第五十六話

 

 ──そもそも、旅行とは何か?

 

 東京地区とアルテミス女学園、その周辺の『街林がいりん』しか世界を知らない『土峰真嘉つちみねまか』にとって、“旅行”というものは知識は持っているが何のために行うものか理解できないものであった。


 それが、ちょっとだけ分かるようになったのは、移動中の【303号教室列車】での一日が終えた時だった。


「──ここが管制操舵室……中って入れないの?」

「はい、安全を考慮して、室内に入れるのは人間の車掌教師だけです」

「……ちょっとだけ」

「できません」


 出発してしばらく、真嘉、『硯夜希すずりよき』と『九重ここのえハジメ』の三名は、先頭車両の先に位置する管制操舵室の扉前に居た。


 意外にも、アルテミス女学園ペガサスたちは【303号教室列車】の中を、自由に動き回る事が出来た。前日の高等部勢十名で行われた話し合いでは、『アイアンホース』と同じく首輪を装着させられて、室内に軟禁状態にさせられる可能性が高いとされていたが、全くそんな事はなく自由に動き回っても、ゼロ先生はひと言も発する事はなかった。


 その理由が、不器用な彼なりの優しさなのか、あるいはハジメに対する信頼なのか、理由は何であれ自由に過ごせるならばと真っ先に車内を見たいと手を上げたのは夜希だった。


 技術屋の夜希は教室列車に乗るのを誰よりも楽しみにしていた。〈魔眼〉が発動しているんじゃないかってぐらい、瞳を爛々と輝かせる姿に、ひとりで放っておくと何かやらかしてしまいそうだとして『九重ここのえハジメ』と真嘉が同行する。


「夜希、あんまり迷惑掛けるなよ」

「分かってる」


 真嘉の注意に答えるが、夜希は今にも鼻息を吹き出しそうなほど興奮しおり、そのため冷静じゃない判断を下す。


「……でも、あたしたちの今後を考えると教室列車の事を隅々まで知っておいた方がいいと思うんだ……というわけで〈真透しんとう〉」

「何がというわけだ!?」


 夜希は己の、視界内に存在する対象物の中身を透過して見る事のできる『魔眼』を発動。【303号教室列車】を対象に管制操舵室の室内を見ようとする。明らかに無礼の類だろと焦る真嘉はいいのかとハジメを見れば、あらかじめ予想していましたと苦笑していた。


「……あれ? 見えない?」


 扉を映した視界は何も見えない真っ暗闇だった。どういう事だと【303号教室列車】の床や壁、天井を見れば半透明となっており、その姿はまるで立体設計図を走らせたCG映像のようで、内部構造がハッキリと見えた。


「『魔眼』は発動している……管制操舵室だけ見れないようになっている?」


 もしかしてと左右上下から確認した夜希は、管制操舵室だと思われる空間が真っ黒い四角い箱のように見えている事に気づく。


「何かに囲われている? 『魔眼』の効果を退けるもの……いったい何を使ってるの?」

「よくは知らないのですが管制操舵室内の壁には、『魔眼』の効果を遮断するために、もっとも黒い塗料が塗られていると聞いたことがあります」

「もっとも黒い塗料……そうか! それで……その塗料って旧時代のベンタ? 無双? それとも新たに開発されたやつ!?」


 ハジメのもっとも黒い塗料という単語に反応した夜希は、テンションを上げる。


「すいません。コレ以上の事は本当に何も分からないんだ」

「えぇ……そこが知りたいのに! ……やっぱりほんのちょっとだけでもいいから、中に入りたい!」

「駄目です」


 もっとも黒い塗料。それは旧時代から存在する99%以上の光を吸収してしまう黒色塗料。それを塗った物体は立体性が分からなくなるほどであり、有名な話では丸めて広げたアルミホイルに塗ると、人間の目では皺が判別できなくなってしまうほどである。


「……なんでめっちゃ黒色だと、『魔眼』が通用しなくなるんだ?」


 勝手に『魔眼』を使った事を注意するべきかと悩んでいた真嘉だったが、どうしても気になった事を尋ねる。


「それはね、『魔眼』というものが瞳から光信号を発信して、その光信号の着地点に能力を発動させるという性質だから。よって能力を発動すると定めた空間に、瞳からの光信号が届かなければ『魔眼』の能力は発動しない、あるいは無効化されるんだ」 

