白銀響生 ce3


「なにそれ」







「意味わからない」「ふざけないで」「こんな時になにしてるの?」「バカじゃないの」「状況わかってます?」「つまらない」「それってだいぶ昔のやつだよね」「頭おかしい」「うざい」「能天気で幸せそう」「日本語へん」「空気読めない」「うっさい」「バカにしてるでしょ!?」「ちょっとあなたのせいで聞こえなかったじゃない!」「退屈」「いたい、やめて!?」「面白いと思っているのはあんただけよ」「それのどこが面白いの」「最悪な気分になる」「やめて」「もう黙って」「つまらない」「いい迷惑なのよ」「またやってる」「しつこい」「笑えるわけじゃない」「ふざけないで!」




 人を笑わせたいと、ずっと考えて、頑張ってきました。





「──人を殺して、なんで笑ってるのよ……」

「なんで、友達を殺したの!?」

「あんたが死ねばよかった──!!」





 でも、人を笑わせる才能がありませんでした。





 ──保護者である大人たちと別れを経験して、孤独となった少女は、このまま泣いているだけじゃ駄目だと立ち上がった。


 しかし、少女が話したことがあるのは学や金が無くても知的で精神が安定している大人たちばかりであり、不安定で何もかもに絶望している同年代の少女たちに接するはおろか出会ったことすらなかった。彼女たちが、どんな人生を送り、ここに集められたのか想像すらできない無知な響生は、言ってしまえば空気が読めない子だった。


 大人たちは必ず笑ってくれた。鉄板のネタを披露して生まれた彼女たちの表情は、響生にとって初めて見るものであり、だからこそどうしてそんな顔をするのか皆目検討が付かなかった。


 ゆえに響生は反省する。そんな顔にしてしまったのは、笑ってくれなかったのは芸人さんたちと比べて自分の腕が未熟だからだと、しっかりと反省する。


 本当に大事にするべきだったのは“”という物を知ることだったのだが、自分を愛してくれた大人たちだけの世界で生きてきた響生とって、あの地下スラムでの生活はいつでも、どこでもネタを披露できる舞台の上に等しく、何かをすれば笑いとともに何かが返ってくるというのが当たり前だった。


 それこそ、おはようからおやすみまで、彼女の日常に舞台裏なんてものは無かった。


 突拍子もないものは、年頃の子供にとって意味もなく面白いものだ。


 でも、それは選ばれてしまった少女たちには当てはまらなかった。特に響生が連れてこられた施設は地下スラム出身、地上で生活しても貧しい家庭生まれなど、境遇が近い子ばかりだったのも関係しているだろう。


 世の中の理不尽を受けた彼女たちにとって、誰かを笑わせたいと常に笑顔を浮かべている響生は例外に見えてしまい、拒絶するべき対象になっていた。施設で響生はグループから省かれる。でも響生はそれが分からず、ただ相手を笑わせたいという気持ちを胸に頑張り続ける。


 そんな響生の行いは、少女たちの意識を良い方向へと変える結果をもたらしはした。でもそれは傍迷惑なものに絡まれている同士の共感からくる仲間意識の構築であり、時が立つに連れて響生はいっそう疎外対象として見られるようになる。


 こうなってしまえば人を笑わせたいという少女の願いは、いっさい届かなくなる。完全にそっぽを向かれてしまった響生の大声は聞くに値しない、反応すると面倒を起こすだけの雑音へと成り下がってしまった


 少女は芸人でもない、道化でもない、せいぜい舞台の上で好きな言葉を語るだけの自動人形のようで、誰の心にも響くことはなかった。


 それが育ての親たちと離れて『ペガサス』となる前の少女が送ってきた日々である。しかしながら、響生にとってまだ良かったのかもしれない。蟻の巣の中で過ごしてきた彼女にとって、人を笑わせたい芸人になりたいという夢は捨てられるものではないし、それ以外に持っているものもない。


 だから例え才能が無く望むものが得られなかったとしても、成りたいと思い続ける、成れるように努力することができるものだ。夢は叶わなくても、終わりが来るまで見続けることが出来る。


 嵌め込まれた夢を現実にするための歯車は望んだ形にはならなかったが、停止し続けるまで綺麗に廻り続ける。歪んでいるかもしれないが狂ってはいない。これもまた正しい形のひとつになるもの。


 これからも観客の反応を気にすること無く、自分が面白いと思ったものを盲目的に、まるで『舞台人形コッペリア』のように披露し続けることこそが、『白銀響生』という少女にとって相応しいものだったのかもしれない。



 ──そんな白銀響生に友達ができた。



「おう、響生」

「響生ちゃん!」


 『ペガサス』となってアルテミス女学園へとやってきた響生は、施設で会ったことのない二名の『ペガサス』と同部屋になった。

なんだか怖そうって思った『土峰つちみね真嘉まか』。そして来夢らむ


 来夢は至って普通と呼ばれる子であり、気弱だった。そのため『ペガサス』になった事を入学してからも受け止めきれずに居た。後で知るが来夢は『ペガサス』になったのは寸前であり、施設の滞在期間も短かかったため、諦める時間すら禄に与えてもらえなかった。


 死ぬのが怖いと布団に包んで震える。そんな彼女を見た響生は、もはや条件反射にいつも通りにネタを披露しようとした。


 ――だったら俺が、リーダーになってやる!


