白銀響生 cs1

【報告】

「白銀響生cs」は休載に当たって先行投稿した形だったのですが、本来の投稿予定だった場所へと移動しました。


──────────



 ──『白銀しろがね響生ひびき』の生まれは決して真っ当ではなかった。


 東京都が東京地区へとならざるを得なくなったとき、都市の再開発が行われた。

それは発展というよりも生存のための取捨選択の行為のもので都市の縮小化と防壁の建設。『プレデターパーツ』の供給率に合わせたライフラインの構築が行われた。


 その中で都市の交通機関は大きく変わった。特に交通機関は全て東京地区政府が管理するようになり、予算案によって定められた『プレデターパーツ』の量に合わせた大規模な見直し改装が行われる。

 これによって東京地下鉄の殆どが使用停止となり埋め立てすることも出来ず放置され、地上では生活が困難なホームレスが集まるスラム街となってしまった。


 白銀響生は、そんな地下鉄スラムにて生まれ、とあるコミュニティの中だけで生きてきた。それを響生は不幸だとは思わなかった。なにせ毎日笑えていたのだから。


「……ふふ、ふふふっ!」


 陽の光が当たらない駅内通路であった地下空間に作られた廃材で造られたハウス群。ダンボールとプラ板の壁に、木材やパイプ製の骨組み、ブールシートの扉と窓で作られた室内にて、五才となった響生は小型モニターに映る二人組を見て笑っていた。


「んしょ、えーと……じゃがじゃがじゃがじゃがじゃー」


 響生は古びた布団の敷き詰められた床の上に立ち上がると、たったいま見ていた映像、二人組の芸人コンビが披露していたネタのマネをする。オリジナルと比べてリズムも言い回しも両手を水平にして片膝を曲げるだけの簡単なポーズも異なっているが、響生にとって関係なかった。


「――ただいま」

「おーっす、いい子にしてたかー?」

「あ、おかえりお母さん! おじさんもいらっしゃい!」


 何度か繰り返して行っていると、部屋に男女の大人が入ってきた。女性のほうは容姿が響生と似ており本当の母親であることが分かる。いっぽうで男性の方は響生にとって、同じコミュニティに過ごすおじさんであった。


「ねぇ、これみて。じゃがじゃがじゃがじゃがじゃー」

「あら、あはは! また新しいネタを仕入れのね?」

「はっはっは! やっぱり響生は上手いな! これは将来大売れの芸人さんかな!」

「えへへ」


 大人として、されど心の底から母親とおじさんは笑い可愛い響生を褒めたえる。そんな自分の披露したネタに笑ってくれる2人に、響生も嬉しくなってさらに笑みを深くした。


「響生は本当にお笑いが大好きだね」

「うん、だいすき!」


 ある時、おじさんが小型モニターを持ってきて中に入っていたSDチップの中身が旧世代に活躍した芸人のコントであった。内容の殆どは分からなかったけど、それから響生は大ハマリ。面白いのもそうだけど、こうやって母親はおじさんたちが笑ってくれるのが大好きだった。


「お、そうだ。ほれ、新しい電池」

「わー、ありがとうおじさん!」

「いつもありがとうね」

「なんのなんの。大した趣味もねぇしな、響生ちゃんが喜んでくれるのが何よりの幸せよ」


 おじさんが響生に渡したのは小型モニターに使うための電池。『プレデターパーツ』による安定した電力供給。また東京地区の制作による生活補填もあって電池は、ホームレスな彼らでも安く手に入るものであり、生活に欠かせないものとなっていた。


「響生は天才だから分かっているとは思うけどー」

「つかいおわった電池はハコのなか!」

「正解! やっぱり響生は大天才だな!」

「人としてとうぜん!」


 リサイクルに出せば新しい電池を買うためのクーポンが貰える。なので使った電池はきちんと箱の中へとしまっておく、響生に与えられた大事な仕事である。


「響生、お母さんたちこれから“大人の会話”をするから、しばらく外おのおじさんたちと一緒に居てね」

「4、5分ほど?」

「もうちょっと時間掛かるかなぁ」

「十分ほどからしら?」

「白銀さん。それはちょっとあんまりですぜ……」


 肩を落とすおじさんに、響生の母親は冗談だとクスクス笑う。ふたりの言っていることはまだ分からないが、大人のやりとりというものは、なんだかとても良さそうで憧れていた。


