玄純酉子 ce1
関西を拠点とする久佐薙財閥。そんな本家となる久佐薙家には多くの分家が存在していた。
それらは久佐薙の名を使うのは都合が悪いが、必要であると作られた家系であり、各々に重要な役割を与えられている。
そんな中に異端にして異形な分家が存在する。
――“
鐚1文稼がなくても、本家に等しい衣食住が与えられる代わりに、久佐薙の血筋が持つ決して表に出せない“性”を処理する被虐の存在たち。それが玄純家であった。
「――久佐薙の血は、人の形をした怪物を生み出す血なのです」
これは『
「天性の才、あるいは怪物の呪い。この血が受け継がれる私たちには、産まれながらにして人から逸脱した才能を、与えられる事があります」
彼女が自分たち久佐薙の一族がどんなものか話し始めたのは、名残惜しさを誤魔化すため、そして自分というモノがどういう存在か分かってほしいからだろう。
「その才能は、必ずお金を稼ぐことに終着します。地位、名誉、政治、娯楽、それら全て、久佐薙にとってお金を稼ぐ手段にしか成り得ないのです。
お付き役となっていた玄純家の者から、皺ひとつのない新品のシャツとズボンを受け取る。着替えた彼女はとても様になっており、彼女が若くして久佐薙財閥から企業を数社任されている女社長だと、聞けば誰もが納得するだろう。
「そんな私たちの才を、あるいは呪いと呼ばれる“これ”を現当主様がよく口にしている例えがあるのです――私たちは金が成る木を育てるのは得意だけど、餓えを満たす作物は育てられないよねって」
着替えを終えた久佐薙の女性は、少し我慢したけど、やっぱり無理だと、ベッドで横になっている男性の傍に寄った。
「現当主様の評価は的を射ていると思うの、私たちは幾らでもお金を稼ぐ事はできるけど、餓えを満たせるものは自らの手では作れないのです」
男の顔を覗き込む、久佐薙の女性は耐えきれず表情を恍惚とさせた。
「だから、私たちは餓えを満たせるモノとの出会いを――愛せるものを求めて、そして出会った時、絶対に逃がさないように全てを賭すのです……私にとって、貴方様のように」
遠回しであるが、ストレートな愛の告白に男性は返事をしない。それ以前になにも反応することはない。その身を“愛し合った証”によって染められている彼の心は既に壊れていた。
――久佐薙家の女性に見初められて、四肢を奪われて、玄純家の者となった彼は、全く赤の他人だった義理の兄妹姉妹たちに世話をされなければ生きていけなくされて、ことある度に彼女から愛を押しつけ続けられる中で果ててしまった。
「ああ、ごめんね。本当なら24時間365日、貴方の傍にいて私が全てのお世話をしたいのに仕事があるの! 仕事をしないと久佐薙じゃなくなってしまうかもしれないのです! そうしたら玄純となった貴方にもう二度と会えない! だからね、私頑張るから、できるだけ早く帰ってくるからね!」
毎度のことであるが、ずっと愛し合っていたいらしい本家の女性は、一方的に愛を伝えると今日は本当に時間がないのか、着替え直しをすることもなく早めに彼の傍を離れる。
「あ、いけない忘れるところでした……すーはーすーはー……ああ、やっぱり良い匂い。体付きが同じだったら、これを着て仕事に行けるのにな……残念です」
愛し合う前に脱がせて床に放り投げたシャツを手に取ると、久佐薙の女性は顔面に当てて大きく吸い、とりあえず満足したと、己のバッグに詰めた。
「ふぅ……では、みなさん。お義兄さんのお世話、きちんとお願いしますね」
「「「「はい」」」」
酉子にとって、肉体的にも、精神的にも自分ではもう生きることすら困難な義兄のことは心底どうでもいい存在であるが、玄純家にとって本家の人間の言葉は絶対であるため、彼女が去ったあと酉子たちは、男女が愛した証を片付けていく。
玄純家は、決して表に出せぬ久佐薙家の性を受け止めるために作られた分家である。そのため与えられた豪邸の中で起きた事は、全てが秘匿されるものであり、家の管理から“後片付け”なども玄純の者たちが行なわなければならない。
もはや血が繋がっているのか、そうでないのかすら分からない、共に後片付けをしている姉や兄と違い。本来、酉子はこういった作業をしなくていい立場であるのだが、とある人物の要望によって、今日のように他の久佐薙と玄純が愛し合う場面を見せられていたし、片付けも手伝うように言われている。
