第五十五話

 【303号教室列車】に総勢十一名全員が搭乗する。ゼロ先生は既に出発時刻を過ぎていると言っていたが、まだ動き出していなかった。

つまりあれは、彼なりの“了承”という意味だった事が分かり、『九重ここのえハジメ』は苦笑する。


「ほんと、いつ乗っても狭いわね」

「これだけの『アイアンホース』、そして『ペガサス』が乗れば狭くもなります」

「何にしても元から狭いわよ」


ルビーの文句にハジメたち全員が同意を示す。


荷物の全てを先頭車両に置いたハジメたちは、『アイアンホース』の居住スペースである後部車両の一室に集まっていた。ベッドと毎日の食事が食料庫から補充されるボックスのみしか存在しない空間。完全に『アイアンホース』が一名過ごすだけの空間は、十一名全員が入るにはかなり手狭であり、腕を伸ばしきらなくても、腕に当たってしまうほどだった。


「でも、本当に懐かしいですね。戻ってこられるとは思わなかったな」

「それは自分たちだってそうですよ~、なんだか不思議な気分です」


1度乗車してしまえば、“卒業”するまで決して降りることのできない鉄の箱。いい思い出だと言える記憶は少なく、それですら哀愁が影に隠れているが、こうして家族に等しい『フタ』と『ミツ』、そして発車してから声を聞いていない先生たちと再会できた事で、ハジメは温かい郷愁心を感じていた。


「というかちびっ子、いつまでハジメに引っ付いているのよ」

「……誰?」

「だからルビーよ。1回会ったことあるでしょ」

「……あ、思い出した! あれ? でも髪って長かったよね!?」

「切ったのよ」

「どうして!?」

「色々とあったのよ」


ミツがアイアンホースとなり、【303号教室列車】に所属して、まだ一年にも満たない。よって、別の車両所属であったルビーと出会ったのは最後の共同作戦の時の1回だけであった。そのときのルビーは長髪ツインテールであり、ハジメとの再会に喜びまくっていたミツは、ルビーの話を聞いていなかったし、目もくれていなかった事もあって気づいていなかった。


「……ねぇ、アイアンホースって、みんなこんな部屋に住んでいるの?」


──そんな賑やかなアイアンホース勢を、ベッドの隅でずっと室内が気になっていた『篠木咲也ささきさや』は問いかけた。


「そうね。まあ【303号教室列車サンマルサン】が特に何も無さすぎるってのはあるけど、ふかふかなベッドなんて無いし、食事だって質素なバーのみ。自由時間だって無いわ。あっちの学園で話したでしょ?」

「聞いたけど……」

「まっ、お嬢様学校育ちには刺激が強いわよね、想像できなくても仕方ないわ」


ルビーのからかいに、咲也は渋い顔をする。沈黙を選択できたのは、部屋に入った瞬間質素な“寝室”であると思ってしまい、それを題材に『幻聴妖精』に“居住区なのにね”とか“最悪な勘違いしちゃったね”など既に責め立てられていたからだ。


実は咲也が部屋に付いて訪ねたのは、その『幻聴』を大人しくさせる為のものだったが、逆に悪化する結果となってしまった。


──仕方のない先輩ね。

そんな、予想よりも大人しい反応をした先輩を見つつ、ルビーは何かを思案しつつ話を終わらせた。


「……ねぇ、気づいたんだけどさ──トイレってどこ?」

「アイアンホースはね、トイレしないの」

「あたしたち『ペガサス』だよ!?」

「夜希先輩、多分そこじゃないです!」


夜希が間違いであってほしいと顔を青ざめながら尋ねるが、返ってきた答えは無慈悲なもので思わず立ち上がって異議を申し立てる。なお、夜希の言葉によって気付いた真嘉たちも、嘘だろとルビーたちを見た。


「た、確かに排泄物を一定期間内に体内に貯蓄してしまっても、『P細胞』が分解してくれるけども! 微量でも活性化率が上昇しちゃうから排泄物は、きちんと肛門から排泄する事を推奨されている!」

「夜希! 『ペガサス』が肛門とか言わないっ!」


ペガサスの体内にある『P細胞』は、例え飲食などしなくても水分さえ補給できていれば一ヶ月は問題なく生きていける。しかし、生きるために必要な栄養素を生成する。逆に排泄物を体内で完全分解してしまうなど『P細胞』が機能するほど活性化率は、ごく僅かであれど上昇するとされる。


