第五十八話
『新日本鉄道』が管理し、鉄道アイアン・ホース教育校が守る日本のライフライン、元新幹線鉄道線路はしょっちゅう破損している。その主な原因は老朽化ではなく『プレデター』によるもの。重機なみのサイズと重さを持つ種が通るだけで、教室列車が走る鉄の道はたやすく潰されてしまう。なお、これはまだマシな方であり、時には高架の柱が壊されるなどの被害も少なくない。
そのため、修復困難な場所には『プレデター』が近寄らないようにと人間の出入りを最小限且つ迅速に移動するよう、考案されたのが鉄道アイアンホース教育校、教室列車と車掌教師という『アイアンホース』の移動管理システムであった。
今回、『北陸聖女学園第七分校』へと日夜関係なく走行していた【303号教室列車】の足を止めたトラブルは、よくある『プレデター』の移動によって線路が押しつぶされた事が原因の破損であり、マニュアル通りに対処すれば、直ぐに運行を再開できるものであった。
もっとも近くの駅に停車待機させてある資材を積んだ完全AI制御の貨物列車の到着後。【303号教室列車】の『アイアンホース』とアルテミス女学園ペガサスによる復旧作業が行われている。
「……本当になんでも出来るんだな」
「線路修復は『アイアンホース』になる前から教育を受ける必修技術だ。なにせ現場で線路を守り、管理することが『アイアンホース』ですから」
『
「しかし、案外こういうのは手作業なんだな。てっきり機械に全部任せているかと思ってた」
「多種多様な事態が想定される、こういう現場をAI機器による全自動化は難しいかな。旧時代AIだったら全然違ったと思うけど」
「昔と何が違うんだ?」
「はっきりしてるのは判断に使用できるデータの量だね。昔は置き場所と電力さえあれば無線ネットワークで繋がっていて、この状況を解決するためのデータを幾らでも引っ張ってこれたらしいんだけど……今は端末内にあるデータのみで判断しないと行けないから、あまり応用性は無いんだ」
「……悪い、やっぱりよく分からないな」
「まあ他にも機械本体の技術やコスト事情とか色々と絡んでの話だと思うけどね……こんど教える? 分かってくると面白いと思う」
「あー、いいよオレは。あんまり肌が合わない感じがする」
専門の話が出来て楽しいのか、早口で語り始める後輩、『
一方で真嘉にとって体を動かす現場作業は、それなりに興味深く楽しいもので、いい気分転換になっていた。歓迎会でのライブステージを設営は大変ではあったけど性に合っていると感じた事もあり、ハジメに手伝って欲しいとお願いされた時は渡りに船だった。
≪──こちらルビー、問題なし。アスクヒドラと合流、咲也先輩とても嬉しそうよ、どうぞ≫
「こちらハジメ、了解──あちらは無事に合流できたようです」
「おう、それなら良かった」
復旧作業は三名も入ればできるとの事で真嘉と、周辺の警戒兼現場監督役にハジメ、手慣れた手つきで作業を進める夜希以外は、【303号教室列車】が停車した事を機会にアスクヒドラと識別番号04に顔合わせする事となった。
「こちらの作業は問題なく進行中、予定時刻丁度に終了予定に変更なし、どうぞ」
≪了解、それにしても先輩たちが代わってくれて本当に助かったわ。ありがとね≫
「ルビーは、こういう作業嫌いですからね」
「そうなのか?」
≪髪が乱れるのよ≫
「でも今の髪型でしたら、気にしなくてもいいのでは?」
≪本気でぶっ飛ばすわよ≫
「……本当に仲いいよな」
ハジメの無遠慮な発言にルビーは本気で怒っているが、絶対に尾には引かないのだろうと真嘉は羨ましく思う。もし、自分が咲也たちとあんな風に軽口を叩いたら、どうなるのか想像しかけてレールを運んでいる途中だった事を思い出し、作業へと戻る。
≪対象に
「了解、周辺の警戒を怠らずオペレーション“タカイタカイ”の作戦進行を補佐してください」
真面目にやっているのか、ふざけているのかルビーとの通信内容に、真嘉は小さく笑う。また、アスクヒドラは黒い西洋甲冑のような見た目をしており、もしかしたら怖がるかもと思っていたが、ハジメの恩人として直ぐに受け入れてくれたようで安堵する。
