第28話 お前なら理解できると思った

 殺人鬼フィクサーは虫の息だった。

 前髪に隠された目が刻一刻と光を失っていく。


 突然、大きな笑い声が上がった。

 気でも触れたのだろうかと哀れに思ったサダオは、しゃがんで目線の高さを合わせる。


「どうした? 何がおかしい?」

「…………」

「相変わらずだんまりかよ」


 マスクを剥ぎ取り、帽子も奪ってしまう。

 初めて露わになった殺人鬼フィクサーの顔を見て、サダオは言葉を失った。


 自分がいたのである。

 いつも鏡の前で目にするサダオと瓜二つの顔をしている。


 いや、微妙に違う。

 顔のパーツはそっくりだが、目元はやや老けている。

 口の周りだって小皺や染みが多い。


 四十は過ぎているが、五十には満たないくらいの年齢だ。

 殺人鬼フィクサーは赤の他人ではなく、サダオと何らかの繋がりがあるのだと、認めざるを得なかった。


「なんで俺と同じ顔をしている?」

「それは俺がお前だからだよ」


 今度はしゃべった。

 声もサダオとほぼ一緒だった。


「あり得ない」

「いや、あり得るね。あり得ないことが起こると、お前なら知っているはずだ」


 今度はサダオが腰を抜かす番だった。


 殺人鬼フィクサーを野蛮な男だと思っていた。

 明らかに社会不適合者だと。


 この男の発言が事実なら、サダオはろくでなしのクズ人間とイコールになる。


 認められるはずがない。

 受け入れられるわけがない。

 そんなバカげた話は断固拒否したい。


 こちらの表情からサダオの感情を読み解いたのか、殺人鬼フィクサーは血で濡れた手を向けてくる。


「手紙だよ。覚えているだろう」

「知らない。何のことだ?」

「しらばっくれるなよ。忘れたとは言わせないぞ」


 もちろん、知っている。

 何度も読み返したし、今だってサダオの机に入っている。


『桜庭家は殺人鬼フィクサーに狙われている。あいつは何回でもやって来る。家族を守れるのは桜庭サダオ、お前だけだ。お前だけが何回だって時をやり直せる』


 まさか殺人鬼フィクサーがあれを用意したというのか。


 矛盾している。

 何もかも、コインの裏表みたいに。


 そんなサダオの思考を先回りしたように、


「表裏一体という言葉があるだろう。愛と憎しみは似ている。甘やかすのは虐待に似ている。自己愛だって大きすぎれば身を滅ぼす。何でも割り切ろうとするのはお前の良くない癖だ、桜庭サダオ。俺はお前だから、よく理解している。この世は学校の数学じゃない。割り切れない物の方が多い」