「じゃあ響生、またあとでね」

「うん! 行ってきまーす! ――ただいまー!」

「おかえりー、もうちょっと遊んでおいでー」

「はーい!」


 などと、ここ最近ハマっているやりとりをし終わったあと、今度こそ外へと出て行った。


「──おっと、そこのめっちゃ可愛いお嬢さん。ちょっと待ってもらおうかい」


 今日は何をしようか、何か落ちているものを探そうか、また空っぽの電池が見つかればいいな。そんな風に考えていた響生の前に、ガタイのいいつなぎ服のおじさんが立ち塞がった。


「ここを通りたかったら、俺を倒すか仲間にしてから──」

「おまえをたおす」

「……ふっ、そこまで言われちゃ仲間にならざるをえ――」

「てや!」

「ぐへっ!?」


 響生は子供と大人の身長差を活かして、ツナギ服のおじさんの股間に向かって強烈な図付きを行った。


「てきかくにきゅうしょを狙う。これぞせんじょうの掟なり」

「こらー!」


 股を押さえて倒れ伏すおじさんに向かって、あんまり意味を理解していない決め台詞を放つ。すると大声が聞こえてきて、こんどはニット帽を被ったおじさんが近づいてきて、痛みが引いて立ち上がったツナギのおじさんに蹴りを入れた。


「あで!?」

「響生――の大事な頭になに汚いもん触れさせてるんだ!」

「ちげぇよ!! 俺だって予想外だったよ! というか誰だ、こんな危ないこと教えたの!?」

「仕方ないだろ、地下では何があっても不思議じゃないんだからな」

「お前かよ!」


 狭い空間に反響するほどの大声で言い合うおじさんたち、それを響生は怖いとは思わなかった。むしろ楽しいことが始まったと笑いが溢れてしまう。


「自衛は大事だろうが、響生はまだ子供なんだし、素早く的確に相手の急所を付くのは当然だ。そんな響生の前に迂闊に立ちふさがったお前が悪い」

「くっ、正論過ぎて何もいえねぇ!」

「いまハゲって言ったか!?」

「言ってねぇよ、どこにハゲの要素あった!? 一文字たりとも“ハ”と“ゲ”使ってなかっただろうが!? 持ちネタがそれしか無いからって無理やり導入するんじゃねぇ! このハゲ!」

「本当にハゲ言ったな!? 事実陳列罪は重罪だぞ!? このツナギ!」

「おめぇも事実陳列罪だよ! なんなら悪口ですらないから、ただの事実だなぁ!?」


 ついに我慢できなくて響生は声を上げて笑った。もう何百回も見ている筈のやり取りなのに笑ってしまうほど、おじさんたちのやりとりは大好きだった。そんな風に響生が笑うと、おじさんたちも満足そうに言い合いを止めて、響生の側へと寄る。


「おーっす響生。今日はどこか探検に行くのか?」

「というか、いっかい地上にあがって風呂と洗濯しにいかんか?」

「今日は地上の日曜日だ。明日の方がいいだろ」

「明日かー、明日は仕事だなー」


 そうしていると母親と共に居るおじさんを除いて、響生が共に暮らすおじさんたち全員が集まってきた。


「うん! あるあるを探しに行くの!」

「あるあるは有るかなー。ないないばかりかもしれないなー」

「そもそもあるあるってなに?」

「その問いに答えるには哲学の話になるがいいか?」

「……科学までおさえて話して」

「はっはっは、中卒の俺らには、そっちのほうが難しいな!」

「へっ、一緒にしないでくれるか? おれ高校退学だぜ」

「自慢になるか、んなの」


 あんまり意味は分かっていなくても、自分が見たネタを言えば、おじさんたちは話を広げる。

こうなると探検どころではなく、話だけで一日が終わってしまう事が多かった。でも、響生にとってはどちらでもいい。体を動かすのも好きだけど、言っている大半の意味がまだぜんぜん分からなくても、おじさんたちと話すのが楽しかった。


