第13話 豚が飲むような汚い水飲み場だった。

 豚が飲むような汚い水飲み場だった。ノビルはそこをきれいにしようとしたが布切れ一つ借りることはできず、それは購入という形になり、さらに面倒な手続きが必要なようだった。しかも布切れ一つが街でのりんご2個分の値段だった。その上布切れが届くのは1ヶ月後のことだった。


 適当にある物を使って掃除しようとしたら、管理者がやってきてそれを止めた。


「きちんとルールは守りなさい。それは用途外使用という規律違反行為だ。初めてだから多目に見るが、もう私は話したからな。次にやったら承知しない」

「なんですか、それ」

「言い訳をするのか! 先程笹野先生がお話されていただろう」


 聞いてる筈はなかった。ノビルは少しまずかったかなと思った。押し黙っているノビルを見て管理人は少しは反省したのだなと思って語調を緩めた。か弱く見えるノビルはこの場においては少しだけ得なようだった。ほんの少しだけ。


「確認するぞ。用途外使用は物品を使用用途以外のことに使うことだ。それは自己で購入した物品でも同じだ」

「はい」


 何を言っているのかよく分からなかったが、返事をしておけばこの場は収まるのだということは何となくノビルにも分かった。こうしてシステムを理解しないで従順に暴力者の言うことを聞くことを繰り返すことで、底抜けの愚民になっていくのだなとノビルは思った。


 管理者は離れ、ひとまずそれで暴力は回避されたとノビルが一息ついていると、金切り声がした。


「聞いてたろ! あ!? そういうのが一番嫌いなんだ!」


 どうやら用途外使用とやらを誰かがしていたようだった。それを見つけた管理人は気が狂ったように吠えた。管理人達にとってはこの行為が餌のようだった。


「お前達のためになるんだ。こんなこともできないで社会でやってけると思うのか?」


 何かノビルにとってはとても破綻した、よく分からない理論を管理人達は延々と話していた。


 ノビルはこの共同体の規則は何なのか読み取らなければならないと思った。これは扱っている言語が異なるようなものだったからだ。この共同体は林檎を見て蜜柑と呼ぶのだということを分からなければいけなかった。


 この共同体は何を恥と呼び、抑制させようとするのか。出来るだけそれをはっきりと認識できなければ自動的にそこに染まり、待っているのはこの穴ぐらにしかない価値観、ただ管理人達が労働者を扱いやすくするために作ってきた価値観の一部に、自分がなってしまうということだった。


 重要なことはそれを管理人達に聞いてはいけないということだった。なぜなら管理人達も自分がなぜこんなことを言っているのか、よく分かっていないからである。


 恐ろしいことに人は正しいからそう動いているのだと思うことがよくあった。意味付けなんてものは簡単にできるものだ。それがただの暴力だとしても。人々は大量殺戮にも正義をラッピングすることができる。小さなことなら尚更容易にそれは行われた。


「……」


 入りたての労働者は皆唖然としていたが、他の慣れた連中は寧ろやれやれといった様子で、管理者ではなく同じ労働者の方を嫌がっているようだった。


「あたまおかしいんじゃないの」

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