アイドル・ドリーム・ステージ 5


 『上代かみしろ兎歌とか』は風紀委員を名乗り、中等部ペガサスの監視役として活動している。そんな彼女は現在、高等部区画の『生徒会室』へと赴いていた。


「──以上です」

「ありがとうございます! 今のところ大きな諍いは起こっていないようで何よりですね」

「……はい」


 理由は風紀委員としての活動を、生徒会長である『蝶番ちょうつがい野花のはな』に定期報告をするためであった。そして、報告し終えた二名の間から発生する空気は、とても重々しい。


 今の兎歌は、野花に対して複雑な感情を抱いていた。それを分解して並べて語れば、尊敬と申し訳なさ、そしてほんのちょっとばかりの訴えであった。


 風紀委員として、中等部のトラブルに介入するようになって分かったことは立場関係なく攻撃的な性格をしている『ペガサス』が居るという事である。


 自分の意見を通すために過激的な行動をする事を厭わない、また自分が正しい事を訴えるためなら平気で嘘を吐く、なんの悪びれもなしに罵倒してくる。それらの『ペガサス』は少数派であるが、兎歌は耐性があるわけではない。いつ何時、『縷々川るるかわ茉日瑠まひる』から借り受けたボウガン型専用ALIS【ブルーベリー】を撃つ状況になってもおかしくないと、外面で余裕ぶって活動している中で、内心では、とても怖かった。


 そんな兎歌の心の支えにしている光景があった。それこそが大規模侵攻以前、今は“卒業”してしまった猫都たち中等部三年ペガサスに相対した時の野花の背中であった。


 決して月世先輩や愛奈先輩のように強い心の持ち主ではないのに、生徒会長として頑張る先輩は、兎歌にとって尊敬に値する『ペガサス』になっていた。


 ──どうして、我慢なんてしたの?


 そんな先輩を、自分の考えが足りなかった所為で、“何もしなかった所為”で、今でもなお気に病ませている事が申し訳なく、そんな罪悪感を元に生まれる先輩の力になりたいという気持ちが、兎歌のモチベーションを維持していた。


「──兎歌、本当に辛いようでしたら、無理しないでくださいね」

「……はい、ありがとうございます」


 ──そして、できるなら優しい言葉を掛けないでほしいと、話すたびに思ってしまっていた。


「それでは……」

「はい、怪我に気を付けて活動してください!──ふぅ……無理、絶対無理」


 兎歌が出て行った生徒会室に、報告の合閒に歓迎会について聞こうと思っていた野花であったが、どうシミュレーションしたって碌な結果にならず、勇気を湧かせる事はできなかった。


 野花は、全て自分が原因と言われても仕方がないと思うからこそ、兎歌の事をなんとかしたかった。そのため『久佐薙くさなぎ月世つくよ』にも相談したのだが、現状維持を推奨される。


 ──今回は、静かに見守ったほうがいいと思いますよ。


 本当にそれでいいのかと思うが、取り返しの付かない失敗をした自分よりも、人の心を弄ぶからこそ、『ペガサス』の誰よりも人の心に詳しい月世先輩が言うならと野花は定期報告以外の直接的な干渉を控えていた。


「──上手く行くといいなぁ……」


 なので、野花は『歓迎会』が成功する事を強く願う。報告書を見る限り『東海道ペガサス』たちは準備の時点で楽しんでいているからこそ、余計に兎歌たちにも楽しんで欲しいと心から思った。


 +++


 生徒会室を後にした兎歌が、重々しい足取りで次に向かったのは、コンクリートブロックを積み上げたような頑丈で侘しいデザインをした二階建ての住宅。高等部寮であった。


 それぞれ学年ごとに与えられる、ペガサス二十名ほど暮らせる寮は現在、元一年寮にアルテミス女学園ペガサス全員が共同生活をしており、続いて元二年寮には、本人たちが良いと承諾した事もあり『アイアンホース』および『東海道ペガサス』に割り当てられている。


