第3章 後編

第五十四話

──────────


1091:アスクヒドラ

アイアムバックトューザレッツゴー! ヒイヤッ!


1092:識別番号04

意味が不明。


1093:アスクヒドラ

そういえば英語とか他言語の勉強ってまだだったよね。

ゼロツーの進化が完了して、俺たちも無事にアルテミス女学園に帰ってきたら、勉強タイムを設けないとね!


1094:識別番号04

英語だからではなく、アスクヒドラの発言意味が不明と言っている。

翻訳を要求する。


1095:アスクヒドラ

……英語って難しいんだよ!

しかし、出発しないね。みんな多分、駅にいるんだろうけど何かトラブルかな?

プテラ、何かあったか分かる?


1096:プテラリオス

分かりません。

しかし、ツクヨさんが何処かへと通信を開始しました。


1097:アスクヒドラ

絶対なにかあったなこりゃ。

んー、皆と分かれるのもう少し後にすればよかったか?


1098:識別番号04

1度戻るか?


1099:アスクヒドラ

いや、ここで待機かな?

なんか、盛大に見送られ方をして戻るの気まずいし。

あでっ!? くはないけど気分的に痛い!


1100:識別番号04

少し加速を間違えた。

 

1101:アスクヒドラ

ついでに急ブレーキもね。

ほんと慣性の法則って凄いよね、こんな大きな身体でも正面の大木まで吹っ飛ばすんだもん。

おかげで陥没したよ、大木のほうが。


1102:識別番号04

冗談を言うお前が悪い。


1103:アスクヒドラ

すいません。

実際は学園側との連絡はプテラリオスがいるし、もし列車のほうでトラブルにあったら、こっちのほうが近いでしょ?


1104:プテラリオス

ツクヨさんが話初めました。 


1105:アスクヒドラ

うーん、トラブルは起きていると思うけど、いったい何が起きたのやら。

プテラ、ツクヨちゃんの会話、そのままここに書いてくれる?


1106:プテラリオス

分かりました。


──────────


+++



 ──アルテミス女学園高等部二年ペガサス。

 『土峰真嘉つちみねまか

 『篠木咲也ささきさや

 『雁水かりみずレミ』

 『穂紫香火ほむらかび

 『白銀 響生しろがねひびき


 ──アルテミス女学園高等部一年ペガサス。


 『硯夜希すずりよき


──アルテミス女学園中等部一年ペガサス。

 『鈔前亜寅しょうぜんアトラ


 ──アルミテス女学園高等部所属アイアンホース

 『九重ここのえハジメ』

 『ルビー』


 そして鉄道アイアンホース教育校【303号教室列車】所属のアイアンホース。

 『フタ

 『ミツ


 総勢十一名の『ペガサス』および『アイアンホース』たちは全員が狼狽えていた。

 なぜなら、鉄道アイアンホース教育校側では“卒業”している筈のハジメおよびルビーが、【303号教室列車】の『フタ』と『ミツ』に知られてしまったからである。


 秘密を知ってしまった方も、秘密を知られてしまったほうも、どうすればいいのか分からず固まっている。

 例外は生きていたハジメに抱きつき、何度も名前を読んで泣いている『ミツ』であろうが、どっちにしても話す余裕なんて無きにあらず。


「……なんで、外に出たんだ『ミツ』」


 そんな中で経験則か、あるいはリーダー資質としての切り替えの速さ故か、真っ先に再起動を果たしたのはハジメであった。

短く整えられた蜜柑色の髪。まだ『アイアンホース』と成って一年未満である最年少の『ミツ』は涙を浮かべた顔でハジメを見上げる。


「ハジメに会いたかった! 学校に行けば会えるかもって……!」


 アイアンホースは必ずしも首輪を付けており、それに活性化率が90%を超えた場合。あるいは自身が所属する教室列車に許可なく一定範囲離れた場合、首輪内部の毒針が喉に差し込まれ、直接食道から胃へと毒が流し込まれて“卒業”してしまう。