「……」

「そのため、光の殆どを吸収してしまう黒色が能力発動線上にあった場合、能力発動に必要な光信号を吸収してしまい能力が発動しなくなる」

「……?」


 夜希の言葉が頭に入らなくて、真嘉は首を傾げる。


「あー、簡単に言えば『魔眼』を発動すると目から光を放つんだ。その光が何処かに当たる事で始めて効果が発動するんだけど、その瞳から出た光が、めっちゃ黒い物体に当たると、単なる光として吸収しちゃうから能力が発動しなくなるって事だね」

「……あ、マジか!?」


 理解が追いついた真嘉は思わず声を上げる。真嘉の『魔眼』は二秒間固定する〈壊時かいじ・弐〉は今も昔も使う場面は多く、能力が発動しないという事はなかった。だからこそ『魔眼』の仕組みと、対策できる手段がある事を知り、一段と驚いた。


「それにしても、ホントよく知ってるな……」

「ペガサス登場の黎明期時代に、一般公開された資料を見たことあるんだ。まだインターネットもちゃんとしていたのもあって、当時の研究データは結構残ってるよ」

「へー」


 はるか昔の知識であるが、『プレデター』の侵攻によって多くの部分で科学技術が衰退してしまった現代よりも正確なものとされており、実のところ失われた研究成果も含めて、旧時代の方がペガサス研究は進んでいた、なんて呼ぶ専門家も居るほどである。


 真嘉は、そんなのがあるのかと関心するだけだったが、昔はともかく、今は“ペガサス関連の情報は、その全てが機密扱い”という事に、夜希本人も含めて誰も気が付かなかった。


「そういえば『魔眼』が引き起こす多種多様な現象は、“粒子”に干渉して物理法則そのものを一時的に書き換えている説があるんだ。当時は証明できなかったらしいんだけど、プテラリオスの〈固有性質スペシャル〉を調査している時に思ったんだけど『P細胞』に内蔵されている機能は細胞技術ではなくて、もっとミクロの……それこそ粒子に関わるものじゃないかって──」


 目を輝かせて口を動かしまくる夜希。真嘉とハジメはお互いを無言で見て傾き合うと、夜希の脇下を掴み上げた。


「ここに居たら迷惑だ。部屋に戻るぞ」

「あ、ちょ、ちょっと“待って”っ!」

「ぐっ!?」


 夜希の“待って”という言葉に反応して、ハジメが一瞬だけ顔を歪めて体を硬直させる。


「おい夜希!」

「あ、ごめん!!」


 ハジメは“待って待って病”を患っており、“待って”という言葉に体が反応してしまい、しばらくの間固まってしまう。それを知っていながら口に出してしまった夜希はハジメに謝罪する。


「……いえ、気にしないでください。いずれは治さないと行けないものです……何時も言っていますが、むしろ日常では気にせずに使ってくれたほうが助かる」

「……夜希、お前もしかして時々やってる?」

「む、夢中になるとつい……」

「……ハジメが良いって言うならオレからは何も言わないけどよ……無理するなよ」

「はい、ありがとうございます。真嘉先輩」


 ──真嘉は内心、これで良かったのかと思いつつ。ハジメがトラウマを克服するつもりで居る事が凄いと、自分もしっかりしないとなと気持ちを改めた。


+++


 ──正午。『ペガサス』と『アイアンホース』たちは後部車両に集まり昼食を摂る事にした。そのさい、一室だけでは狭いとして扉を開きっぱなしにし、室内と廊下に別れて食べる。


「──こ、これはなんて……なんて、美味しいんですか~!」

「そうだろ? これぞ人類が作り上げた最高傑作……カップラーメンです!!」

「ハジメ、うっさい」


 アルテミス女学園生徒会長。『蝶番野花ちょうつがいのはな』が、旅のお供と言ったらこれらしいですと、差し入れしたインスタント食品。お湯に入れれば三分で食べる事のできるカップラーメン醤油味を初めて食べたフタは、美味しさのあまり叫んだ。


 何時も食べていた鶏ガラ味のシリアルバーに似ているものの、初めて経験する醤油が入り混じった旨味が口のなかに広がる。そんなアイアンホース故に味覚が鈍っていないからこそ感じ取れたジャンクフードの濃い味に、一瞬で虜になった。


「ズズズ──!!」

「……落ち着いて食えよ」

「ん! ……ズズズ!」


 廊下に設置された席にて、ミツもまた夢中で食べる。熱くて舌を火傷しても、すぐ治るからとお構いなし。たまたま隣に座っていた真嘉は注意するが聞いていなかった。気持ちのいい食いっぷり、邪魔するのは悪い気がして、真嘉はこれ以上なにも言わなかった。


