第17話 三週間して蓼は戻ってきた。
三週間して蓼は戻ってきた。ノビルとオオバコはその姿を見てお互いに目を見合わせた。
ヤブガラシが蓼の元にがやってきて、懲罰部屋の話を聞こうとした。それは単なる野次馬精神からだったが、蓼は相変わらず話をしたくて仕方がない様子だった。
「殴られた?」
「いやそういうことはない。この街の人々はそういうことはしないよ。違法なことだけは絶対にやらない。保身で生きてるから」
蓼はお構いなしに一人で次々と喋り始めた。
「ひどすぎるよ……私の友達がいたんだ。
あの人は気が狂って突然叫びだして、倒れて、失禁したんだ。あっ、あっ、あってずっと呻いて……。あの人は閉じ込められて、自分が素晴らしいこと教育を施していると思い込んでいる管理人に虐められたり、ただ単に同情さえもいらない嫌悪の対象として扱われ続けて、気が狂ってしまったんだ。そしてどこかに連れて行かれてしまった……。
夜中になって人が叫ぶんだよ……。
私達を”治す”ためのミーティングが開かれてね。それはそれで楽しかったよ。聞く気なんてなかったから。
私がいる間、人が死んだんだよ……自殺だよ、自分で死んだんだよ? こんな穴ぐらの中で。言葉にできない……。
ある人は全く強気に振る舞ったんだ。でもその人は管理人達なんかよりもずっと年上で、老いていた人なんだ。無理をしていない筈なんてないじゃないか? それなのに管理人達はその人がただ従順でないって理由だけで、その人に日常的にひどい扱いをしたんだ。その人の人種やルーツをなじったり、罪を見つけては別の部屋に閉じ込めて、大勢で囲んで責め立てた。当然あの人は気が狂ったように叫びだした。それを見て管理人達は呆れていたんだ! それで更に自分の正当性を信じ込んで、さらにその人を侮蔑して責め立てたんだ。信じられないよ。自分が暴力を振るって、その痛みに叫び声を上げたら狂人になる。本当にどうかしてる……。
私は管理人達がおぞましいぐらい人間のことを想っていないことを知った……あんな……。雑用ばかりさせられている人々はこんなに人として機能しなくなるんだね……あれこそ本物の家畜だよ。
薬を飲まされそうになったんだ。私は紫の人々が認めている薬、所謂処方薬がどういう影響を与えるか学んでいたから、絶対に飲むまいと思った。それにここの薬を飲まされた人がどうなっていったかも見ていた。はっきり言ってヨレヨレだよ、かわいそうに。私は大勢の管理人に囲まれながら三人の医者の前に連れ出された。医者はあなたはおかしいと言って薬を飲ませようとする。私は紫の規則は薬を飲むことを強制することはできないと知っていたから、それを信じて注意深く拒絶したんだ。私が従順ではないことを表面に出してはいけないと知っていたから、あくまで恐怖がそうさせていると表現したんだ。実際かなり怖かったけどね。だって突然連れて行かれて大勢の管理人とサイコな医者に囲まれて、お前は狂ってる、薬を飲めって断っても断っても言われ続けるんだよ? その怖さを医者も管理人も分かっていないってのがもう完全に終わってるよ」
「少し貰ったほうが良かったんじゃないか」
蓼のリサイタルに嫌気が差してきたヤブガラシが口を挟んだ。
「愛を持ちたいと思うのがどうしておかしいんだい?」
「それが分からない」
「美しい世界にいたいというのがどうしておかしいんだい? もし君の大事なものがおぞましいものに食いつぶされる世界だったら君は気が狂いそうになるんじゃないか? 叫びたくもなるよ……」
「いやね、愛がいいってのは分かるよ。分かる。でもその反応はおかしいと思わないかな、自分で」
「全然分かってないじゃないか……。私が言っているのは看板としての愛じゃないんだよ。美しいものの話なんだよ。自分の社会的地位をほんの少し押し上げるためのものとか、ただの挨拶の言葉としての愛じゃないんだよ。2メートル範囲しか見えない人間の中で、例えばそれは遠くにいる豹の姿が見える人のことだよ。皆が草を食んでいる中でね。でも多くの人は目隠しや足枷をしていて今の君みたいに嘘をついてる自覚もなくただその場でいつもどおり草を食んで、ここは安全だ、もう逃げる必要もないと言いふらしてるんだ。無限に草はあると言って草を食い尽くしたり、自ら豹のいる方向へ人々を導いたりしてね。あるいはいもしない豹に怯えて、人々に草を食べるのを止めさせて穴ぐらへ閉じ込めようとしてる。誰もが自分の看板を下ろせないから隠しているんだよ。自分が虐待しているなんて自覚もなく嘘をつきまくって。分かるよその人は衝動を抑えられないだけなんだ。自分の傷の癒やし方を知らないだけなんだ。それで配偶者や子供を殴るんだ。一緒に住まなきゃいいだけの話なのに」
「ほらまた、何の話だよ。今からでも遅くない。薬を貰ってこい」
「お前が飲めばいいじゃないか!」
「また連れて行かれるぞ」
「そうやって権力を利用している自分に自覚はないのか?」
「事実を言ってるだけじゃないか。お前もまた連れて行かれたら困るだろう」
「勿論困る。ありがとう。しかしそういうことも自覚しといてくれ。君も暴力を支えている一員になりうるんだよ」
「分かった。ありがとう」
一刻も早く話を切り上げたかったヤブガラシはそう言って仲間の元に戻った。
「大分絡まれたな」
そう言って仲間たちからからかわれているヤブガラシの姿をノビルは見ていた。
ノビルは蓼の方を向いた。蓼もまたヤブガラシの方をじっとりと不満げに睨みつけていた。眉間の皺は以前より深くなり、以前より歪んでいたが、瞳は寧ろ前より活き活きとして、爛々と輝いていた。
物を殴れば変形する。人間もそれと同じなのだなとノビルはぼんやりと思った。
更生という言葉を使って人々がやっていることは、単に人を機能不全にするだけだった。腕を切り落とし、盗むことができなくなればそれを人々は更生と呼んだ。それでも立ち上がれる人はいたが、蓼は明らかにそうではなかった。もうボロボロだった。
ノビルは蓼に声をかけた。
「今日のご飯はカレーだから頑張ろうね」
「ほんとにそのカレーの中で死んでいる豚と植物には哀れとしか言いようがない。一生日の光も浴びないで糞の中で餌だけ食ってろくに年も取らずに刺し殺されて、一方で一列に均等に並べられて間引きされて肥らされて引き抜かれてコンベアーで運ばれて、あげく切り刻まれて煮込まれて噛み千切られて消化されて大便となってここの肥溜めに叩き落されて……運良く栄養になって代謝されて捕食者の一部となってもやらされるのはこんなことだよ。そしてまた自分の同胞の死体の浮いたカレーを食うんだ」
そうは言っても蓼がカレーを機嫌良さそうに食べるのをノビルは知っていた。
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