 そして元三年寮であるが、まだ本格的な使用目的は決められておらず、現在は必要の無い家具や私物を中心とした物を片付けておく倉庫と化していた。兎歌が訪れたのは、そんな三年寮であった。


 邪魔にならないように端に物が置かれている廊下を進む、その途中にリビングに目を向けて誰も居ないのを確認した兎歌は安堵して、目的の部屋へと向かう。


「「──あ」」


 その道中で鉢合わせしたのは、高等部を含めたアルテミス女学園の誰よりも高い身長を持つ同級生、中等部一年ペガサス『大麓おおろく丑錬うしね』であった。


「「…………」」


 互いが、ほぼ同時に顔を背けて、視線だけを相手に向ける。言葉を発する事ははなく末期的な空気が周囲に充満する。


 ────なんで?


 亜寅の事もあって、先んじて愛奈に高等部の秘密を打ち明けられた丑錬は怒る事はなかったが、悲しみの激情を持って、何度も何度も“なんで”と疑問を打つけ続けた。愛奈は謝り続けることしかできず、その様子を兎歌は遠目で見ていた。


 それからの丑錬は『勉強会』とは距離を置いて、高等部区画内で誰にも会わないように時間を潰しては、亜寅の傍で寝ている日々を過ごしている。


 兎歌は何度か口を開閉させるが、結局なにも言わず丑錬を通り過ぎる。


「──と、兎歌は亜寅に会いにきたのぉ?」

「……!」


 丑錬の方から話しかけられるとは思わず、兎歌は振り向くことこそ抑制できたが足を止めてしまう。


「も、もう止めてよ……いいから、放っておいてよぅ……」


 小さく今にも泣きそうな懇願に、兎歌は強く自分の気持ちを訴えたかった。しかし、そんな事をしても仕方が無いと、だからといっても“なにもしない”のは嫌だと、なんとか足を動かした。


 +++


 丑錬、そして人間時代から友人関係であった『ペガサス』──『鈔前しょうぜん亜寅アトラ』は『勉強会』に属していた兎歌の同級生であり友人だ。そんな彼女たちは大規模侵攻が始まる前に、猫都グループへと移動した。


 その理由は、少しでも生存率を上げたいからと言うのが亜寅の言い分であったが、真の目的は大規模侵攻の最中に、猫都たち中等部三年に不信感を持つグループ内の『ペガサス』を引き抜いて、『勉強会』と合流し、みんなの負担を軽くしつつ、大規模侵攻を生き残るというものであった。


 アトラは自分なりに『勉強会』の事を想って、自ら考えて行動に起こした。それは兎歌にとって羨むほど立派な行為であった。しかし、そんな亜寅に与えられた結果は失敗による重い代償であった。


「──亜寅」


 兎歌は、構造上玄関から最も遠い部屋の前に来ると、扉をノックして名前を呼んだ。


「亜寅、お話したいの……中に入れて」

「──また、来たのか」


 少し間を置くと、扉越しに昏い亜寅の声が返ってきた。元気ではないが、彼女の声を聞けたことに事に兎歌は心から安堵する。


「何度も言わせるなよ……。ワタシは外に出るつもりもないし、お前と会うつもりもない」


 何度も聞いた拒絶の意思は変わる事なく、亜寅は扉を開けようとはしなかった。


「帰ってくれよ……解ってる、解ってるよ。お前が何も言わなかったのも、何もしなかったのも当然だって、もしもワタシが同じように秘密を知ったら、言われた通りに隠したし……嘘も吐いていた」


 兎歌を帰らせるために亜寅が口にするのは拒絶の言葉ではなく、それよりも遙かに効果のある理解による同情であった。


「お前の事だ、すんげぇ悩んでくれたんだろ? ずっと辛い顔していたのワタシも何度も見てるから解るよ……考えれば、考えるほど、お前はそういう奴だって……分かるんだ……」