 ──そういえば『東海道ペガサス』たちが最初に来た時もこんな感じだったなと真嘉は思い出す。正にミツみたいな子が何名も居て、その子たちの世話は三年先輩のふたりがしてくれた。オレだって先輩なのに、小さな後輩たちの面倒を任せきりにして、先輩たちからは気にしないでと言われたが情けなかった。


「……美味いか?」

「美味しい! こんなの初めて食べる!!」

「そっか、まだ有るから夜は違う味も食べてみろよ、そっちも美味しいから」

「ほんと!? 楽しみ!」


 フォークを拳握りで持ち、キラキラと目を輝かせるミツを見ながら、真嘉はカップラーメンを食べるとき、“たまにはいいな”と口に出して言ってしまった事を内心で自己嫌悪する。


「……咲也、本当に食べなくていいのか?」

「ええ、いま食欲ないから気にせず食べて」

「……分かった」


 廊下の最後尾にある窓から、ずっと外を見ている『篠木ささき咲也さや』に声を掛けると、彼女は真嘉の方を振り向かないまま、何時も通り素っ気なく答える。


 本来であれば【303号教室列車】が移動中の時は、フタミツは常に外を警戒し続けなければ行けないのだが、ハジメがどうしても食べさせたいとして廊下に設置されているマイク越しに、ゼロ先生へとお願いした。


 その返答は沈黙であったが、これをハジメは肯定してくれたと解釈。代わりに自分とルビーが交代するつもりだったが、そこで食欲がない咲也と、景色が見たいからという理由で『白銀響生しろがねひびき』が、それぞれ交代してもいいと申し出た。


「……咲也、夜はちゃんと食えよ。ほら……学園に戻った時に食えなくなっていたら困るだろ」


 ペガサスは一日抜いた所で体に何も影響がでない。それでも人として体に悪い事はしてほしくないなと咄嗟に言う。


「……分かったわ」


 素っ気ない返事であるが、怒っていないのは長い付き合いだから分かる。それでも変に説教臭いことを言ってしまったと、真嘉の悩みは尽きない。


 そして悩みといえば響生の方もそうだ。先頭車両から梯子を登り、天井へと顔を出して周辺を見張っている。真嘉は食い終わったら、そっちに行って交代しようと思っていたが、なんとなく、あっちも断る気がしていた。


 響生は出発してから怖いくらい大人しく、そして相変わらず真嘉を避けていた。狭い車内だからか、その態度はあからさまであり、真嘉は完全に手詰まり状態となっている。


 ただ、どうしてか響生によって連れられていった『鈔前亜寅しょうぜんアトラ』は食べたいだろうから、どっちにしても後で会いに行かなければならない。


 それにしても、どうして亜寅を連れて行ったのかと真嘉は疑問に思う。なにせ響生が他人が居ないと、体が動かなくなってしまう事を知らないのだから。


 ――貴女たちに必要なのは気付きではなく“納得”だけなのですよ。


 長く長く、もう何千回も考えた、繰り返してうんざりしている。それでも先輩が言う“納得”は、まだ見つかっていない。それ所か──来夢の顔が浮かんでしまう。いつだって前を歩こうと言ってくれた友達はもういないのに。


「……ふふふ」


 繰り返される真嘉の苦悩を打ち切ったのは、室内の方から聞こえてきた笑い声だった。


「あんたが急に笑うと怖いわね」

「ええ、ルビー先輩ひどい~」

「そんなに美味しかったのか、その気持凄く分かります、違う味もあるので、こちらも食べましょう!」

「いえ、そういう事じゃなくて、なんか不思議なんです……何度も何度も壊したいほど怖かった物なのに、いざ開放されると、ちょっとだけ寂しいなって思っちゃいました~」


 そう言ってフタは“己の首に触れた”。アイアンホースなら、そこにある筈の鉄の首輪がなく素肌を晒している。それはミツも同じであり、今はカップラーメンのスープを飲むほうが大事であるため、二の次になっていた。


「でも、自分たちの首輪を外してしまうなんて……夜希は凄いんですね~」

「そうかな? これはちゃんとやり方覚えて、何度も練習すれば皆できるようになるよ」

「そんなわけないでしょ」


 夜希は取り外した首輪ふたつを持ってきたマイ工具で弄りながら、なんてことなく答えるが、ルビーが即座に否定する。


 確かに夜希の言う事は間違ってはいない。首輪の外し方に特殊な工具は必要とせず、覚えれば誰だって出来る技術である。ただし絶対に失敗せず取り外すとなれば話が違ってくる。なにせ失敗すれば『アイアンホース』を“卒業”させてしまう、そんな作業なのだ。それを承知で当たり前に成功し続けるというのは、気が狂うほどの練習を熟してきた上で、培ってきた技術に自信が無いと出来やしない。