≪あの~、ルビー先輩。もうそろそろ縄を解いてもらってもいいでしょうか~?≫
≪ダメよ。貴女の場合“それはそれ”ってなりそうじゃない≫
≪そんな~……でも、実際に“それはそれ”じゃないですか~?≫
≪そういうところよ? とにかく、アスクに活性化率を下げて貰うまで我慢しなさい≫
≪はーいわかりましたよ~……そういえば活性化率を直接下げるって、どうやってするんですか~? ……ルビー先輩? あのルビー先輩って、ちょっと──ブツ≫
切れた通信を気にする事なく真嘉たちは作業に戻った。到着予定時間が伸びてしまうほどのトラブルであったが、真嘉にとってはアイアンホースたちの会話を聞きつつ、体を動かす事ができる、ちょうどいい気晴らしとなった。
+++
──しかしながら再出発して数時間後、再び問題が発生する。
「……だいじょうぶか、咲也」
「…………」
「なんだその……やっぱり、停まっている時に、やっておいたほうが良かったんじゃないか?」
「……小型種が何処に潜んでいるかわからない森の中で、できるわけないでしょ?」
「一緒に行ってあげるって言ったんだけどね。本当に小型種が怖かっただけなのかしら?」
「……っ!」
「ルビー、頼むから刺激しないでやってくれ」
咲也はベッドに横となり、体を丸めていた。どうしてこうなったのか、理由は極めて単純なものであり、この【303号教室列車】にトイレが無いから、もっとはっきりと言ってしまえば咲也はトイレがしたくて限界だった。
「……撫でたほうがいいか?」
「ほんっとにお願いっ! いま動かさないで……!」
「す、すまん……」
「でも長いわね? 我慢慣れしてないから『P細胞』が分解するか判断に迷っているのかしら?」
「あとどれぐらいで楽になるんだ?」
「さあ、忘れちゃったわ」
『P細胞』が体内で分解してくれるまで、排泄物を中に留めて置かなければならない。それは大規模侵攻の時を除けば、普通の人間として何時でもトイレへ行ける生活をしてきた咲也にとって非常に辛い我慢となっており、なによりも消え去りたいほど羞恥に塗れる苦しい時間となっていた。
「おーい、咲也ー?」
「────う」
「……オレは外にいるから、なんか有ったら呼んでくれ」
顔を真っ青にして、低い唸り声を出しはじめた咲也。これ以上は刺激を与えないほうがいいかと、真嘉は廊下へと移動する。
「あ、真嘉先輩、咲也先輩の容体はどうですかね?」
「さっきよりも辛そうだ……お前たちはどうだ?」
「あたしは、あんまり……面倒で何度もトイレを我慢した事あるから、それで『P細胞』の分解判断が早くなっているのかも」
「マジか先輩……あー、それならワタシは引きこもっている時にって感じかもですね」
心配そうに廊下のほうで様子を見守っていた夜希、そして中等部一年の『|
「亜寅はともかく、夜希お前なぁ……ちゃんとトイレ行こうぜ?」
「どうしても夢中になると、それ以外が億劫になる……」
「夜希先輩の部屋、兎歌が掃除しに来なかったら、すぐにゴミ塗れですもんね」
「それはちょっとニュアンスが違う問題……かもしれない」
排泄物を分解する。それは『P細胞』が稼働する事であり、極めて微小であっても活性化率が上昇するとされているため我慢をする事は、明確に寿命を縮める行為である。とはいえ日常生活において、常に最適に過ごすというのは難しい話であり、実のところトイレを我慢して気がつけば『P細胞』が分解してしまったというのは、そこまで珍しくない話だった。
「しかしなんていうか、大規模侵攻のときはトイレの存在を忘れるぐらい気にならないのに、今と何が違うんですかね?」
「多分、戦闘環境時と非戦闘環境時の違いかも? はっきりとは言えないけど、戦闘環境時のさいは優先して生理現象を消しているのかもしれない」
「そういえば『
「……ですね!」
思えばトイレの話しかしていないと気づき、なんだか恥ずかしくなった真嘉は話を終わらせる。
