第6話 橋の上での決闘

 十七時半になった。

 サダオはカフェの会計を済ませてから、事件のあった現場へと足を運んだ。


 まず両親の家をのぞいてみる。

 築四十年を過ぎている古い民家だ。

 父が趣味でやっている盆栽と、母が健康のためにやっている家庭菜園が目につく。


 駐車スペースに停まっているのは十年物のミニバン。

『そろそろ買い替えようと思っている。サダオの会社で新しいモデルを出しただろう』と最近は会うたびに話している。


 カレンの笑い声が響いてきた。

 甘えるような犬の鳴き声も重なって、楽しいシーンが目に浮かぶようである。


 この平和を何者にも奪わせてはならない。

 自分の心に誓いを立てたサダオは回れ右をする。


 小川の向こうに我が家がある。

 カレンが辿るであろうルートをなぞってみる。


 この橋でカレンは襲われる。

 犯人は前から迫ってくるだろうか?

 それとも後ろから襲ってくるだろうか?


 なぜカレンを刺した?

 突発的にこの子にしようと決めたのか。

 あるいは前から目をつけていて、二つの家を行き来するチャンスが殺しやすいと思ったのか。


 仮にだ。

 サダオが犯人だとしよう。

 カレンを襲うなら背後からやる。


 ひったくり事件は後ろから狙われやすい、と何かの記事で読んだことがあり、後方から犯罪に及んだ方が成功率は上がるのだろう。


 背後からカレンに声をかける。

 郵便局でもコンビニでもいいが、道を尋ねるフリしてカレンの顔をチェックする。


 隙を見てグサリ。

 シンプルかつ確実な方法だろう。


 犯人は近くから見張っていた。

 カレンが出てきたのを見つけてストーキングした。

 橋のところで追いつき凶行に及んだ。


 このシナリオが一番分かりやすい気がする。


 電柱の陰。

 停車しているトラックの裏。

 操業しなくなった町工場。


 こうして見渡すと身を隠せそうなスポットは多い。

 もし犯人が下調べを済ませているなら、どこかから見張っているかもしれない。


 どこだ? どこにいる?

 高校生の自転車が一台通り過ぎただけで、それらしい影はない。

 耳に届くのも小川のせせらぎのみ。


 サダオは時計を見た。

 すでに十八時を過ぎている。


 スマホが揺れた。

 カレンからだ。


『もうすぐおじいちゃんの家から帰るね』と家族用グループにメッセージが届いた。

 それなのにサダオの目は犯人を見つけられない。


 もう一度スマホが揺れる。

 ミヅキからで『今帰っているから』という内容だった。


 足腰の悪そうなおばあちゃんが手押し車シルバーカーを押しながらやってきた。


 まさか彼女が犯人というのか?

 カレンに反撃されたら簡単に負けそうではあるが……。


 ガラガラガラッと覚えのある音がする。

 家の玄関が開いて、中からカレンが出てきたのである。


 いけない、カレン!

 出てきたら殺される!