 それなのに『ミツ』は、己の〈魔眼〉を使用して、【303号教室列車】の壁をすり抜けて外へと出て、アルテミス女学園へと向かおうとした。

 ハジメの“卒業”が受け入れられなくて、直接目で確かめようとしたのだ。


 そんなミツを、とっさに隠れて【303号教室列車】を見張っていたハジメとルビーは姿を表して止めに入った。

 そこに真嘉たち転校組がやってきて現在の状況が生まれた。


「それで、どうすればいいの?」

「その、だ……」


 ルビーが尋ねるが、真嘉は答えられなかった。“卒業”した筈のハジメが生きていると知られればどうなるのか。生きているという事は、活性化率が減少していると普通ではあり得ない事が調べられてしまうかもしれない。


 アスクヒドラたちレガリア型プレデターの事、“血清”の事を、鉄道アイアンホース教育校を通して久佐薙財閥に知られてしまうかもしれない。


 リーダーである真嘉の硬直に、強めの“幻聴妖精の声”に苛まれて動けない咲也に、レミは何度か口を開いては閉じ、香火は眠る。


「……あれどうするんですか?」

「ど、どうしようか……ゴホッ! ちょ、ちょっと水飲ませて」

「あ、どうぞおかまいなく」


 コンテナの中で外の地獄の空気を見ている亜寅と夜希。『飲料中毒ドリンカー』であり、ストレスを感じると喉が乾いて仕方がなくなる夜希は、常に持ち歩くように心がけているペットボトルに口を付ける。


 ──それにしても、どうしよう。


 飲みながら夜希は現状の解決策へ思考を巡らせるが、いい案が思いつかない。何をしたって、“卒業”していたと思われるアイアンホースが生存している。これに嘘を付くにしても、打ち明けるにしても、それをどう上手く収めるのかが、夜希は皆目見当が付かなかった。


 ──こんな時、性格はアレだけど交渉事に関しては化け物並みの能力を持つ先輩が居てくれたら。


 自分が楽しいように状況を引っ掻き回す。収める事はせずにむしろ引きちぎらんばかりに問題を広げる。それでも最後は、どうしてか己の都合のいい展開にしてしまう。

そんな先輩が居ないという不安の存在を、今になって夜希ははっきりと実感する。


≪──はじめまして、【303号教室列車】の九重零車掌教師およびアイアンホースの皆様、本日はアルテミス女学園ペガサスたち転校のためにご足労いただき、誠に有難うございます≫


「ぶほっ!?」

「わぁ!? 何してるんですか!?」

「ご、ごめ……!!」


 何処からともなく聞こえてきて夜希は水を吹き出した。危うく掛かりそうになった亜寅であったが、『キメラ』の反射神経によって咄嗟に避ける。


「その声は……!」


 薄ら寒さすら感じてしまう事がある滑らかな声であるが、今の真嘉にとっては何よりも頼りになる声でもあった。


「……あんた、何を持ってきているかと思ったら」

「来る時、無理やり渡されちゃったんだよねー、ほんといい迷惑さんだぞっ!」


 その声は、響生が学園からずっと持っていた、トランシーバー型の通信機から発せられたものだった。この通信機は夜希が作った、秘密回線を用いて同じ型の通信機同士でしか繋がらないようにしている専用の通信機であった。

 大きめ通信機器は不便であるが、今のように学園から貨物駅の距離すら余裕が会話が可能であり、通信強度が強く作られてあった。


「……なによ、いつも人をからかってっ!」


 咲也は、まさかこの状況を予期していたのかと、学園内でニヤついているであろう先輩、『久佐薙月世くさなぎつくよ』に怒りを露わにする。

 しかし、この場を解決に導けるであろう人物の彼女に頼るしかなく、咲也たち全員が一斉にだまり、久佐薙月世に委ねる。


≪わたくし、久佐薙の者です。どうぞよろしくお願いします≫


 咲也を含め幾人かは、その自己紹介に違和感を持った。

彼女は名字で呼ばれる事が嫌いであり、それを抜きにしても名前を伏せた理由が分からなかった。


「──うわぁ」


 そんな中でレミは、月世が何をするのか察して、彼女らしくない声が出てしまうほどドン引きした。


 ──この先輩は全部、にする気だ。


≪本来であれば後ほど別経由で、ご説明をする予定でありましたが、トラブルに見舞われたようなので緊急対応としまして、この場でご説明させて頂きます≫


 久佐薙月世は、久佐薙家に生まれた娘である。だから、嘘は言っていない。しかし『ペガサス』となった今、彼女は久佐薙財閥とは一切の関係は無い。だから、全てが嘘になる。


≪先んじてご注意させて頂きますが、鉄道アイアンホース教育校および新日本鉄道にお問い合わせはご遠慮ください。この件について、貴方の上司は一切事情を知りません。これは久佐薙家である、わたくしの完全なる独断で行っている事です。むしろ真面目に仕事を熟してしまった場合、機密漏洩として扱われる事となり、不幸な目は避けられないでしょう≫


