第21話 殺人鬼フィクサーの弱点
結局、ミヅキが百円均一から戻ってくるなり、帰宅することに決めた。
「すまないな、せっかくの休日なのに腹痛なんて」
「いいわよ。もう買い物は済ませたから。夕食の材料はいつものスーパーで買いましょう」
駅へと向かう道すがらサダオの口数が少ないのを、ミヅキは体調不良のせいだと信じており、申し訳ない気持ちにさせられる。
電車に乗り、横並びで座った。
ミヅキがスマホを取り出して、カレンから届いたメッセージに目を通す。
「ほら、見て。お義父さんが被り物している。かわいい」
「おいおい、完全に玩具にされているな」
父の頭から二本のウサギ耳が生えている。
還暦を過ぎた老人なので違和感しかない。
「みんなで旅行したの、懐かしいわね。お義父さんの還暦祝いに。あの頃はカレンも幼かったから」
「そうだな。父さん、楽しんでいたな。あの日の写真は良い感じに撮れていた」
「そうそう。俺の葬式はこの写真がいいって」
葬式の話が出たので、サダオは内心ギクッとする。
「よく覚えているな」
「縁起でもないこと言わないでよ、てあなたのお姉さんが笑っていたから」
「確かに。あったな」
平均寿命まで生きるとしたら、父はあと二十年くらい生きる。
遺影に還暦の顔を使うのは
「ミヅキのお父さんは定年退職しても飲食店で働いているんだよな?」
「そうね。人と接するのが好きだから。クレーム処理を四十年やってきたから俺の特技なんだって、クレーム処理なら誰にも負けないって、お母さんに自慢していた」
「そういうスタッフが一人でもいたら、お店から重宝されそうだ」
「うん、アルバイトとして優秀なのよ」
途中から電車が混み合ってきた。
幼児を連れたお母さんも乗ってきたので座席を譲っておく。
「ありがとうございます」
「いえ、次で降りますから」
カレンからメッセージが届く。
今並んでいるアトラクションが終わったら遊園地から帰るそうだ。
「最後にお土産を買うってさ」
「買い過ぎないといいけどな。お弁当箱やマグカップを買ってきそうだ」
「あら? カレンがマグカップを欲しがっているの、あなたも知っていたの?」
「まあ……何となく……」
サダオ、ミヅキの順で電車から降りた。
完璧だった。
これで殺人鬼フィクサーに先回りできる。
父の生存ルートが完成しつつあることに満足したサダオは、ミヅキにバレないよう笑った。
……。
…………。
「ただいま〜」
お土産の袋をたくさん提げたカレンが帰ってきた。
「まあ、すごい量のお土産。お義母さん、ありがとうございます」
「いやいや、私たちも楽しめたよ」
母の姿は見えるが、父の姿は見えない。
「父さんは?」
サダオは四人分のお茶を用意する。
「クタクタに疲れちゃったみたいでね。早くお風呂に入りたいってさ」
「父さんも歳を取ったな。カレンの前だから張り切り過ぎたんだろうな。慣れないのに頑張るからだよ」
さっそくカレンがお土産を広げる。
「これはお父さんに、これはお母さんに、これはカレンが自分用に買ったやつ」
「可愛いお弁当箱だな。限定バージョンだったりするのか?」
「そうだよ。毎年デザインが変わるの」
カレンが誇らしそうに持ち上げる。
ちなみにサダオ用のお土産はカレー煎餅だ。
仕事で小腹が空いた時に食べてほしいらしい。
カレン、ミヅキ、母の三人で盛り上がっていたので、サダオはそっと席を外した。
父は今頃、お風呂にお湯を溜めているだろう。
まだ殺人鬼フィクサーがやってくるまで時間があるはず。
サダオは作業部屋へ向かい、ミヅキにバレないよう隠しておいた杖を取り出した。
この部屋の掃除はサダオ一人が行っており、カレンやミヅキが立ち入ることは滅多にない。
念のため防刃ベストも着ておく。
上着の前を閉めると、完全に見えなくなる。
長かった。
殺人鬼フィクサーがやってきて一ヶ月半くらいか。
ずっと気持ちが張り詰めていたせいか、一年間にも二年間にも感じられた。
『あいつは何回でもやって来る』
手紙にはそう書かれていたが、嘘だと信じたい。
警察に逮捕されてしまえば犯人も終わりだろう。
まさか刑務所から脱走できるというのか。
バカバカしい、そんなの人間じゃない。
「今助けに行くよ、父さん」
ポケットからスマホを取り出すと、夕闇に呑まれていく街に向かって歩き出した。
……。
…………。
サダオと殺人鬼フィクサーには共通点が一個あるかもしれない。
二人とも犬が好きなのだ。
犬はいい。