 突然、真嘉が宣言したことで響生は硬直する。どうしてそういう話しになったのか分からなかった、だからこの時、響生は初めて静かにして様子見に徹っしていると、来夢は体の震えを止めて力なく笑った。


 笑った。にへらと笑った。その時に感じた気持ちを響生はもう覚えていない。でもこの時の来夢の笑みはこれから何万回とも鮮明に思い出す事となる。


 ――じゃあ、これからよろしくねリーダー!

 ――おわっ!? なんだ!?


  この時、響生はネタを口にせずに、“少女らしい会話”をして来夢と真嘉と友達になった。

 どうしてこうしたのか分からない。こうしたかったからこうした。

  この時初めて、響生は“人”付き合いというものを覚えた。



 覚えてしまった。



 真嘉は友達であり、本気で一緒に漫才をやりたいと願うほど求めていた相方のような存在だった。

自分の言う事に律儀にツッコミを入れてくれることが嬉しくて、真嘉が側に居て何かを口にすることがとても楽しくて、まるで夢がかなったような気がした。


 でも真嘉の“ツッコミ”は、人として常識的なものであるため、響生に周りとズレや、自分がどう見られているのかを教えるものとなる。


 知らない事を大声で叫んでも相手は戸惑うだけ。

 会話に強引に入っていくのは良くないこと。

 突然、相手の頭や胸を叩いてはいけない。


 真嘉と触れ合っていると、響生はおかあさんや七人のおじさんたちを思い出した。自分を思って否定してくれる姿を思い出した。

 でも、真嘉は同じ十代の少女で友達。大人たちが子供に向ける優しさではなく、同年代の友達としての触れ合いとしての“否定”や“指摘”は、違うものだった。


 真嘉と接する度に、響生は現実というものを知っていった。



 歯車に負荷が掛かる。



 来夢は響生のネタに笑ってくれる友達でありファンだった。

 芸人さんのネタの中で一発芸に分類されるものが、来夢の笑いのツボであったため、響生の言うこと、やることに彼女は面白いと言い続けた。


 そう言ってくれる来夢に、響生はもっと笑って欲しいと心から思った。

 だから、どうしたらもっと笑ってくれるのか、喜んでくれるのかと来夢という他者を初めてしっかりと見るようになった。


 そうして知っていく、自分と他者との違い。

 分かっていくのに、解らない。


 来夢が話すと周りのみんなが頬を緩ませた。来夢は普通の子であったため社交的であり、トークが上手かった。

 至って普通の日常会話なのに、みんなが笑顔になって静かな笑い声をこぼす。

 自分だけじゃ笑ってくれないのに、来夢が面白いんだよと話しを振ってくれたあとにネタを披露すると、同じである筈なのにみんな笑った。


 響生の知らない笑いが、必要だった技術を彼女は持っていた。

 自分にないものを、来夢は持っていた。

 自分が欲しいものを、来夢は持っていた。

 優しい人たちの中で囲まれており、自分を囲う大人たちによって育まれてこなかった感情が大切な友達によって芽生える。


 ――来夢と自分、それぞれ話した時の真嘉の笑顔の形が違うこと、とっくの昔に気づいていた。

差異、自然な笑み、浮かべた笑み、笑顔にも種類がある事にいつの間にか気付いていた。


 真嘉と来夢。

 自分にできた初めての同年代の大切な友達。

 大好きな友達。

 居るといつも楽しい友達。

 たくさんのものを持っている友達。

 自分が欲しいものを持っている友達。


 それに比べて、なにも持っていなかった自分。



 歯車が軋む。



 なにもない自分は本当は友達を笑わせられていないのではないだろうか?

 自分には才能がなくて、大人たちは笑ってくれていただけじゃないのか?

 だったら芸人になんてなれない。そもそも『ペガサス』だからもうなれない。気づいてしまった。


「だいじょうぶか? 響生」

「具合悪いの? 響生ちゃん」


 私を見るふたりは心配そうな顔をする。

 それが嫌で申し訳なくて、しっかりと笑顔になって大丈夫だと言っているのに顔を変えてくれなかった。

 でも、やっぱり誰かを笑わせたいと私は頑張って平気なふりをする。

 嘘を付く事を覚える、誤魔化す事も覚えた。



 歯車が狂いだす。



 響生はいつしか、いつもの自分を演じ始めるようになった。

 それしかなかったから、元からそれ以外の何かになれるほどのものを持っていなかったから。

 そうしていく内に本当に楽しいのか、辛いのか分からなくなって、この気持ちがどういう名前で、何がどうしたらああいう気持ちになって、それでどうやったらこの気持ちになるのか分からなくなっていった。