 【303号教室列車】の車掌教師に対し、アルテミス女学園での出来事は全て、久佐薙が関与している事を印象付けさせる。

これは貴方の上司よりも、さらに上の存在が直接関わっている最重要機密事項である事を匂わせて、連絡確認するべき二社への連絡を遮るように誘導。

そして、これから話す事が全て久佐薙財閥が関与するものだという誤認の下地を作り上げた。


 ──全ての用意が完了した。後はもう予定にそって言葉を語るだけである。


≪さて、誤解が発生する事が無いように単刀直入に申し上げさせて頂きます──わたくしたちは『アイアンホース』の活性化率を下げられる手段を得ることができました≫


「……え?」


 フタは耳を疑った。活性化率を下げられるなんていうのは、人類が諦めた夢物語。それが人間とアイアンホースが共通する常識だったのだ。

こんな、通信越しで誰とも分からない人物のひと言で信じられるほうがおかしい。


 そんな二人の目に映るのは、どう考えたって大規模侵攻での戦闘などで抑制限界値を超えていなければおかしい、九重ハジメ。


「じゃあ、ハジメが生きてるのって、それのおかげなの?」


 ミツが首を傾げて問いかける。


「……まあ、その、そう……でいいんですよね?」

「アイツが言っているんだから、そうなんじゃない?」

「すごい、すごいよ!!」


 何も聞かされていないハジメとルビーは、これは自分たちの口から言って良いやつかと悩み、歯切れを悪くする。それでも肯定であるのは違いないと、ミツは細かい事を気にせずに、ハジメは活性化率を下げる何かのおかげで生きていてくれたのだと、心から喜びはしゃぐ。


≪折角ですので“頂いた物”を有効活用させていただきました。お陰様で素晴らしい“成果”を得る事が出来ました。大変ありがとうございます≫


 凄い言い草だな、これが久佐薙家なのかとハジメとルビーは呆れ返る。ちなみに月世が言う“成果”は、『街林調査』など戦力的な意味合いであるため、嘘ではない。


 誤解を与えてしまうが、それは相手側の認識によるものなので仕方がない。心無しか、というか間違いなく、月世の声色には微かな喜色が混ざっていた。


≪そして九重零車掌教師、いい加減現実をお疑いになる事を止めて貰ってもよろしいでしょうか? 仮にわたくしの言葉が嘘だったとして、このカメラ越しに見える奇跡を、どうご説明なさるおつもりですか?≫


 語りかける【303号教室列車】の車掌教師、九重零は無言を貫いていた。

その理由を完璧に読み取っている月世が図星を突く。


 どのような事情があるにしても、“卒業”して二度と会えない筈のハジメと再会できた事に何も思っていないわけがない。偽装されていたものだったとしても、九重零車掌教師ことゼロ先生はハジメの活性化率の上昇が最期まで目に見えていたのだ。


 そのハジメが『ゴルゴン』になっておらず、『アイアンホース』としての再会。それが、この世界にとって、どれだけあり得ない奇跡であるか、車掌教師だからこそ十全に理解している。


≪それとも再び失いますか? 折角ご用意させて頂きました素敵なプレゼントを、あまり蔑ろにしてほしくないのですが?≫

≪──こちら【303号教室列車】担当の車掌教師、九重零だ……お前は誰だ?≫

「ゼロ先生!」


 久しぶりに聞く、父親に等しい九重零ことゼロ先生に、ハジメは感極まりそうになる。それをルビーは、ふんっと少し不機嫌になりがらも、良かったわねと呟いて肩を小突いた。


≪久佐薙の者です、申し訳有りませんが、これ以上の事はお話できません≫

≪……何時からだ?≫

≪何のことやら、でもそういえば、アルテミス女学園へ『アイアンホース』が転校というのは、些か急な話でしたね≫

≪…………≫


 かなり含みのある言い回し。実際、ハジメたちのアルテミス女学園への転校は、活性化率が抑制限界値に近かったアイアンホースの最期の利用であったが、それには大人の思惑があるものだった。


