第25話 四人目の犠牲者

「桜庭さん、お先に失礼します」

「おう、お疲れ様」


 この日もサダオは夜のオフィスに残っていた。

 疲れた目を擦り、キーボードをタイプしまくる。


 課長のお父さんが急に体調を崩してしまい、二日くらい休みを取るとかで、余波をまともに食らってしまったのだ。


 課長が復帰したら昼食を一回奢ってもらう。


 ウナギがいいな。

 二千円くらいのランチをご馳走になってもバチが当たらないくらいの活躍をしている自負はある。


 カレンは朝早くから修学旅行へ出発した。

 近隣の県で一泊して明日の夜七時には帰ってくる。


 カレンは修学旅行をずっと心待ちにしていたから、どんな話を聞かせてくれるか楽しみだ。


 最近はどこの会社でも『早期退職募集』のニュースが目立つ。

 サダオの会社はまだ着手していないが、そろそろアナウンスが出されるのでは? という噂を小耳に挟んだ。


 五年先や十年先の見通しが、そこまで明るくないのだ。

 カレンが成長して、ニュースとかを気にするようになった時、


『お父さんの会社、またリストラを進めているよ』


 なんて心配されるのかと思うと背筋がゾッとする。


 残念ながらサダオはエース級社員じゃない。

 会社の宝と呼ばれるのは、自動車の設計・開発に携わっている頭の良い連中だ。

 そもそも採用された時点から別のコースを生きてきた。


 サダオも直近の五年が勝負かもしれない。

 焦りに似た感情はある。


「さてと……」


 メールを一通送ってからパソコンの電源を落とした。

 ゴミを片付けてから帰路につく。


 帰りの電車の中でミヅキにメッセージを送った。

 しかし待てども待てども返信がない。


 珍しい。

 ミヅキは風呂場にもスマホを持っていくくらいで、返信は早い方なのだ。


 電車を降りてもメッセージは未読のままだった。

 嫌な胸騒ぎを覚えたサダオは、家までの道をダッシュする。


「おい! ミヅキ!」


 一階の電気はついたままになっている。

 しかしトイレにも台所にもミヅキの姿はない。


 なるべく足音を立てないよう階段を登った。

 廊下のところにストッキングを履いたままの脚が見えた。

 仕事の服装のままのミヅキがうつ伏せになって倒れており、近くには通勤用のカバンが転がっている。


 ミヅキの手がやや冷たい。

 首のところにはロープで締められたような痕が残っていた。


 殺人鬼フィクサーにやられたというのか?

