第18話 三人目の被害者

 母は三分おきに電話した。

 四回目でも父に繋がらなかったので、心配そうに首を傾げた。


「そろそろおいとまします。あの人も疲れて寝ちゃったのかしら。困ったわねぇ」


 ソファで寝息を立てているカレンに一言声をかけて帰っていく。


「いけないわ。カレンを起こさないと夜に寝られなくなっちゃう」

「俺はお風呂の湯を溜めてくるよ」


 リビングはミヅキに任せて風呂場へ向かった。


 胸騒ぎがする。

 父は殺人鬼フィクサーに殺されてしまったのではないか。


 根拠はない。

 前に狙われて一ヶ月以上経ったので、そろそろ登場するのではないか、という勝手な予測である。


 バスタブを洗ってから給湯ボタンを押す。

 手の水気を拭ったサダオは作業部屋へ向かった。


 引き出しの一番上を開ける。

 タブレット端末と例の手紙が入っている。


『桜庭家は殺人鬼フィクサーに狙われている。あいつは何回でもやって来る。家族を守れるのは桜庭サダオ、お前だけだ。お前だけが何回だって時をやり直せる』


 どうしてサダオだけ時をやり直せるのか。

 この人物は一言も触れていない。


 そもそも殺人鬼フィクサーの狙いは何なのだ?

 家族を失ってサダオが悲しむ様子を楽しみたいのか?

 相手は単独犯なのか? 殺人鬼フィクサーにも仲間はいるのか?


 夜になったせいで成長したひげを擦った時、家の電話が鳴り出した。

 サダオがリビングへ向かうと、すでにミヅキが対応している。


「えっ⁉︎ お義父さんが⁉︎ お風呂場で⁉︎」


 声で目覚めたカレンが目をゴシゴシする。

 受話器をサダオに押し付けたミヅキは、


「カレンのお土産、全部部屋まで運んだわよ。一緒に開けようかしら」


 といって強引にカレンを連れ去ってしまう。

 リビングには電話とサダオが残された。


「母さん、俺だ。父さんがどうしたって?」

「サダオ! 大変なんだよ! 息してないんだよ!」

「何だって……」


 悪い予想が当たってしまった。


「落ち着けよ、母さん。本当に父さんは息していないのか?」

「死んじゃったよ。あの人が、死んじゃった。どうしよう、サダオ……」


 母が涙声で言う。


「ちょっと待て。いったん電話を切って、俺のスマホからかけ直す」


 サダオは母と通話したまま靴を履いた。

 走って十秒くらいの距離にある実家へ向かった。


「サダオ! どうしよう!」


 目の前にいる母の声と電話の声が重なる。


 父は風呂場で死んでいた。

 全裸の状態で、顔を水面につけたまま、生命活動を止めていた。

 お風呂場の換気扇だけがカタカタと乾いた音を立てていた。


 父の体に目立った外傷のようなものはない。

 お風呂の水も透き通っており、流血した痕跡もない。


「おい……嘘だろう……父さん」


 遠くから救急車のサイレンが聞こえた。


 ……。

 …………。


 救急隊員がやってきて、父の脈や心音を確認した。

 結果を確認した担当者は、沈痛そうな面持ちで首を横に振る。


「残念ながら、旦那さんは亡くなっています。これから警察が到着しますので、事件性の有無について捜査します」


 宣告を受け取った母の嗚咽が大きくなる。

 すぐに警察官がやってきて、サダオと母に対して、聞き取り調査が始まった。


「お父さんが亡くなった時の状況についてお聞きしますが、体に触ったり動かしたりしましたか?」


 サダオは手を挙げた。


「母は触っていません。父は水面に顔をつけていたので、私が引き起こしました。首の裏とか頬っぺたを叩いたのも私です」

「つまりお母さんもお風呂場に入りはしたのですね?」

「ええ……まあ……」


 母が弱々しい声で言う。


 はっきりいって不快な時間だった。

 父が事故で死んだのか、他殺で死んだのか、白黒つけるための会話なのだ。


 父は百パーセント他殺で死んだと、サダオなら理解している。

 いずれ他殺された証拠が見つかるだろう。


 疑われるのは母だろうか、サダオだろうか。


 ミヅキも捜査対象になるだろう。

 日中サダオと一緒だったと証言してくれるだろうが、家族のアリバイ発言が警察にどこまで通用するか。


「そういえば一ヶ月くらい前に泥棒が……」


 母が余計なことを口走った瞬間、サダオは内心で舌打ちした。


「泥棒とは?」

「うちの庭の野菜を奪っていこうとしたんです。うちの息子が撃退してくれたんです。その野菜泥棒がお父さんを殺したのかもしれません」

「ほう……」


 警察官の眼光が鋭くなった。


「警察に被害を相談されましたか?」

「いえ……」

「どうして?」

「そうは言われましても……」


 母が反省する子供みたいに項垂れる。


 マズいな。

 野菜泥棒の正体は殺人鬼フィクサーだ。

 知っているのはサダオだけで、警察官に説明できるだけの材料はない。


 どうする?

