第5話 杖と防刃ベストとお賽銭

 仕事より妻や娘を優先させる。

 我ながら悪くないポリシーだなと、サダオはホームで電車を待ちながら考えていた。


 乗り込んだ車両にはスーツ姿がちらほら目につく。

 外回りの営業だったり、打ち合わせの移動だろう。


 中にはランドセルを背負った小学生もいて、座席でドリルを解いていたから、一分一秒すら無駄にしたくない真剣さを感じさせた。


 カレンの命を守るという重いミッションを背負っているサダオは、吊り革につかまり電車の揺れに身を任せながら、殺人犯とのバトルシーンを脳内シミュレーションしていた。


 犯人象は分かっている。

 身長百七十センチ前半。

 ロングコートを羽織っており、紳士向けの帽子を被っている。


 きっと男だろう。

 道路で通行人を刺すくらいだから、体力や逃げ足には自信があるのかもしれない。


 サダオは目当てのホームに降り立つと、足早に改札を抜けて、青い看板が目印のホームセンターへ直行した。


 以前に利用したのは土曜日。

 買い物客でごった返していたイメージだが、平日の昼間だと信じられないくらい空いている。


 杖を置いているコーナーの前で足を止めた。

 値段はピンキリで、軽い木製のやつから、重い鉄製のやつまで一通り揃っていた。

 中には護身用とうたっている商品もあり、紳士用の傘を二本合わせたくらいの重量がある。


 店員が近くにいないのを確認してから、試しに振り下ろしてみた。


 悪くない。

 柄のところがヒットしたら相当痛そうだ。

 包丁相手でも負ける気がしない。


 ゴウッ! と空気を裂く音なんか獣じみた凶暴さを感じさせる。


 これで武器は確保できた。

 他にも使えそうなアイテムがないか探してみる。


「これは……」


 カラフルな色をしたペイントボールを見つけた。

 似たやつを近所のコンビニでも置いていたが、果たして効果はあるのだろうか。


 右手に杖、左手にペイントボール。

 ないな、と首を振ったサダオは商品を棚へ戻しておく。


 遠くから犬のキャンキャンという鳴き声が響いてきた。

 誘われるように移動したサダオは、ホームセンターへやってきた目的も忘れて、可愛らしい仔犬や仔猫をガラス越しに見つめる。


 今はお昼時だから眠っている子が多い。

 無防備な寝顔を見ていると、幼かった日のカレンを思い出して、自然と頬が弛んでしまう。


 犬や猫を飼わないか、という話は時々出てくる。

 サダオの両親がラブラドールを飼っており、カレンにも懐いているので、勝手にペットを所有した気分になっていた。


 カレンは自分のペットが欲しいだろうか。

 あるいは、犬よりも猫を欲しがるだろうか。


 近いうちにミヅキと相談しよう。

 ミヅキだって普段は口にしないだけで、犬とか猫を飼いたいと思っているかもしれない。


 サダオは子供の頃、ミドリガメを飼っていた。

 途中からサダオの父が面倒を見るようになって、かれこれ三十年以上も長生きしており、実家の玄関のところで余生を過ごしている。


 爬虫類はいい。

 うるさくないし、世話も楽だ。

 夏場だって臭いはそれほどキツくない。


 しかしミヅキとカレンは嫌がるだろうな。

 そんな経緯があるから、サダオの口からペットを飼いたいと申し出たことはない。


 ホームセンターで会計を済ませたサダオは、スマホで調べておいたマップを頼りに、ミリタリーショップへと足を運んだ。


 エアガンとか迷彩服が充実している。

 上の階へ行くと、軍隊でも食べられている本物のレーションが売られていた。


 平日だから店内は閑散としている。

 オンライン販売で利益を上げているのだろうか。

 客が少なすぎて心配になるレベルだ。


 お目当ての防刃ベストも何種類か売っていた。

 店員さんに許可をもらってから、いくつか試着させてもらう。


 思っていたより軽い。

 左右の肩にペットボトル一本載せたくらいの負荷だ。

 体のラインにフィットするから動きにくい感じもしない。


 鏡の前に立って腕を伸ばしたり縮めたりしてみた。

 気分だけは映画のヒーローである。


「日本の警察官が着用している防刃ベストに近いのはこのタイプですね。ちょっと性能は劣りますが、スーツの下に着ても違和感の少ないタイプはこっちです」


 店員さんがフレンドリーに教えてくれる。


