第19話 カレンとおじいちゃんの約束

 ヨウイチの死因は溺死だった。

 ヨウイチというのは父の名前である。


 水をたっぷり飲んでいたらしい。

 遺体が発見された状況などから『犯人が上から押さえつけて風呂場で溺死させた』と警察は推測していた。


 母が帰ってきた時、玄関の鍵が開いていたらしい。

 一個一個の手がかりとも符牒ふちょうが合っていた。


 なぜ桜庭ヨウイチが狙われたのか?

 理由ははっきりしない。


 想像したくないが、溺死というのは辛い。

 じわじわと酸欠が脳みそをむしばんでいく。


 あまりに凶暴な手口から警察は恨みが深い人物の犯行と考えていた。


 母のケースではどうだろうか。

 後ろからガツンと頭をやられた。

 即死というのが警察側の判断だった。

 恨みが浅いというのか。


 カレンの殺され方は酷かった。

 ナイフで複数箇所を刺されて、たくさん血を失って死んだ。

 恨みが深いというのか。


 並べてみるとカレン、ヨウイチ、ハナヨの順だ。


 警察の推理は間違っている気がする。

 とてもじゃないが、カレンが誰かの恨みを買うとは思えない。


 殺人鬼フィクサーは純粋に頭のおかしいやつで、人の殺し方にそこまでこだわっていないのではないだろうか。

 あるいは当日の気分で殺し方を決めるのではないか。


 でも、三回の殺人に共通していることが一点ある。

 子供、老人、老人……いずれも弱い者が狙われている。


 三人の中で一番筋力があるのは、桜庭ヨウイチなわけであるが、父は同年代の男子平均より背が低い。


 毎日犬の散歩はしている。

 でも運動らしい運動はやっていない。

 殺人鬼フィクサーほどの体力があれば簡単に殺せただろう。


 サダオは怒りの炎を燃やした。

 じゃないと気が狂ってしまいそうだった。


 サダオがメンタルを傷つけられて弱っていく様子を、殺人鬼フィクサーは陰から観察しているかもしれない。


 許せなかった。

 眠っていた殺意の炎が息を吹き返してきた。


 サダオにはタイムリープがある。

 悲しみに打ちひしがれながらも、次なる対戦シーンを思い描いていた。


 ……。

 …………。


 父の葬式はシトシトと小雨の降る日、いつもの葬式会場で行われた。

『いつも』と言ってもサダオにとって三回目というわけで、他の親族にとっては今回が初だ。


 喪主はサダオの母。

 この二日間泣きっぱなしで顔の形が変わっている。


 ミヅキとカレンは声を殺して泣いていた。

 親族が一人死んで悲しいのもあるが、サダオの母が悲しむ様子を見るのが一番辛いのだろう。


 サダオの姉が母を励ましている。

 女同士なのも手伝って、姉と母は昔から仲が良い。


 父の遺体が骨になって返ってくる。

 骨壷を両手で受け取った時、サダオの目頭も熱くなった。


 正直、父のことは好きでもあったし嫌いでもあった。


 頑固だった、意固地だった、押し付けがましかった、自分が絶対に正しいと思っていた。

 悪口ならいくらでも思いつく。


 でも父は人として立派だったと、三十七歳になった今なら理解できる。

 お金のかかる趣味を持たず、酒やタバコや女に惑わされることもなく、粛々と仕事をこなしてきた。


 会社の出世レースには負けたらしい。

 でも現場でずっと研究に打ち込んだから、中途半端に出世するより幸せだったのではないか。


 善良な市民だったと思う。

 この世の人間が全部父みたいな人なら、戦争も犯罪も地球上から消えるだろう。


 火葬場から出る頃には雨も止んでいた。

 雲の隙間から薄陽が差しており、黒ずんだアスファルトを照らしている。


 サダオは母たちを車で連れ帰った。

 誰も一言も言葉を発しないから、車内までお葬式会場みたいになっていた。


 実家に着くなりミヅキが湯を沸かしてお茶を淹れてくれた。


「どうぞ、お義母さん」


 そういって虚な母の前に置く。


「誰がおじいちゃんを殺したんだろうね。私は許せないよ。絶対に捕まって、懲罰を受けてほしいよ。おじいちゃんを返してって言いたいよ。あんなにいい人だったのに……」


 泣き出したのはカレンだった。

 葬式で使った父の写真がその両手には握られている。


「おじいちゃん、優しかったのに。カレンを遊園地に連れて行ってくれたのに。また行こうね、ておばあちゃんと三人で約束したのに」


 カレンの涙が落ちてきて、写真の父の額を濡らす。


 父が還暦を迎えた時、姉夫婦にも声をかけて、ちょっとした旅行を企画した。

 遺影の写真はその時に撮影したやつだ。


