第29話 殺人鬼フィクサーからの問いかけ

 サダオの闇を暴くための儀式はまだ終わらなかった。


「順番に話していこうか。カレンについて話したから、次は母のハナヨだな。ハナヨを殺すのは少し躊躇ためらった。苦しむ様子を見たくなかったから、一撃で殺せる方法を選んだ」


 後頭部をかち割られて死んでいる母の姿を思い出した。


 母は昔からサダオの理解者だった。

 学校で怪我して帰ってきた時、手当てしてくれた覚えがある。


 温和な人だった。

 闘争とはもっとも遠い存在である。


 でも、母の気に入らない部分は何個かあった。

 一番嫌だったのは傲慢な父にぺこぺこ頭を下げている姿だった。


 夫婦というのは平等なのだと、サダオは昔から考えていた。

 アメリカナイズされた勝ち気で行動力のある女性とまではいかないにしても、女性もちゃんと意見を言って、家庭内では卑屈にならないのが理想的だと思っていた。


 サダオの姉がそうだ。

 学校の男子から意地悪されたら反撃する。

 ボーイフレンドが相手でも喧嘩する時は喧嘩する。


 母は自分のことを能力が低い人間と思っている節があった。

 だから父に服従しているのが正しいのだと、熱烈な信徒のように考えていた。


『私はバカだからねぇ』が母の口癖だった。

 父から怒られた時、そうやって自分で自分を慰めていた。

 幼かったサダオにとって、母の行動は奇異なものとして映った。


「そうだろう、桜庭サダオ。お前もハナヨのことをバカだと思っていた。内心では見下していた。母のことを可哀想と思いつつ、何のアクションも起こさなかった。そのくせ葬式では悲しんでいたな。もっと親孝行しておけば良かったとか、立派なことを考えただろう。母が育てた野菜をたくさん食べておけば良かったと、葬式が終わってから考えただろう」

「違う! そうじゃない!」

「いいや、違わないね。お前は俺だから嘘は通用しない」


 分かった。

 この際はっきり認めよう。


 なぜこの女性が自分の母なのだろう?


 そう疑問に思ったことは何回もある。

 でも、責められるほどの罪なのか。


 友達のお母さんは美人だ。

 友達のお母さんは話が面白い。

 友達のお母さんは有名な会社に勤めている。


 小学生くらいの年齢なら誰だって一度は考えないだろうか。

 なぜサダオの母は、頭が悪くて、器量が良くなくて、話がつまらなくて、一つ一つの動作が鈍くて、父から頻繁に叱られているのだろうか。


 単純な作業を黙々とこなす。

 母の長所なんて一個しか思いつかない。


「お前は酷い息子だな」

「ああ、分かっているさ。俺は母さんのことを尊敬していなかった。でも、優しくあろうと努めてきた。俺なりに母を大切にしてきた」

「優しくないから、優しくあろうと人は努力する」

「その通りだ。でもな……」


 母を殺したい。

 天に誓ってそれはない。

 最後の一点すらこの男は否定するのか。


「お前は隠したかった。これが俺の母です、と他人に紹介するのが恥ずかしかった。ミヅキに初めて母を紹介した日もそうだ。母が間抜けな発言をしないか、気が気じゃなかった。小学校の授業参観もそうだ。皆んなに自分の母を見られるのが恥ずかしかった。お洒落には無頓着な女性だからな。この苦痛から解放されるためには、母を殺すしかなかった」

「そんなの、極端すぎるだろう」

「その通りだ。極端すぎるんだよ、お前は。職場だと気の利いたお世辞を言えるくせに、プライベートだとそれができない。危険な思想を持っているくせに、無害な人間のフリしている」