 それを特別な訓練を受けてたわけじゃないアルテミス女学園ペガサスが行っているのだ。そんな夜希に対して、ルビーは天才ってこういう奴を言うのかしらねと思っていた。


「でも、本当に良かったんですかね~。これは流石にライン越えってやつじゃないですか~?」

「先生は何も言っていません……“見た目”だけ元に戻して置けばいいかと……何も言わないって事は、それでいいと思います!」

「……ルビーが言うのもなんだけどね。あんたの先生に対する信頼、なんかちょっと怖くなってきたわ」


 何が起きても、どんな会話をしていても無視を決め込むゼロ先生に全信頼を寄せるハジメ。知らないアルテミス女学園ペガサスたちは、これがハジメたちの関係なのだろうと受け入れた一方で、むしろ身内とも言えるアイアンホースたちから不安の声が上がる。


「そうですよ~、あの人のこと、そんなに信じていいんですか~?」


 フタは疑いの声色で問いかける。ハジメとほぼ同じ時間【303号教室列車】に所属して戦ってきた彼女は、だからこそ信じる事はできなかった。

ハジメとは違い、ゼロ先生本人から本音を聞いていないというのもあるが、彼女にとって彼は淡々と命令を与えるだけで、いっさい自分たちとコミュニケーションを取らない管理者なのだ。


「確かに、あの人はどんな時だって何もしてきませんでした……ハジメ先輩が転校する時も……“はじめ先輩”の最期のときも……っ!」


 ──何よりも、フタには、どうしたって許せない事があった。ふたりの“ハジメ”にしてきた仕打ちだ。


 のんびりとした雰囲気を出していたフタが、急に剣呑な言葉を吐き出した事に、部屋の隅っこで食べっていた『雁水かりみずレミ』が肩を震わせて、廊下の方へと避難、真嘉の隣に座った。『穂紫ほむら香火かび』はベッドで横になったままだが何かを感じ取ったのか瞼を薄く開き、ハジメたちを見ていた。


「……そうだな、あの人は何もしてこなかった……だからこそ、分かる事もあるんです」

「ハジメ先輩……」

「信じろとは言わないさ。ですが、今は自分に従ってくれませんか?」


 ハジメは家族に等しいクラスメイトに指示を下す形を取った。任せてほしいと、信じて欲しいと、お願いだと、これが何よりも自分の意思を伝えられるものだと知っているから。


「……仕方ないですね~」

「ありがとう、ミツもそれでいいですか?」

「……んっ!」


 ミツは、ぷいっと顔を背ける。ハジメの指示には従うけど、でも納得してはいないという訴えに、ハジメは苦笑する事で感謝を示す


 ゼロ先生は決して潔白な人間ではない。単なる『アイアンホース』という人外の管理者として考えても、マニュアルに書かれている事すら守れていないのも事実だ。彼の命令によって、自分たちは命を削ってきた。それにより先代はじめが“卒業”する事になった。


 それを踏まえてハジメは不器用な父親的存在だと答えたのだ。だからこそ家族のように大切なフタミツには、仲良くとまでは行かなくても、不幸なすれ違いが起きないぐらいの関係には成って欲しいと願っているし、そうなる努力をするつもりだった。


 ──そんなハジメを真嘉は見ていた。その瞳に宿しているのは分かりやすい羨望。自分もああでありたいと思う。


「……レミ、どうだ……体調とか?」

「え? あ、はい……あんまり良くはないですけど、悪いってほどじゃないです。メンタル的なのはちょっとアレですが、あ、でも、漫画みたいに列車に揺られて、ご飯を食べられて良かったですね、夢が叶ったといいますか……はい」

「……そうか」


 衝動に身を任せて真嘉は、隣に座ったレミに話しかける。するとレミは何時ものように長文で返してくれる。それはいい。問題はこっからどう話に繋げようかと頭を捻らせる。レミとのコミュニケーションで困っているのは、いつだって二言目で、長文ゆえに何処から話を広げていいのか分からなかった。


