白銀響生 ce2


 10歳になった響生は、人の死というのが、まだきちんと理解できていない。

 それでも、できるだけ綺麗なブルーシートで包まれて何処かへと連れて行かれる冷たくなった母親とはもう二度と会えないということだけは理解してしまい。

 おじさんたちを真似て両手を合わせていた響生は、わんわんと泣いた。


 こんなに泣くのは初めてではない。6歳の時に駅のホームから、線路側へと落ちて怪我したときも一日中痛みが治らなかったときも同じくらい泣いた。

 でも、明日も、次の日も悲しい気持ちが収まらなくて、涙が止まらなくなるのは初めてだった。


 ──そうだ。あの時はお母さんが痛みが治るまで、自分を抱きしめてくれたんだ。


 体が大きくなって狭く感じていた廃材性の屋内が、やけに広く感じてしまい、響生は母親をずっと思い出してしまう。

 いつも笑えていたはずの芸人さんたちのネタやコントを見ても、どうしても笑えなかった。


 そんな響生に、七人のおじさんたちは最初、なるべくいつも通りに笑わせようとしたが、今はなにをしても母親を思い出すばかりで、全てが逆効果になってしまった。


 それ以降、七人のおじさんたちは時間が解決してくれるのを待つしかないとして、いつものやりとりは控えるようになった。

 代わりに、響生がなるべく1人にさせず、常に一緒にご飯を食べて、積極的に気分転換にと地上を連れていった。


 自分たちからは何も言わないようにして、なにか母親の代わりに埋めてくれるものが見つかるようにと、自分たちが出来るだけのことを響生に経験させた。

 そのためのお金を得るために、おじさんたちは昼夜問わず働き、休みの日でも響生の側にいる。


 響生はこのことをきちんと理解していないが、自分のためにたくさん頑張ってくれているんだと、その優しさをきちんと感じとっていた。


 そのかいあって、響生は徐々に元気になっていった。

 時々、母親のことを思い出して胸がぎゅーっと苦しくなるし、まだ芸人さんたちを見ても笑うことはできないけど、普通に話ができるようになるまでは回復した。


 だけど、夜が来ると寂しくて苦しくなるのは、いつまで経ってもマシになる事がなかった。


 おじさんたちは響生に電池なんて気にせずに小型モニターで映像を見ながら寝れば良いと伝えているが、電池は安く手に入るといっても無料ではない事を分かっているから、見もせずに寝るために点けるなんてことはしたくなかった。


 響生はついに耐えられなくて、おじさんたちと一緒に寝たいといった。

 それを聞いたおじさんたちは、初めて見る表情で頑なに断った。


 ──響生、これからおじさんたちは“大人の会話”をするから、部屋で待っていなさい。


 母親が亡くなってから、初めての大人の会話。

 響生は好奇心旺盛な子であったため、何度も大人の会話の秘密を暴こうとしたが母親から、子供のうちに聞いちゃうと自分の話が全部寒くなって笑えなくなっちゃう呪いを掛けられるという脅し文句を本気で怖がり、今日まで聞くことはなかった。


 響生は悩んだ。意外と早めに足が動いた。

 好奇心からではなく、ひとりぼっちに耐えられなかったゆえの行動だった。


 ゆっくりと音を立てない気持ちで響生は外に出た。

 地下であるため真っ暗であるが、住み慣れた場所であるため何処に何があるのか覚えきっている。

 だから、おじさんたちが集まっている焚き火場に問題なくたどり着けた。


「──うか全──、────だな」

「どこ行っ────されるの────ているしな」

「──それにやっぱり響生ちゃんのこともある」


 声が聞こえるまで近くにきた響生の隠れ方はお粗末であるが、昏く、また話に集中しているおじさんたちには見つからなかった。

 どうやら自分について離しているのだと、響生は耳を傾ける。


「──さっきの響生ちゃん、白銀さんに瓜二つだったわ」

「母親に似てひと安心だよ。これが父親の面影とか出たら、面倒なことになってたな」

「……少しは、この中の誰かに似ていたほうがよかったかもな」

「あ? なんで?」


 いつもはハキハキとした大きな声で話しているのに、ずっと神妙な声で会話が続く、そんなおじさんたちに響生は、ほんの一瞬だけ本当におじさんたちが話しをしているのかと怖くなった。