 野菜泥棒の件はいったん脇に置きたいが……。


「ええとですね、泥棒は未遂です。俺が追いかけたら逃げていきました。実際に何か奪われるか、また野菜泥棒がやってきたら、被害届を出そうかと思いました。見窄みすぼらしい格好の男でしたし、単にお腹が空いて、それで魔が差したんじゃないかと思ったからです」

「なるほど、そうですか」


 納得してくれたことに安堵する。


「そういや母さん、犬はどこだよ?」

「えっ……」


 いつも家の中を自由に移動している。

 その姿が一切見当たらない。


 川の方からきゅ〜きゅ〜鳴き声がするので、警察官と一緒に確認しに行ったら、犬用マズルを装着されたラブラドールがガードレールに繋がれていた。


 尻尾を垂らして何かに怯えている。

 警察官はその場にしゃがみ込むと、


「飼っている犬というのは、この犬でいいですか? この口輪はお宅で買ったやつですか?」


 と質問された。


「うちの犬ですが、口輪は知りません。リードは散歩用に使っているやつです」


 母が青い顔で言う。


 事件の匂いがプンプンしてきた。

 殺人鬼フィクサーは犬の動きから封じたのだろか。


 このラブラドール、でっかい図体に似合わず臆病な性格をしている。

 加えて十歳という老境に差し掛かっている。


 犯人が無理やりリードを繋いだ。

 犬用マズルを装着させて、ガードレールに固定させた。

 そう考えるのが自然だろう。


 順番はどっちだ?

 犬が先か? 父が先か?


 普通に考えたら犬を外へ連れ出してからサダオの父を殺したことになる。


 しかし、分からない。

 犯人はその気になれば犬を殺せたはずだ。


 まさか動物愛護の心を持った殺人鬼というのか。

 わざわざ犬を連れ出すなんて面倒だし、他に理由が考えられない。


 警察官も似たようなことを推理しているらしく、腕組みしながら考えている。


「奇異ですね。犬は生かして飼い主だけを殺害するなんて」


 犬用マズルを用意したのも普通じゃない。

 犬がうるさいと近所の人が駆け付けるわけで、それなら犬ごと殺すのが一番手っ取り早いだろう、という結論になる。


「ねぇ、あんた、誰が父さんを殺したのか見ていたのかい? 誰なんだい? 教えておくれ」


 取り乱した母がラブラドールの首輪に手をかける。

 犬に言葉は通じないからきゅ〜きゅ〜鳴いている。


 それからも聞き取り調査は続いた。


 まず一日のスケジュールを聞かれた。

 父、母、カレンの三人は遊園地へ行っていた。

 サダオとミヅキはショッピングモールで買い物していた。

 隠すことじゃないので全部正直に伝えておいた。


「施設の防犯カメラを見れば、一発で分かると思います」

「そうですね。じゃあ、次にご質問ですが……」


 誰かから恨まれるような覚えはないか聞かれた。

 ない、と即答しておく。


「父は勤勉なサラリーマンでした。お金の管理はしっかりしています。トラブルを抱えていたという話は、私の知る限りないです」

「私の知る限り?」

「まあ、近所に住んでいるといっても、話すのは週に二回くらいですから」


 警察官はあいまいに頷いた。


 父の遺体はいったん警察側で預かることが決まった。

 事故と事件の両面から捜査してみて、結果が分かったら遺体を返してくれるらしい。


 せっかく楽しい遊園地へ行ってきたのに、まさか最大の悲劇が待っていたなんて、母にとっては天国から地獄への転落だろう。


 容疑者について、警察はどう結論付けるだろうか。


 妻か息子が怪しいと目星を付けるだろうか。

 あるいは二人が共謀したと考えるだろうか。


 遺産目当て、日頃からDVを受けていた、喧嘩がエスカレートして……。

 動機なんていくらでも考えられる。


 でも、母が殺したはあり得ない。

 まず腕力が足りない。

 人を殺す度胸もない。


「すみません、お巡りさん。私の家が川の反対側にあります。母をいったん連れ帰ってもいいでしょうか。野次馬も増えてきましたし」


 サダオがお願いすると、警察官は事務的な口調で、いいですよ、といった。

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