「……でも、やっぱり自分の部屋が一番良いですね。本もちょっとしか持ってこれませんでしたし、アレ読み切ったらと考えるだけで辛くてですね。こうなったら自分で創作するしかないと思ったけど、紙とペンがどこにもなくて……はい」

「そ、そうか、あーそうだな、オレも筋トレできないんだなって思ったら、なんだか急に辛くなってきた。邪魔になるだろって置いてきたけど、ダンベル一個ぐらい持ってくれば良かったかもな」


 まさかレミの方から会話を続けるなんてと驚きつつも、真嘉は必死に答える。


「──それがよかったかと思います、はい」


 その短い言葉は、どこか楽しそうに思えた。もしかしたら珍しくテンションが上がっているのかもしれないと、真嘉はもう少しだけ会話を続ける事にした。


+++


 ──夜、【303号教室列車】は休むことなく走り続けている。


 そんな中、真嘉は寝付けなかった。興奮して眠れないという以前の問題で枕も無ければ、揺れる硬い床で横になるしかなく真嘉は改めて、この【303号教室列車】は劣悪な環境である事を痛感する。


 全部で合計ある3つのベッドは、後輩だからという理由で夜希と亜寅、先に寝た香火とレミ、そしてミツとハジメが使っており、真嘉は先輩だからと床で眠る事を選んだのだが、正直ちょっと変わってほしかった。


 ──マジで布団が欲しい、せめて枕……無理にでも持ってくれば良かった。


 かさ張らないようにと置いてきた生活用品たちに思いを馳せつつ、真嘉は同室で横になっている咲也の方を見る。目は瞑っているが眠れてはいなさそうだ。それでも静かにしているに休もうとしているようで、自分も寝る努力をしなければと再び横になる。


「…………~っ!」


 微妙に揺れる床、それと列車が動く音に絶えられず、真嘉は起き上がり廊下へと出た。


「──あら、眠れなかったの?」


 廊下に出ると、ミツがどうしてもハジメと寝たいからという事で、代わりに見張りを買って出たルビーが窓の外をずっと見ていた。


「……まあな」

「ようこそ地獄の教室列車へ、碌でもない旅にさせてしまって大変申し訳ありませんってね」

「……あんまり、そういう事言うなよ、ここハジメの故郷みたいなんだろ?」

「その、ハジメが【303号教室列車】の生活環境は地獄って言ってるのよ?」

「そうなのか……」

「もうほんと硬いわね。せっかく外に出たんだから、もう少し気を抜いたら? 真嘉先輩」

「……うぇーい?」

「後輩にあるまじきフリだったわ。ごめんなさい」

「そんなにか!?」


 ルビーは冗談だと小さく笑い、真嘉は気難しそうな顔を浮かべるも嫌悪感はなかった。


「どうしても眠れないなら起きているのもありよ。『ペガサス』なんだから一日くらい平気でしょ」

「でも脳に負担が掛かるらしいぜ?」

「そうね。でも目を瞑って色々考えてしまうよりかは、外の景色でも見たほうが健康的だと思わない?」

「それは……そうだな。起きているほうがいいって事もあるか」


 ルビーにとって真嘉は生真面目で冗談があまり通じないが、それが不思議と面白い先輩だった。一方で真嘉にとってルビーは話しやすい後輩のひとりだった。配慮に欠けた事を言うが、だからといって無遠慮過ぎはしない。時々、大事な同級生である咲也を責める『妖精』の音量を上げてしまう困った所はあるが、見ている感じルビーの言葉で重症状態になった事はなく、程よいガス抜きになっているような気がしていた。


 そんなアルテミス女学園ペガサスには無い、特有の距離感が真嘉に取って気楽だった。生まれながらに兵士気質、そう評される真嘉が『アイアンホース』のノリと相性がいいのも、当然の理由なのだろう。本人はそれに気づいてはおらず、時々こうやってアイツらに話す事が出来ればいいのになと落ち込んでいる。


「……なあ、なんでずっと外を見ないと行けないんだ? 見張るためなのは分かるけど、この列車には『プレデター』を発見するレーダーが付いているんだろ?」


 夜希がハジメに多くの事で質問攻めをしていた時、【303号教室列車】には尻尾に見えるほどの大型レーダーが搭載されている事を知り、それなら見張りは要らないんじゃないかと疑問に思っていた。


「レーダーだって万能じゃないわ。時には“見えすぎること”もあるから、アイアンホースによる目視判断が必要不可欠なの」

「見えすぎる?」

「『プレデター』は、日本列島どこにでも潜んでいるって事よ。特にいま走っている山岳地帯はね──ルビーたち囲まれているわよ。レーダーマップで見たら、周辺真っ赤っかなんじゃない?」

