第26話 最後の対決に向けて
木曜日まで時を遡った。
体の
「おはよう、お父さん」
リビングへ行くと、眠そうな顔したカレンがいた。
「あら、あなたも早起きしたの?」
ミヅキがトースターでパンを焼いている。
「まあな。ちょっと早めに会社へ行こうと思ってな」
「大変ね。また変なお仕事を押し付けられちゃったの?」
「それもある。課長がお休みなんだよ。親御さんが入院しているのだけれども、急に容体が悪くなったから、地元へ帰るんだとさ。二日ほどな」
「まあ、大変。やっぱり心配よね。親の病気って」
他人事じゃないミヅキがため息をつく。
サダオも一緒にご飯を食べることにした。
パンにコーヒーにヨーグルトの組み合わせ。
冷蔵庫からブルーベリージャムを取り出してヨーグルトに大さじ一杯かけておく。
「カレンはもう準備できたのかい?」
「うん、昨日のうちにちゃんと鞄に詰めたよ! お守りも忘れずに入れたよ!」
「そっか。なら、安心だな」
修学旅行か。
昔すぎてあまり覚えていない。
旅館のご飯がおいしかったのと、帰りのバスで熟睡したのは記憶している。
あと友達の
あれは小学校だったか、中学校だったか。
耳元でウシガエルでも飼っている気分にさせられた。
「お父さんやお母さんの修学旅行は楽しかった?」
「ええ、楽しかったわよ」
ミヅキは小学校の修学旅行で、人生初のサファリパークを体験している。
ライオンに肉をあげたという話をカレンは興味深そうに聞いている。
「お父さんは?」
「火山を見に行ったな。煙が山のてっぺんを覆っているんだ」
山の名前を教えると、カレンはその場で画像検索して、おお、と声を漏らす。
「一生の思い出になるからな。たくさん楽しんでこい」
「うん!」
サダオも出社の準備に取りかかる。
いつもはミヅキと一緒に出発するのだが、この日はサダオ一人で家を出た。
「それじゃ、いってきます」
すっかり気温が暖かくなったから、サダオの会社でもそろそろ背広が不要となる季節だ。
通勤中だって厚手のコートやマフラーを見かける回数はほぼゼロに等しい。
殺人鬼フィクサーは夏場でもあの格好なのだろうか。
強いポリシーを持っていそうだから、年中ロングコートという気がする。
その反面、街中でマフラーに手袋はないだろうとも思う。
確かめてみるか。
今夜、うちへやって来る時にチェックしてみよう。
降りるまで十駅以上あるのでサダオは仮眠することにした。
……。
…………。
「桜庭さんって今日は残業しますか?」
「すまん。家族との約束があって、定時で帰る予定だ」
「あ、そうですか。なら、明日でいいです」
「悪いな。明日の朝に確認する」
定時になるなり、サダオは仕事の後片付けに取りかかった。
ペットボトルの中身を飲み切り、リサイクル箱へ捨てておく。
ミヅキには一報送ってある。
『カレンがいないから、ワインでも飲みながら良い肉を食べないか?』と。
もちろん返事はOK。
食材はミヅキが仕事帰りに調達してきてくれる。
サダオが先に家へ帰る。
殺人鬼フィクサーを待ち伏せるという作戦だ。
サダオは耳にイヤホンをセットして、スマホで懐かしい洋楽を流した。
2000年頃に世界的な人気を博したロックバンドの名曲だ。
テスト勉強の合間によく聴いた。
当時はMDという規格が流行っていた。
今の若者は見たことない人も多数だろうが、一枚百円くらいで売っているディスクに好きな曲を焼くのだ。
仲の良かった友達と交換していた記憶がある。
今の時代は便利だ。
指先でポチポチやるだけで、自分のプレイリストを作れる。
並べ替えたりするのも楽チン。
サダオの時代は不便だった。
自転車で二十分のところにあるレンタル屋までわざわざCDを借りに行った。
返すのを忘れて、三百円の延滞料を払ったことが何回かある。
懐かしいメロディーを聴いていると、全身の細胞が若返ったような気分になれる。
