第27話 冷たい一撃とフィクサーの失敗

 サダオは目をつぶった。

 視覚以外を研ぎ澄ますことで、侵入者の小さな気配をキャッチした。


 今玄関にいる。

 おそらく靴をチェックしている。


 ミヅキが帰宅しているのか。

 殺人鬼フィクサーは気になるはずだ。


 サダオの靴は隠してある。

 まだ帰っていないと信じ込ませるための偽装である。


 カレンが修学旅行に出かけていることを、殺人鬼フィクサーは知っているだろうか。


 たぶん把握している。

 小学校の行事の日程なんて、その気になれば簡単に手に入るだろう。


 殺人鬼フィクサーは考えるはずだ。

 リビングを含めた一階の電気は点いている。

 今この家にいるのは桜庭ミヅキでほぼ間違いないと。


 百戦錬磨の殺し屋なのだ。

 サダオは今、あの男の能力を誰よりも信頼している。


 殺人鬼フィクサーの手にはロープが握られているだろう。

 ミヅキを確実に絞め殺すためには不意を突かなければならない。


 殺人鬼フィクサーは耳を澄ませる。

 ミヅキの位置を探ろうとする。


 しかし生活音がしない。

 これはどういう訳かと考え込む。


 もしやトイレか?

 でも水音がしないぞ、と殺人鬼フィクサーは考える。


 次に相手が取るべき行動もサダオは予想している。


 固定電話を鳴らすのだ。

 ミヅキが在宅なら、必ず出ようとするだろう。

 そこを物陰から待ち伏せして一発で仕留める。


 サダオがイメージした通り、家の固定電話が鳴り出した。

 しばらくすると切れた。


 でも再度鳴り出す。

 また切れた。


 不気味な沈黙がこの家全体を包み込む。


 殺人鬼フィクサーはプロフェッショナルだ。

 仕事は必ずやり遂げてみせる、という強い意志を持っている。

 だから諦めて帰る、なんて選択肢はない。


 一階から順に部屋を見て回るはずだ。

 もしかしたらミヅキが耳にイヤホンをしたまま居眠りしているかもしれない。

 存在するかもしれない可能性を潰すため、自分の目で確かめないと気が済まないだろう。


 まずはリビング、そして和室、お風呂場、トイレ。

 どうやら一階にはいないらしい。


 殺人鬼フィクサーは階段の手前で考える。

 早くミッションを終わらせないと、桜庭サダオが帰ってくるかもしれない。

 あの男には三回も仕事を邪魔されているから、できれば会いたくないな、と。


 殺人鬼フィクサーは階段を上がってくる。

 どのようなリスクが待ち受けていようとも、撤退の二文字はない。


 この家の階段には小さな罠がある。

 三段目、七段目、十一段目が軋むのだ。

 音を立てないように注意しても、わずかに木が鳴ってしまう。


 サダオの耳は相手の動きを克明にキャッチしていた。

 今は踊り場のところまで来た、というのも分かる。


 殺人鬼フィクサーはいったん立ち止まる。


 二階に桜庭ミヅキがいる可能性は何パーセントあるのか?

 家の電話を二回もコールしたのに、在宅しているシチュエーションはあり得るのか?


 プライドが高い男なのだ。

 この目で真実を見ておきたい、という欲望には勝てない。


 殺人鬼フィクサーが二階へやってくる。

 廊下のところで立ち止まり再考する。


 部屋のドアが四つ待ち受けている。

 手前から順番にチェックしていく。


 まずはサダオの作業部屋。

 四畳半の小さなスペースに、机、椅子、本棚がある。

 ここはハズレだと殺人鬼フィクサーは思う。


 次にカレンの私室兼寝室を開ける。

 一目で子供部屋と分かる空間に、可愛らしいベッドが置かれている。

 桜庭カレンが修学旅行へ行っていることを、殺人鬼フィクサーは把握しているだろうから、カレンの部屋もハズレ。


 次はミヅキの私室だ。

 ドアを開けるなり、フューズド・ディフューザーの良い香りがする。

 いかにも女性らしいインテリアが配置されており、ゴミ箱には化粧品を拭ったであろうティッシュも見える。


 殺人鬼フィクサーは思考をフル回転させる。

 ここにもターゲットの姿はない。

 桜庭ミヅキはどこへ消えたのか。


 最後の候補として残っているのは夫婦の寝室だ。

 もぬけの殻という気がするが、自分の目で確かめたいのが殺人鬼フィクサーという男である。


 一歩を踏み出した瞬間、とある可能性が殺人鬼フィクサーの頭をよぎる。


 もしかして今回も桜庭サダオにめられたのか?

 それが事実だとして、どうやって自分の行動を先読みしたのか?


