは言ってないわ。十人十色だから、私たちで決めればいいって言ったの」


 雅美は正面に向かってそっぽを向いていた状態から、ゆっくり美野里を向いた。その表情はやや赤らみ少し笑みを浮かべていて、妖艶さを感じさせる何かがあった。

 ドキドキし始めたのを誤魔化すように口を開く。


「確かにそんなニュアンスだったけど。つまり、雅美なりの答えを言ってくれるってことね」

「いちいち解説しないで。あなたの頭には地の文がないの?」

「初めて聞いたわ、そんな突っ込み」

「あのね……答えは、今よ」

「え……」


 その予想外の言葉に上体をあげた美野里に、雅美もそっと体を戻す。自然な動きに制服のままの雅美のスカートが少しめくれた。

 太ももが少し見えたくらいどうでもいいのに、今、二人きりで、恋人同士で、キスを誘われている。そう思うと夕方になって少しずつ薄暗くなってきているこの部屋が、異常にいやらしい雰囲気みたいに感じてしまって慌てて手を振る。


「いや、いやいや、今ではない」

「どうして?」

「いや、だって、雅美はまだ私の事そう言う意味で好きじゃないでしょ? だったらまだだって。初めてなんだし、こういうのはお互いちゃんと好きで、いい雰囲気の中で、流されるんじゃなくてちゃんとするべきだし」

「……」


 怒られたりまた文句を言われるかと思ったが、何故か呆れたような目を向けられた。そんなにこの発言は美野里に似合わないとでも言いたいのだろうか。


「何その目! いいじゃん、私だって乙女だよ!? 初キスに夢見たっていいじゃん!」

「あのねぇ……どうして気が付かないのよ。その条件が全部達成されてるから今って言ってるのよ」

「は? ……どこが?」


 ちょっとイライラしてきたみたいに眉をよせた雅美だけど、解説してくれても意味が分からない。両思いでいい雰囲気? はた目には睨まれてカツアゲのように絡まれているようにしかみえないのでは?

 素直に尋ねる美野里に、またもやキレてしまったように雅美はバンバン美野里の膝を叩く。


「だからっ、両思いで、美野里が私に告白してきて、二人きりの部屋の中、夕暮れ時に、これ以上のいい雰囲気なんてないでしょうが!」

「……えっ!? え、もう、すでに私にガチだったってこと!?」

「そう言ってるでしょうが! どうして気が付かないのよ!」

「えぇ、だって、さっきだってほら、雅美は私にガチ恋してないから有利、みたいなこと自分で言ったじゃん」

「あえてそんな一目瞭然な前提条件を口に出すと言うことは、むしろそれは嘘ってことでしょうが!」


 いや、むちゃくちゃ言う。そんなのわかるか。伏線ですらないのに回収できないことに文句をつけないでほしい。

 だけどさっきからすぐ怒ってる理由はわかった。めちゃくちゃだけど察しない美野里のせいで両思いらしくならないし、両思いじゃないと思ってるからだけどずかずかキスのタイミングを直接聞くし、今だってキスを誘ってるのに全然相手にしない美野里の無神経さに怒っていたのだ。


「あー……ごめん。確かに今、いい雰囲気だったよね」


 言われてみれば今、怒り出す前は雅美のオーラもすごい色っぽかったし、キスを誘われていることはわかっていたし、ドキドキしたし、いい雰囲気だった。なのに美野里が、は? どこが? とか言って全部口で説明させようとしたから怒ったのだ。なるほど。

 だけど理屈はわかっても、それでもやっぱり両思いなのを察するのは無理があると思う。割と理不尽だ。


 理不尽だけど、でも、怒りすぎて涙目になっちゃっている雅美を見ると胸が締め付けられるようにつらくて、何もかも何とかしてあげたくなってしまう。これは昔からずっとそうなのだ。だから仕方ない。美野里はいつでも、雅美に笑顔になってほしいのだから。