 サダオは叫びたくなるのを我慢して、川の反対側をカレンのペースに合わせて歩く。


 すると信じられない光景を目にした。

 両親の家の敷地から知らない人物が出てきたのである。


 ロングコートを羽織っている。

 ブラウンの革手袋をしており、片手をコートのポケットに突っ込んでいる。


 帽子にマスクをしているから顔は分からない。

 ズボンや靴や歩き方を見る限り、男という気はする。


 サダオの背を悪寒が駆け抜けた。

 想像していた犯人像とあまりに酷似しており、一瞬サダオが生み出した幻影かと思ったが、紛うことなき殺人鬼がサダオの視界に実在している。


 ずっとブロック塀の内側から観察していたのか。

 不法侵入というリスクを背負って、カレンが出てくるのを待っていたのか。


 カレンを殺そうという執念。

 失敗したくないというプロ意識。

 ドロドロした感情が伝わってくるようで、薄ら寒いものが泉のように湧いてくる。


 カレンは呑気に歩いている。

 その一メートル後ろを犯人がぴったりマークしている。


 近くに通行人の姿はいない。

 あらゆる条件が整っている。


 カレンが橋に差しかかった。

 ポケットから引き抜かれた犯人の手には、細身のナイフが握られていた。


 知っている。

 カレンの胸に刺さっていたと、警察官から見せられたナイフだ。


 あれがカレンに突き刺さる。

 もうすぐ犯人が突き刺す。


 サダオの脳裏が真っ赤に染まり、杖を握りしめる手に力が入った。

 橋の中央までダッシュして、前髪にほとんど隠れた目を睨みつける。


「カレン、そいつから離れなさい」


 ……。

 …………。


「あ、お父さん。今日は早いんだね」


 ワンテンポ遅れてサダオの言葉を理解したカレンは、ゆっくり後ろを振り返る。


 犯人が見下ろしている。

 その手にはナイフが握られて、街灯の光に冷たく光っている。


 これで未来は変わった。

 前回はいなかったサダオが事件の現場に立っている。

 カレンを刺し殺して逃げるだけの余裕が、この犯人にはない。


 カレンが叫んだのと、犯人がナイフを振り上げたのは、ほとんど同時だった。


 ガキンッ!

 サダオの振り下ろした杖が橋の欄干らんかんにヒットして空気を振動させる。


 ビリビリした感覚が腕を伝ってきた。

 サダオは身を盾にするようにしてカレンと犯人の間に割り込ませた。


「カレン、百十番へ電話できるか?」

「う……うん……」


 こいつを倒す。

 何としても娘を守りきる。

 サダオの目は闘志に燃えているはずなのに、犯人は平然としてその場に立っており、次の攻撃を待っている風すらあった。


 動揺しないのか。

 この落ち着きっぷりは演技なのか。


 女の子を殺そうとした。

 すると近くに彼女の親がいたのだぞ。


 何という豪胆さ。

 横槍が入る可能性すら考慮していたというのか。


 舐めやがって。

 サダオは通勤カバンを捨てて、竹刀のように杖を構えた。


 思いっきり喉首を突いてやる。

 と見せかけて、腰を落としつつ犯人の太ももを強打しておいた。


 手応えあり。

 犯人の体の芯が思いっきりぐらつく。


 それから杖を巻き上げるように振り上げた。

 犯人の持っていたナイフがはるか上空へと舞い上がる。

 たっぷりと三つ数えるだけの時間があり、ポチャンと重量のある物が川に落ちる音がした。


 しかし、まだ油断ならない。

 犯人はもう一本ナイフを持っている。

 さっきの隙はわざとで、サダオを油断させておいて、一撃で仕留めてくる算段かもしれない。


 カレンを滅多刺しにして殺したのだ。

 人間の皮を被った悪魔と思った方がいい。


「ナイフを持った人がいます。今お父さんが戦っていて……。ええと、住所は……」


 カレンが警察に状況を伝えている。

 有利を確信したサダオはそれから三回攻撃を繰り出して、肩と腰とすねにもダメージを蓄積させておいた。


 こいつを野放しにしてはいけない。

 いつか他の子供を殺すかもしれない。

 死んだ方がいいやつなのだ。


 ありったけの憎しみを杖に込めたサダオが渾身の一撃を繰り出そうとした時、向こうから大型トラックが迫ってきて、警告するようにヘッドライトを上下させた。


 サダオの網膜が焼かれて、視界が真っ白に染まった。

 一瞬だけ怯んだ隙に、犯人は次なるアクションに移る。


 背中を見せて逃げたのだ。

 主婦の自転車にぶつかりそうになり、それを手で押し退けて、全力でダッシュしていく。


 サダオもすぐに追いかけた。

 犯人の走り方はスポーツをやっている人間のそれではなく、全力で追いかけたら捕まえられる自信があった。


 それに土地勘ならこっちが勝っている。

 何より犯人を警察に引き渡したいという使命感がサダオのパフォーマンスを限界まで高めてくれる。


 もう少しで手が届きそうになった時、犯人が一度振り返った。

 サダオの接近に焦ったのか、ギアを一段階上げる。


「おい! 待て! 人殺し!」


 びっくりした通行人が道を開ける。

 犯人は右へ左へとジグザグに角を曲がるが、サダオも背後を完全にマークしている。


 とうとう犯人は信じられないミスをやらかした。


 住宅街にある袋小路へと入っていったのだ。

 両側がマンションとマンションに挟まれており、突き当たりには二メートルを超えるブロック塀が待っている。

 猫でもない限り向こう側へは抜けられない。


「もう逃げられないぞ」


 サダオは勝利を確信しつつ最後の角を曲がった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る