 殺人鬼フィクサーはこれまでの情報を整理する。


 もし寝室で桜庭ミヅキが寝ていたら、計画通りにターゲットを殺して自分の勝ち。

 もし寝室で桜庭サダオが待ち伏せしていたら、ミッション失敗につき自分の負け。


 桜庭サダオからは三回逃げている。

 四回目も逃げ切れる自信がある。


 しかし殺人鬼フィクサーは理性的な男でもある。

 頭の片隅では、今日は諦めて退却すべきと分かっている。


 最初のプランが崩れているのだ。

 ミヅキを殺せるチャンスはこの先いくらでも待っている以上、出直すのがベストなのだ。


 でも好奇心が退くことを許さない。

 ここで逃げたら殺人鬼フィクサーの名折れとなる。


 もし桜庭サダオが手を打っているとして、どんな仕掛けを用意しているのか、自分はその障害を突破できるのか、自信と興味が背中を押してくる。


 殺人鬼フィクサーはドアの取手に手をかける。

 音を立てないようゆっくりドアを開ける。


 その横っ腹にドンっと衝撃が走った。

 何か冷たいものが体内に侵入してきた。


 チクっとした痛みが走り、今度は生暖かい物が体から溢れてくる。


 鋭利な果物ナイフが殺人鬼フィクサーを刺したのだ。

 ナイフを握っているのは桜庭サダオだった。


 ……。

 …………。


 サダオはずっと息を潜めていた。

 二階にある物置に隠れて、獲物を待ち伏せする捕食者のように、殺人鬼フィクサーが間合いに入ってくる瞬間を待っていた。


 やつが最後に寝室を確かめるであろうことは、ほぼ確信していた。


 サダオが向こうの立場ならそうする。

 あの男にカレンを殺されて以降、殺人鬼フィクサーの思考をトレースするのが癖になっていた。


 チャンスは一瞬だった。

 わずかな隙にサダオは果物ナイフを突き立てた。


 さらに太ももに深い傷を付けておく。

 これで殺人鬼フィクサーは全力疾走できないだろう。


 サダオは相手の背中を思いっきり蹴飛ばした。

 ロングコートに包まれた体が壁にぶつかり、赤い血の線を残した。


「何だよ。すでに春は終わったっていうのにロングコートに革手袋かよ。その格好でよく家まで移動してきたな。肌を露出させたくないのか? 酷い火傷の痕でもあるのか?」


 殺人鬼フィクサーは立ち上がったが、体重の半分は後ろの壁に預けたままだ。


 視線をサダオに向けたまま、腹部の傷を気にしている。

 殺人鬼だから、どのくらいのダメージで人が死ぬのか熟知しているだろう。


「お前が家に侵入してくれて助かった。こっちにもナイフで刺す理由ができた。家に泥棒が入ったから、ナイフで応戦したと警察に言えば済む話だからな。まんまと墓穴を掘りやがったな」


 サダオは血で濡れたナイフを目の高さまで持ち上げる。

 床にポタポタと血が落ちているのに、頭はびっくりするくらい冷静だ。


 後で掃除するのが面倒だな。

 ミヅキに何て説明しようかな。

 そのくらいの感想しかない。


「ナイフで人を刺すのって、これっぽっちも楽しくないな。お前はその逆なのか? 弱い相手をナイフで襲うのって愉快なのか?」


 殺人鬼フィクサーは何も答えない。


 サダオは隠してあった杖を取り出した。

 手負いの侵入者を滅多打ちにして、じわじわと体力を奪っていく。

 向こうがガードを固めたので、二の腕にもナイフを深く刺しておいた。


 これで殺人鬼フィクサーは反撃する力を失った。

 オセロの盤面を制圧していくように、サダオの勝ちが揺るぎないものとなっていく。


「しかし分からないな。なぜ今日はロープなんだ。お前は殺し方に美学でもあるのか? 相手を死なせるのが目的じゃなくて、苦しむ姿を見たいということか?」


 サダオは杖を振り上げる。

 すると殺人鬼フィクサーの肩がビクっと震える。


 もう怖い相手じゃない。

 完全に失望に呑まれてしまっている。

 あれだけサダオを悩ませてきた殺人鬼フィクサーが小さな生き物に思えてきた。


「なぜカレンを狙ったんだ? なぜハナヨを狙ったんだ? なぜヨウイチを狙ったんだ? 疑問は他にもある。犬だよ。お前はあの日、ラブラドールを外へ連れ出したな。どういう理由でわざわざ面倒なことをしたのか、ずっと気になっていた。犬好きなのか? と聞いたが、お前は答えなかったな」


 殺人鬼フィクサーの流血は止まらない。

 血溜まりと血溜まりがつながって、一個の大きな血溜まりになる。

 時間の経過とともに有利になっていくサダオは、杖の先端を突きつける。


「俺の質問に答えろよ。お前が希望するなら救急車を呼んでやる。もしその気がないというなら、さらに深手を負わせてから救急車を呼ぶ。お前は住人の返り討ちに遭って、うっかり落命してしまった、日本一間抜けな空き巣泥棒として犯罪史に名を刻む」


 殺人鬼フィクサーがふ〜ふ〜と息を吐く。


 沈黙は何より雄弁という。

 この場で殺せというサインだろうか。


「お前に家族はいないのか? お前の勤めている会社は? なぜ死にたがる。生きようと思わないのか。こんな地球なんて滅びてほしいニヒリズムに染まった人間なのか?」


 サダオは杖を振り下ろした。

 殺人鬼フィクサーの傷口にヒットして、マスクの裏から苦しそうな声が上がる。


 全然楽しくなかった。

 少しも心が晴れなかった。

 この男を散々痛めつければ、サダオの気分はもっと晴れると思っていたのに、不快な感情ばかりがおりのように積もっていく。


 いくら殺人犯とはいえ所詮は人。

 生物学的にいうとサダオの行為は単なる同士討ち。


 そういう醒めた気持ちがサダオの頭から熱を奪っていく。


「もういい。お前は助からない。ここで死ぬべき人間なんだ。お前なんか生きていたらダメなんだ。自分でも分かっているだろう。お前は長生きできない側の人間なんだよ。現代社会の負債なんだよ。生きていることが罪なんだ。生まれてきたこと自体が間違いなんだ」


 殺人鬼フィクサーが床に尻をついた。

 もはや立っているだけの気力もないらしい。


「もうすぐ俺の妻が帰ってくる。それまでには片を付けさせてもらう」


 サダオは最後の仕上げに取りかかった。

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