第17話 殺人鬼フィクサーの心理

 サダオの視界に覚えのあるロングコートが映った。


 ここはショッピングモールのカフェである。

 手元ではココアが白い湯気を立てている。


 ミヅキはいない。

 お手洗いのため離席中だ。


 サダオはココアに口をつけるふりをして、ロングコートの背中をじいっと観察する。


 スマホの音楽でも聴いているのだろうか。

 本を読んでいるように見えたし、居眠りしているようにも見えた。


 まさか殺人鬼フィクサーなのか?

 サダオやミヅキを追ってきたのか?


 音を立てないように席を立つ。

 震えそうになる腕を伸ばして肩に手をかけた。


「あの……すみません」


 目と目が合った瞬間びっくりした。

 向こうは白髪だらけの老人だった。


 身長こそ百七十センチありそうだが、胸板は薄っぺらくて、サダオとタイマンを張った殺人鬼フィクサーとは思えない。


 サダオの爪先に五十円玉が落ちていた。

 指先でつまんでテーブルの上に置く。


「あなたのポケットから落ちましたよ」

「ああ、悪いねえ、助かるよ」


 感じの良さそうな声が言う。


「いえ……」


 似たコートを羽織っただけの別人だった。

 サダオは自分の席まで戻ると天井に向かってため息をつく。


「あなた、どうかしたの?」


 お手洗いから戻ってきたミヅキが不思議そうな顔をする。


「ちょっと気になることが……」

「気になること?」

「カレンだよ。さっきメッセージが何通か届いていた。キャラクターと一緒に写っているんだけれども、何て名前のキャラクターなのか、思い出せそうで思い出せない。聞いたら絶対に知っているはずなんだ」


 ミヅキが自分のスマホをチェックする。

 サダオと違いキャラクター名を即答した。


「記憶力がいいんだな」

「あなたも歳を取るのね。もう少し若かったら覚えていたのにね」

「ダメだな。勉強しないと。カレンの話題に付いていけなくなりそうだ。これが時代遅れってやつか」


 苦笑いするサダオの手元にはビジネス系の新書が置かれている。

『中間管理職のための入門マニュアル』とタイトルが付いており、最初の十ページくらい読んで気に入ったから買った。


 サダオもたくさんの後輩を持つようになった。

 部下がどんな悩みを抱えているのか、ちゃんと理解できている自信がなく、コミュニケーションの方法について日々工夫している。


 感覚や価値観がまったく違う。

 それは痛感している。


 たとえば動画投稿サイト。

 サダオは滅多に利用しないが、部下いわく『調べ物をするのに便利ですよ。動画だと本より理解しやすいですし』と教えてくれた。

 どんな分野でもその道の専門家が必ず見つかるのだとか。


「今日買った本、面白い?」

「まあな。俺も至らない人間だということを思い知らされる。あと筋トレは正義らしい。怖い上司に意見する時も、筋肉があった方が堂々としていられるそうだ」

「何それ? 新手の根性論?」

「いやいや、科学的なエビデンスが存在するらしい」


 ミヅキがぷっと笑った。


「それより、ミヅキが買った本は面白いのかよ」

「どうかな。好きな作家さんの新作だけれども、似たような話を前にも読んだかも。前評判が良かった分、がっかり。この人もネタ切れなのかな。モチベーションの低さが行間から滲み出ているっていうか……」

「けっこう手厳しいじゃないか」

「だって過去の作品の劣化コピーみたいな内容だもの。劣化するのは仕方ないにしても、コピーなのは勘弁してほしいわよね。損した気分」


 ミヅキは昔からビジネス書の類は読まずに大衆文学のような作品を好む。

 感動系のラブストーリーだったり、殺伐としたサスペンスだったり、ジャンルに縛りはないらしい。


 サダオは昔から読書が苦手だった。


 ビジネス書の文章というのは、講演会の内容をそのまま文字にしているような感じで、頭にすうっと入ってきやすい。

 小説の文章というのは、何回もつっかえてしまう。


 この一文はどう解釈すればいいのか?