「……マジかよ」

「だから教室列車は停められないの、こんな所で停まっちゃったら、すぐに『プレデター』に気づかれて、あらゆる所から襲いかかってきて教室列車ごと“卒業”まっしぐらよ」

「……今の話を聞いて、めちゃくちゃ目が覚めた」

「そう、良かったわね」


 自分たちが今、どれほど危険な場所を走っているか知り、真嘉の脳は一気に活性化する。


「それと、『プレデター』の奇襲や突然のトラブルに即座に対応できるようにかしらね。車掌教師は万能じゃないから、先生の判断を受けて動いてからだと遅い時があるの」

「オレたちも警戒しておいたほうがいいんじゃないのか?」

「元から三名ぐらいでやってるから別に良いわよ。でも列車がヘビ型プレデターにぶん殴られた時、受け身を取れるぐらいには気を張り詰めていた方が良いわね」

「殴られる事があるのか……」

「昔、本当にあったらしいわ。何十メートルも吹き飛んだみたいよ」


 地区や学園の外は『プレデター』が蔓延っているとは、この時代に生まれた人間誰もが聞く話だ。だから真嘉は【303号教室列車】に乗って移動している最中、なんだか思ったよりも平和だなと安堵していたのだが、全然そんな事はなかった、単に知らなかっただけだった。


「……はぁ」


 教えてくれたって良かっただろという不満と、でも知ったら1日中緊張しっぱなしだったと思うから、教えてくれなくて助かったという感謝。そして勝手に油断して気を緩ませてしまっていたという自分の情けなさ、そんな幾つもの感情に襲われた真嘉は、無意識に溜息を吐き出してしまう。


「……真嘉先輩、眠れなくなったのならお願いがあるんだけど良い?」

「お、おういいぞ、交代か?」

「違うわ。実はハジメ、いま起きていて先頭車両に居るの、ミツが起きたらパニックを起こして泣くかも知れないから戻るように言ってくれないかしら?」

「あー……分かった、行ってくる」


 ──目を覚ました時、居なくなっていた。その辛さを知っている真嘉はすぐに了承して、ハジメを呼びに先頭車両へと移動する。


「おい、ハジメ……っと」


 狭い車両、扉を開けたら直ぐにハジメを見つけた。彼女は管制操舵室の扉に背中をくっつけて、緩やかな雰囲気で喋っていた。ゼロ先生と会話していると察した真嘉は、咄嗟にアイアンホースの装備が入っているボックスの影に隠れる。


 奇跡的に再会を果たしたふたりの会話を中断させる、なんて出来る筈もなく、かといってミツが起きる前に、ハジメに戻るようには言いたい。


「──すいませ~ん、ちょっといいですか~」

「ん、あ、フタ……悪い、気が付かなかった」

「気にしないでください~」


 どうするかと悩んでいた真嘉は、ハシゴに足を掛けて、天井の穴から上半身を出しているフタに声を掛けられる。


「もしかして、ハジメ先輩に用事ですか~?」

「あ、ああ。ミツが起きる前に部屋に戻るように言いに来たんだ」

「そうですか~、でしたら自分に任せてもらってもいいですか~?」

「いいのか?」

「はい、その代わり~、自分もハジメ先輩と話がしたいと思っていたので、ちょっとの間だけ見張りを交代してもらってもいいですか~?」

「もちろんいいぜ」


 フタの提案に、真嘉は願ったりだと直ぐに乗った。フタは有難う御座いますと感謝を口にしつつ、音を立てずに下へと降りてくる。


「というか、勝手に交代してもいいのか?」

「本来であれば無断交代は厳しい罰が下されてもおかしくないのですが~……自分の命に関わることでも何も言ってこないなら、大丈夫なんじゃないですか~?」


 適当な物言いに、真嘉は不安を感じるが、フタの言う事はご尤なものであった。


 鉄の馬の首輪が外れるという事は管理者にとって、もっとも恐れるべきものだ。なにせアイアンホースが日頃の恨み辛みで殺しに掛かってきたとしても止められなくなるのだ。そんな車掌教師にとって、自分の命を保証する安全装置が外されたのにも関わらず、ゼロ先生は無言を貫いた。


 信頼か、あるいはそれ以外の感情か、何にしても一番放置しては行けない部分でも何も言わなかった以上、ハジメを受け入れた時点でゼロ先生は、自分たちに身を委ねているのだとフタは確信していた。


