第6話 叫び声がした。

叫び声がした。誰かの母親の声だった。その声は家の中から聞こえた。

 ノビルはその家に近付いた。


「学校に行きなさい!」


 その母親は泣いているようだった。そこにいるはずの子供の気配はしたが、声は聞こえなかった。子供は自分の感情を出すことが危険だということを知っているようだった。子供が抱えているものは怒りなのか、恐怖なのか、それとも呆然と無気力になってしまったのか、外からは分からなかった。


 なぜ学校があるのだろうか? 人々は今いる場所と自分自身から離れずに答えを出すために、実際とは全く異なった結論に辿り着いてしまうことがあった。我々の集団は概ね合理的であるという空想に乗り、我々の集団が植えた木は我々の集団にとって合理的な意味があるのだろうと考える。だから集団の言うことを安易に信じる。この木は我々に恵みを与えるものだと言われれば、それを何の疑問もなく信じる。


 なぜこの木が植えられたのか、人々はその意図も経緯も知ろうとはしない。だから集団が取り繕った上辺だけ辻褄が合った嘘を簡単に信じ込む。毒りんごを毒のまま食べさせて子供がのたうち回っているのを見て、人々は微笑んでいる。


 人々は自分自身もこの一部である集団の規則に従わなければ、どんな目に合わされるかを知っている。人々は宗教家達を横目で見て笑うのに、自分たちの集団のことはそれこそ気味が悪いくらい良いようにその意図を解釈して信じ込む。


 集団の命令を本当に信じ切った人々や、それを利用して自分の様々な欲求を満たすことができると教えられた人々は、林檎を食べない者を皆でなんとかしようとする。本当に執拗になんとかしようとする。収入を減らし、幸せになれないと脅し、軽蔑し、権利を奪う。恐ろしいことにそれを集団ではなく人々が行う。全くそれは集団のコピーだった。人々は簡単にコピー化される。集団だけではなく個人でもそうだった。魅力的な人間の攻撃性を人々は簡単にコピーする。


 この林檎の木は一体本当は何なのか。その木がいつ植えられ、どういう経緯で、どういう意図で植えられ、そしてどういう結果が過去に、目の前に起きているのか。それを知れば随分違うのかも知れない。


 しかし人々は悲しいほど教育されており、かつ脳細胞が過剰に破壊されるような生活を送っていたがために、本当に自然に愚かしくなっていった。それは解決されていない問題の多くが、街中にとっ散らかっていることからも分かることだった。


 しかし街はまるで何もかもが整理されているように振る舞っていた。割れた道路はすぐ修理されたし、犯罪者はすぐ捕えられたし、落書きは丁寧に消された。


 しかし人々は街自体の醜さには関与しなかった。電柱が空を張り巡らし、アスファルトが街中を這い、建売住宅がはびこり、ハエを呼び込むような蛍光灯の箱の中に飛び込んで、過剰に生産された数々の死体の複合物をレジスターに表示された支払い価格以下の金額で奴隷のように働かされている人間の媚びた笑顔がいつか生き物の体内に蓄積していくポリプロピレンを包み恭しく手渡す。そして客は自分は受け入れられていると思い満足する。


 人々はもっと何か直されるべきものがあるとその苦痛から感じていたから、街はどんどんきれいになっていった。しかし人々の心やシステムの中に残った問題はいつまでも片付けられることはなかった。

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