故に『ペガサス』は、なるべく“人間”と変わらない生活を送る事が推奨されている筈なのだが、『アインホース』たちは、全く持って違っていた。


「『アイアンホース』の飼い主様は、ほんのちょっぴり使用期間が減るよりも、排泄処理を一々行うほうが不便だと思ったんでしょ」

「自分たちの食事がシリアルバーばかりな理由でもあります」

「あ、消化物を最低限にするため?」


食事の量を減らせば、その分排泄する物だって少なくなる。つまり『P細胞』が処理する体内の排泄物が減るという事になる。そのため『アイアンホース』たちの食事は最低限、栄養もしっかりと摂取できつつ消化にいいものとなっている。それが最も効率よく、安上がりになるから。


「ほんと、アルテミス女学園は良い所よ、『プレデター』がやって来るを除けばね」


──せめて最後まで、人間らしく。


アルテミス女学園の廃れた理念。しかしながら在籍するペガサスたちの人間らしい生活を支えている絶対的なひと言。このたったひと言がなければ、こんなにも違うのかと、こんなにも人間扱いされなくなるのかと、真嘉たちアルテミス女学園組は直接肌で感じる事となる。


重たい空気になってしまった狭い部屋に、ハジメの咳払いが響く。


「では、プロフィール共有を始めよう、先ずはフタからだ」

「はじめまして~。後衛バックで狙撃手を行っています」


白に近しい青、“白藍”と呼ばれる色をした髪を、うなじが隠れるぐらいのボブカットに整えている、瞼が閉じているように見える糸目のアイアンホース──フタは、間延びした方言的な喋り方で自己紹介をする。


フタは自分と同じ学年なのですが、自分が先に【303号教室列車】に搭乗したとして先輩と呼ばれている」

「先輩は先輩なので~」

「こんな感じでマイペースだから気をつけなさい」

「……気をつけなさい?」


言葉のニュアンスに咲也は首を傾げるが、もうひとりの紹介がまだだったためスルーした。


「そしてこちらはミツ、アルテミス女学園的に言えば中等部一年の後輩です」

ミツだよ! よろしく!」


明るいレモン色の巻き髪ショートヘアー。目元がタレ気味で落ち着いた印象を抱くが、元気いっぱいに挨拶をする──ミツ


ミツ、こういう時は自分のポジティションや使用ALISとかも言うんですよ~」

「あ、そうだった! 前衛フロントやってます! 得意な武器は【KG4-SG/t3ケージーフォー】だよ!」

「前衛で、その『ALIS』って事はルビーと同じ?」

「そうね、でも戦い方はまるっきり違うわよ」

「むしろ君が特殊すぎるんだ。実戦で動き回るなか、あれだけの多種多様の弾丸シェルを用いて戦うのは君ぐらいなものですよ」

「あ、そういえばルビー、その剣型ALISはなんですか~?」


ルビーが手に持つ柄が十字のロングソード型ALIS。後々必要になるからと室内に持ってきたそれは、械刃重工製ALISというのは分かるが、見たことのないものであった。


「この子は【ナズナ】、ルビーの新しい相棒よ」

「へー、ねぇ、ちょっと貸して!」

「だーめ、アレはルビーが先輩から受け継いだものだから、大切にしないと行けないの」

「でも、『ALIS』ですよね?」

「なんにしても自分の命を守ってくれる『ALIS』は大切にするべきでしょ」

「……そうですね~」


『アイアンホース』にとって『ALIS』は消耗品の装備でしかないが、何か想いが込められているのであればルビーは、それを大事にする。でなければ、想い人のために生き続けてきた、これまでの自身を否定する事になりかねないから。


「うー、いいなぁ……でも我慢する!」

ミツは偉いですね」

「偉い偉い~」


目新しい械刃重工製の専用ALISに興味津々のミツであったが、事情を聞いて我慢する事にした。そんなミツに、ハジメとフタは頭を撫でる。ハジメから家族のようなふたりだと聞いていたが、本当に仲が良いんだなと真嘉は、彼女たちの素直で上手く行っている関係に、内心で羨ましさを抱いた。


「じゃあ、次はオレたちか」


次にアルテミス女学園ペガサスたちが自己紹介する番となる。名前と学園、そして各々の専用ALIS。後は『アイアンホース』たちに真似て前衛や戦い方を自分たちなりに話す。