「そういえば亜寅、昨日の昼飯の時、どうして響生に連れられていったんだ?」
昨日、亜寅はみんなで昼を食べようとなった時、自分から見張りを交代すると手を上げた『
「あ~、それが理由を聞いても教えてもらえずに終わっちゃって、分かってないんですよね」
それに一緒に見張りとといっても響生が天井から顔を出して外を見張っているのを、亜寅が車内から見張るというよくわからないものであり、響生に何度理由を尋ねても、いつも通りの変な回答ばかりで要領を得なかった。
「……そうか、なんか悪かったな」
「いやでも……ワタシも大規模侵攻の時のお礼と詫びをしたかったので、ちょうど良かったです」
「……お礼と詫び?」
──真嘉の思い当たる節が無いという反応に気づかず、亜寅は話始める。
「ほら、大規模侵攻の時、兎歌と申姫先輩が『ゴルゴン』に襲われたのを助けてくれたやつですよ。兎歌たちが危ない目に有ったのはワタシが原因だし……まあほんと色々と迷惑を掛けたんで、直接謝りたかったし、お礼を言いたかったんです、それで丁度良かったので言ったら──」
なんか反応無いなと思い真嘉の顔を見ると、あまりにも真剣な眼差しで自分を見ており、言葉を詰まらせる。
「──なんだそれ?」
響生は大規模侵攻の時、兎歌と申姫が『ゴルゴン』に襲われた所を助けた。つまり『ゴルゴン』を殺したこと、それは真嘉が知らない事だった。
「真嘉先輩?」
「あ、いや……詳しく話を聞いていいか?」
「ワ、ワタシも兎歌から話を聞いただけなんですけど──」
真嘉の反応に、もしかして話しちゃダメなやつだったかもと後悔しつつ、亜寅は友達から聞いた事の顛末を話す。
──大規模侵攻のさい、違うグループへと移籍した亜寅たちは『プレデター』の襲撃によって窮地に陥った。そのさい自分を心配して来てくれたのが『
そんな中で、兎歌と申姫は活性化率が100%となってしまい至ってしまったペガサス──『ゴルゴン』と遭遇してしまう。結果だけ言えば、兎歌たちは窮地に陥り、“卒業”寸前まで追い詰められたところ、響生によって助けられた。
この事は真嘉、それに他の高等部二年ペガサスたちも知らない話だった。ふいに頭に過ったのは、いつも何を考えているか分からない先輩の微笑んでいる姿。自分たちの目に入らない所で響生と先輩は何かやっているとは知っていたが、まさかそれと関係あるのかと当たりをつける。
「……夜希は知っていたのか?」
「……うん、あたしは兎歌から相談されたから……真嘉先輩が聞いてないのは思いもしなかったよ」
兎歌は『硯開発室』に定期的に掃除しに来るため、夜希とは良く話す間柄になっていた。歓迎会が終わった後、調子を取り戻した兎歌に大規模侵攻の最中、なにが有ったのかと聞いており、その時に響生のことを聞いていた。そんな風に日常会話の延長線で話を聞いたため、てっきり真嘉たちも知っていると夜希は思い込んでいた。
「それでまあ、学園に居る時に言おうとは思ってたんですけど、響生先輩いつも何処にいるか分かんないし、何を考えているか分からなくて……正直、ちょっと怖いんで……あ、す、すいません!」
亜寅は先輩の剣呑な雰囲気に圧倒されてしまい、口が滑って顔を青くする。こんな風に友達の事を言われたら面白くないに決まっている。顔を見る前に亜寅は深々と頭を下げた。
ちなみに亜寅に限らず、多少の違いはあれど『勉強会』による白銀響生の評価は、概ねそんなものだった。助けてもらった優しい友達である兎歌が最も強い拒絶反応を示し、あの何事も淡々と何でも正直に話す申姫先輩が、その時の事については頑なに口を閉ざしている。それが無くても響生は本当に意味不明な先輩なのだ。『ゴルゴン』を率先して殺すという噂話も、ずっと貼り付けたような笑顔なのも、常に変な事を喋っているのも、なにひとつ理解が及ばなくて怖かった。
「いや……気にしないでくれ」
亜寅に思うところはない。真嘉は今の響生に慣れてしまっていた自分に気づいてショックを受けていた。だから後輩に怖がられていると思い至る事すらできなかった。