「――――」
自分ひとりでは、もう生きられなくなった男性の体を拭いていると、何か呟いた声が聞こえてきたが、どうせ助けてくれだとか、死なせてくれの類いだろうと、誰も反応する事無く淡々と片付けを行ない、綺麗にしていく。
+++
後片付けが終わった酉子は、ああいったお世話が必要な家族を介護するために建てられた離れから、本邸へと戻ってきた。
玄純家は人が日常的に暮らす家でありながら、客人を招き入れるホテルのような豪邸である。その内装は煌びやかでありながら、落ち着ける大人しさも兼ね備えている和風西洋を極めた空間であるが、なにはともあれ、幽鬼的な空気を醸し出す酉子には場違いな場所であるのは確かであった。
「――今日もお疲れさまだったね」
酉子は、身なりが整った中年男性に声を掛けられる。
「……おじさん、お久しぶりです。ようこそ、玄純家へ」
「うん、久しぶり、仕事が忙しくってね、少し間を空けちゃったよ。ごめんね」
あからさまな定型文といった歓迎の挨拶に、おじさんと呼ばれた久佐薙家の中年男性は気分を害した様子は無く、むしろ、これが酉子だと機嫌良くして会話をする。
「それで酉子、これから水族館に行かないかい? 実は従兄弟と仕事の話をしに待ち合わせしているんだけど、折角だから仲のいい玄純の子とダブルデートしようって話になってね、どう?」
「ご一緒します」
酉子に選択を与えてくれるような言い回しであるが、分家の者として本家の者であるおじさんの誘いを断わることは絶対にあり得ない。そう教育されている通りに、酉子は返事をする。
――それから、玄純家の広大なクローゼット室へと訪れて、管理者であり、コスプレ好きな本家の者たちに愛されている義姉に事情を説明して、お出かけ用の服を選んで貰う。
「――うん、可愛い。やっぱり酉子は、そういった服が似合うね」
「ありがとうございます」
「ふむ、酉子には向かないと思って行かないようにと言ったが……これを見ると迷うね」
少し大人びたと言えばいいのか、酉子は年齢に合った正装姿とあり、それを見たおじさんは、やっぱり通わせるかと呟きながら悩む。
「……まあ、まだ時間はある。決めるのは来年でもいいか」
「はい、そのときはよろしくお願いします」
「そうだね。じゃあ水族館に行くとしよう」
玄純家の未来は本人ではなく、久佐薙家の者によって定められるものだ。酉子は己の将来に意見を言うことはなく、移動を始めたおじさんの後ろを付いていく。
+++
――玄純家の家系図は、突然親子兄弟姉妹が増えたりする等で、かなり複雑怪奇となっている。しかし、そんな中でも直系と呼べる子が存在する。
久佐薙家の性を受け入れるために集められた最初期の被虐趣向の人間たちの血、そして世代にわたり徐々に久佐薙家の血を色濃く受け継ぐ子孫。その中のひとりが玄純酉子であった。
つまりは産まれた時点で、彼女は玄純の子として久佐薙家の“性”を受け止める子ではあるのだが、おじさんにお気に入り指名をされてから、今日に至るまでに直接的に愛し合ったことはなく、身が綺麗な状態で生きてきた。
――とはいえ、まともな生活を送っているとは言い難く、おじさんの要望で他人の愛を見て、その後片付けを手伝い、常に玄純家の豪邸の中で過ごしている。
「械刃重工製の車は、やっぱり音がいいよね。東京地区から取り寄せただけはあるよ。
目的地である水族館では、おじさんの運転で向かっていた。一般人が全てを賭しても手に入れることのできない、とびっきりの高級車の助手席に、酉子は慣れた様子でお行儀よく座っていた。
「……こうやって、君をミラー越しに見ると、はっきりと成長を感じられるよ。私も老いるわけだ」
「…………」
「人よりかはいいものを食べているし、良い医者も雇っているからね。実年齢よりは若く見られるとは思うけど、やっぱり若い時と比べると元気がない気がして、ときおり昔を懐かしんでしまう」
特に返事などはしないが、酉子が産まれた時から玄純家の教育を受けてきた人間であると分かっているため、久佐薙である自分の話を聞き逃すことはないと承知しているおじさんは、満足そうにしながら話を続ける。
「でも、老いるのも素晴らしい事だと、君の成長を見ていると、そう思えるよ」