「レミ先輩は、自分と同じ狙撃手なんですね~」

「い、いえいえいえ、本職に比べれば私の狙撃はカス以下塵芥以下、それ以下の何かこの世にあってはいけない物なので、はい」

「……えっと」

「悪い、戦いが苦手って言いたいんだ」


一応狙撃手を名乗ったレミに、フタが話しかけて微妙な空気になる。実際、レミは戦闘のセンスが乏しく前衛で戦うなんて持ってのほか、さらに自分に贈られてきた専用ALISが狙撃銃型の【Achillea 0,7】という事もあって、なし崩しに狙撃手をやっているだけだった。ここ最近は『街林調査』にも出る事なく、雑用や、図書館から資料を集める作業を行っていた。


「んじゃワタシですね。この中で唯一の中等部一年ペガサス、『鈔前亜寅しょうぜんアトラ』です。夜希先輩と同じく付き添い組で……えっと、色々とあって『ペガサス』から『キメラ』って変化した感じなんで、よろしくです」

「『キメラ』?」

「お、おう」


頭に生えた外殻製の猫耳に尻尾、そして義手義足をミツは興味深くじっと見る。


「……『ゴルゴン』じゃないの?」

「うん、こんな風に変わらず人の自我はあるし、活性化率も100%に到達していない。他にも多くの部分で違うよ」

「そうなんだ!」


夜希の説明に、好奇心を刺激されたミツは、亜寅に詰め寄った。


「よろしくね!」

「お、おうよろしく……お願いします?」


見た感じ同年代か、あるいは下っぽいが先輩だよなと亜寅は途中から言葉遣いを敬語に直す。


「ねぇ、耳触っていい? 尻尾も!」

「あー別にいいですよ、優しく触れてくださいね」

「ありがと!」


ミツに好きなように触らせる亜寅。『勉強会』の面々や、東海道ペガサスたちによって触られ慣れているので、特に思う所は無かった。


「…………」

フタ、何もするなよ」

「え? あ、はい」

「やっぱり、しばらく縛っておいた方がいいんじゃない?」

「其処までする必要はないかと……信じていますので」

「間が出来てるわよ」

「ちょっと待ちなさい」


ハジメとルビーの不穏な会話に、咲也は思わず声が出た。実は亜寅が話はじめた時から、ハジメとルビーは自分たちの間に挟まる位置で座っているフタに、身体を寄せたのを咲也はしっかりと見ており、不安に感じていた。


「何かするつもりじゃないでしょうね?」

「安心してください。フタは何もするつもりはない……そうですよね?」

「……? えっとはい、『ゴルゴン』ではないですし、普通に会話が出来ているので、“もう”何もするつもりはありませんよ」

「……“もう”?」

「気にしなくていいわ。何も起きなかったんだから」


咲也が疑問を口にすると、ルビーが誤魔化すように話を終わらせる。思わずフタを見るが、本人は何のことか良く分かっていないようだった。


【303号教室列車】に搭乗する前、咲也たちは通信機関係で騒いでいた事もあって気が付かなかったが、初めて亜寅を見たフタは、とある動作を行い、予め分かっていたハジメとルビーが止めていた。


──フタはマイペースだ。狙撃手としては頼もしく、恐ろしいほどに。


それをハジメたちが今まで黙っていたのは、段階的に話さないと無益なトラブルを招きそうだと考えたからだ。現に命の危険があったと自覚した亜寅は顔を青褪めて怯え、他のペガサスたちの空気もは張り詰めた。その中でも特に咲也は今にも叫びたそうにしており、ルビーは宥めるように話を続ける。


「というわけで先輩も気を付けてちょうだい。嫌な事故が起きないようにお互いちゃんと努めましょう」

「さっきから何の話ですか~?」

「『ペガサス』と『アイアンホース』の関係に関わる重要な取り決めよ。そんじゃあ本題に移りましょうか、良いですよね?」

「……ああ、もちろんだ」


ルビーは真嘉へと確認を取った後に、ハジメと顔を合わせた。なにか言いたそうだった咲也も話しが次へと移った事でタイミングを逃した事で、何度か口を開閉したのち、ぐっと堪える事を選べた。


「──フタミツ、ふたりとも疑問に思っている事があるだろう……今からそれを答えます」


ハジメの言う通り、ふたりのアイアンホースは幾つも気になっている事があった。どうして、ハジメとルビーは生きているのか。生きていたとしても『ゴルゴン』になっていないのか。