 ──亜寅は、秘密を抱えて様子がおかしくなった自分を気に掛けてくれた。ご飯に誘ってくれた、悩みがあるなら頼ってくれと言ってくれた、なによりも事情を深く聞かないでくれた。そんな彼女を、生徒会室前で偶然出会った時に、何もせずに見送った事を、兎歌は何時も思い出す。


「……亜寅、歓迎会の話なんだけど……聞いてる?」


 兎歌は、とにかく話がしたいという一心で、必死に考えて、記憶を掘り起こして、そうして思いだしたのは、渡された紙チラシであった。


「その……愛奈先輩がね、アイドルになってライブをやるの……チラシもあるの」


 なんだか昨日の夜に見た夢の話をしているような気分になりながら、本来は“卒業用”の毒を入れるためのものであった上着の内ポケットから折りたたんでいた紙チラシを広げる。


 『戌成いぬなりハルナ』から渡された紙チラシには、『歓迎会』について分かりやすく書かれており、その中で特に高等部三年ペガサス、『喜渡きわたり愛奈えな』がアイドルENAとして立つステージを開催する事が強調されていた。


「亜寅……はどうするの? ……丑錬ちゃんと行くの?」


 ──自分は“行くつもりがない”のに何を聞いているのかと、自己嫌悪をしながら返事を待つ。すると部屋の中から物が動く音が聞こえて、扉が解錠された。この部屋に亜寅が引き籠もってから、兎歌が訪問するようになって初めての事だった。


「亜寅!?」


 兎歌は、考えるよりも先に体が動き部屋の中へと入る。


 ──室内は明かりが灯っていなかったが、『ペガサス』の視力で廊下の光源が届く範囲はしっかりと見えていた。


 兎歌が見える範囲での部屋の様子は酷いものであった。物が散乱しており、ベッドや椅子など家具の殆どが破損している。そして壁や床などには“爪痕”が残っているなど、室内で無事な所がないほどに荒れ果てていた。


「……こうやって、直接顔を見るのは久しぶりだな」


 亜寅は廊下の光が届かない奥のほう、兎歌と対面となる場所に立っていた。その身の丈小さな体を毛布を被せて、姿を隠している。


「亜寅……電気、点けるよ」

「──兎歌、ワタシはさ。小さい体が理由で苛められていたんだ」


 先ずは部屋を明るくしようと思った兎歌に、亜寅は己の過去を話し始めた。


「それだけじゃねぇ。どっかからワタシが産まれた時から『ペガサス』になるってのが学校の奴らに漏れて、こいつになら何をしてもいいって同級生から舐められたんだ……本当の事いうと“亜寅”って漢字はワタシが付けて、勝手に名乗ってるだけなんだ」


 亜寅が小学校で苛められていた事は何度か聞いていた兎歌であったが、詳細を聞くのは初めてだった。生まれた時から『ペガサス』に成ることを勝手に決められていた。自らの意思で『ペガサス』になった兎歌の心に、やけに深く刺さった。


「ワタシは、他の連中と違って我慢できなかった。でも気持ちとは裏腹に体が小さくて、弱くて、ちっぽけで……だから、色々と考え無いとダメだったんだ」


 東京地区での亜寅は社会的弱者であった。周囲には彼女に味方してくれる者もおらず、自分で行動しなければ事態は悪化するばかり、そんな環境に産まれた。


「少しでも大人しくなったと見られたら、また直ぐに悪い奴らが寄ってたかって来て、じっとなんてしていられなかった」


 自分に降りかかる加害に、誰か助けてくれるものは居ないと悟った亜寅は“動かなければ不幸になるだけ”と考えるようになった。例え、それが良くない事でも、周りから嫌われる事でも、迷惑を掛ける事になっても、選んでいる暇なんて無かった。


