第11話 誰かが吊るし上げられていた。

誰かが吊るし上げられていた。それはまるで奇妙な果実だったが、人々は目の前にその姿が見えなければ、自分が暴力を犯していないことに気付かなかった。それどころか人々は自分の正義に酔っているようだった。


「あの人、おかしいんだね」


 ノビルは昔母親に言われたことを思い出し、体が強ばるのを覚えた。ノビルが苦しんで、喚いて、暴れた時、人間はいつも冷たかった。


 誰も、自分の言葉なんて聞いてくれなかった。


 その瞬間、ノビルは自分の視点が全く変わっていることに気が付いた。ノビルは吊るされ、多くの人々の前に晒されていた。夥しい目が、目が、目が、自分を見つめていた。その一つ一つの目がまるで槍のように感じた。


 誰も槍を突き刺すようなことはしなかった。人々はまるで遊んでいた。槍は一体誰が持っているのか全く分からず、ただ人々の間からいくつも突き出ては、吊るされた人の腕や顔をかすめて、小さな傷をいくつもつけていた。


 人々は槍を振り回すばかりで誰も何も言うことはなかった。誰が一体その人の心の内を見てくれたのだろうか? 人々は命令するばかりでなぜそうしたのか聞くことはなかった。聞くとしてもそれは情報を聞き出すようなものだった。罪状を聞き出し、どうすれば罪を認めさせ”改心”させられるか、どうすればもっと自分の安全を保ちながら攻撃できるのか、自分の優秀さを集団に示すことができるのか。そればかりしか考えていないようだった。


 それはコミュニケーションではなかった。その人間に、心を移して、同化し、また帰っていく。瞳を見つめて、口を開く。人々はそうではなく、それは機械の欠陥を探すように、または自分の攻撃心を満たすために、もしくは自分の優位性を確かめるために、そして自分の優しさを確認するために、そうした。人々は集団の規則から逸脱した人間を使ってゲームをしているようだった。


 それは集団が価値だと語っている全てを、たった一人の人間を使って、自分がそれを持っていることを示すゲームだった。それは自分の衝動を満たすために相手を殺して食べることや、自分の身体の欲求に抗うことを諦めて、それが真実だと自分に言い聞かせて愛欲の対象をコントロールすることと何も変わらなかった。


 人々は相手がどれだけ集団に対して犬のように従順か確かめたがり、またそうでなければそうなるように、ただ自分の世界を壊すものの恐れをなくすために吠え続けた。そして自分がどれだけ犬のように家畜のように従順か示して、自分の順位を少しでも上げて、肉にされるのを少しでも引き伸ばすために、肉を削がれる時の痛みを少しでも小さくしてもらうために、集団に対して尻尾を振り続けた。


 人々は本当に残酷な方法を知っていた。その方法はこの集団が罪としていない方法の中で最も残酷な方法だった。それは受け入れないことだった。孤独にさせることだった。人々は罪人を「異常」と呼び、その心が問題だと決めつける。誰も罪人の話など聞きはしない。多くの人は無関心であり、次に攻撃をする人々がいて、最後に罪人のもとに近付いた人間でさえ、罪人の話を聞く振りをしながら、罪人に「正常な言葉」を吐かせようとする。


 人を傷付ける孤独というものは、人を受け入れないことだった。美しい衣装の下にも孤独があるのは、そこに隠れている自分が衣装の外の世界では受け入れられないことを、共同体によって知らされていたからだ。人々は恐ろしい程無自覚に脅迫を繰り返し、衣装を着ることを迫った。


「あんなふうに、吊るし上げなくても、いいんじゃない……」


 ノビルはほんとうにそっと、恐る恐る言った。

 相手は不思議そうに返事した。


「あの人は悪いことをしたんだよ?」

「でも、あんなにひどいことをしなくったって」

「仕方がないよ。それがルールなんだから」

「ねえ、私達は何か気づかなきゃいけないことがあるんじゃないか、あの人も自分と同じ人間だって」

「知っているよ。でも、甘えさせてどうなる? あんなやつばかりになってしまうよ」


 知っていないとノビルは思った。それ以前に、相手は人間を自分と同等に扱っていないのだとノビルは分かった。


「もう少し、方法を変えたほうがいいって、思わない?」

「なぜ変える必要があるの?」

「え……」

「私達は何も困ってないじゃないか」


 こうやって今、穏やかに、親切そうに話している相手も、ノビルが吊るし上げられれば、ノビルのことを全く助けようとしないのだとノビルは分かった。横目で一瞥したあと、「正当性がある」ことを確認して、自分の生活に戻っていくのだろうと。


 誰かが大声を出した。


「狂ってる!」


 人々は次々にその言葉に反応した。人々は自分が他人を狂ってると言うのは構わなかったが、自分がそうと言われたら全く心外だと言わんばかりに怒り狂った。人々にとって狂った人間というのは、自分以外の誰かのことだった。


 本当に誰も、誰かが血を流していることなんて気にしてはいなかった。誰かが苦しんでいることなんて、気にもしなかった。それは統制を守りそれを破る者を構わず吠え立て噛み付く犬としては、本当に人々は正しかった。人々はだからこそ、自分が絶対に”正しい”と確信していたからこそ、自分が噛み付いても大丈夫だと、自分は絶対に攻撃されない、自分は集団の側に立っているのだと確信していたからこそ、集団を自分を守る殻だと信じ切っていたからこそ、のびのびと偽善的に他者を攻撃した。


 そして多くの人々は、無関心に通り過ぎていった。


 ノビルはその場から逃げ出していた。最初はゆっくりと、そして速歩きになって、走った。


 ノビルは頭を抱えて、うずくまった。

 そして、笑い出していた。


「ふはは、ははは」


「はははっ、ああいやだ、いやだ! こんなやつら!」


 それは非常に単純な結論だった。こんな人間達と一緒に暮らしていたくない。それだけだった。


 この街の人々にとって、人として何が重要なことかといえば、統制がとれているということであった。ノビルにとってただただそれは気持ち悪かった。


 人々が以前、決められた人殺しに参加しない者を臆病者の非国民とみなし、労働しない者を愚鈍で堕落した人間と扱い、教育されない者を集団から排除したように、集団の規則に従わない人間を、ただ規則に従わないというその一点のみで人々は本当に感情的にも理性的にも強く拒絶した。


 この街の人々はそういう人間達だった。そしてそれを自覚すらできない。自覚すらできない。人々がほんのりと自覚できるのは、自分が、自分の統制が攻撃されているということだけだった。


 人々がそれに恐怖を感じないのは、人殺しが決まればそれに苦しみながら参加できるからだった。そしてそれを他人に強制することも好きだった。人々は苦しみや怒りにまつわる興奮が本当に大好物だった。


 ノビルはその統制の仲間になれないことは分かっていた。自分も殺されるような人殺しには参加したくはない。ノビルは単純に、苦しいことが嫌いだった。


 ノビルはもうこんなところにいたくはないと思った。


 ノビルは張り紙にあった場所へ行き、切符をもらった。小さな荷物だけを持って、汽車に乗り込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る