 大好きな母親と七人のおじさんたちに囲まれて笑い合う、それが響生の長いこと続く日常であった。



+++



 地下鉄スラムには様々なホームレスコミュニティが存在する。白銀響生が生まれたコミュニティは、女王蟻コミュニティなんて呼ばれ方をするものであった。


 基本的に他コミュニティとは関係性を持たず少数だけで生活を賄っている。そんな中で属している男性は少数の女性の面倒を見る代わりに異性として彼らの心を埋める事を生業とする。そういった特性から地下鉄住みという事もあっての女王蟻。響生はそんな女王蟻から生まれた愛しい娘であった。


 響生には母親が居るけど父親が居ない、でも気にした事はなかった。なぜなら七人のおじさんが居たから。言ってしまえば、その七人の誰かのだとは思うが、おじさんたちは決して自分たちがとは絶対に言わなかった。響生にとって、自分たちはあくまでおじさんであるべきだ。それが大人たちの決めたルールだった。


「響生」


 母親が呼びかける声がする。響生が八才となってから体調を崩し気味となっていた。

なので大人の話し合いの頻度は少なくなり、代わりに響生と一緒にいる時間が増えた。


「勉強は捗ってる?」

「ものすごくはかどってる」

「ほんとう〜?」

「ちょ、ちょっとだけはかどってる。まだ本気じゃないからこれくらいでちょうどいいの!」

「お母さん優しいから、そういうことにしておきましょう。頑張ってて偉い偉い」

「えへへ!」


 七才になってから響生はおじさんたちに、あの手この手と言いくるめられて勉強をする事となった。響生は文面から物事を理解するのも、書くのも得意ではなかった。ずっとコント映像ばかりを聞いて見ていたことが少なからず影響に出てしまっていた。


母親もおじさんたちも、平均的によりも下で学が止まってしまっているため教えられる事は限りあり、進行速度はあまり芳しくはない。それでも知識を得ると言うことは、響生とってそれなりに楽しく、今まで分からなかった言葉が理解できるようになることが嬉しくて、モチベは高かった。


「……響生、学校行きたい?」

「んー、二億円くれるなら考える」

「ふふっ、それはちょっと無理だね~」


 申し訳なさそうな母親の問いかけに、響生はいつものように否定する。


 地下鉄生まれの響生は戸籍の無い子である。しかし望めば小学校で勉強する事ができる。だが、そうなれば彼女は戸籍登録が行われて、法の元強制的に保護され、施設へと預けられ、母親たちとは離れ離れになる。


 そして、小学校に通えたとして、このご時世両親のいないスラムの子は、ひどく醜悪で杜撰な扱いを受ける事が多く、最後には本人の自由尊重無しに『ペガサス』とされてしまうというのが、誰もが知る常識であった。


 だから母親は響生に学校なんて行ってほしくなかった。今の社会で普通に生きている人たちからすれば、狡くて悪い違法的な行いだとしても、娘にそんな人生を歩ませたくない。残りの時間を最後までそばにいてほしいと思う。


「ひびきはお母さんと一緒がいい」


 そんな母親の気持ちを知ってか知らずか、たとえ小さな世界しか知らないゆえの望みだったとしても、響生は本心から言う。


「そう……お母さんも響生と一緒がいいから嬉しい!」

「あわっ」


 母親は嬉しさのあまり、響生を掴み引き寄せて抱きしめた。最初こそびっくりした響生であったが、母親のぬくもりと笑い声を聞くと、すぐに自分も笑った。


 母親といる時は、別に冗談もネタも言っていないのに、どうしてこんなに楽しいのか、響生はよく分からなかった。。


「――なんだか尊い親子の光景が見えますね。ねぇお優しいお二方、どうかその中におじさんをひとり入れてくれないかい?」


 七人の中で最も老いているおじさんがブルーシートの扉から顔だけを出して、親ゆびをちゅぱちゅぱしながら、つぶらな瞳で響生たちを見ていた。


「ねえお願い、ねぇ……響生ちゃん」

「きもい! どっかいけ! いやー!」

「グアアアアアアアアアアアアアアア!!」

「まったく、この季節はよくでるな! 本当にこの季節は!」


 響生が何時だか拾ってきたプラスチックの棒切れでペチンと、おじさんの額を叩くと外へと向かって派手にぶっ飛んでいった。それから響生は、ぷんすかと文句を言いながら母親の側へと戻る。