 だから、亜寅は自分で考えて『勉強会』から猫都グループへと移動した。彼女なりに自分を受け入れてくれた友達や先輩、仲間たちを想って。


「──それで、誰も信用せずに、自分勝手に動いた結果がこれだ」


 亜寅は兎歌へと歩み寄る。被っていた毛布がずり落ちて、その姿が露わになる。


 ──下着姿の小さな体。その肌の至る所が金属物質によって覆われていた。右手と両脚は完全なる金属部位で形成されており、義手義足のようになっている。そして跳ねっ返りが目立つ黄色と黒混じりの頭髪から“獣のような耳”が、さらに腰あたりから尾が生えていた。


「こんな姿になっちまったんだ……」


 ──『外殻』に覆われた体。人ではない獣の特徴。亜寅の姿は『ゴルゴン』となっていた。


「こんな、誰が見ても、敵な姿にっ! なっちまったんだ!!」


 亜寅が感情を高ぶらせると、その姿が変化する。瞳孔が縦に細くなり、両手両脚が、さらなる『外殻』に覆われて指先が鋭い爪となり、尻尾が伸びて先端は斧のようになっていく。


「亜寅落ち着いて!? ……活性化率、増えちゃう……」

「……っ! …………」


 より『ゴルゴン』に近しい姿へと変わってしまうと、その分活性化率が上がってしまう。亜寅が時間を掛けて怒りを静めると、追加で生成された『外殻』は剥がれ落ちていき、液体となって消える。瞳孔の形や尾なども元に戻った。


 ──亜寅は大規模侵攻のさいに致命傷を受けた。アスクと愛奈が発見したときには、呼吸も心臓も止まっており、既に“卒業”している状態であった。


 しかし、亜寅の脳が、まだ機能していたこと、急速に停止していってはいたが、体内の『P細胞』が稼働していた事で、アスクは識別番号02の提案によって、一か八かの蘇生術を行なう事にした。


 それは活性化率を、わざとギリギリまで引き上げて『P細胞』を再稼働させて肉体を修復させるというものであった。一歩間違えれば本当に『ゴルゴン』になっていたかもしれない危険な方法は成功し、亜寅は蘇生された。しかし、全てが無事というわけではなく、後遺症として、亜寅の見た目が『ゴルゴン』のようになってしまった。


「……せめて、せめてハルナ先輩にワタシの考えていたこと話せたら……誰かのためにだなんて偉そうなこと言って、信じなかった。丑錬も巻き込んで……」


 亜寅は、この部屋で引きこもる中で、ずっと己がこうなった理由を考え続けていた。そこに理不尽な怒りもあった、どうしてという嘆きもあった。だけど考えれば考えるほど、こうなったのは自分が、身勝手に行動して突き進んだ果てにあったゴールを潜っただけなのだと嫌でもつき付けられた。


「……そもそも、ワタシが何も──何もせずに我慢すればよかったんだ……なのに、それができなかったんだよ……お前みたいにさ……兎歌」


 それは自分に対しての自虐であった。同時に兎歌に対する称賛と羨望であった。そんな亜寅の気持ちを聞いた兎歌は首を横に振った。


「亜寅、違うよ……わたしが何もしなかったから、亜寅がこんな辛い目にあっているの……あの時、申姫先輩が大怪我負ったのも、丑錬ちゃんが毎日泣くようになったのも……全部……」


 兎歌は、中等部ペガサスに降りかかった数々の大規模侵攻での災厄は“何もしなかった”自分が招いた事だと言う。


 ──なにかしたの?


