大規模侵攻 亜寅side

 大規模侵攻の最中で、行方不明になった亜寅アトラ丑錬うしね。大切な後輩である彼女たちを、愛奈とアスクが廃墟の中で見つけた時には、もう手遅れだった。


「──来ないで……来ないでぇ!!」


 廃墟の壁際の角にて、愛奈たちを認識すること無く、半狂乱に叫んでいる丑錬が抱き抱えているのは、見るからに片腕と両足が無い血塗れの亜寅であった。


「アスク!?」


 考えるよりも先に体が動いたのかアスクは接近を試みる。しかし、丑錬の視界内5メートル圏内に侵入した瞬間、地面に吸い付けられたかのように倒れた。


 丑錬は己の魔眼である〈罪架ざいか〉を発動していた。その効果は視界内の空間最大五メートルの重力負荷を増加させるもので、効果範囲内に入ってしまったアスクは、己の体重の何倍にも増した重量によって、まともに起き上がれない。


 しかし、アスクは人型プレデターの剛力を用いて無理に起き上がると、一歩一歩床を踏み抜きながら丑錬たちへと近づいていく。


 丑錬は壁の隅を背にしているのだから、裏から周り込み〈固有性質スペシャル〉にて壁を除去して背後から回ることも可能であったが、アスクは冷静ではなく、ただ目の前の命の危機を単眼の瞳で見続けながら、前へと進んだ。


「いや──! こないで、こないでぇ!!」

「丑錬! 〈魔眼〉を解除して! 丑錬っ!!」


 錯乱状態の丑錬は認識能力が低下しており、ただ自分よりも大きな何かが近づいて来ていることだけしか把握できていなかった。


 愛奈が何度も名前を呼んでいるが届いていない。そんな中でアスクが目の前まで近づいた事で、丑錬の視界に収まっている空間が狭まり、同じように〈罪架ざいか〉の効果範囲も小さくなる。これによって愛奈もまた、丑錬の傍まで近づくことができた。


「──丑錬!」

「あうっ!? ……え? えなせ──ごほっ!?」


 アスクを壁に丑錬の死角から手を伸ばし、首筋に黒色の注射を刺した。突然の体に走った痛みに正気を取り戻した丑錬は、“卒業”した筈の愛奈に気付いた瞬間、強い吐き気に襲われて、無色透明の胃液を嘔吐する。


「え、愛奈せんぱ──どうして──」

「丑錬!? ……ごめん、また後でね」


 急激な体調不良と、極度のストレス、そして愛奈が生きていた事による衝撃があわさあり、丑錬は気を失う。自由に動けるようになったアスクが丑錬の体に蛇筒を噛ませて身体検査を行ない命に関わる症状はないとして、床へと寝かした。


 そして、亜寅が丑錬からアスクへの両腕へと移される。同じように蛇筒を体に噛ませて容態を確認する。血塗れで気がつかなかったが、カマキリ型プレデターにやられたのか腹部が袈裟切り状に開いたままで、『ペガサス』なのに治る様子がない。


「亜寅! しっかりして亜寅!!」


 愛奈は、自身が血だらけになる事をお構いなしに亜寅に触れて、名前を呼び続ける。


 そうやって確認していくうちに、息をしていないこと、心臓が動いていないこと、瞳孔も開かれていると、亜寅が、もう手遅れである事を愛奈は把握していく。


 ──亜寅は既に“卒業”していた。


「亜寅! お願いっ! 目を開けて……亜寅っ!」


 頭で分かっていても、諦めきれないと愛奈は名前を呼び続ける。


 アスクは、まず四本の蛇筒を亜寅の血管部分に差し込み、精製した人工血液を流し込みながら、残りの四本で肉体の傷を塞ぎ、肉体を修復する効果がある復元液などを掛けていくが、蛇筒に送られてくる手遅れと言う冷たい事実が変わる事は無かった。


――――――――


17679:アスクヒドラ

だめだ心臓も動かない、息もしない。どうすればいい……どうすれば……だめだ!! 生きろ! 生きろっ!!


17680:識別番号04

アトラの状態はどうだ?


17681:アスクヒドラ

色んな所が無い。右腕も左脚も……お腹が開いて中身も……! 血を入れても、傷を塞いでもだめなんだ! なにも変わらないんだ!! ……どうすればいい……どうすればいい!?


17682:識別番号04

──識別番号02、何か方法が有るのではないのか。


17683:識別番号02

疑問→確信的に自身に問うのは何故だ。


17684:識別番号04

明確に述べられる理由はない。ただ沈黙に徹しているのに違和感を持った。

救済する方法があるならば提示するべきであると愚考する。


17685:識別番号02

──質問→亜寅の『P細胞』はまだ活動しているか?


17686:アスクヒドラ

してる……けど、急速に減っていく、だめだ。死ぬ、死ぬのが目に見える……。


17687:識別番号02

警告→これから語る事は極めて危険な賭けであり失敗すればより凄惨な結果を招く恐れがある。


17688:アスクヒドラ

なんでもいいから教えてくれ!! このまま何もせずになんて、そっちの方が無理だ!!