「本当に白銀さんそっくりだったんだわ……」

「おい」

「……あのさ、もしもの話しだけどさ、これから響生ちゃんが段々大人になっていってさ……お前たちはどうするつもりだ?」

「なにが言いたいんだ、てめぇ?」

「……俺がこう、なんていうか……響生ちゃんを白銀さんと勘違いするような事があったらさ──殺してくれ」


 殺してくれは、死なせてくれということ。

 死ぬということはお母さんみたいに二度と会えなくなること。


 冗談でも、ネタでも決して言っては行けないと皆から言われている言葉を、おじさんは言った。

 芸人さんたちが言えているのは、難しい試験を突破して免許を持っているからで、実はおじさんたちも免許を持っていたのだろうか。


「──ぶはっ、くくく」


 そんな事はどうでもいい、このままじゃおじさんたちが居なくなるような気がして、響生は駆け寄ろうとした。

 しかし、その前におじさんの誰かが吹き出して、そのまま静かに喉を鳴らす笑い声が幾つも地下空間に木霊する。


「分かった、分かったよ。そんときは──お前の尊厳を殺してやるよ」

「……尊厳って? ……あ、いやん」

「確か地下に睾丸息子を取り出す専門の闇医者が居たな」

「それ医者というか“組”の奴らの罰則者だろうが、玉取り出す前に命が地獄に転がるわ」


 おじさんたちはいつもの調子に戻った。でも自分がいる時とは全く違う静かな雰囲気、響生はこれが“大人の会話”なんだとビックリした事に不満を抱いて頬を膨らます。


「まあ真面目な話、全員が人のことを言えないよ。だからお前が言うことは俺たち全員に当てはまる」

「そうだよ、そうやって数減らしてちゃ、それこそ響生ちゃんをひとりぼっちにしてしまう」

「もしそうなったら、殴る蹴るはしてやるから、それで我慢しろ」

「……おう、わかったよ。明日からドMになる特訓をしなきゃならねぇな!」

「お前は元からMだろうが!」


 また静かな笑い声が聞こえる、大人の会話ではこんな風に笑うんだと、響生はなんだか羨ましくなった。


「……さてだ、響生ちゃんはいま十才だ。あと三年もすれば連れて行かれて『ペガサス』にされちまう」

「いや、連れて行くならもっと早いぞ。『ペガサス』になる前に半年は教育施設に集められるって話だ。12歳になったら狙いにやってくるだろう」


『ペガサス』、初めて聞いた言葉に響生は首を傾げる。

 どうやら自分はあと三年たったら『ペガサス』にならないと行けないらしいと、考えるが大人になるとはまた違うみたいで、全くもって分からない。


「それまでに俺達の誰かで里親……いや、父子の戸籍登録をすれば給付金が貰えるようになる」


 どうやら『ペガサス』になれば、おじさんたちはお金が貰えるようになるらしい。

 だったら、なった方が良いかなと前向きに考える。でも『ペガサス』になっても芸人さんになれるのかが気になる。


「そうすれば地上で暮らせるようになるかもだが……お前たちはどうする?」


 七人の中でリーダー的な立ち位置のニット帽のおじさんが、そうハッキリと口にすると、また全員から小さな笑い声が溢れる。


「金は確かに欲しい、響生ちゃんに服を買ってあげてぇからな」

「それよりも大きめのモニター買おうぜ、あんな小さなの見ていたら目を悪くしちまうよ」

「電池はどうするんだよ。ああ、俺らがもっと働けばいいか。服もモニターも、働いて手に入れればいい」

「響生と分かれる時は、あいつが大人になっていい男に嫁ぐときだけって決めてるんだ」

「あの子は白銀さんの忘れ形見だし、なによりも俺たちにとっての……あー、なんて言えばいいんだ」

「可愛い子でいいだろ……俺たちの可愛い子だ。『ペガサス』になんてさせんよ」


 どうして自分が『ペガサス』にさせたくないのか、おじさんたちの言っている事の意味を響生は、あんまり理解ができなかった。

 でも、おじさんたちが自分の事を大切に思ってくれていることは、しっかりと伝わった。


「だったら響生ちゃんが大人になるまで、しっかり守ってやらねぇとな」

「正確には『ペガサス』になれなくなる年齢までだ。そうすれば役所に言って戸籍を得られるかもしれん、ただ、それまでどうやって隠し通すかだが……」

「見つかると思うか? 生まれた時だってスラムの産婆に頼んだんだぜ? その産婆もこの間ぽっくり逝っちまった」

「舐めちゃいかん、小さな役所だと地下の人攫いどもと繋がっている噂もある。最悪住む場所を転々としたほうがいいかも」

「つっても俺たちも地下はほとんど何も知らないぜ? 他に探すってたってなぁ」

「それでもやらないと行けないって話だろ? 仕事がないやつは散歩のふりして、もしもの引っ越し場所を見つければいい」


 大人の会話は長いこと続き、ほとんど分からないことだらけになった響生は帰る事にした。

 響生は戻ってすぐに布団に包まると、小型モニターの電源をつけてSDカードに保存された映像を再生する。

 もう数年にわたって何十回、何百回と見てきた芸人さんたちのコント。


「ふふっ!」


 自然と笑いが出た。やっぱり凄いと思った。芸人さんたちはみんなおじさん見たいで、おじさんたちも芸人さんみたいで、そんな彼らに響生は憧れた。


 ──響生は芸人になりたい。なって自分を笑わせてくれるおじさんたちを、ずっと笑わせていきたい。


 難しいことは何もわからないけど、きっとおじさんたちとなら、やっていけると思えた。

 響生の胸に救っていた寂しさは、まだもう少しだけ時間が掛かるけど、きちんと溶け出した。明日になれば元気な姿を彼らに見せるだろう。


 その日、響生は笑みを浮かべながら眠りについた。












 ──それから女王が遺したお姫様は、七人のおじさんたちによって、すくすくと育つ事ができた。


 学校に行けなくても、お金がなくても、住んでいた場所を引っ越すことになっても、響生は大切に愛されて、幸せに笑うことが出来た。


 しかし、所詮は地下世界に住まう蟻たちでしかなかったのだろう。

 どれだけ頑張っても、懸命に生きても、夢を抱きたくましく強く生きても、人間が穴を見つけてしまえば、全てはもう委ねるしかなくなるほどの小さな命である。


 ──社会に定められた法に則り、白銀響生は人間の大人たちに連れて行かれて『ペガサス』となった。


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