 ──あの人は確かに何もしない事の方が多い、それは違う状況で、違う見方をすれば、大事な場面で余計な指示を出す事なく、自分たち『アイアンホース』たちに、判断を任せくれると言う意味もあった。フタはそれを“信頼”と呼ぶ事だってあった。


「……分かっているんですよ~」

「ん?」

「なんでも有りません、これ風避けのポンチョです、無理だと思ったら遠慮なく被ってください」

「お、おう。ありがとな」

「こちらこそ~。それでは宜しくお願いしますね~」


 フタは今日だけでも溜め込まれた複雑な感情を、もう二度と会えないと思っていた先輩に全て吐き出すのだとして、ハジメの方へと向かっていく。


「……みんな、色々とあるんだな」


 真嘉は、ハジメたちから意識を反らすためにも、すぐに天井から上半身を出した。


「ぶっ!?」


 真嘉は強風に晒されて、これは駄目だとすぐに風よけポンチョを羽織った。するとだいぶマシになり、はっきりと目が開けられるようになり、風の轟音もすぐに『ペガサス』の耳が雑音として処理したことで、まったく気にならなくなった。


「……すげぇなぁ」


 真っ暗闇。しかし星の光源さえあれば『ペガサス』の瞳は、ハッキリと夜の森林地帯を映す。学園周辺から離れた外の世界。周囲は『街林』と似た景色だったが、真嘉の目には、なんだか違って見えた。走行中だから森林や星々が流れて見えるからかもしれない。世界の広さを実感したからかもしれない。なんにしても悪くない気分だった。


「……『プレデター』は見えないな」


 数秒後、真嘉は己が見張りである事を思い出して、周辺に『プレデター』が居ないか注意深く観察し、とりあえず近くには居なさそうだと安堵する。とはいえ、『プレデター』が人間を殺すためなら、あらゆる狡猾な手段を取ってくる事をよく知っているため油断は出来ないと気を引き締める。


 ──しばらく流れる夜景を見ていた真嘉は、いいようのない寂しさに襲われた。思えば何も無い夜を、こんな風にひとりで過ごすなんて久しぶりだったと思い至る。


「…………あ、そうだ、繋がるか……?」


 響生から受け取った通信機を手に持つ。こんな事で連絡していいのかと迷う。流石に緊急事態でもないのに駄目かな? そんな風に悩んで迷って、最終的には自棄っぱちみたいに電源スイッチを押した。


「……あー、アスク、聞こえるか? その……真嘉だ」


 って、アスクは返事できないのに、なに質問しているんだよって、真嘉は恥ずかしくなり顔を赤くする。


 ──コンコン。


 本当に聞こえているのか、ちょっとだけ不安になったタイミングで、通信機から何かを小突いたような音が、やけにハッキリと聞こえた。それがアスクからの返事である事を理解して、自然と頬が緩んだ。


「あー、そのさ……こっちは、なんとかなってる……どうなるかって心配だったんだけど、ゼロ先生……ほら、ハジメの担任で父親みたいな車掌教師なんだけどさ。聞いた通りの人だった……その人とハジメたちを見てて、ああいう、信頼関係があるんだなって思った」


 真嘉はアルテミス女学園の時と同じように一方的な会話を始める。最初は慣れなかったけど、いつの間にかなんでも話せるようになった。


「……なんだか平和でさ。この目に映る景色の中に『プレデター』が居るって信じられないんだ。言っちまったら『街林』と変わらないって頭で分かっている筈なのに……不思議な気分になってる」


 ――コ、ココン。


 なんの意味を保たない不規則な小突き音が聞こえてくる。アスクは体が自由に動かせるようになったとはいえ、完全に意思を伝えられるようになったわけじゃない。だから彼は鳴らす音に意味を持たせられない。これが単なる返事であると真嘉は承知している。


「……他にも色々と考えさせられたよ。アルテミス女学園のペガサスになって……楽しい思い出もあるけど……それだけじゃなくて……でも、アイアンホースがどんな生活をしてきたかを思うと……なんか……」


 これ以上は言っちゃ駄目だと、真嘉は口を閉ざした。誰に対しても無礼になってしまうと感じたからだ。だけど我慢しきるのは無理だから、その中でも、どうしても吐き出したい気持ちをアスクに伝える。


「……ハジメ、あいつ凄いんだ。自分の過去に立ち向かってるし、みんなから慕われているし、大切な仲間と本音を言い合えてる……意見が違う事もあれば、不満もあるけど、ハジメの言葉だとビシッと決まるっていうか……それがなんだか……なんていうか……正直、羨ましいよ」


 憧れ、それが真嘉がハジメに抱いているもの。


 ハジメが鉄道アイアンホース教育校にて、“英雄”と呼ばれるほどの凄いやつであり、数名の小隊リーダーとして、仲間を全員生き残らせてきたという伝説を、真嘉はルビーから聞いていた。それは真嘉には出来なかったもの、喉から出るほど欲しいリーダーとしてのあり方だった。


 ──それに比べて自分はなんだ?