 ただし、それは動きが遅い東京地区を焦らせるためのものでしかなく、ゼロ先生の脳内で構築された、活性化率を下げる薬品の実験体とするための転校という考えは 全く的外れなもの。


 しかしながら月世は指摘しない、誰も誤解だと否定するものはいない。

話は、久佐薙月世の思惑通り、これらは久佐薙財閥本体が主導しているプロジェクトであるという勘違いが形成されて進んでいく。


≪……知っていたのか≫

「……はい」


 自分に向けられた問いだと直ぐに分かったハジメは帽子を深く被り、視線を反らしながら答えた。余計な事を言わないようにするためであったが、嘘を付いていた罪悪感というのもあった。


≪あまり怒らないでやってください。わたくしたちがお願いしたのです≫

≪……目的はなんだ?≫

≪久佐薙は久佐薙とでしか動きませんよ≫

≪金稼ぎか≫

≪ご想像にお任せします。ですが、わたくしたちは希望に満ちた未来が訪れるのを強く望んでおります≫


 久佐薙の一族は生まれながら持つ異常な才能で時には世界を救い、時には壊す。その根幹となる理由は金稼ぎであるのを、知る機会があったゼロ先生は自然と口にしていた。ただ、久佐薙には世間には知られていない、もうひとつの顔がある。


 金稼ぎ以上に、愛のためなら何だってする怪物なのだ。


 月世は、ゼロ先生の勘違いを指摘しない。何か思惑があるというよりも久佐薙と言えば金稼ぎというイメージを持っているのならば、それを訂正する必要性はない。なによりも、月世の個人的な趣味としても、ハジメたちを想い、すでに苦虫を噛み潰しているであろうゼロ先生の雰囲気だけで十分満足するものなので、話を進める事を優先する。


≪九重零車掌教師、あなただって、そんな未来を望んでいるのではありませんか?≫

「ゼロ先生……」


 ハジメは無意識に名前を呼んだ。ゼロ先生は無言となる。しかし、長年の付き合いゆえに、不器用な父に等しい彼が、仕事と自分を天秤に掛けて揺らいでくれている事が分かった。


≪そのために、何があっても今回の北陸聖女学園への転校、至ってにお仕事をして頂ける事を願っております≫


 しばらく沈黙が続いた後、腹の底から息を吐く音が通信機を通して外へと広がる。


≪……既に出発時刻は過ぎている、全員搭乗しろ……“全員”だ≫


 こうして、事態は収束する。真嘉たちアルテミス女学園ペガサス勢は最悪の事態は回避されたと、緊張から開放される。


 活性化率を下げられる手段が発明されたのが事実だとして、世界を揺るがす事情に、どうして個人的な判断を求められるのかなど疑問は尽きない。どっちにしろ、嘘か本当か分かった所で、自分がする事を変えられるなんてできやしない。


 なら、やる事は変わらない。これが仕事と言うなら、いつも通りに余計な事を口に出さず、マニュアルに沿った仕事をする。それだけだと、ゼロ先生は何も言わずにハジメたちを受け入れた。


「相変わらずね」

「……そうですね。本当に相変わらずだ」


 結局ハジメとゼロ先生は奇跡的な再会に対して、会話をする事は無かった。

でも十分だった。話しかけないのは、鉄道アイアンホース教育校では“卒業”扱いとなっているハジメに、不都合になり得る事が起きないようにと思っての事だと、ハジメ本人は理解していた。