「あいつは……」
そこまで言って何を言えばいいのか分からなくなり、言葉を詰まらせる。いつも人の事を笑わせたいと思っている優しいやつだった。浮かぶのはそんな過去形で、アルテミス女学園に入学してから、ずっと友達である筈の自分だって、今の響生を理解していない事を一層自覚する。
「ま、真嘉先輩……響生先輩、いま先頭車両で見張りをしている……話してきたらどう?」
「……そうだな……亜寅、そのなんだ、色々と気にしなくていい。大規模侵攻の事とかも言わなかったのには理由が有ると思うしな……」
「えっと……その……うす」
亜寅が謝るのも違うなと悩んでいる内に、真嘉は衝動に身を任せる形で足を動かし、先頭車両へと移動する。
「……やらかしましたよね?」
「あれは仕方ない……うん、仕方ない」
本当に失敗が多いなと落ち込む亜寅に、夜希が本心から慰める。
+++
「おい響生……? 居ないのか?」
見張りをしていたと聞いていたので、天井の穴へと繋がるハシゴを見た真嘉であったが響生の姿が見えない。ちょうど降りたのかと狭い車内を見渡しても何処にも居ない。
「……まさか……響生!?」
「──あっ、まかまか、どうしたの?」
響生がヒョイっと天井から逆さまの状態で顔を出した。嫌な予感がして焦った真嘉はズルっと転びそうになる。
「ひ、響生、お前どこにいた!?」
「何って、外に出て見張りしてたんだよ!」
「だからって体を全部出すなよ! 落ちたらどうする!?」
【303号教室列車】は現在、80キロ以上の速度で走行中であり、全身を外に出してしまえば強烈な風によって“落馬”してしまう危険性が高い。それで地面と激突すれば『ペガサス』であっても怪我はするし、当たりどころが悪ければ“卒業”だってしてしまう。
「大丈夫だよ。しっかりと掴んでいたし、立ったりとかはしてないから!」
叱られた響生は本人はどこ吹く風と答えながら車内へと飛び降りる、真嘉は色んな感情が言葉から出そうになって、けっきょく声にならなくて、深い溜息しか出なかった。
「……なんで、こんな危険な事をしてたんだよ」
「爽やかな風を浴びたくてね」
「……爽やかって言うには強すぎるだろ」
これが言葉とおり、単なる気分的な理由であるのならば真嘉はリーダーとして叱れていたのかもしれないが、本当は何を考えているか分からないとい言う疑心が言わなければならない言葉を溶かしてしまい、ぱっと思いついた言葉を吐き出すことしかできなかった。
「うふふ」
それなのに響生は嬉しそうに笑う。その理由を知りたかったが真嘉であるが、それよりも前に尋ねなければならない事があった。
「響生、大規模侵攻の時、兎歌たちを助けたのか?」
「うん、そうだよー」
「なんで言わなかった」
天井に全身を乗り出していた事は変にはぐらかしていたのに、こちらはあっさりと肯定する事に真嘉の戸惑いが強まる。しかし、ここで言葉を詰まらせてしまったら、また逃げられると、意識を逸らさないように努めつつ話を進める。
「ごめんね、月世先輩にお願いされたんだ、まかまかたちが、何処かで知って聞いてくるまでは秘密だよって」
やっぱり、あの先輩が絡んでいるのかと、真嘉はすんなり受け入れた。
「なんでだ?」
「分かんない」
「ツクヨ先輩と一緒に何かやってるって聞いたが、それと関係しているのか?」
「それも分かんない」
「分かんないって……自分の事だろ、それでいいのかよ!?」
あっさりと肯定したと思えば、理由は分からないの一点張り。それとも本当に知らないのかと心配になった真嘉は声を荒げてしまう。それは昔からの友人が、自分の知らない裏の道を進んでしまっている事に、ようやく危機感を持ったような感情の高ぶりだった。
「──適材適所ってやつだよ、きょうちゃんのする事が分かった、そういうやつだよ」
「……え?」
適材適所だなんて言葉が、響生から出てくるなんて想像すらしていなくて、真嘉は固まってしまう。そして、ここでようやく響生が、一切ギャグやネタを言わずに普通に会話している事に気づく。