「……オレ、上手くやれるかな。無事にみんなと帰れるかな? ……やることって言ったら、帰るかどうかの判断だけって言うけどさ……正直それすらも自信がないよ」


 会話が出来ず、過ちを犯した自分を受け入れてくれたアスクだからこそ言える本音がボロボロこぼれる。


「……ごめんな、こんなんで」


 甘えている、彼はむしろそうして欲しいと想ってくれているらしい。でも、真嘉はどうしてか、こんな姿を見せたくないって、最近思うようになった。


 こんな自分に、“納得”なんて出来るはずがない。


 ――コンコ、コココ、コン、ココ。


 アスクヒドラから、暗号でもなんでもない、意図が伝わらないように完全なランダムで鳴らされたであろう音。

でも、真嘉にはその音に伝わる意味をしっかりと理解できて。


「……ありがとな」


 それから真嘉は、1時間以上アスクと話した。本当に不思議で彼と話すだけで、真嘉は嫌な気分が吹っ飛んだ。


「……? 悪いアスク、一旦切るな」


 そんな中で真下から足音が聞こえたので、そちらを見ると咲也が、どこか物欲しそうに、こちらを見上げている事に気づいた。


「咲也か……どうした?」

「べ、別に……いつまでも帰ってこなかったから気になって来たの……いまアスクと話していたの?」

「ああ、まあな……お前もアスクと話すか?」

「い、いいわよ別に、通信機それ、真嘉が持っていたほうがいいんでしょ?」


 そうは言う咲也であったが、どうみたって我慢している事が丸わかりだと、真嘉は苦笑した。


「あー、実は風に当たり続けて、ちょっとしんどくなってな見張り交代してくれないか? そん時なにかあったらすぐ、アスクに状況を伝えられたほうがいいから通信機を渡すぜ」

「……仕方ないわね。交代してあげるわ」

「おう」

「……ありがとね」

「おう!」


 咲也と見張りを交代した真嘉は、通信機と風よけポンチョを渡し、部屋へと戻り横になった。相変わらず最悪な環境であるが、先ほどよりも気にならなくなっていた。


 ──旅行の良さがほんの少しだけ分かった気がした。そんな風に思いながら真嘉は、充実した気持ちを逃さないように眠りに付いた。



 ──そうして次の日、真嘉の気持ちは丸っ切り変わっていた。


「…………」

「おはようございます。体調のほうは……あまり宜しくないようだな」

「体がめちゃくちゃいてぇ……シャワー浴びたい……運動したい……トイレしたい……」

「すいません、我慢してください」


 楽しいのは最初だけ、娯楽の何にでも聞く言葉。朝を迎えた真嘉、そしてアルテミス女学園ペガサス一同は、割と本気でしんどくなっていた。はっきり言って、【303号教室列車】という劣悪な環境はアルテミス女学園ペガサスたちに休息を与える事なく、その代わりと言わんばかりに、あらゆるデバフを与える結果となった。


「そんな中で本当に悪いが残念なお知らせがある。気づいているかもしれませんが、現在列車が停まっています」

「…………理由は?」


 渋々と真嘉が尋ねる。


「線路側にトラブルです、恐らく先日、『プレデター』が横断して壊したようで、幸いにもすぐに発見したため急ブレーキを掛けるという事態にはなりませんでしたが、線路修理のために、それなりの時間が掛かります、またこれにより途中駅に寄って補給を受ける事になるだろう……端的に言えば到着予定時刻が一日伸びるかもしれないと思ってくれ」

「……マジかよ」

「マジです」

「……なあ、ハジメ……歯を磨いていいか?」

「外でお願いします。水は各自持参したものを使っていただければ、もし無いようでしたら……アスクにお願いするしかありませんね」


 ──真嘉は……真嘉だけではなくペガサスたちの殆どが、学園に心の底から帰りたいと思った。

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