 真剣に分からなくて、お前はバカだと暗に指摘された気がして、本を置きたくなる。


 その点をミヅキに話したら、


『あなたって真面目ね。普通に読み飛ばせばいいでしょう。百パーセント理解するなんて無理よ。だって違う人間だもの。絵画や古典音楽と一緒よ』


 と軽く笑われた記憶がある。


 違う人間だもの。

 そう割り切ると気分が楽になった。


「あっ、カレンから昼食の写真が送られてきた。かわいい」


 ミヅキが指でスマホの画面をポチポチする。


「最近の子供はすごいな。俺らの時代なんて携帯電話すら普及してなかったのにな」

「こういう写真を友達と見せ合ったりするそうよ。だから真剣に撮影するの。ちょっとカメラ写りが悪いと、何回も撮り直したりしてね。自分を良く見せたいのよ」

「それって、カレンが女の子だから?」

「どうかしら? 私たちの時代と違って男女の差は減ってきたっていうからね」


 そんなものかな、と納得したサダオはココアに口をつけた。

 ざらっとした感触が舌に広がる。


「カレンのハンバーグを見ていたら俺もハンバーグが食べたくなったな」

「さっき昼食のパスタを食べたばかりじゃない。カレンがハンバーグ続きになっちゃうから、夕食はお肉じゃないやつにしなきゃ」

「餃子……だとお肉か。久しぶりに家でピザでも焼くか。ミヅキも好きだろう。冷凍のピザをオーブンで焼くくらいなら俺でもできる」

「じゃあ、サラダも一緒に買って帰らないとね」


 ミヅキが時間を気にした。

 この後、カレンなら泣いちゃいそうなホラー映画を観る予定なのである。


 ……。

 …………。


 夕暮れに染まった道を歩いていた。

 サダオの手にはビニール袋が、ミヅキの手には紙袋が握られている。


 映画は楽しかった。

 カレンも含めた三人で行くことは年に数回あるが、どうしても子供向けのアニメ映画になりがちだった。

 映像はきれいだし、大人でも楽しめるようストーリーも練られているが、マンネリの感は否めない。


 やっぱり日本人は仄暗ほのくらい作品が得意だと思う。

 2000年前後のホラー映画ブームとサダオの思春期が重なった影響もあるかもしれない。


「どう? 怖かった?」

「十代の頃に観ていたらトラウマという気がするね」


 なぜホラーが好きなのか、サダオは上手く説明できない。

 一説によると、絶望している人が増えるとホラーブームが来るとか。


 そうじゃない。

 バンジージャンプの感覚に近いと思う。


 世の中がこんなにも平和じゃなかった時代、恐怖というのは身近にあって、現代人はそれを全力で排除していった。

 その反動として小さじ一杯分くらいのホラーが時々欲しくなるのではないか。


 お金を払ってホラー映画を観る理由はそこにあると思う。


 怖いからこそ覗いてみたくなる心理。

 棺桶があったとして、ちゃんと死体が入っているか確認したくなるような……。


 ふと殺人鬼フィクサーのことが気になった。

 あいつが精神面に問題を抱えているのは確実としよう。


 何のために人を殺めるのか。

 ひょっとして殺人鬼フィクサーは絶望しているのではないか。


 一見すると桜庭家は理想的なファミリーだ。


 サラリーマンの父がいて、派遣社員の母がいる。

 元気溌剌とした娘もいる。


 近くにサダオの両親が住んでおり、どちらも健康的だ。

 月に一回か二回くらいは一緒にご飯を食べることもある。


 問題がないわけじゃない。


 夫婦喧嘩はする。

 貯金だって他人に自慢できる額じゃない。

 カレンは良い子ちゃんであるが、高校受験とかに失敗してこの先グレないとも限らない。


 でも、恵まれている方だと思う。

 平凡なサダオだからこそ、自分がこんなに幸せでいいのか? 世の中には自分より頑張っているのに不幸な人が大勢いるのではないか? と想像してしまう。


 殺人鬼フィクサーはサダオの幸福が憎いのではないか。

 サダオの足を引っ張ることで、嫉妬やストレスを発散させたいのではないか。


 今日観たホラー映画の中に、自分本位な感情をコントロールできずに犯罪者へ転落した男がおり、殺人鬼フィクサーと重ねてしまった。


 ……。

 …………。


「ただいま〜」


 家に帰ってくると、ソファーのところでカレンが寝ていた。

 近くにはサダオの母がおり、幸せそうな孫の寝顔を見守っている。


「なんだ、カレンは寝ちゃったのか」

「遊園地で歩き疲れたみたい。朝はあんなに元気だったのに、帰りの車ではウトウトしていて、すぐに寝ちゃったわ」


 ミヅキがブランケットを持ってきて、娘が風邪引かないように被せてあげる。


 テーブルの上にはお土産の袋がたくさん並んでいる。

 散財しすぎないよう注意していたが、この量から察するに父と母が気前よく出したのだろう。


 やれやれと思う反面、自分にも孫ができたら似たことをするのだろうな、という自覚はある。


「このカレー煎餅せんべいは俺用かな? ゴーフレットは自分用かミヅキ用だろう。おいおい、弁当箱とマグカップまで買ったのかよ」


 母に値段を聞いてびっくりしてしまう。


「お金の心配はいいから。私たちが買ってあげたくて買ったの」

「しかしなぁ、量が量だしなぁ」


 カレンの椅子には大型のぬいぐるみが座っており、このお土産が一番高そうだ。


「お義母さん、カレンの相手ありがとうございます。大変だったでしょう」


 ミヅキがお茶を出してあげる。


「ううん、本当に楽しかったから。あっという間だった」


 この様子だとカレンはしばらく目を覚まさないだろう。

 冷凍ピザはいつでも焼けるから、サダオはコーヒーを飲んで空腹を誤魔化すことにした。


「そういや、父さんは?」

「疲れたからって先に帰ったよ。軽く犬の散歩をして、今頃お風呂に入っているんじゃないかな」


 カレンを置いて一人帰ったということは、よっぽど疲れたのだろう。

 車の運転も大変だろうし、よく頑張ってくれたと思う。


 三人はそれぞれの飲み物を手にしばらく雑談した。


「ミヅキさんたちは電車でお出かけしたんだ?」

「ええ、道が混雑して、駐車場を探すのが大変な街ですから。電車の中も混んでいましたが……」

「遊園地も人がすごかったよ。カレンが写真を送ったと思うけれども、列がずうっと続いていて、先頭がまったく見えないの。ありゃ、雨が降ったら大変だね。風邪を引いちゃうよ」


 カレンが乗りたいアトラクションに一通り付き合ったらしい。

 話を聞いている感じだと、サダオの父も普通に楽しめたようだ。


 カレンの寝言が聞こえた。

 そろそろ目覚めるかと思ったが、ソファの上で寝返りを打ち、そのまま寝ている。


 ミヅキと母がほほ笑む。

 サダオは席を立ち、ブランケットの位置を直してあげた。


「母さん、今日の晩飯は大丈夫なのか? 父さんが腹を空かせて待っているんじゃないか?」

「あら、やだ、一時間くらい話し込んじゃったかしら」


 母はスマホを取り出して、辿々しい手つきで父をコールしたが、すぐに首を傾げている。


「あれ? お父さん、電話に出ないわね」


 サダオの背中を嫌な予感が伝った。

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