活性化率を下げられる手段とはなんなのか。


「それは……いいんですか? 久佐薙の人が極秘みたいなこと言ってませんでした~?」

「ああ、それ嘘よ、いっかい全部忘れた方がいいわ」

「え、ええ~? じゃあどうやって……」

「いや、嘘じゃないんだけど、本当の事も言っていないというか──アルテミス女学園には、一体のプレデターが居ます」


助けられたとはいえ、高等部三年先輩の『久佐薙月世くさなぎつくよ』が植え付けた勘違いを訂正させなければ成らなくなった事に困りつつ、ハジメは事の経緯を話し始める。


アルテミス女学園の現状、自分たちに味方をしてくれる活性化率を下げられる人型プレデターの存在、そして自分たちが“自立”をするために活動している事など、できるだけの自分たちの現状を伝えた。


この話を、この室内に居る『ペガサス』や『アイアンホース』以外、つまりゼロ先生が聞いていたとしても良かった。なにせもう不器用な彼は全てを受け入れてくれた上で、今の仕事を真面目に実行しようとしてくれるのが分かるからだ。


何時ものように聞かない振りをしてくれるだろうという信頼がハジメにはあって、なんなら会話が記録されないようにと車内の通信機器を全て切ってくれているという確信があった。


「──ということだ」

「にわかに信じられませんね~……。ですが、活性化率が下がっているのを見てしまったら、信じるしかありませんね」


活性化率は下がらない、これは今の世界において覆す事のできない常識だ。それが覆ったのだと信じさせるには、言葉だけでは足りない。そのためハジメは先ず、ルビーの【ナズナ】を用いて活性化率を表示、フタたちが最後に見た時は【84%】だった数字は【65%】にまで下がっており、さらに“血清”によって【63%】となった。


“血清”を使った実演は非常に効果的であり、ハジメが生きているという絶対的な証明がある以上、疑う余地は残されていなかった。


「しかし、自分たちと友好的な人型のプレデターですか~、ここが一番信じられないところですね~」

「ねぇ、そのアスクヒドラって、いま何処にいるの!?」

「近くの森で待機中っす」


プテラリオスのレーダー機能を共有できる亜寅は、アスクヒドラたちの居場所が分かる。まだ列車が動いていないため、アスクたちも動かず待機している状態だ。


「会ってみたい!」

「あー、どうする?」


真嘉は通信機でアスクを呼ぶか悩んだが、決めきれずにハジメへと問いかける。


「既に予定は大きく崩れたが、何があるか分かりません。予定通りに距離を離して移動した方がいいでしょう」

「……そうだな、といわけで後でな」

「えー」

「もし会うとなったら、やっぱり縄がほしいわね」

「……? 何に使うんですか~?」

「危険なものを縛るためよ」


首を傾げるフタ。どちらにしろ会わせるのはもう少し『アイアンホース』たちの様子を見てからの方がいいかもしれないなと真嘉は思った。


「ねぇ、ハジメって“アルテミス”だと、どんな感じだったの?」

「ん、……んー、そうだな」


好奇心のゆくままに、ミツはさらに質問を続ける。真嘉たちはアルテミス女学園でのハジメを思い起こす。


『街林調査』に置いては前衛フロントでも後衛バックでも抜群の立ち回りを見せ、フォローが上手く、しっかりと自分たちに合わせてくれる。

状況が随時変化する戦闘地帯において瞬時に判断が下せる所を、後輩でありながら真嘉は尊敬していた。


そして、食べる事が好きで、いつも何かを食べている。

いや、食べすぎている。

自分から率先して管理する事になった屋上農園では、収穫した野菜を持ち込んだ調味料を使って、丸一日中つまみ食いしていた。

後輩のお菓子を沢山食べるためにプライドかなぐり捨てて拝み倒したり、東海道ペガサスと賭け事に興じて、他人にツケまで作る始末。

自然の森には多くの美味しいものが沢山あると聞けば、周囲を巻き込んで危険地帯に調査に乗り出そうとするなど。


 真嘉たちがハジメを見ると、どうか内密にと両手を合わせている。話を聞けばフタは納得するだけであるが、ミツに自分でもアレな姿を知られるのは、自業自得とはいえ勘弁して欲しかった。