 家族の死を目にするのは四回目だが、正直なサダオの心臓はバクバクと鳴りっぱなしだ。


 現場を見る限り、ミヅキが抵抗したような痕跡はない。

 殺人鬼フィクサーは後ろから不意打ち気味に襲ったのだろうか。


 分からない点は他にもある。


 玄関の鍵だ。

 サダオが帰ってきた時、鍵は元から開いていたような気がする。


 いや、殺人鬼フィクサーが玄関から逃げたのなら不自然じゃない。

 そうじゃなくてミヅキは鍵をかけ忘れたのだろうか。

 それで殺人鬼フィクサーの侵入を許したのか。

 ミヅキにしては不用心という気がした。


 あまり想像したくないが……。

 殺人鬼フィクサーは空間をワープできるのかもしれない。


 テレポーテーションの要領で壁をすり抜ける。

 それなら袋小路で忽然こつぜんと姿を消すのも納得できる。


 とんでもない能力なのは理解しているが、サダオが何回でも過去へ遡れるのだ。

 物理的な障害物をスルーできる人間がいても不思議はない。


 サダオは作業部屋へ向かった。

 タブレット端末を取り出して『タイム・リープ』のメールボックスを開こうとしたが、思い止まる。


 警察に一度調べてもらった方がいいかもしれない。

 何らかのヒントが手に入る可能性はあるし、ヒントが見つからないなら見つからないで構わない。

『ヒントがない』というのが最大のヒントなのだ。


 過去へ戻るのは今日じゃなくてもいい。

 三日後とか五日後でも『タイム・リープ』は消えない。


「ごめんな、ミヅキ。必ず生き返らせてやるからな」


 断腸の思いというのは、今のサダオの気持ちを指すのだと、生まれて初めて思い知った。


 ……。

 …………。


 桜庭ミヅキの葬式は、一気に気温が上がった夏日、近しい親族二十余人を集めて行われた。


 カレンがひたすら号泣していた。

 ハンカチがぐちゃぐちゃになったので、サダオのと交換したのだが、そっちもずぶ濡れになっている。


「お母さん、お母さん、会いたいよ」


 もうすぐ会えるから。

 サダオは父親らしい威厳を保ったまま頭を撫でておく。


 隣では父と母が会話している。


「なんでミヅキさんが狙われたんだろうね」

「本当にね。まだ若かったのにね」

「可哀想に」

「うん、本当に可哀想だよ」


 同じような会話を聞くのは十回目という気がする。


 親族の葬儀が四回目とはいえ、ミヅキの遺影を見るのは初めてだから、サダオの心を深い悲しみが包んでいた。


 もう会えない、話せない、手をつなげない。

 そう思うと胸が締めつけられる。


 ミヅキの体が霊柩車に乗せられていく。

 入れ替わるように警察官がやってきて、ちょっとお時間よろしいですか、と声をかけられた。


 顔見知りの刑事である。

 四十絡みの男性で、カレンの事件を担当してくれたのも同じ人物だった。


「遺体の状況から察するに、犯人の身長は百七十センチ前半だと思われます」


 知っている。

 殺人鬼フィクサーの条件にマッチする。


「近頃、不審な人物が家の敷地に潜入したとか、そういう出来事はありませんか?」

「ないですが……。以前、うちの両親の家に泥棒が入りました。そいつが怪しいと思います」

「ですよね……」


 刑事は釈然としない顔になる。


「ないのですよ、痕跡が。我々の方で家中を探しまくったのですが、窓とかベランダから侵入した跡がないのです。他に考えられるとしたら、普通に玄関から出入りした可能性です。奥さんの知り合いが、過去に家を訪ねてきたことは?」

「ないですね。知り合いが来た時は、近くのカフェへ行ってます」

「ですか……」


 刑事の口元がへの字になる。


 今回のような事件の場合、配偶者であるサダオが真っ先に疑われたりする。

 夫婦喧嘩の延長で殺してしまったのではないか、と。


 カレンが修学旅行へ出かけていたのも都合が良すぎた。


 でも、サダオにはアリバイがある。

 会社の退勤記録、通勤定期の利用履歴、そして街の防犯カメラ。

 事件は迷宮入りしそうだな、というのが第一の感想である。


「ありがとうございます。また何かあれば来ます」

「はい、お願いします」


 無愛想な刑事は去っていった。


 ……。

 …………。


 家に帰るなりカレンは寝てしまった。


 蓄積していた心労が一気に出たのだろう。

 ミヅキの匂いがするブランケットを持っていって、クッション代わりに抱きしめている。


 サダオですら辛いのだ。

 カレンはこの何倍も辛いに決まっている。


 ミヅキを殺す時、殺人鬼フィクサーは何を考えていたのだろうか。

 サダオが警察官を呼び、慌てふためく様子をどこかから観察していたのか。


 泣いているカレンを見て何とも思わないのか。

 そもそも他人の不幸が幸せというのか。


 許せなかった。

 そろそろ決着をつけようと思った。


 殺人鬼フィクサーに聞きたいことは山ほどある。

 何のために人を殺すのか?

 何がそこまでお前を駆り立てるのか?

 この社会に対して恨みがあるのか?

 幸せそうなサダオが憎いのか?


 サダオは以前の部署で、ディーラー側とのやり取りを担当したことがある。

 やり甲斐のある仕事とはいえなかった。


『今年は〇〇台販売してくださいね』

 数字のノルマをメーカーがディーラー側に押し付けるのだ。

 返ってくるのは『そんなの絶対無理ですよ!』というリアクション。


 前年は一万台売れたところに、今年は一万二千台を売らせる、みたいなイメージだ。


 現状維持でもやっとなのが自動車業界である。

 無理なノルマを押し付けた結果、歪みが生まれる。


 かなり嫌われたと思う。

 本社の人間は横柄なやつだと。


 でも仕方ない。

『絶対無理ですよ!』を何とかするのが仕事じゃないか。


 いつかの週刊誌で『根深い新古車の闇』というのが特集された。

 一キロメートルも走っていない新古車が中古市場に出回っているというやつだ。


 新古車が出回る背景は色々あるが、ノルマを達成するために、ディーラー側が自爆しているケースは少なくない。

 そのくらい自動車メーカーはディーラーに対して威圧的だったりする。


 仕事の過程でサダオは恨みを買ったのだろうか。

 殺人鬼フィクサーが倒産したディーラーの人間なら、今回の事件も納得という気がする。


『私たちを殺す気ですか⁉︎』


 そういう罵声をたくさん浴びてきた。

 彼らの瞳は殺意でたぎっていた。


 どこの業界も裏ではドロドロしている。

 サダオの会社も例外じゃないという話だ。


 もう考えるのはやめよう。

 ミヅキやカレンには関係のない話だ。


 会社はサダオに一定の評価を与えていて、サダオも悪くない給料をもらっている。

 それで満足じゃないか。


 サダオは一切の感傷を振り払い、タブレット端末を手に取った。

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