「まかまか、さっきのツッコミ、懐かしいね。あんな風にツッコまれたの本当に久しぶりだよ」
「……そんな事……ないだろ」
「そんなことあるよ。まかまか、ずっと遠慮してたでしょ? 来夢が“卒業”する前から……いつからだったかは分かんないけどさ」
響生の初めて聞く本音かもしれない主張。それを聞いた真嘉は固まる事しかできなかった。
──響生とはアルテミス女学園へ入学してからの友達だ。でも何処で、こんな風に変わってしまったのか、気がついたら何もかも手遅れになってしまっていて──怖かったから、ずっと目を半端に逸らしていた。その事に響生は気づいていた。
「響生、オレは……!」
「あ、そうだマカマカ、お願いがあるんだけどいいかな?」
「響生!」
「きょうちゃん疲れちゃったから、お休みするね。だから見張り変わって──ちょーだい!、それじゃージとブルマネー!」
「まっ──」
響生は唐突に逃げるように、あるいは時間がなさそうに焦って後部車両の方へと行ってしまった。狭い車内、逃げ場所は無く、追えば詰め寄る事だって出来る。だけど真嘉の足は動くこと無く、何度も口を開閉させる。しばらく伸ばせなかった腕を彷徨わせた後、拳を力いっぱい握りしめる。
「……なさけねぇっ!」
──何が今回の転校で少しだけ良くなっただ。単にちょっと上手く行ったのを数えていただけで、大事なものは、けっきょく何も触れてすらいないじゃないか、これじゃあ学園に居た時と同じだ。来夢の顔を浮かべてしまう。こういう時、いつも取りなしてくれたのは彼女だった。だけどもう居ないのだから、自分がしっかりしないと行けないのにと、真嘉は自己嫌悪に浸る。
「……来夢、オレはどうすればいいと思う?」
「──あ~、その来夢って方ではありませんが、自分から一言いいですか~?」
「うおああおおおお!!?」
管制操舵室側の壁際に設置してある装備品ボックスから、
「お、おま! ずっと居たのか!?」
「はい~、装備の点検をしていました~。そうしたら真嘉先輩がやってきて、出るに出れなくなってしまいましたね~」
「それは……悪い」
「いえ、こちらこそ盗み聞きする形になってしまい、ごめんなさい~……それで、響生先輩ですが、確証はありませんが、普通に関係改善を図るだけでは難しいと思います~」
「そう、なのか……?」
「はい……ですが、もう自分たちには出来ることはないのかもしれません」
それは専門の医者の診断を受けて、時間を掛けて治療しなければならないもの。あるいは二度と治る事のない『ペガサス』や『アイアンホース』にとって数少ない恐る病。
「──響生先輩は“鬱病”の可能性があります」
+++
──────────
2094:アスクヒドラ
縦横無尽、疾風迅雷、天下無双。
移動中の皆のため、森の中に潜む危険そうな『プレデター』たちを人知れず冥土に送る。
ちな、俺はなんもやってない。ゼロヨンの後ろに乗ってるだけ……。
おかしいな。最初は戦闘と補助で最強のコンビだぜって思っていたのに、今のところ特に出番もない追加ツールみたいになってる……所詮、アスクヒドラはあらゆる毒を生成できるだけのレガリア型よ……。
2095:識別番号04
鍛錬にもならない。
2096:アスクヒドラ
人より重いが、ゼロヨン相手ではトレーニングの重りにすらなれぬ、我が身軽さ……別に悪いことじゃなかったわ。
でも、なんていうか、ゼロヨンって凄く強かったんだねー。しみじみ……。
2097:識別番号04
今更か。
2098:アスクヒドラ
戦ってるところを見るのは、なんだかんだで今回が初めてだからね。
……まあ戦っていると言うと、ちょっと違う気がするけど。相手に気づかれない速さで近づいて、ひと噛みで倒していくのは、どちらかというと奇襲力とか暗殺力の類。仕事人って感じ。
2099:識別番号04
『P細胞』を効率よく獲得しながら、アルテミス女学園へと移動のさい、自身の持ち得ている手段から、導き出された最適な戦法だ。
2100:アスクヒドラ
つまり、俺たちのために身に付けてくれた技ってことだな!
