第25話 その日も危険な場所での作業だった。

 その日も危険な場所での作業だった。


 蓼はもうお構いなしに削り屑を掴んでは食べていた。しかしそれは効力を得るには少なすぎる量だった。


「悲しい悲しい悲しい。誰も分かってくれないんだ。誰にも話が通じないんだ。お前にだって通じてない……。


 一体苦しみをどうすればいいんだ。前に進まなければいけないのに身体が重くてしょうがない。やる気が出ない。やらなければいけないことばかりなのに逃避ばかりしている……。


 帰りたくないんだ」


 そう呟いて蓼は情けない寂しそうな顔をして、ノビルの方を向いた。


 ノビルはその顔を見て、何かを分かってやりたいと思った。しかし今のノビルが蓼に付いていくのはごく弱い動機の寄せ集めでしかなかった。それはアイスクリームやチョコレートバーを手に取ったときと何も変わらないものだった。ノビルはもう蓼の情けなさやどうしようもなさ、みっともなさを愛せない自分がいることに気が付いていた。だから余計に離れられなくなっていた。そしてそれを蓼も感じ取っていた。蓼は顔をノビルから背け、自分の救いについて一人喋りはじめた。どんな自分であっても相手してくれる、救いについて呟いた。


「くそ、こんな殴りかかってくるようなものじゃなく、本当に純粋に美しい物質があるっていうのに。


 乗馬より危険じゃないって分かってる。


 科学者達は、紫なんかでも赤でもない、素晴らしい色をたくさんもった街の科学者達は分かっているんだ。そしてもう進み始めてる。様々な本が出て、それを研究する大学もできてる。法律さえ変わろうとしている。なのになぜ私は、私達はここにいるんだ?


 私は結局誰も救えなかった! 何も変えることができなかった! 私は喚いていただけだ。何を騒いだって、私は意味があったのだろうか?


 皆が皆のことを差別しないで殺さないで排除しないで生きることがどうしてこんなに困難なんだ? どうしてすぐ意地悪くなってしまうんだ? 共有しているゲームが違いすぎる! 人々は一体何のゲームをやっているんだ?


助けてくれ、この穴ぐらから出してくれ!」


 音もなく崩れ落ちた岩は蓼を押し潰した。蓼の姿はほとんど見えなくなった。少しの間をおいて岩の間から真っ赤な血が一筋つたっていった。それは絹のように滑らかで川のようにさざめき、泡立ち、星のように輝いていた。


 ノビルはその美しい流れに完全に囚われていた。ノビルは何もかもを、自分自身の形さえ忘れて呆然とその川の中に浮かんでいた。


 ノビルが気が付いた時には蓼は完全に死んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る