 そうするように月世が言い回しで誘導した所はあるが、それでもゼロ先生は意図を汲んで実行に移してくれた。それがハジメにとって心から嬉しいものだった。


「……ハジメ、一緒に来るの? 【303号教室列車】に戻ってくるの?」

「いいえ。残念ですが鉄道アイアンホース教育校には戻れません。でも、自分の任務は北陸女学園へと転校する先輩たちを護衛する事です」

「……つまり?」

「しばらくの間、一緒には居られる……それで良いですか? 『ミツ』」

「いいよ! ハジメが居てくれるなら何だって!」


 ハジメとミツは、ようやく、絶対に有りえる事はなかった奇跡の再会を喜び合う。


「ハジメ先輩~っ! 良かった、本当に良かった~!」

「わっ!?」


 抱き合ってはしゃぐ二名に、フタも涙を流しながら混ざって、抱きしめ合う。


「ほんとにもう、一時はどうなるかと思ったわ。まあでも、やっぱりあんたは考えなしに動いたほうが上手くいくみたいね」

「……? あ、もしかしてルビーさんですか? 髪を切るなんて一体なにが……」

「似合うでしょ?」


 和気あいあいとするアイアンホース勢。一方でアルテミス女学園勢は、重たい雰囲気で月世と繋がっている通信機を見ていた。


「……先輩、その」

「あんた、こうなるって分かってたわね!?」


 真嘉が言い淀んでいると、咲也が通信機に向かって怒鳴り込む。これが全てアドリブであるのは間違いないが、気持ち悪いほどスムーズであった。この先輩の事だ。予測していたに違いない、それを私たちに一切教えずに居たに違いないと咲也は確信していた。


≪可能性のひとつとして考慮していました、平和的に終了して良かったですね。これも祈願のおかげでしょうか?≫

「……いつも、いつもそうやってっ!」

「咲也っ! ……オレたちだけじゃ、どうしようもなかった。そうだろ?」

「それはっ! ……分かってるわよ」


 咲也を止めた真嘉は、見えていないのを承知で響生が持つ通信機に向かって頭を下げた。


「月世先輩、助けて頂き、ありがとうございます」

≪いいえ気にしないでください、後輩を助けるのは先輩の努めですので。ですが発車してしまえば、話す事もできなくなります。貴方が頼りですよ≫

「……分かっています、いえ、分かってる」


 通信可能範囲から離れてしまえば、今度こそ月世など学園側の助けは得られなくなる。

真嘉は最初の時点で何も出来なかった自分に情けなくなる。だから、本当にこれが最後だと気持ちを切り替えようとするが、自信は無かった。


≪お願いしますね。この通信機は真嘉がお持ちください、アスクと何時でも繋がるようになっています。それではわたくしはこの辺で失礼させていただきますね。旅路が安全且つ素敵な物になるように、お祈りします≫

「まかまか、はいどうぞ!」

「ああ、ありがとう」


 それを最後に月世との連絡は切れた。名残惜しさを耐えるように、真嘉は頑丈にできている通信機を、まるでガラス製品かのように慎重な手付きで持つ。


「響生っ!」

「きょうちゃんだって、こうなるとは知らなかったんだもーん」

「だからって通信機のこと教えなさいよ!」

「仕方ないじゃん、つきっちに秘密にしておいてくださいねって言われたんだから、あっしにはとってもじゃないが逆らえませんぜ」

「あのー、先輩方?」


 咲也と響生の言い合いが始まりそうだと、真嘉が止める前にコンテナで待機していた亜寅が声を掛けてきた事で、意識がそちらへと行く。雰囲気悪いなと顔をひきつらせる亜寅を、コンテナで覗き見ている夜希は頑張ってと念じている。ちなみに亜寅が声を掛ける事になったのは、先輩後輩の間で起きたじゃんけんで負けたからである。


「なんか意味はあんまりよく分からなかったっすけど、とりあえず解決したって事でいいですかね?」

「あ、ああ、そうだな」

「ならもう、荷物を列車に運んだほうがいいっすかね」

「いや、ちょっと待て、いま聞いてくる!」


 真嘉はハジメたちの方へと向かう。


「……なんか、大変だったですね」

「そだね~」

「…………」


 真嘉が居なくなった四名の高等部二年の先輩たち、全く持って後輩を慮ってくれない空気に、亜寅はここに喜渡愛奈きわたりえな先輩が居てくれたらなぁと、何時だって自分たちを気にしてくれる先輩が、もう恋しくなった。


 ──こうして北陸聖女学園への移動は、少々のトラブルが発生しての始まりとなった。



+++



 ──彼にとって今日は何時もの朝だった。朝食を食べたら、いずれ出ると信じている成果を求めて、自分のしたいことを出来ている研究に勤しむ。それが彼の十年以上続く日常であった。