 それが単なる状況を聞いただけの質問なのは兎歌も分かっている。だけど、事ある度に浮かんでは後悔の念を強くさせて、自身の体を突き動かそうとする呪いの言葉となっていた。


「わたしが、ほんの少しでも考えていたら……ほんの少しでも、勇気を持ってみんなに話せていたら、こんな事にはならなかったんじゃないかって……ずっと考えてる……みんな秘密を守るために仕方なかったって言ってくれるけど違うの……わたしはただ、何かをやって失敗するのが怖かったんだと思う」


 ──まるでそれは、余計な調味料を付け加えて料理を駄目にしてしまうような。なんて、こんな風に好きなものと無理矢理繋ぎ合わせて言い訳を繰り返して、考える事を放棄した。


「──亜寅、あのとき、生徒会室の前で会ったとき、亜寅が本当のことを打ち明けてくれたように、わたしも言おうって思ったの……でも、結局なにもしなかった……」

「…………」

「ずっと……亜寅の手を掴んで、生徒会室に入れば良かったって……ずっとずっと後悔してる」


 兎歌の懺悔に、亜寅は何も言わず俯く。尻尾が伸びて小さな体を守るかのように纏わり付く様は彼女の感情を表わしているようだった。


「──帰ってくれ」

「亜寅……」

「ワタシはもう、外にでる気はねぇよ、怖いんだ……どう思われるかって……また何かやっちまうんじゃないかって」


 もう話すことはないと、亜寅は背を向ける。兎歌は手を伸ばそうとするが、これ以上なにを話していいか分からず、ハルナから貰ったチラシを床に置くと、部屋を後にした。


 +++


 大規模侵攻のあと初めて亜寅と話せた。進展もあった、だけどそれは悪化の類いであると兎歌は憂鬱になる。丑錬の姿は見えず、出会わなかった事にほっとしてしまった自分が心底嫌いになりそうだった。


「──あっ! 兎歌とかりんだ!」

「──っ!!?」

「やはー!」


 兎歌は、そのまま通り過ぎようとしていたリビングから聞こえてきた呼び掛けに、腹の底から悲鳴を出しそうになった。


「ひ、響生先輩……」

「きょうちゃんって呼んでってば! ……無理強いはしないけどね!」


 リビングに居たのは、自身と身長が1センチしか変わらない小さな高等部二年先輩。『白銀しろがね響生ひびき』であった。


 ──大規模侵攻のさいに、『ゴルゴン』と出会ってしまい危うく“卒業”しかけた自分を助けてくれた先輩であり、甚大なるトラウマを植え付けた先輩。


「どっこいSHOT!」

「きゃっ!?」


 響生は、無駄が多いアクロバティックな動きで兎歌の間近へと迫った。そんな先輩に兎歌は無意識に距離を取ろうとして壁際に置かれていた椅子に背中から打つかってしまい、そのまま腰を下ろしてしまう。


「どうして……ここに……」

「ボールボールだよ、ボールボール」

「……?」

「あ、偶々タマタマってこと! 流石に分かりづらかったかー、失敗失敗。というか、とかりん何時までそれ聞くねん!」

「あ……ご、ごめんなさい」


 兎歌は、元三年寮にて響生とは何度も会っていたが、その度に今のような反応をしてしまっていた。その事に、兎歌は心から申し訳ないと謝罪する。


 ──いけない事だと分かっていても、響生先輩の顔を見ると、どうしても思いだしてしまう。大規模侵攻の時、『ゴルゴン』を殺し、血塗れとなった響生先輩から向けられた人形のように無機質な瞳を。


「──うっ」

「まあ、あんまり気にしないでね! あ、そういえば。とかりんは亜寅トラリンと話せたの?」


 気分を悪くして、口元に手を当ててしまう兎歌に、響生は何も思う事はないと言わんばかりに話を進める。返事をしたくても声と一緒に、胃の中の液が出てしまいそうで出来なかった。


「……とらりんが明らかに話せる状況じゃないのに質問しちゃう、そんなきょうちゃんって奴は、マジ最低だね……ぎりぃ!」

「ごめん……なさい」

「……ぜんぜんもーまんたい! 何度も言うけど安心してよ。亜寅トラリンは殺すつもりはないから!」


 はっきりと“殺す”と言う単語を口にする響生。それは逆説的に、もしも亜寅が自我をなくして、正真正銘の『ゴルゴン』になった時、命を奪う役割を担うのは彼女なのだと言っているようなもので、安心できるわけなかった。