――酉子は、まだ綺麗だ。しかしそれは単純に、自分をお気に入りとしたおじさんが少女趣味では無かったというだけだ。これから成長して女として育ったとき、おじさんは必ず酉子を愛する。それが玄純家である。
「――着いたよ。今日は貸し切りだ。自由に楽しむといい」
「ありがとうございます」
現代において水族館とは極めて稀少な施設である。『プレデター』による陸や海の支配。また恐怖による飼育文化の崩壊などで他生物を鑑賞できる施設が激減してしまい、今や日本で泳いでいる海の魚を一般人が見られるのは、ここと東京地区とだけとなっている。
そんな水族館を丸一日貸し切るというのは、久佐薙であっても簡単にできる者は少なく、酉子におじさんと呼ばせている中年男性が、本家の中でも上澄みの存在である証であった。
「――
「お互い壮健なまま再会できてなによりだ。仕事も順調そうだね」
「はい、新たな事業を任されまして、今回はその件でご相談したいことが……といっても、本命は別にして、今日しようと思っています」
「ふむ、ではついに……」
「はい、
控えめな光が点る薄暗い空間、数え切れないほどの魚が泳いでいる巨大水槽の前に待ち合わせ相手である男女のふたりが立っていた。おじさんに気付いて綺麗なお辞儀をする青年は、まだ若いながらも数多くの成功を収めている久佐薙の者であり、おじさんとは年離れの従兄弟同士となる。
――そして、その青年の隣に立っている、酉子よりも数年は年上、されど、まだ大人になりきれていないメガネの少女が、相手側の玄純家、つまり酉子にとっての姉に当たる人物であった。
「それでは、早速仕事の話をしようか」
「分かりました。二人は暫くのあいだ水族館を自由に見て回ってくれ」
「「わかりました」」
言外に、機密性の高い話をするから離れていてくれと言われた酉子たちふたりは、言われるままに、その場から移動する。
「――久しぶり。同じ家で暮らすのに、外じゃないと中々一緒にならないのって何だか不思議ね」
歩いている最中、メガネの姉は話しかけてくるが、酉子は無視を決め込む。
「相変わらず冷たいのね。まあ、私としては、そっちのほうが話しやすいけど」
ほとんど他人の話を無視する酉子は、特定の人間にとって話しやすい相手らしく、このように一方的に会話を振られることが多かったりする。酉子はそれをシンプルにめんどくさいと思っていた。
「……私たちは間違い無く幸運よ。普通の人らしく愛してくれる人に見初められたんですもの」
彼女と酉子は血が繋がっておらず、かといって義理姉妹の関係ではない。二人は玄純家の複雑な家庭を象徴している姉妹であった。そんな彼女もまた、早い段階で、あの青年からご指名を受けた事で清い体のままであった。
「……前も言ったけど、私は、自分の得た幸運を玄純家に使いたいと思っているの」
それだけではなく姉は酉子と違い、自分が望むような自由を謳歌してきた。金には困らず、生活において自由は保障され、望みのままに学校で学ぶことができて、一般的な常識というものを培ってきた。これによって彼女は、意識の高い志を抱くようになった。
歩く速度を速める姉に、酉子は離れると面倒になるというぐらいの気持ちで付いていく、そうやって進んだ先にあった狭い空間の中央には、円柱の水槽があり、中には多くのクラゲが、ゆったりと浮いていた。
「……ここに居る水族館の海水生物たちの先祖は自由な海の中で暮らしていて、いつの日か人に捕まって水槽に閉じ込められて、帰ることができず……そして世代を重ねていく内に、いつしか自分の故郷である海に帰れなくなった、そんな子たちばかり……まるで私たちのよう」
水族館の海中生物の中には、施設の中で繁殖が行なわれて、今日まで繋いできた種も存在する。よって彼らは海水魚でありながら海を知らず、中には品種改良によって淡水でしか生きられなくなった魚も存在する。それをメガネの姉は、まるで玄純家のようだと言った。
「でも、私たちは人間だもん、本家の人たち専用の性奴隷以外にも、生きていける方法があると思うの」
久佐薙家のあらゆる“性”を受け入れる。そんな玄純家の本懐を変えたいと、酉子は何度も聞いた姉の望みを、黙って聞き続ける。
「もちろん、難しいのは百も承知。私たちの暮らしが裕福なのは玄純家が、久佐薙家に愛されているからってのも分かってる。でも、産まれた時から生き方を決められているなんて、おかしいよ」