「――というわけでただいま。今日も疲れたぜ」

「お疲れ様」

「お疲れさま!」

「ほら、仕事先で配ってたやつ貰ってきたから夕飯にしてくれ」


 十秒後ぐらいしたら、何事も無かったように先程のおじさんが部屋へと入ってくる。彼は日雇い仕事からの帰りであり、手に持っていた袋を響生に渡した。中に入っているのは今日の現場で配られていた弁当。米と蒟蒻のような食感に仕立て上げられた安物の合成食であるが、栄養や味の面で響生が食べている物の中では豪勢なものだった。


「ありがとう!」

「本当にありがとう……ごめんなさい、今日も駄目そう」


 女王蟻として響生の母親は働いて生活を保証してくれるおじさんたちに提供しなければならないものがある。しかし最近は体が弱っていくばかりで何もできなくなっていた。それなのにおじさんたちは自分たち白銀親子の面倒を変わらず見てくれており、申し訳無さや罪悪感もあって不安を感じてしまっていた。


 そんな響生の母親に、年老いたおじさんは軽快に笑う。


「気にしなさんな。俺たちみんな白銀親子が好きなんだ。2人の仲がいい所を見てくれるだけで、こんな人生でも悪くないって思える。だからいつまでも元気で居てほしいのさ」


 これは彼の意見だけではなく、おじさんたち全員の気持ちであった。おじさんたちにとって母親の側に寄るのは都合が言い女性だからというわけではない。大切な何かを与えてくれる掛け替えのない人だったからだ。


「白銀さんは、俺たちに生きる意味をくれたんだ。そのために無理をしちまったからな。その分休む時期が来たってわけさ」

「……ありがとう。また前のようにみんなと“大人の会話”したいねー」

「こら、娘の前で言うんじゃないよ」


 響生は今でも大人の会話について何も教えられていない。勉強もしてきて知りたいって気持ちが増していくばかりだが、大人たちによって頑なに秘密にされていた。


「なあ響生ちゃん。お母さんのこと好きか?」

「うん、大好き!」

「どれくらい好き?」

「宇宙レベル! スペエエエエエエエエエス!!」


 響生は昨日仕入れたばかりのネタを真似て、自分がどれだけ母親が好きであるかを表現する。響生の大声に電気ストーブでは到底追い出せなかった寒気が吹き飛んだ気がして、大人たちは笑った。


「あはは……っ! げほっ! げほげほっ!!」

「おっと、いかんな」

「お母さん! ……だいじょうぶ?」

「ゲホ……ええ、あんまりにも面白くて、むせちゃった」


 そういう響生の母親は幸せに溢れ得た、でも前と比べると弱々しい笑みだ。おじさんが背中を撫でて介抱する姿はもう見慣れてしまった。だからこそ、そんな母親とおじさんたちを見るたびに響生は考えることが増えた。


「響生はやっぱり天才だねー。将来は売れ子の芸人さんだね」

「ほんと? ……売れっ子芸人になったら、お母さん元気になる?」

「ええ、もちろん! だって私にとって響生は元気の源だからね……」

「……みなもとのひびき?」

「急に偉人になっちゃったな、でもそうだな。俺たちにとって響生ちゃんは源響生みなもとのひびきだ」


 みんなを笑わせたいという気持ちに理由が出来て、いつしか夢として作られてきた。人を笑わせてお金を沢山稼げるなら、これ以上理想的な職は無いだろう。


「……ひびき芸人になる! みんなをたくさん笑わせる!」

「……うん、お母さんも全力で応援するから!」

「おじさんたちももちろん協力するから、いまはしっかりと勉強しな」

「そ、それとこれとは話が違う……」

「ところがどっこい関係あるんだな。ほらおじさんも手伝ってやるか、……分かるところがあれば」


 己の巣から出たことのない、吹けば消える小さな命の夢だったとしても、本人にとっては代えがたい夢であり、大人たちにとって今日を生きていける生き甲斐となっていた。

そんな日々を響生たちは幸せに生きていた。




 ──しかし、そんな日々は長くは続かず。響生が十歳になったとき、母親はこの世を去った。

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