「この間、ルビーのお菓子で勝手に賭博して負けたから殴ってやったわ」

「ルビー!!」

「お二方~、自分を挟んで喧嘩しないでくださいね~」

「お菓子? “アルテミス”ってお菓子あるの!?」

「お、おおう。ワタシの友達に得意なやつが居るんだ。今度あったら作ってもらえるように頼んでみるよ」

「ほんと! 嬉しい!」


 騒々しくなる室内。狭くて全員で横になる事も難しい室内であるが、騒々しくなってきたのを真嘉たち高等部二年は反対側で見ているだけだった。


「うむむ、陽キャと陰キャと境目が見えるっ!」

「止めなさいよ」

「お、同じ空気を吸い続けると酔いそうなので、寝る時は別の部屋が良いかなって思います、はい」

「ふふっ、駄目だよ、こういう時はくじ引きで、枕投げ……すぅ」

「……枕は無さそうだな」


 アイアンホースたちに影響されて緊張感が抜けていき、とりあえずは何時もの感じにはなったと真嘉は安堵する。


≪──起立、静聴、敬礼≫


 車内スピーカーから聞こえきたゼロ先生の声に、ハジメたち『アイアンホース』が指示された通りの動作を行う。


「……ていうか、ルビーたちは必要なかったじゃない」

「完全に癖ですね」


≪これより【303号教室列車】は、北陸聖女学園に向けて発進する。到着予定時刻は翌日の二十時00分フタマルマルマル、これよりフタミツ……【303号教室列車】所属の『アイアンホース』は、周辺警戒態勢に移れ≫

「「了解!」」

「それじゃあフタミツ、何かあったら直ぐに報告してくれ……直ぐに助けに行く」

「分かりました、それでは皆さん、また後で~」

「じゃあ、ハジメまた後でね!」


 【303号教室列車】の移動中、所属している『アイアンホース』たちは装備を行ない、天井や最後尾から『プレデター』の襲撃などを警戒作業に当たらなければならない。

フタミツが部屋へと出ていき、少し時間が経つと【303号教室列車】が動き出した。


「いよいよか……」


 何事も無く帰れますように、またこの転校を切っ掛けに自分たちの絆がいい方向に変わりますようにと、真嘉は強く祈る。




+++




 ──特別な日だった。


 それが予期せぬ方向に変わった理由は分からない。最初の違和感は、自分たち変わった『聖女シスター』を担当する教授たちが現れなかった。それどころか人が居なくなり、放置される事なんて初めてで、何があったと確信を得るのには十分だった。


 ──だから潜ってみたかった。深海の底へと。


 彼女にとって海の底は暗闇ではない。何処までも太陽光が差し込む浅瀬のような世界が広がっている。その先に何も無くても、怪物だらけでも、居場所が無くても良かった。


 気持ちが良かった、誰にも止められること無く、ひたすら底を進み続けるのは。温かな右手と共に、何処までも何処までも行きたかった。


 

──冷たい左手と共に急浮上する。



 巨大なドーム内部、なんの材質で出来ているか分からない吸収性の高い人工の陸地へと上がる。

単なる人間ならば潜水病に患い死んでしまうかもしれなかったが、『聖女シスター』、それも他とは違う彼女の肉体に影響は、一切見られない。


「──しっかりしろ!! いま引き上げてやるからな!」


 艷やかな黒髪と灰かかった白目、ギザギザとした前歯を持っており、白があしらわれた黒のダイバースーツを着用している彼女は、陸に上がると直ぐに握っていた手を引っ張り、長年、一緒に居た仲間の顔が海面から出し、そのまま陸へと引き上げようとする。


「……『オルカ』、手を離して……」

「何を言うんだ『クジラ』! 死んじまうぞ!?」

「……もう、遅いよ」


 黒髪白目の女性──オルカの動きが止まる。


クジラは身長230センチの大きな身体を持っている『聖女シスター』だった。


──今は半分もない。下半身がごっそり無くなってしまっている。


 『P細胞』が命を保つために急速生成している血液が、海中に撒き散らされ続けており、くじらの周囲を血の海へと変えている。もうしばらくすれば『P細胞』は兵器としての活動は不可能と判断を行ない機能停止、彼女の命も尽きるだろう。


「いま引き上げるから待ってろ!」

「いいよ……小さくなった私を見ないで……」

「そんな事いうなっ!」

「オルカは悪くないから……だから生きて……私たちの分まで────」


 それを最後にクジラは目を閉じて、何も喋らなくなった。


「クジラ!! おい目を開けてくれよクジラ! クジラっ!! ……クジラ────」


 オルカは、ゆっくりと手を離した。真っ赤に濁った海中に、クジラが沈んでいき直ぐに見えなくなる。もう浮き上がってくる事はない。彼女だけじゃない。全員、海の底へと消えていった。


「…………っ!」


 ──海底から聞けえる筈のない歌が、地上へと聞こえてくる。


「──絶対……絶対殺してやるっ! 絶対……絶対だ!!」


 オルカは涙を流し、歯を食いしばりながら海底の其処に向かって叫んだ。

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