第23話 旧友とのバッティング勝負

 カレンが小学六年生に上がった。

 クラスの委員を決める話し合いがあって、希望していた放送委員に選ばれたと、嬉しそうに語ってくれた。


 テーブルの上には色とりどりの教科書が並んでいる。


「円の面積か、懐かしいな」


 サダオは算数の教科書をめくってみた。


「俺たちの頃とは雰囲気が変わったな」

「そうそう。国語の題材になる小説も、私たちの頃より新しいのよね」


 ミヅキが面白そうに読んでいる。


「さっそく予習しよっと」


 カレンは上機嫌だ。

 その手元にはサダオの両親から進級祝いとしてもらった一万円がある。


 サダオが幼い頃、祖父母からお小遣いをもらうことは滅多になかったので、若干カレンが羨ましい。


「お小遣いの半分は貯金しなさい。使う時もお母さんに相談してからね」

「分かっているよ、お父さん」


 サダオは会社で相変わらずバタバタしている。

 四月といったら異動が多い季節で、メンバーの入れ替えが発生するから、引き継ぎが発生するのである。


 そこらへんを上手に回すのが課長補佐であるサダオの役割なのだが……。

 どうも皺寄しわよせを一手に引き受けてしまっている気がする。


 自分は部下を使うのが下手なのだろうか。

 父は昔から『自分でやれることは自分でやりなさい』が口癖だった。

 子供の教育という点では、正しいかもしれない。


 でも社会人は違う。

 チームで仕事を分担する。

 すべてを自分でやっていたら、体が一つじゃ足りなくなる。


「お父さん、今日はジョギングに行かないの?」

「ああ……」


 カレンに指摘されて、いつもジョギングに出発する時間だと気づく。


「今日も行くよ。コンスタントに継続することが大切だからね。教えてくれてありがとう」

「うん、頑張って」


 娘が応援してくれる喜びを噛み締めながら、サダオはジョギングに出発した。


 ……。

 …………。


 走るコースは何パターンか使い分けている。


 一番よく利用するのは、小川に沿って上っていき、道が行き止まりになっているところで引き返してくるパターン。

 信号がほとんどなくて走りやすい。


 次に利用するのは運動公園まで走り、ジョギングコースを三周くらいして帰ってくるパターン。

 快適に走れるのだが、他のランナーが多いという欠点がある。


 本当はジムに通いたい気持ちもある。

 家から一キロと微妙に遠いせいで、ジムに申し込む気になれない。


「おっ……」


 川面がピンク色に染まっていた。

 散った桜の花びらが帯のように広がっているのだ。


 地元じゃちょっとした観光スポットだし、サダオは小学生の頃からこの景色が好きだった。


 写真を一枚撮っておく。

 ミヅキやカレンに見せたら喜ぶかもしれない。


 帰る時、カレンの通っている小学校の前を通った。

 サダオの母校でもあるのだが、校舎が新しく建て替えられたせいで、別の学校に思えてしまう。


 グラウンドでは野球のリトルチームが練習で汗を流していた。

 大きなフライが上がって青空に白い放物線を描く。


 サダオもかつて野球少年だった。


 六年生の時の打順は二番。

 ポジションはショートを任されていた。

 サダオの肩はそれほど強くなく、外野を守るのが苦手だったのである。


 なぜ野球をやりたいと思ったのか、よく覚えていない。

 ミスするたび監督から叱られて、憂鬱だった記憶がある。


「よお、サダじゃねえか」


 ふいに背後から声をかけられる。


「ああ……」


 かつてのチームメイトだった。

 二十年以上前はワイルドな感じの好青年だったのに、今ではお腹周りにたっぷりと贅肉が付いている。


「何だよ。ジョギングかよ。もしかして健康診断で引っかかったのか?」

「まさか。引っかからないための予防だよ」

「お前は真面目だな〜」


 せっかくだからバッティングセンターへ行かないか、と誘われる。

 久しぶりにバットを握るのも悪くないと思い、肩を並べて歩く。


「勝負しようぜ、サダ」

「やるか」


 バッティングセンターの雰囲気は昔から変わらない。

 古いゲーセンとボウリング場が併設してある。

 十年くらい前から卓球コーナーもできた。


 年に二回くらい、カレンを連れてくることがある。

 サダオがボウリングで良いスコアを出すと、尊敬の眼差しを向けてくれるのだ。