2101:識別番号04
その発言には語弊が含まれる。
2102:アスクヒドラ
照れ隠しか〜?
あ、やめて、枝にぶつけないで!
痛くないけど普通に怖い!!
2103:識別番号04
貴様が意味不明な事を言うからだ。
――識別番号02、プテラリオスと同じく、協力しているだけだ。
2104:アスクヒドラ
そりゃみんなに助けられているけど、なんていうか心構えの話だね。
ていうか、そういう感じに否定すると真実性が増しちゃ、あ、その枝太やべちる!?
2105:アスクヒドラ
あっぶねっ!? いま落ちかけましたよ!?
2106:識別番号04
――はぁ。
2107:アスクヒドラ
へい! そのため息、俺の言うことに呆れたのか、落ちなかった事を残念に思ったのかのどっちかだけ聞かせてもらおうか!?
2108:識別番号04
両方。
2109:アスクヒドラ
泣いちゃう。
2110:プテラリオス
ただいま『街林調査』を終えて、全員無事にアルテミス女学園へと戻りました。
2111:アスクヒドラ
お、プテラ。おかえりアンドお疲れ様。『街林調査』どうだった?
2112:プテラリオス
目的の資材を見つけて、十分な量を回収できました。
ですが失敗してしまいました。
2113:アスクヒドラ
あら、どうしたの?
2114:プテラリオス
小型種の『プレデター』たちの巣となっていた廃墟群があったので危険を考慮して、建物ごと殲滅しました。
2115:アスクヒドラ
あー、なるほど……許可は?
2116:プテラリオス
取ってませんでした。
2117:アスクヒドラ
そりゃあ、みんなびっくりしちゃったでしょ?
もしかしたら事故とか起きちゃうかもしれないから、今回は仕方ないね。
2118:プテラリオス
はい、驚かせてしまいました。
これからノハナちゃんに反省の意思を伝えます。
反省……。
2119:アスクヒドラ
すごく……反省が伝わってくる……。
まあ、みんな怪我も無かったし、今度は気を付けよう。
2120:プテラリオス
はい、それとエナちゃんから伝言です。
「みんな無事? ちゃんと怪我せずに帰ってきてね」
とのことです。
2121:アスクヒドラ
オールグリーンよ!
って感じでサムズアップで返事してちょーだい。
2122:プテラリオス
了解しました。
エナちゃんは喜んでいます。
2123:アスクヒドラ
良かった。不安にさせるのは申し訳ないけど、もう少しだけ我慢しててね。
……ザびジいイいいい!!
2124:識別番号04
お前が我慢できていない。
2125:アスクヒドラ
難しい問題だよね。久しぶりにサヤちゃんたちに会えて嬉しかったし、ハジメちゃんたちのクラスメイト、フタちゃんとミツちゃんとも交流できて楽しかったのに……その楽しさに比例して、寂しさも増しちゃう。
この感情の変化に名前ってあるのかな?