「ほんとごめん。好きだよ。大好きだから、キスしていい?」

「……ん」


 だからご要望に沿うために、そう改めて告白してお願いした。恥ずかしがりやの雅美はそれに言葉で返さずに、黙って体を寄せてから目を閉じた。

 その顔はどうしようもないくらい綺麗で、見ているだけで美野里の心臓は爆発してしまうくらいドキドキしていて、指先まで震えそうなくらいときめいている。


 だけど戸惑いはない。雅美が待っているし、何より美野里自身が、そうしたいと思っているから。


「……ん」


 当たり前みたいに唇を重ねた。あったかくて、やわらかくて、指で触れた時よりもずっと気持ちよくて、胸が熱い。

 ゆっくりと唇を離して、目を開ける。同時に雅美も目を開けていて、視線が絡み合う。


 真っ赤な顔で、瞳はどこかうるんでいて、熱が出ているみたいな顔。でも風邪とかじゃなくて、一目でときめている顔だってわかる。

 大好きだ。今まで恋をしてなかったのが信じられないくらい、好きでたまらない。そんな気持ちがあふれてたまらなくて、膝立ちになって覆いかぶさるように抱き着いた。


「きゃっ、……もう、なによ」

「なにって、恋人同士が初めてのキスをしてから抱擁するのに、理由がいる?」

「いるわ。なんだって理由がいるに決まってるでしょう? ちゃんと言いなさい」


 自分はまともに好きの一言も言っていないくせに、よくもそんな堂々と我儘が言えるものだ。だけどそんなところも、愛おしく感じる。

 腕を回したまま、腰を下ろして雅美の上にのりあがって正面から顔を見る。


「好きだから、抱き着いたんだよ」

「ふふふっ。なら仕方ないわね」


 美野里の答えに嬉しくてたまらないように笑った雅美に、美野里はたまらなくなって顔を寄せた。そして黙った雅美にもう一度キスをした。









  すっかり日が落ちてしまった。夕方時と言ういい雰囲気も終わってしまったし、何度もキスをしたのが気恥ずかしくて美野里は顔をそらして立ち上がり、部屋の電気をつけた。


「……ふふっ」

「なに笑ってんの?」

「いいえ、ただ、美野里ったら告白したばかりであんなにキスするんだもの。私のこと、大好きすぎるって思って」


 雅美は雅美で散々めちゃくちゃにキレてたし、美野里のこと大好きすぎるのは伝わっていると言うのに。

 隣にもう一度座りなおしながらも美野里は照れ隠しに眉を寄せる。


「う、うるさいな。というか、雅美こそいつから私のことガチだったのさ。いやそりゃあね、ときめいてくれてるってのは反応でわかったけど、明確な変化あんまりない感じがして」

「……言いたくないわ」

「えっ、そ、そんなんあり?」

「当たり前でしょう。恋人と言えど、守秘義務はあるわ」


 雅美が美野里を好きになったのがいつか、という情報にどのあたりが業務上の秘密で守らないといけないものなのか、という突っ込みどころがあるが、めんどくさいどや顔も可愛いので突っ込まないことにする。


「言いたくないならいいけどさ。ていうか……雅美、昨日からめっちゃキレてるよね。照れ隠しと言うか、照れて感情バグってるのわかるけど。クール小悪魔美少女の名が泣くよ」

「なによ、その名前。知らないから泣かしておきなさい」


 クラスからの、なんなら知り合い全員からの印象なのだけど、どうやら雅美にその自覚はないらしい。そのビジュアルと、美野里に対する堂々とした日々のからかいから妥当としか言えないのに。

 というか、美野里もからかってやりたいのに、さっきまでめちゃくちゃ動揺していた癖にいざ両思いとなってキスしてから何を堂々としているのか。無敵か。


「雅美さ、ずるくない? 私にだけ好きって言わせて、しかもキレてたくせに、今急にクールぶるし」


 怒るほど美野里が好きで、鈍い美野里に怒鳴らずにいられなかったくせに、なんだかまるで美野里ばかりが好きなようではないか。


「別に、ぶってるわけじゃないわ。あなたよりはクールなだけど」

「どこがだよ」

「……ちょっとはその、取り乱したこと、反省してはいるわよ? でも……い、いいじゃないもう、そのことは。終わったことよ」


 思い返して自分でもちょっとどうかと思ったのか、謝罪はしつつも強引に流そうとしている。

 別に、今までの流れに文句はない。怒ったのも結果可愛いし、いつもの雅美も、今となっては可愛く見える。だけどあんまりこのまま余裕を持たせて、主導権を持たれるのも面白くはない。


「雅美」

「えっ?」


 美野里は雅美の肩をおして、返事が来る前に床に転がしてその上にのりかかった。

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