17689:識別番号02

当然→こうなるか。

了承→時間との勝負となるため話を聞きながら実行してほしい。


17690:アスクヒドラ

分かった。


17691:識別番号02

質問→『ペガサス』のアトラの脳および『P細胞』はどうなっている。


17692:アスクヒドラ

……脳は、まだ無事だと思う、アトラちゃんの『P細胞』が頑張って状態維持してくれていたみたい……でも目に見えて減っていってる。


17693:識別番号02

了解→では先ずアトラ体内に存在する『P細胞』の活性化率を上昇させる。

状況→現在アトラは『P細胞』の生命維持によって脳が保護されている状態であるが肉体の損傷率から復帰は不可能と判断が行なわれて徐々に活動を停止させているものと思われる。

結論→よって行なわなければならないのは『P細胞』の再起動。


17694:識別番号04

できるものなのか?


17695:識別番号02

肯定→理論上は可能と思われるが『ペガサス』の体内へと入った『P細胞』は本来不完全な状態で活動しているものであるため多少活性化率を上げたところで再起動を果たせないと思われる。

提示→ゆえにアスクヒドラが今から行なうのは本来であれば行なわれる筈の兵器化機能を完全に稼働させながら最終工程である神経系への干渉は非稼働状態を維持し続ける蘇生術である。


17696:識別番号04

失敗した場合、アトラが『ゴルゴン』に変化する。


17697:識別番号02

肯定→そのため失敗すればより悲惨になるとして教えることを躊躇った。


17698:アスクヒドラ

……数字的には、どれくらいを意識すればいい。


17699:識別番号02

応答→99.99%

注意→あくまで人間が付けた数値情報であるため実際の所はアスクの感覚情報でしか判断できない。

質問→それでもやるか?


17700:アスクヒドラ

やるよ。


17701:識別番号04

──いいのか?


17702:アスクヒドラ

分かってる、でも、このままじゃ死ぬんだ……やるしかない……大丈夫、俺の人外ボディはチートなんだ……だから……やれる……やるんだ……。


17703:識別番号03

アスクなら助けられます。


17704:アスクヒドラ

ゼロサン……。


17705:識別番号03

アスクなら絶対に助けられます。


17706:アスクヒドラ

……うん、ありがとう。

ゼロツー、頼む。


17707:識別番号02

了解→これより『ペガサス』のアトラの緊急蘇生術を始める。


――――――――――



「……アスク?」


 アトラを優しく抱えていたアスクは、蛇筒を全て小さな体へと接続させる噛ませる。愛奈は空気が研ぎ澄まされた事を感じ取り、思わず彼の名前を呼んだ。


 ──すでにアスクは、愛奈たち『ペガサス』へ注入している活性化率を下げる力を持った生成液“血清”とは正反対の、活性化率を上昇させる液体を生成しており、亜寅へと注入していた。


「アスク……亜寅を助けてあげて!」


 愛奈は、アスクが行なおうとしていることは失敗すれば最悪、元後輩の『ゴルゴン』が現われてしまうものだとは知らない。だけど、亜寅の命を救おうとしてくれるのだと、彼を信じて成功するように祈りを捧げる。


 ──亜寅の『P細胞』は着実に活性化率を上げていっており【15%】だった数値は既に【80%】に達しているが、表面上に変化は無く、『P細胞』も変わらぬ速度で停止していっている。


 怖れている時間はないと、直ぐに【90%】へと上昇させる。変化はまだ現われない。そして呆気なく『ペガサス』にとって事実上の“卒業”を意味していた抑制限界値である【95%】に達した。


 活性化率の自然上昇が加速した事で、今度は逆に、あるいは正常通りに“血清”の注入を開始。上がる数値を緩やかにする程度の量を入れていく。


 “血清”は液体であるが水分ではない、現代科学の観点からは、完全なる未知な成分は、どれだけ体内に入れようが役割を達成した時点で消失するため、血液など水分を希釈せずに、幾らでも注入することができた。


 ──【96%】──。


 タイミングが掴みやすい速度に調整して、訪れるであろう瞬間を待つ中で、アスクは己が人外でよかったと思えるものを一つ見つけた。それはどれだけ緊張や恐怖などで感情が高ぶっても、心臓は五月蠅くならないし、手が震えない、機械的に体を動かすことが出来るといったものだ。


 ──【97%】──


『P細胞』に内臓されている脳など神経系に干渉する機能が起動してしまえば、その人物の自我は消されてしまう、つまり、心の死である。だから例え“血清”で『ゴルゴン』から再び『ペガサス』に戻せたとしても、既にその『ペガサス』は“卒業”してしまい、亜寅という人物は、もうどこにも居ない。元に戻ることは二度と無い。


 ──【98%】──。


 もはや得られる数値化された情報は大雑把な目盛りぐらいにしか役に立っておらず、まるで片切りスイッチを“入”に成らないギリギリまで押し込むような作業のようだと、アスクは送り込まれて生感覚的な情報に全神経を集中させる。


 ──【99%】──。


 ──単眼は亜寅を捉え続けている。だけど、どうしてか愛奈の顔が視界の先に浮かび上がったような気がした。その瞬間、“血清”の量を増やしたと同時に、ぞわっと触れてはいけないものに触れた強い拒絶心が湧き上がった。