 自己嫌悪に襲われたサダオは胸元を押さえた。

 これ以上母のことを思い出すと、胃袋の中身をぶちまけそうだった。


「もういい。母の件は分かった。お前の言う通りだ」

「じゃあ、次へ行こうか」


 殺人鬼フィクサーは激しく咳き込んだ。


 ……。

 …………。


 父を殺した理由は分かっている。

 人として、男として、家族として、純粋に好きじゃなかった。


 父は昔気質むかしかたぎの男だった。

 あの頃は良かった、が口癖の大人なのだ。

 小学生のサダオの目から見ても、正直いってダサかった。


 こんな大人にはなりたくないと思った。

 だから、父と距離を取ることに苦痛はなかった。

 父の側にいると同じ色に染まりそうな気がした。


「ヨウイチは苦しめてから殺してやろうと思った。だから、風呂場で溺死させることにした。それも一気に殺したんじゃない。時々空気を吸わせて、じっくりじっくり殺してやった。お願いだ! 助けてくれ! そういって懇願する様子を楽しんだ」

「気狂いめ」

「まあ、そうだな。俺は頭が狂っている」


 分からない。

 父のことは好きじゃなかった。

 それは認める。


 でも、殺したいほど嫌いだったのか。

 サダオは自分を見失いつつあった。


「父とは心の距離があった。しかし、父は悪人じゃなかった。殺すほどじゃないだろう。サラリーマンとして定年まで働いたのも立派だ」

「本気でそう思っているのか?」

「もちろんだ」


 サダオの同級生の中には、父から暴力を受けている生徒もいた。

 家庭内暴力がニュースになりにくい時代で、親から殴られた蹴られたという話は珍しくなかった。


 サダオの父は暴力を振るわない。

 たまに酒を飲みすぎて、よく分からない独り言や、バカヤロ〜みたいな奇声を上げることはあったが、その程度の欠点、誰しも一個や二個は持っているだろう。


 サダオだって、オナラが臭い、とカレンから注意される。

 同等のレベルじゃないだろうか。


「俺は父が苦手だった。何を考えているのか分からない人だった。父と何を話したらいいのか分からなかった。父が子供に何を期待しているのかも分からなかった」

「ヨウイチは冷たい男だった」

「とても冷たい男だった」


 父は姉にも冷たかった。

 そんな男なんだと、半ば諦めていた。


「ずっと昔の会話を覚えているか。ヨウイチがハナヨに理不尽な文句を言っていた」

「数がたくさんありすぎる」

「思い出せ」


 サダオは封印していた記憶にアクセスした。


 あったな。

 トラウマ級のが。


 両親が夜中に話していた。

 隣の部屋ではサダオと姉が漫画を読んでいた。


『お前が子供を欲しいと言ったんだろうが』


 父は素面でそんなことを切り出した。


『あなただって賛成してくれたじゃないですか』

『俺はどっちでもいいと言った。むしろ、子供なんていない方が楽だと思った』

『まあ、隣の部屋にはサダオ達がいるのに……』

『ふん、子供なんて……』


 父は何を言いかけたのだろうか。

 子供なんて邪魔くさいだけ?

 子供なんて金食い虫?

 子供なんて一人いれば十分?

 子供なんて成長したら親のことを忘れる?


 あの父ならどれもありそうだ。

 お前はいらない子だ、と宣告された気がした。

 かすかに残っていた父への憧れが木っ端微塵に砕かれた。


 こんな親にはなりたくない。

 サダオの反骨心が叫んだ。


 良き父でありたい理由を思い出した。

 桜庭ヨウイチというデリカシーに欠ける男へのアンチテーゼなのである。


「お前は努力した。ミヅキの良き夫であろうと、カレンの良き父であろうと、背伸びしまくった」

「そうだ。俺は努力した」

「努力するっていうのは、お前が良き父じゃない証拠だろう。努力している時点で、ありのままの自分を否定している」


 詭弁じゃないか。

 口走りそうになったが、殺人鬼フィクサーの言い分に一理ありそうな気がする。


「ヨウイチを殺す必要があった。あの男を超えたと証明する必要があった。息の根を止めるのが単純明快だった」

「だからって殺すのは間違っている。憎しみは墓場まで持っていくべきだ」

「ああ、間違っている。俺は間違った大人だからな」


 恐ろしい眩暈が襲ってくる。

 サダオはバランスを崩しそうになり壁に手をついた。


「じゃあ、次が最後だな」

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