悲しい時や辛い時に寄り添ってくれる。
人間じゃないから無理に話さなくてもいい。
学校で失敗したサダオが落ち込んでいた日、ラブラドールは心配そうにしてくれた。
何が悲しいんだい? と問うように前脚をサダオの膝にのせてきた。
犬は人の気持ちが分かる。
サダオは自分に言い聞かせつつ一歩を踏み出した。
「あんたは犬に人間の気持ちが分かると思うか? なあ、殺人鬼フィクサー」
廊下にロングコートの人物が立っていた。
お風呂のドアを開けようとするが、引っ張っても動かない。
「残念だったな。父さんには内側からロックをかけるよう言ってある」
殺人鬼フィクサーはドアから離した手を帽子のつばに添える。
動揺を隠しているようにも思えたし、サダオの様子を注視しているようにも思えた。
「どうして犬を外へ連れ出した?」
サダオは杖の先端を向ける。
「犬を殺したくないのか? ラブラドールが好きなのか? 教えてくれ。じゃないと、今夜気になって眠れそうにない」
殺人鬼フィクサーが距離を詰めてくる。
サダオも怯まずに歩を進めた。
「お前は話せないのか?」
両者の距離が五メートルになる。
「だったら警察署で筆談してもらうしかなさそうだな」
古くなった床がギイッと鳴る。
先制攻撃はサダオだった。
杖による突きを繰り出す。
殺人鬼フィクサーは左手でキャッチするが、突きの威力を殺し切れるはずもなく、後ろに大きくよろめいた。
サダオはその胸ぐらを突いて突いて突きまくる。
殺人鬼フィクサーが姿勢を低くした。
頭部をガードしながら突っ込んでくる。
あらかじめ行動を予測していたサダオは、カウンターの膝蹴りを繰り出した。
これは思いっきり側頭部にヒットした。
一ヶ月も練習してきた膝蹴りであり、ゴツン、と不吉な音を奏でた。
しかし相手は頑強だった。
普通の人間なら気絶しかねない一撃にもかかわらず、ふたたび助走をつけて突進してくる。
サダオは杖を短く持ち換えた。
タイミングを合わせつつ上から思いっきり頭部を叩く。
一度や二度じゃない。
スイカでも割るように執拗に叩きまくる。
こんなやつ、体に障害が残ればいいと思った。
手心を加えようとしたら、逆にサダオが殺されてしまう。
二人の体がもつれ合う。
サダオはマウントを取り、馬乗りの姿勢で殴りまくった。
「サダオ⁉︎ 大丈夫か⁉︎ 何がどうなっている⁉︎」
「父さんは絶対に出てくるな!」
パンチが逸れて床を殴ってしまう。
ハッとした次の瞬間、殺人鬼フィクサーの拳がサダオの眉間をとらえている。
目から火花が飛ぶような威力だった。
成人して以降、もっとも痛いであろう衝撃に、サダオの視界がボヤける。
マズい。
物の輪郭が二重に見える。
眼球にもダメージがいったらしい。
そこから先は打撃の応酬となった。
一発殴られたら一発殴り返す。
向こうにダメージが通っているのは明白で、家庭菜園でバトルした時より弱くなっている。
棚に置いてある花瓶がひっくり返った。
サダオがぶつかった衝撃で障子に穴が空く。
尻餅をついたサダオの手に防虫スプレーが触れた。
殺人鬼フィクサーの顔面に噴射して、怯んだところを蹴りまくる。
落ちていた武器の使用に殺人鬼フィクサーは激怒したらしい。
父が居間に置いてあった焼酎を見つけると、瓶を叩き割って即興の凶器とし、サダオを突き刺そうとしてくる。
一回目と二回目はかわした。
しかし三回目の攻撃がサダオの腹部にめり込む。
一瞬呼吸が止まった。
防刃ベストがなければ、内臓を引き裂かれていた。
「お守り代わりでも、買っておいて正解だな」
サダオの膝が殺人鬼フィクサーの股間をインパクトする。
さすがに男子の弱点はキツいらしく、
「ッ……うぇ……」
と初めて苦悶の声を漏らした。
「何だよ。しゃべれるのかよ」
二人が乱れまくりの呼吸を整えていた時だ。
家の正面で自転車を止める音が二つした。
バタバタという足音も近づいてくる。
いよいよ警察官が駆けつけたらしい。
十分に相手を弱らせたので、ベストのタイミングと言えるだろう。
つまり殺人鬼フィクサーは罠にかかった。
「俺は正面から入る。お前は裏へ回れ」
「了解です」
己のピンチを悟ったであろう殺人鬼フィクサーは、一度だけ振り返り、それからサダオを睨みつけてくる。
「今回は絶対に逃がさない」
サダオは防虫スプレーを相手の顔面に向けて構えた。
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