 殺人鬼フィクサーは知ったような口を叩く。


「お前は仕事を愛している。その一方で仕事を憎んでいる」


 うるさい。

 やめろ。


「自分に対する評価もそうさ。善良な市民であることを自覚している。それと同時に周りが思っているほど優しい人間じゃないことも自覚している」


 それ以上は言うな。

 胃がムカムカする。


「図星か? 少し体が震えたぞ。他にもあるな」

「うるさい!」

「大きな声を出すなんて俺らしくないな」

「お前は俺じゃない!」


 殺人鬼フィクサーは笑った。

 サダオはその横っ面を殴る。

 攻撃したのは自分の方なのに、なぜか自分の頬まで痛んだ気がした。


「だったら、何でカレンを殺した⁉︎ お前が俺なら殺すはずないだろう!」

「そんなの決まっている。カレンが女の子だからだ」


 言葉の意味を理解できないサダオは喉を上下させる。


「カレンが女の子だから殺した」


 殺人鬼フィクサーは繰り返す。


「お前は男の子が欲しかった。だから自分にとって不都合な現実をぶち壊したかった」

「あり得ない」

「でも、あり得た。俺が実際にカレンを殺した。だから断言できる。お前はカレンのことを憎んでいる」

「そんなの、嘘に決まっている」

「お前より俺の方が正しい。俺の方が長生きしているからな。自分のことを深くまで理解している」


 また矛盾している。

 サダオがカレンを手にかけるなんて、巨大隕石が落ちてくるくらいあり得ない。


 断言しよう。

 カレンが死ぬくらいなら、サダオは自分が死ぬことを選ぶ。


「カレンに罪はない。俺が男の子を望んでいたとしてもだ」

「認めるのか? お前は男の子が欲しかったと?」

「そうじゃない……」


 サダオの言葉尻が弱くなる。


「まあ、いい。お前はカレンのことが好きじゃない。いや、カレンを上手に愛せない自分が好きじゃないと言うべきか」


 これは図星だった。

 時折カレンに何て言葉を掛ければいいのか分からなくなり、サダオは戸惑うことがある。


 でも思春期の子供を持つ親なら誰しもぶつかる壁だ。

 子供の扱いに関してはどんな親だって大なり小なり悩むものだ。


「お前はカレンといると自己嫌悪になる」

「そんなことはない。今朝だって楽しく会話した」

「今朝か。カレンが修学旅行に行く朝だろう。何となく覚えているぞ」


 殺人鬼フィクサーは不快な笑い方をした。


「認めたら楽になるぞ。お前はカレンを愛していない。会話が気まずくなる度に、自分が親として不適格であることを考えさせられる。お前はその苦痛に耐えられなくなる。やがてカレンを責めるようになる。こいつが男の子だったら、と」

「あり得ない。無茶苦茶だ」

「ああ、俺は無茶苦茶だ」


 また殴ろうとして思い止まった。

 手を出したら殺人鬼フィクサーの思う壺だろう。


「お前がカレンを嫌う一番の理由を当ててやろうか。ミヅキを奪われた気になるからだろう」

「そんなの、子供の発想だ。子供には母親を占有する権利がある」

「でも、カレンが生まれる前、ミヅキの優先順位はお前が一番だった。カレンが生まれたことで、一番から二番に転げ落ちた。お前はそれが我慢ならなかった」

「ふざけている。それじゃ、世の中の家庭が崩壊しまくる」

「でも、事実だ。家族が歪み合う光景は珍しくない」


 サダオは三十七歳のサラリーマンなのだ。

 向こうの言い分が正しいなら、精神年齢が十歳くらいになる。

 とてもじゃないが受け入れられる話じゃない。


「お前は幼稚だ。でも恥ずかしいことじゃない。大人は誰だって心の中に子供の自分を飼っているのだから。大人なのに、大人になろうと努力している」

「悟ったようなことを言うな」

「まあいい。お前も俺の歳になれば分かるさ」


 次の質問は何だ? と問うような視線を向けてきた。


「もういい。お前なんかと話したくはない」

「そうやって自分の殻に閉じこもるのか、桜庭サダオ。お前はいつだって逃げるよな」

「うるさい。やめろ。お前は俺じゃない。十年後か二十年後か知らないが、俺は幸せな家庭を守り抜いている。お前みたいなクズ人間に成り下がらない」

「そうかい。気持ちはよく分かるよ。俺も昔はそう思っていたからな。でも、今の俺をよく見ろ。エゴの塊だ。人の浅はかさが生んだ化け物だ。今なら犯罪者の気持ちがよく分かるね」

「うるさい! 黙れ!」


 無意識の内にナイフを持つ手に力を込めていた。

 殺人鬼フィクサーの首筋を裂こうものなら、この男と同じレベルまで落ちてしまう。


「お前は俺に言ったな」


 死にかけの顔がニヤリと笑った。


「もういい。お前は助からない。ここで死ぬべき人間なんだ。お前なんか生きていたらダメなんだ。自分でも分かっているだろう。お前は長生きできない側の人間なんだよ。現代社会の負債なんだよ。生きていることが罪なんだ。……このセリフ、そっくりそのまま返すぜ」


 サダオの体温が一気に下がっていった。

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