 ────【100%】────【99.99%】──。


 何かが起動して、何かが起動しそうになった。そんな感覚が思考を支配する。アスクは即座に“血清”の注入量を安定させる。一瞬であったが速すぎても、遅すぎても亜寅の命を失う作業で、またアスクは人外でよかったと思った。


「──────~──~~──ごほっ、ゴホッ!」


 ──変化は直ぐに現われた。亜寅は小さく咳き込み気道に溜まっていたと思われる血を大量に吐き出した。アスクは直ぐに、首を横に倒して血を地面へと落とす。


「あ……う……あ…………」


 それから、呻くような呼吸音が聞こえてきて、はっきりと息を吹き返した事を周囲に伝える。


「……あ、亜寅? 亜寅──っ!!」


 愛奈は感極まり、亜寅に触れようとしたが、その手を止めた。何故なら亜寅が異常なほど痙攣しはじめたからだ。


「う……あ……あ…………あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!!」


 亜寅は叫び暴れ始める。アスクは床に落とさないように『プレデター』の腕力によって体を固定して、活性化率【99.99%】を維持し続ける。


 ──肉体に変化が訪れる。欠損していた右腕と両脚から、先ずは骨のような長細い金属部位が伸び始めて、それを覆うように神経と筋肉、そして金属的な皮膚があっと言う間に形成されていく。


「ううう……うううウウウガァア──!!」


 伸びた右手は鋭い鉤爪となっており、アスクの体を掴み食い込んでいく、それだけではなく亜寅が暴れ体に生えた『外殻』と触れる度に、その身を削り、傷を増やしていった。


 ──そんな自身に降りかかる危害も、亜寅の絶叫も、アスクは感知していなかった。数値が少しでも上がれば彼女は『ゴルゴン』となる。そして少しでも下がれば『P細胞』は致命的なエラーを引き起こし、今度こそ完全に機能を停止してしまうと感覚的に理解する。


 “ON”とOFFの間を常に維持し続ける。それは〈固有性質スペシャル〉に関わる事は全て漠然としてきた感覚的に行なえてきた、アスクにとって初めてと言えるほど繊細な微調整による投与が要求された。それに加えて、姿が変わるにつれて活性化率の上昇速度も変わっていき、それに会わせて“血清”の量の調整もしなければならなかった。


 ──ほんの少しの気の緩みが、意識の逸れが抱えている命の灯火を消すことになる。もしも痛覚があったとしても、アスクは亜寅を救うために痛みで止まることは無かっただろう。


「ガ──オォオオォオオオ゙オ゙オ゙オ゙オ゙──!!」


 亜寅の体から生えてきた猿のような金属部位製の尻尾が、伸縮自在に暴れ回り、斧のような先端が何度もアスクを傷付ける。


「だめ!? 亜寅っ!!」


 もしも頭などの急所に当たってしまえば命が危険だとして、愛奈はせめて尻尾だけでもと両手で掴みかかり、静止させる。


「──うっ!」


 尾は掴まれた時の対策としてか、表面がおろし金のようにざらついており容赦なく愛奈の手の平を削り、出血させる。それでも愛奈は決して離す事は無く、『ペガサス』の力で強引に大人しくさせる。


「────お願いっ! お願いっ!!」


 ──亜寅の頭に動物的な耳が生え出した。痛みに耐えながら、指が削れ落ちても、お構いなしと握り続ける愛奈は、みんな助かってと祈る。


「あ、ああ────」

「亜寅!?」


 亜寅が叫ぶ事を止めて、大人しくなった。不安になる愛奈であったが、実は亜寅の肉体の修復が終了し、アスクが活性化率を下げたゆえの反応であった。


 亜寅の肉体に生えた『外殻』が一部を除き肌から剥がれていく、爪は指へと変わり、愛奈が掴んでいた尻尾は縮んでいき、質感も柔らかい安全なものへと変わる。


「亜寅! 亜寅!!」


 きちんと呼吸をしている。心臓も動いている。蘇生は成功した。しかし問題なのは、彼女が『ペガサス』のままかである。愛奈は傷だらけとなった自身の両手に構わず、亜寅に呼び掛けた。


「──エ…………ナ…………せんぱ……い」


 すると、亜寅は一瞬だけ瞼を開き、愛奈の顔を見て名前を呼んだ。そのあと直ぐに再び意識を失ったが、そのたったひと言が、亜寅の自我が消えることの無く、蘇生が成功したなによりの証明となった。


「──生きてる」


 愛奈の瞳から涙が溢れる。“卒業”したと思った後輩が息を吹き返して、名前を呼んでくれた。こんな奇跡あってもいいのだろうか?


「生きてる……生きてる……!」


 その代償として、その見た目は『ゴルゴン』のようになってしまっていたとしても、愛奈にとっては、そんなこと気にならない。心の底から助けられなかった命の蘇生という奇跡に、喜んだ。


 ──しかし、一方でアスクは、こんな形でしか助けられなかったと、心に影を落とした。

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