サダオがもっともモチベーション高く生きていたのは、大学受験の年だったかもしれない。
昔から夢はあった。
サラリーマンになって自分の所帯を持つという夢だ。
笑っちゃうくらいスケールの小さい話だが、サダオにとっては夢だった。
子供が生まれて、孫が生まれて、ひ孫が生まれて……。
子孫がずっと繁栄していけば、その中から有名なスポーツ選手や起業家が誕生するかもしれない。
その先祖の一人が桜庭サダオ。
それだけの夢。
身の丈に合っている。
夢はほとんど叶ったようなものだし、カレンが誰と結婚するとか、子供は何人ほしいとか、もしくは生涯独身がいいとか、カレンの人生なのでカレンの意思に任せようと思う。
元気に生きてほしい。
できればサダオより長生きしてほしい。
夢のお釣りはそれだけで十分だ。
だから殺人鬼フィクサーを許せないのだ。
サダオは戦う理由を見つけた気がした。
……。
…………。
サダオは帰るなり一階の電気を点けた。
まだミヅキはいない。
『どっちのワインがいい?』という旨のメッセージが届いたばかりだから、あと五十分くらいは帰ってこないだろう。
通勤用の鞄をリビングに置き、サダオは二階へ向かった。
ミヅキの私室を開ける。
デスクと椅子があり、本には雑多な小説が収まっている。
コンサルティングに関する本も何冊かあった。
ミヅキは昔、営業の仕事をしており、割と優秀なセールスマンだった。
元来、社交的な性格をしているのだ。
サダオは内向的な性格だから、バランスが取れた夫婦と言えるかもしれない。
アルバムが何冊かあるので一冊を引っこ抜いた。
新年を迎えるたび新しいアルバムを買うようにしている。
写真の枚数は年によってマチマチで、半分しか埋まっていない年もある。
新婚旅行はハワイへ行った。
今よりずっと若いミヅキが美味しそうにパンケーキを食べている。
妊娠しているミヅキの写真もある。
当時が二十七歳。
宝物でも守るようにお腹に手を添えている。
次のアルバムを手に取った。
カレンが生まれてからは三人で写っている写真が目につく。
サダオの誕生日のやつもある。
カレンは二歳くらいで三角の帽子を被っている。
カレンが幼稚園に入り、やがて小学校に入る。
子供は成長するのが早い。
けん玉を覚えたり、一輪車に乗れたり、何でも器用にこなす。
しかし音楽の才能は無かったのか、ピアノはすぐに飽きた。
海辺で撮った写真もある。
サダオがアルバムから引き抜くと、裏にミヅキのメモ書きがあった。
日付、場所、そして一言日記。
マメなミヅキらしい。
なぜこんなに写真を残しているのか。
サダオは理由を思い出した。
あれは二人が結婚式の打ち合わせをしていた日。
結婚記念のムービーを作成しよう、という話になって互いの実家から写真を取り寄せたのだけれども、枚数が少なくて困ったのである。
サダオの両親はあまり写真が好きじゃなかった。
その結果、ムービーに使う素材に困ってしまった。
『カレンが結婚式を挙げる時、困らないようにたくさん写真を残しておかないと』
二人で約束した。
似たような経験をする人は一定数いると思う。
ウェディングプランナーさんから、
『幼少期の写真を集めて、お二人が成長していく姿をムービーにしましょう!』
と提案されて、焦ってしまうカップルというやつは。
写真をたくさん残そう。
山ほど思い出作りに出かけよう。
あと二十年くらいした時、ミヅキとカレンの三人で振り返れるように。
「俺たちの時間は、誰にも邪魔させない。俺たちの絆は、誰にも奪わせない」
サダオは閉じたアルバムを元の位置に戻した。
乱れたネクタイを直した時、誰かが玄関を開けるガチャリという音がした。
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