「でも、体は完璧に『ゴルゴン』っぽいのに、普通に話せるなんて不思議、なんだか気になるよ~ね~」


 狼狽える兎歌に、響生は関係なしと、あるいは本気で気付いていないのか話を続ける。


「──もしかしたら、きょうちゃんが殺した『ゴルゴン』の中にも、トラリンみたいな子が居たのかな?」


 兎歌は、なんて言っていいか分からず、ただ言葉を詰まらせる。


「──笑えない冗談だったね。もー“影響受けているみたい”で、まじ最悪ってかんじ。とかりんほんとごめんね! 反省!」

「……いえ、大丈夫です」


 最近、頻繁に会話をしている最低最悪の先輩の影響を受けたかもしれないと、響生は頭を下げながら、兎歌に片手を差し出す。そんな先輩に兎歌は気にしていないと言うしか無かった。


「……ちゃんとしたことは知らないけど、助けるのに已むなくああいった姿になっただけってらしいから、見た目こそ『ゴルゴン』だけど完全に別物っぽい──とりあえず、そんなトラリンの事を、今後は『キメラ』って呼んでいくみたいだよ、昨日の夜に決まったから、とかりんはまだ知らなかったよね?」


 亜寅は『ゴルゴン』に類似した身体的特徴を持ちながら、人としての自我を残した新たなる存在である。専門的な話をするとき、呼称が『ペガサス』のままでは情報区別がし辛くなるとして、話し合いのもと別の名前で呼ぶ事が決まった。


 ──神話に出てくる、様々な動物の特徴が混合した生物『キメラ』。それが亜寅という存在に与えられた新たな名であった。


「まあ、あくまで調査のために区別が必要だから仕方なく呼ぶっぽいぽいぽーってだけみたいだから、嫌なら呼ばなくていいよ」

「……『キメラ』」


 単なる属性の区別をするものであるのは分かっているが、そう呼べば、亜寅だけを除け者にしてしまうような気がして、兎歌は強い拒否感を抱いた。


「……あの、響生先輩。わたしはそろそろ」


 会話が途切れた事を見はからい、時間的に風紀委員の業務を行なうために中等部校舎に帰らないといけないこともあって、兎歌は終わりを切り出す。


「分かったよ! あんまり無茶したらダメだぞ? ……あっ! やっばい忘れてたぜ! もう一個言わないといけない事あったんだ」

「もういっこ?」

「──きょうちゃんはね、歓迎会出ないから」

「……え? ど、どうしてですか?」


 アルテミス女学園高等部で活動する全員が参加すると思われた『歓迎会』に響生は欠席すると言う。トラウマを抜きにしても、響生がこういう行事は必ず参加しそうと思っていただけに、兎歌は唖然としながら理由を尋ねる。


「──自分が、面白くない『ペガサス』なのは分かっているよ」


 笑顔、されど無機質な声と瞳で、響生はハッキリと言った。


「空気読めない先輩が来て、場を白けさせるのは、きょうちゃん的に避けたいのだ。だからね安心して参加しなよ、とかりん」

「そ、それは違います! ……違います……!」


 ──心から否定する。拒否反応を見せてしまうのは自分の心が弱いからだ。兎歌にとって響生はネタを挟んで周りを笑わせようとしてくれて、何度も助けてくれた、命を救ってくれた先輩なのだ。


「それに、わたしは……」

「……行かないの?」


 兎歌は沈黙によって肯定する。理由を聞こうかと思った響生であったが、話してくれそうにないと、すぐに諦めた。


「──とかりん、先輩からのお願いを申し上げるぜ」

「響生先輩……?」

「歓迎会参加して、愛奈えなりんのステージ、きっと凄く楽しいよ!」


 わざとらしい満面の笑みを浮かべた先輩からのお願いに、兎歌は返事の言葉を浮かべることすらできなかった。


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