2126:識別番号04
知らん。
2127:プテラリオス
分かりません。
2128:アスクヒドラ
せめて、考える素振りだけでもしてほしいな。
……それにしても、なんでフタちゃんは縛られていたんだろう。おかげで“血清”の直打ちの時、すごく絵面がやばかったです。
2129:識別番号04
安全を考慮した上での対策と言っていたが……あの『アイアンホース』は危険という事か?
2130:アスクヒドラ
まあ、なにも問題なかったしね……おっと、そうこう話している内に、ついに見えてきたね。
では、予定通り。
せーのさんはい、海だーーーー!!
2131:プテラリオス
海だーー!
2132:識別番号04
海だ。
2133:アスクヒドラ
ゼロヨン君! だめじゃないか恥ずかしがっている。ダメだよ! 海見たら己を全力で開放させないと! これ常識よ?
2134:識別番号04
虚偽だったら噛むぞ。
2135:アスクヒドラ
嘘は言ってないと思うけど、本当とも言ってない。十人十色、人の数だけ真実が存在するのです……信じなさい……信じて……やっぱ、プテラが真に受けそうだから、超テキトーに言った事を打ち明けます。
2136:識別番号04
後で噛む。
2137:アスクヒドラ
さーて!! レガリア型になって初めての海だけどもですよ!!!
……なんも変わらなんね!
ポイント・ネモの事もあるし、もしかしたら海を見たらなにかあると思ったけど、違うっぽい。
2138:識別番号04
一瞬だけ離脱して海中に接触するか?
2139:アスクヒドラ
いや、それこそ海に入って何かあっても怖いし、今はいいかな。
深海プレデターとかもいるしね。今よりもちょっとだけ安全になったら海水浴行きたいね。
2140:プテラリオス
ツクヨさんからアスクへと質問です。
「高等部二年生たちの様子はいかがでしょうか? 大変な事になっていませんか?」
とのことです。
2141:アスクヒドラ
言い回しがツクヨパイセンだね!
マカちゃんとサヤちゃんの話しを聞く感じ、上手くやってるっぽいからサムズアップ!
2142:プテラリオス
わかりました。
ツクヨさんは喜んでいます。
2143:識別番号04
──残念に思っていると?
2144:アスクヒドラ
これは言葉のまま喜んでくれていると思うよ。ツクヨちゃん的にも今回の転校はだいぶ困っていたみたいだしね。
……もうちょっと面白くなればいいかなって思ってるかもだけど。
2145:プテラリオス
さらに質問です。
「ヒビキは上手くやっているでしょうか? とても心配しております」
とのことです。
2146:アスクヒドラ
あー、どうなんだろう、トラブルみたいなのは起きていないみたいだけど。
逆に言えば、変化はないって感じなのかな?
でも、ヒビキちゃんは……難しいよね。悪化しなければいいけど……。
2147:識別番号04
悪化とは、肉体が稼働しなくなる症状の事か?
2148:アスクヒドラ
それもあるけど、心もね……。
俺ができる事があればいいけど、カビちゃんと同じでさ。俺の毒によって正常になる事が、ヒビキちゃんにとって良いことなのか分からないし、なにが起こるか分からないから見守ることしかできない。
2149:識別番号04
難儀だな。
2150:アスクヒドラ
うん……あー、やっぱり皆と海水浴行きたいな。でも今の時代、海はマジで危険らしいし……もうほんといや。
2151:識別番号04
安全の確保は識別番号02に任ればいい。
2152:アスクヒドラ
いいね。へいゼロツー! 安全に海で遊べる場所を教えて……って、進化が終わらないと聞けないでしょ!
2153:識別番号04
……識別番号02?
2154:アスクヒドラ
あれ? いつもの留守番進化サービス音声が帰ってこない……てことはもしかして!?
ゼロツー! ……あれいない、どこいった!?
2155:識別番号04
応答しろ識別番号02。
進化は完了したのか?
至急、応答しろ。
2156:プテラリオス
──識別番号02の信号を発見しました。
2157:アスクヒドラ
まじか、良かった……え、まって、凄く近くない?
本当にゼロツー?