 写真の父は笑っている。

 あまりに良い写真だったので『俺が死んだら葬式の写真はこれにしてもらおうかな』と冗談めかして話していた。


 それが現実になってしまった。

 我慢の限界に達したサダオは席を立つ。


「すまん、荷物を一回家に置いてくる」


 実家を出るなり、急に涙がこぼれてきた。

 すれ違った通行人がびっくりしてサダオを凝視する。


 失って分かる家族の大切さというやつだ。

 サダオにとって父は大切な存在だった。


 家を近所に建てたのもそうだ。

 両親に少しでも安心してもらいたくて、川を一本隔てたところに家を買った。


 カレンの笑顔を見れば父と母も元気になるだろう。

 サダオなりに色々と考えてミヅキを説得した。


 父を失ってはならない。

 せめてカレンが成人するまで生きてほしい。

 成長したね、とカレンを祝福してほしい。


 これはサダオの我がままだろうか。

 否、父にはその権利がある。

 絶対にあるはずだ。


 サダオは家に着くなり四畳半の作業部屋へ向かった。

 一つ深呼吸してからタブレット端末を開く。


 父が殺された日の朝に戻ろう。

 カレンが遊園地から戻ってくるより先にサダオが帰宅する。

 実家で殺人鬼フィクサーを迎え撃つ。


 今回こそあいつを捕まえたい。

 そのために警察官の力を借りようと思う。

 一人で挑むより確実だろう。


『家に泥棒が入ったみたいです』


 サダオから電話するのである。

 警察官と挟み撃ちにできる。


 タブレット端末のメールボックスを開いた。

 当然のように『タイム・リープ』の項目ができている。


 父が死んだのは三日前。

 その影響か知らないが、メールも三日分入っていた。


 もっとも古いメールは日曜日。

 朝の七時前だからサダオが目覚めた直後くらいだ。


 ECサイトから送られてきていた『締切間近! アカウント作成だけで10万円のチャンス!』という案内メールをサダオはタップした。


 ……。

 …………。


 サダオの全身が痙攣けいれんしたみたいに震えた。

 まぶたが忙しく上下して、指先がしきりに何かを叩いている。


 たっぷりと深呼吸した。

 今回はショックが激しかった。

 頭だって船酔いしたみたいにクラクラしている。


 手探りで引き出しを開けてタブレット端末を取り出した。

 画面の端に映っている時刻が日曜日の朝であることを確かめて安心する。


 これで父は生きている。

 カレンを連れて二十年ぶりの遊園地へ行く。


 サダオは洗面台へ行き顔を洗った。

 鏡に映っている自分に向かって、よし、と声をかける。


 リビングの方から足音がする。

 この歩き方はミヅキだろう。

 コーヒーの匂いがする。


 サダオは靴を履いて実家の様子をうかがいに行った。


 台所の電気が付いている。

 ガラス窓の向こうに母親のシルエットが見えた。


「……ん?」


 サダオの足に何かが触れた。

 ラブラドールの鼻先が太ももをツンツンしてくる。


「なんだ、サダオじゃないか」


 朝の散歩から戻ってきた父だった。

 ちゃんと生きており、顔色だって良さそうだ。


「珍しいな。サダオも散歩か」

「ああ、ちょっとね。コンビニへ行くついでにね」

「そうか。カレンちゃんはもう起きたか」

「もうすぐ起きるよ」


 死んだはずの父と話せるのが無性に嬉しくて、サダオの頬も自然とほころぶ。


「この犬も、けっこう歳を取ってしまったな。毛が昔よりごわごわしている」


 サダオはしゃがんで老犬の首周りをクシャクシャした。

 スキンシップが嬉しいのか、ラブラドールは舌をぺろぺろさせる。


 犬を飼う習慣はサダオが生まれる前から続いており、サダオの記憶にある犬はこいつで四頭目だ。

 犬種はいつもラブラドールで、オスとメスを交互に飼っている。


「サダオの家もペットを飼う予定なのか?」

「どうかな。カレンが欲しがるかもな。でも、犬は毎日の散歩が大変だろう」

「慣れたら平気さ。運動代わりになる。家に老人二人というのは寂しい。飼ってみたら可愛いものだよ」


 父が朗らかに笑った。

 昔はいつも仏頂面のイメージだったが、還暦を過ぎたら丸くなるというわけか。


「おっと、そろそろ行かないと。じゃあ、今日はカレンをよろしく。甘やかしてお土産を買いすぎるなよ。カレンが調子に乗るから」

「ああ、任せておけ。ちゃんと面倒は見るから」


 サダオは手を振ってその場を後にした。

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