 ──最初の合図は、昼前に緊急事態のアナウンスだった


 最初、別の部署が何か事故を起こしたのかと思った。ここは『北陸聖女学園第七分校』。日本の北端だからこそ、その研究内容は非常に危険なものが多い。人が死ぬ事故だってしょっちゅうだ。後の報告書を見て、いずれは全てを木っ端微塵にしてしまう大事故が起きてしまうのではないかという考えが頭を過る事だってある。


 でも、なんだかんだで十年以上生きて来られた。今回もまた大丈夫だろう。そうやって楽観的にしていた彼は、今、息も絶え絶えとなって逃げていた。


 ──アイツ等は急にやってきた。たった二体の襲撃者。

 彼は現在、その一体に見つかって追われていた。


 あっというまにみんな殺された。

 ここを地獄に変えられた。

 戦う力はあった、『聖女』だってたくさん居た。

 なのに、全てが通用しなかった。

 そういえば幾つもの分校が壊滅したという話を今更になって思い出す。


「ああっ!?」


 彼の逃避行は、足をひねって転けた事で終わりを告げる。

 アドレナリンが分泌されているためか痛みこそ感じないが、なんとか立ち上がり、再び歩き出そうとするが、数歩進んだだけで倒れてしまう。

 もう一度、もう一度と念じるが身体は言う事を聞いてくれやしない。


「──もういいですか? 何もありませんか? でしたらもう、お汚しになってもいいですね?」


 追いついてきた襲撃者。

 そもそも逃げられるなんて無理な話だった。

 本気で走れば、自動車だって追いつかれる。

 なにせ襲撃者は人の形をした化け物、『ペガサス』なのだから。 


「私、お掃除が大の苦手で何時も何時も汚してばかり、周りから怒られていました。そんな時“お友達”が言ってくれたのです。“元からあんたは汚す専門でしょ”と、そのとおり、私は汚す事が仕事だったのです」

「お、お前は、誰なんだ……」


 なんで自分語りをしているのか分からず、あまりの意味不明な状況に彼はたまらず問いかけた。


 赤いラインが入った真っ黒のシャツ、ミニスカート、ロングブーツ、至る所にあしらわれているフリル、まるでメイド服に見えるように改造されており、原型は留めていないが、その“学校の制服”には見覚えがあった。

 

 だからこそ分からない。どうして、この第七分校に居るのかと。


 その学校は九州の最南端にある筈だ。

 その学校はもう既に滅んで存在しない筈だ。

 その学校は全てに見捨てられてしまった筈だ。

 分からない、何もかもが意味不明だ。


「ああ、またやってしまいました。自己紹介を忘れてしまっていました。ごめんなさいごめんなさい、怒らないで聞いて下さい」


 赤に黒が覆いかぶされるような二色の乱れたハーフツインの髪。目元に隈を持ちダウナー系、その口元は上から貼り付けたような陽気な笑みを浮かべているペガサス。

その右手には全長二メートルはあろう巨大で無骨な大包丁を持ち、開いている左手でスカートをつまむとお辞儀をする。

なんて可愛らしい姿か、我々人間の血に塗れていなければ。


「私はカゴシマスクール三年。『MADE・イン・メイド=冥土』と申します。何でもいいので、MADEでもメイドでも冥土でも、どうぞお好きなメイド“で”お呼びください」


 あまりにもふざけた名前。

 あまりにもふざけた存在。

 聞いても意味不明なのは変わらなかった。


「といっても人間様、そろそろお時間です──さあ、どうかお汚れになって」

「や、まっ──!」


 軽々と無骨な大包丁を掲げて、躊躇なく振り下ろす。

 それが、彼が最期に見た光景となった。


「──ああ、とっても汚い」


 肉の塊となったものを見て、冥土は嬉しそうにする。


「これでいいですか? 御主人様……御主人様? 聞こえていますか、御主人様?」


 誰も居ない空間に話しかける。

 冥土は何度も何度も呼びかけた。

 止めろと止められても、煩いと怒鳴られても、気が済むまで何度も呼びかける。


 ──────。


 声が返って来ないのは何時もの事だ。だが、今回は違った。

 遠くの方で何かが吠えた。


「──ああ、其処に居たのですね、御主人様」


 長年探していた物が見つかったかのように、冥土は歩き始める。

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