姉は覚悟を宿した瞳で見つけてくる、それを酉子は、なんの思いも抱かず、ただ見つめ返した。
「だからまず、玄純家には性奴隷以外の使い道がある事を示したいの。だからもっと勉強を頑張って、きちんと働きたいと思うわ……酉子、何度もお願いするわ。私は大学を卒業したとき、本格的に活動を開始しようと思うの、その時には貴女に手伝って欲しい、玄純の血筋として正統な子孫である貴女に」
自分の望む改革に誘われる酉子であるが、やっぱり無視を決め込む。
「ふふっ、否定しないでくれて、ありがとう。いつかその首、頷かせてみせるから」
メガネの姉は、酉子の反応をポジティブに捉えて不敵な笑みを浮かべる。
酉子と比べて“複雑怪奇”ではないにしろ、彼女も久佐薙の血を引くものだ。だから、己が支配する側になれると信じているようで、それが心底怠がっているだけの妹の心情を読み取ることもできず、まるで都合のいいごっこ遊びのお人形のように、自分勝手に解釈する。
――そんな姉は、どこまでも、なんなら酉子よりも、救いようが無い玄純の名をもって産まれた年若い少女でしかなかった。
「――お待たせ、ここに居たんだね」
商談はつつがなく終了したようで、久佐薙家の二人が酉子たちと合流する。
「あ、ご、ごめんなさい。お話に夢中になってしまって……」
「いやいや、自由に歩いてって言ったのは僕たちだからね。宝探しのようで楽しかったよ」
「ほんと、いつもお上手なんですね……」
久佐薙の青年と、玄純家の少女は、まるで年の離れた恋人のように話し合う。メガネの姉は、この人なら私の気持ちを尊重して、味方になってくれると、心のそこから思っているのが顔に出ていた。
「あと、この水族館には、いい部屋があるんだ――そこで一緒に魚を見ようよ」
「はい、是非」
でも、どんな育てられ方をしても、メガネの姉は玄純家の者だ。
+++
「――………………………っ」
酉子たちがやってきたのは、壁が水槽となり悠々自適に魚が泳いでいるVIP席であった。ただ個人でゆったりと魚を楽しむ空間だけならば、メガネの姉にとって、どれだけ良かったか。
「――本当はもっと我慢するつもりだったんだ。だけど君が、僕好みの女性として育っていく度にっ! 我慢できなくなって……それなら、早い内にって……ああ、君に出会ってから数年、この時をとっても待ち望んでいたよっ!」
――メガネで、綺麗で、真面目で、純粋で、意識が高い。そう育てられた姉が中央の巨大なベッドを見て、自分が玄純家の人間でしかない事に気付いた時には全てが遅かった。
「――どうして?」
四つん這いの、服が乱れて肌を露出させたメガネの姉と、それに重なる久佐薙家の青年を、酉子はいつも通りに部屋の隅っこで見る。いつもと違うのは背中におじさんが居て、両肩に優しく手を乗せている事だ。
――久佐薙の青年の愛は、分かりやすく、それでいて少しばかり注文が多かった。だから、過去の文献に倣い自分で理想の少女を育てる事にしたのだ。それが輝きを失った瞳で揺れるメガネの姉であった。
「――どうして――どうして――」
「ああ、これからも大事にするからね! もちろん勉学にも励んで良いし、好きな事をしていいんだよ! でも、これからは僕も我慢しないから、そのつもりでいてくれ!」
「いやぁ……わたしは……こんなこと……」
「この後、一緒にお寿司を食べようねっ!」
これが玄純家なのだ、本家から与えられるもの全ては彼らのあらゆる“性”に直結するのだ。だから彼女が抱いた自由も、意思も、信念も全てが、久佐薙の名を持つ
「――君をずっと、心から愛するからね」
「……あ、ああ! やだっ! みないで……みないでぇ!」
自分の信じてきたものが、全て他人の理想でしかなかった。メガネの姉の心が砕かれる姿を、酉子は言われた通りにじっと見続けていた。
酉子は、自分を呼んだのはメガネの姉に、こういう反応をさせたかったのだろうと、なんとなく察した。
「――酉子も順調に育ってきてくれて嬉しいよ」
――血の繋がったおじさんは、いつものように穏やかな笑みに、確かな興奮を交えて言った。それを聞きながら酉子は、久佐薙家と玄純家の愛し合う場面を見てきて、理解したことを繰り返し思う。
「――彼女と同じぐらいの年になるのが、本当に楽しみだ」
――“
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