 大規模侵攻でたくさん戦った。

 話したことがある同級生が“卒業”してしまいました。

 来夢と真嘉は悲しみに暮れてしまっており、ここで一発、ドカンと持ちネタをお披露目。

 あれ、オリジナルはどうだったっけ、忘れちゃった。


 真嘉がくしゃっとした顔をして、来夢が涙目になりつつ頬を上げる。それから彼女を通して周りの空気が和らいでいく。

 自分が切っ掛けになったとは思えない、やっぱり皆を笑わせるのは来夢だ。


 こんなことばかりがずっと続いた。真嘉も来夢も、そんな自分を変わらず友達として話しかけてくれた。

 それが嬉しくて、ありがたくて、つらくて、ごめんねと言う、だって抱きしめてくれるから。



 歯車が狂う、もう壊れていた。



 響生は母親の願いも、おじさんたちの気持ちも本当かどうか分からなくなってきた。

 気がつけば、何を考えているのか自分でもわからなくなって、動くのもしんどくて、でも、そんな自分が嫌で嫌で、なんとかしてなんとかして、自分を保ちたくて、たくさんの事を考えた。


 なんでそうなるのっ、私が聞きたいよ。


 帰りたいという言葉も、もう何処からも聞こえなくなっており、どうしたいのかと言われば、芸人さんになりたいと声が出る。

 でも、どうしてなりたかったのか、みんな私で笑ってくれない。笑って欲しい。どうすればいいのか。

 芸人さんは、どんな風に人を笑わしていたのあろう、ネタやコント、漫才とか、私にはできなかった


 なにか言っていた気がする。芸人さんはどうやって人を笑わすの?


 ――人がやらないことをするんだ。それがやたらと面白い。


 ああ、そうだった。それが芸人さんだ。

 じゃあ、人がやりたくないことをやってみよう。

 なにがあるのかな? なにができるのかな?

 なんだかあっちが騒がしいや。真嘉と来夢の声も聞こえる。



 あ、みんながやらないこと――。







 ――やっぱり、ダメみたい。笑ってみる。そういえば、コントをする芸人さんたちは笑わなかったな。今更だね。


 もうやってられないね。どうも、ありがとうございました。



+++



 ──久しぶりに夢を見ていた気がする。夢というか昔を思い出していただけかもしれない、なにも覚えていないから分からないけども。


「……来夢」


 来夢は友達で、自分のする事を笑ってくれて、それでいて周りのみんなを笑わせる事ができた。

そんな彼女が居なくなってしまって、真嘉がひどく辛そうだ。


 ああ、響生が来夢の代わりになればよかった。


どうやら笑いの才能はなかったみたい、だけど誰かを嫌な気持ちにさせる事はできるみたいだから。それに早く気づいていたら、良かったのにな。


 ごめんね。ごめんね。


 でも、ひとつだけお願いがあるの。


「──笑ってよ、じゃないと……嫌だよ」


 心配して探しに来てくれたであろう、みんなを笑顔にするけど、笑わない人外の彼。

 そんな彼に抱き抱えられながら響生は。その体は糸が切れた人形のように力が入らず、その瞳は作り物ように虚空でありながらも、唇を動かして笑い掛けた。



+++



「──響生は、よく分からないタイミングで、あんな感じの事を言うからさ。正直戸惑う事の方が多かった」


 響生は空気の読めないやつで、相手を怒らすことも多かった。それでもと真嘉は言う。真嘉は余計なトラブルが起きないようにと、響生を守るためにも仕方無しに“注意”することが多く、それで良かったのかと真嘉はよく思い出す。


「でもそんな響生に何度も救われた。どんな時でもアイツが変な事を言うと、それに来夢が乗っかって、空気が変わるんだ」


 響生と来夢はいいコンビだった。ふたりが居たらどんな辛い事が会っても、直ぐに気持ちを変えられることができた。


「──響生が、どこであんな風になっちまったのか、オレには分からないんだ。オレの前ではずっと、変わらないで居てくれたから……違和感があっても……いや、もしかしたら信じたくなかっただけかもしれない」


 真嘉にとって、響生はどんな時でも変わらないで居てくれる友達だった。それが違うと目を逸らせなくなったのは初めて『ゴルゴン』を殺して笑っていた時、もう何もかもが遅いと分かって、どうして良いか分からなかった。


「来夢には相談したんだ……でも本人には聞かなかったんだ……」


 大切な友達は、ある日から自分たちを、まるで芸名のようにあだ名で呼び出して、自分をきょうちゃんと呼んでと言うようになった。真嘉は、その名を決して言わないように避けている。


 ──呼んでしまったら二度と、友達の白銀響生が居なくなってしまうような気がして、真嘉は思えばあの日から、ずっと見ないふりをしていたのだと後悔ばかりが募る。


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