「最近、うちの近くで通り魔が出るらしくて、地元のニュースが何回か報じています。まだ死者は出ていないのですが、さすがに怖いなと」

「近頃は刃物の事件が多いですよね。命に関わることなので、オンライン販売で買うのではなく、実物を手で触ってから決めたい、というお客さんは増えましたね」


 やっぱり本格的な防刃ベストは値が張る。

 しかし刃物相手に怯みたくない以上、金を出し惜しみできる状況でもなかった。


「ご利用ありがとうございました」


 大金を使ってしまった。

 カードを利用したらミヅキにバレる可能性があったので、コツコツ貯めておいたへそくりを切り崩すことになった。


 ……。

 …………。


 サダオが利用している駅の近くには神社がある。

 神社といっても、古くなった鳥居と小さなお社を置いただけの、いわゆる無人神社だ。


 境内はきれいに掃除されているから、管理する気はあるのだろう。

 お社の木戸に小さな穴が空いており、お賽銭箱はその向こう側に設置されている。


 サダオは財布を開いて五百円玉を投げておいた。

 本心では一万円札を入れても惜しくないが、お賽銭の金額を上げたからといってご利益が増すとは思えず、五百円玉で妥協しておいた。


『殺人鬼の手からカレンを守れますように』


 たっぷりと真心を込めて三回お願いしておく。

 最後に礼も忘れない。


 これで準備は整った。

 杖を小脇に挟んだまま、何回か利用したことのあるカフェのドアを抜ける。


 個人が経営しているカフェで、山小屋ロッジのような木の温もりを大切にしており、目に優しい観葉植物がポツポツと配置されている。


 元々オーナーは家具メーカーで働いていたらしい。

 インテリア全般に詳しくて、そこに趣味で取得したコーヒーの資格も合わさって、カフェを開業したというわけだ。


 いいな、と思う。

 サダオには人生を賭けようと思える特技がない。

 三十後半になって青臭いと笑われるかもしれないが、脱サラした人のドキュメンタリー番組には心を惹かれるものがある。


 四人掛けのテーブルが空いていたので座らせてもらった。

 前回もここに座り、家族三人でモーニングセットを食べた。

 今回はブレンドコーヒーとシフォンケーキを注文しておく。


 お客が少ない時間帯だから、働いているのは店長と奥さんだけ。

 料理を運んだり、レジを打ったり、店内を掃除したりと、奥さんは常に動き回っている。


「お待たせしました。ブレンドコーヒーとシフォンケーキになります」

「どうも」


 さっそく一口食べてみた。

 食感はふわふわだが、味がさっぱりしている。

 甘いバニラの香りがして、無性にコーヒーを飲みたくなる。


「このケーキは奥さんが焼いたのですか?」


 サダオが問いかけると、彼女はにっこり笑った。


「うちの旦那が焼いたのですよ。あんな顔してお菓子を作るのが得意なのです」

「すごいですね。コーヒーマイスターの資格も取っているのでしょう」

「その熱意をサラリーマンの仕事にも向けてくれていたら、年中無休のカフェなんて開くこともなかったのですけどね」

「なるほど」


 自虐めいた言い回しだが、カフェを愛しているのが伝わってきて、微笑ましいなと思ってしまう。

 どうやら旦那さんはサラリーマン向きの性格じゃなかったらしい。


 サダオはどうだろうか。

 夫婦の絆のことである。


 ラーメン屋でもカフェでもいいが、サダオが挑戦したいと切り出したら、ミヅキは許してくれるだろうか。


 カレンの教育費はどうするの⁉︎

 自営業って借金スタートじゃないの⁉︎

 頭ごなしに叱られる未来しか待っていない。


 サダオの両親もそうだ。

 わざわざ大企業に入ったのに途中で退職する人間のことをバカだと思っている節がある。


 カレンならば応援してくれるだろう。

 社会の世知辛さを知らない年頃だから、サラリーマンなんか辞めちゃいなよ! と気安く言いそうだ。


「今日のシフォンケーキはどうですか?」

「ええ、とっても美味しいです。実はこの後、大切な仕事が控えておりまして、今はちょっとした休憩中なのです。コーヒーとケーキのお陰で頑張れそうです」

「まあ、応援しています」


 旦那が夢に向かって邁進まいしんし、妻がそのサポートをする。

 サダオがこのカフェを好きなのは、そういう生き方に憧れている裏返しかもしれない。

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