2158:プテラリオス
間違いありません。
2159:識別番号04
アスクヒドラ、識別番号02の現在地点を推察するに、ここは日本列島付近、または陸上の可能性が高い。
2160:アスクヒドラ
というかここって、俺達の向かう先……と、とにかく本人か確認しないと!
2161:アスクヒドラ
おーい、ゼロツー! 起きてるなら返事してくれ!
ゼロツー! こちら応答されたしー!
ゼロゼロゼロツーツーゼロゼロゼロ!
──────────
+++
「おはようございます」
3日目の朝、真嘉はもうなんか色々と考えるのは後にした。
しんどい、全身に倦怠感とイラつきが混じった痒みみたいなものが全身に纏わりつき、体がとても重い。ここに誰もいなければ大声を上げたい、そんなストレス反応のようなものに、ずっと襲われている。
「辛そうですね?」
「……風呂入って、牛乳飲んで、親子丼食って、自分のベッドで寝たい」
そもそもアルテミス女学園での生活は、東京地区での生活と比べても楽園のような場所であった事を真嘉は何度だって突きつけられる。とはいえ、それにしたって教室列車の環境は、あまりにも落差がひどい。
「……なんか仕事ないか?」
「ありませんが良い知らせと、予想は付いているだろう悪い知らせがある。良い知らせは『北陸聖女学園第七分校』の到着まで、おおよそ三時間を切りました」
「……悪い知らせは?」
「あと三時間は、このままだ」
真嘉は、がくりと項垂れて返事をする事が精一杯で、他の『ペガサス』たちも気力が尽きているのか誰も何も言わなかった。
「すー、すー」
楽しいと思える事もあったし、得難い経験もした。改めて悩みについて悩んだが、それはそうと真嘉は、数日間変わらず寝て過ごせている『
「気分転換になるかは分かりませんが、もう海が見える頃だ。見張りを交代しますか?」
「……いや、そんな気分じゃない」
本物の海を見れると、それだけは出発前から少しだけ楽しみにしていたが、どうしても起き上がる気分にすらなれなかった。それぐらい動くのがとにかく怠い。
「……海、なま……生海……」
「だいじょうぶ? 連れてってあげようか?」
唯一、持ってきた本を読み切ってしまい部屋の隅で丸まっていたレミだけが、海を見たいと顔を上げて床を這いずりながら、外へと出ようとする。それを見かねた
────うみだあああああああああああ!!!
それからしばらく、聞いたことのない叫び声が部屋まで届いた。
「……今のレミか?」
「おそらく」
「……そういえば、本物の海を見て、海だーって叫ぶのが夢って言ってたな」
「理由を聞いても?」
「なんか、創作のお約束ってやつらしい……そっか、夢叶えたのか」
『ペガサス』の耳とは言え、強風に晒されている外からでも、鮮明にはっきりと聞こえてきたレミの叫び声に真嘉は驚きというよりも、本当にレミ本人かという疑いの方が勝る。だからか高等部一年の時に何気ない日常会話を思い出した。
「……やっぱりオレも海、見るか」
アルテミス女学園の生活に戻れば、また次海を見られるか分からないものじゃない。それに叫びたい気分だったんだ、レミのように叫ぼうと怠い体を起き上がらせた。
≪──連絡事項≫
そんなタイミングで、管制操舵室にて【303号教室列車】を運行している車掌教師、ゼロ先生の声がスピーカーから聞こえてきた。
≪これより【303号教室列車】は、他教室列車と合流する≫
「他の……教室列車と合流?」
「──あんたたち! 部屋の中で全員待機しなさい! いい、絶対に顔を出すんじゃないわよ!?」
「どうした? なにがあった?」
──今の時間帯の見張り役をしていたルビーが、レミの襟を引っ張って慌てて駆け込んで来ると、『ペガサス』たちに向かって強めの声で指示を出す。それは明らかに先ほどの連絡事項と関係しているのは明白で、内の空気が一瞬で剣呑なものへと変わるなか、ルビーが面倒だと吐き捨てるように答えた。
「600番台の教室列車が背後から迫ってるわ」
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