「サダのところの娘さん、もう小学六年生になるんだっけ?」


 かつてのチームメイトが快音を響かせる。


「そうだよ。お前のところは小学四年生だっけ?」


 サダオも負けじとヒット性の当たりを飛ばす。


「まあな。小学一年生の頃から水泳やらせているけれども、本人はサッカーをやりたいってさ」

「サッカーを?」

「友達がサッカーチームに所属しているんだとさ」

「なるほど。仲の良い友達なら、習い事も一緒がいいよな」

「だけどな、本当にサッカーが好きとは思えないんだ。一年したら根を上げる気がする。水泳は個人競技だけれども、サッカーは集団のスポーツだしな。うちの息子、チームプレーとか苦手そうなんだよな」


 かつてのチームメイトのバットが空を切った。


「やらせてみればいいんじゃないか」


 サダオは連続ヒットを放つ。


「大人になって後悔するのは本人だ。失敗するなら若い内がいいだろう。俺たちの年齢になって、あの時サッカーをやっていれば、とか悔やんでほしくないだろう」

「まあ……確かに」

「それに有名なサッカー選手の中には、十歳から始めた人もいる。だから、全然遅くない」

「ほう……」


 かつてのチームメイトは球を一つ見逃した。


「サダは良いことを言う」


 少年みたいに白い歯を見せて笑う。


「九回裏、ツーアウト満塁、フルカウント、点差は三点」

「何だよ、それ?」

「俺が現役最後に立ったバッターボックス。これを打ち損じたら、俺の野球人生が終わるやつ。ネクストバッターボックスでは、泣きそうな顔したサダがいる」

「ほう……」


 案の定というべきか、結果はボテボテのゴロだった。

 当時のサダオは何を思っただろうか。


 ……。

 …………。


 久しぶりに友達と話せたのは楽しかった。

 じゃあな、と昔みたいに手を振って別れる。


 サダオは帰るなりシャワーを浴びた。

 着替えてからリビングへ向かうと、カレンが問題集を解いていた。

 言われなくても勉強するのがカレンの偉いところだ。


「今日は長がったのね。どこかへ寄っていたの?」

「ああ、バッティングセンターにな。偶然、小学校の頃の友達に出くわしたから。バッティング勝負してきた」

「へぇ〜」


 ミヅキは大して興味がなさそうな返事をする。


「そうだ。川の写真を撮ってきたんだよ」

「川の写真?」


 スマホの画像を見せてあげる。


「きれいね。良くできたCGみたい」

「だろう。一年で短い間しか見られないんだ」

「この近くに桜の花なんて咲いていたかしら」

「上流の公園にな。川沿いに植えられている」


 カレンがミヅキの肩を叩き、ねえねえ、お母さん、と声をかける。

 英単語の発音を教えてもらいたいらしい。


 娘にミヅキを取られたサダオは、ソファに腰かけてスマホを開いた。

 面白そうなニュースがないかチェックしてみたが、五分くらいで飽きてしまう。


 世の中には星の数ほどニュースが溢れている。

 どれも陳腐に思えてしまうのは、単に疲れている証拠だろうか。


 サダオはコーヒーを淹れて作業部屋へ向かった。


 本棚からビジネス書を一冊抜き取る。

 過去に何回も読んでいる本だから、時間を潰すための読書である。

 十ページに一回くらい昔のサダオが鉛筆で線を引いてある。


 それも五分で飽きてしまった。

 他にやることもないので動画投稿サイトをチェックする。


 お勧めに並んでいるのはニュースの動画ばかり。

 サダオの生活習慣を物語っているといえよう。


 画面を下にスクロールすると、

『思春期の娘との接し方 〜失敗しないパパになろう〜』

 というタイトルの動画があった。


 その他には、

『夫婦のマンネリ化を防ごう!』

 なんて動画も表示される。


 知らない誰かに監視されている気分だった。

 サダオが子持ちの三十七歳の男性であることは、どこかの国のデータベースに登録されていて、動画投稿サイトと連携しているのだろう。


 結局、五分でアプリを落とす。


 現代人は忙しいというが本当だろうか。

 やることが無くなった結果、サダオは暇を持て余している。


「そういや、俺の趣味って何だったっけ?」


 長い結婚生活の中でそんなことも忘れてしまった。

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