戌成ハルナ ce1
──神様は案外、今でもちゃんと人間の事を見ていて、細かい設定をきちんとしているのかもしれない。
私こと『
妹の春空は生まれながらの天才であり、運動神経は同年代の子たちと比べて遙かに高く、ダンスや歌とか体を使ったパフォーマンスの類いは、すぐに自分のものにして、忘れることは無かった。引っ込み思案で、自己主張する事が苦手だったが、それだって妹の才能の前では愛嬌でしかなかった。
一方、私だって同年代と比べれば頭が良く生まれたとは自覚している。ただ天才と呼べるほどではなく、単に学ぶことに抵抗感がなく、勉強に集中できるタイプだったってだけ、記憶力が良いんじゃなくて、記憶するまで覚える努力ができた。
性格も勇気があって即決即断できる所が凄いと妹が言葉を選んで褒めてくれた事があるが、上がり症で恥ずかしくなると拒絶した態度を取ってしまういわゆるツンデレな自分は、今時デメリットにしかならない。
そんな才能という面においては妹に負けまくりな姉であるが、たった一個だけはっきりと勝っているものがあった。それが産まれた時に測った『P細胞』との親和性の高さである。妹よりも私のほうがちょっとだけ高かった。
──だから私は、生まれた時には『ペガサス』となる事を決定付けられた。
+++
中等部校舎、木造風の上品な空間、ウォールナット製の家具が並ぶ第一食堂は、自然の温かさを感じられて、落ち着く雰囲気から食事をする以外にも何かしらの作業をするにはぴったりな場所であった。
「…………」
「……ハルナ、お代わり持ってくる?」
「おねがいー。コーヒーブラックでー」
「分かった」
人気が高い食堂でありながら現在は中等部二年の『戌成ハルナ』と『
「んー、なるほどねー」
丸型のメガネを掛けたハルナは、図書館で借りてきた組織管理や部隊運用などを題材にした専門書を見ながら、私物であるタブレットノートに必要と判断した情報を、いつでも復習できるように書き込んでいく。
また、三角型のメガネを掛けた申姫から無感情にじっと見られているのだが、ハルナは慣れたものであり、特に気にするような事は無かった。
「──あ、ハルナせーんぱい、申姫せーんぱい! ここに居たんでーすね」
「コノブ?」
作業に集中できる静かな食堂に、独特な訛り混じりの元気な声が響いた。薄紫のショートヘアーに褐色肌、『勉強会』に属する中等部一年ペガサス、『
「なにか用事?」
「なんにーも。ただ暇だったので誰か居ないか探してた!」
年相応に元気な体育っ子って評価が相応しいコノブは、時間が空くと知り合いの『ペガサス』を見つけるため、よく学園中を駆け回っていた。探す行為自体が趣味の一環らしく、その間に色んな発見をするのが楽しいらしい。また見つけた『ペガサス』とは、ノーアポであるため当然であるが、どう過ごすかはお互いの気分による。
「忙しいかーんじ?」
「ちょうど一息吐いたから別に良いわよ。コノブ、お菓子食べない?」
「いーの!? じゃあジュース買ってくーるね!」
ハルナが今から全部食べきるころには夕食時になりそうだと判断して誘うと、コノブはウキウキとしながら食堂内に設置されている自販機で炭酸ジュースを買って、席に座るとすぐにポテトチップに手を付けた。
美味しそうに食べるコノブに、ハルナも手を付けはじめる。パリッとした食感のポテトチップの濃い塩っ気が口の中に広がっていき、それをコーヒーで流し込む。塩っぱいものを苦いもので流すのがハルナは好きだった。
「遠慮せずに全部食べて良いからね、ハルナもいいでしょ?」
「いいよ。私ももう食べないから」
「やったー、先輩たち優しくてすーき!」
「ええ……べ、別に優しいとかそういう理由じゃないんだからね! た、食べきれないのをあげただけなんだから!」
「ちょっと耐えるぐらいなら、普通に言えばいいのに」
相変わらずだなぁと、ハルナ先輩のツンデレ態度をコノブは生暖かい目で見る。慣れたもので、どんな理由でもお菓子を食べられるのは嬉しいし、それを分かって誘ってくれたのも承知であった。
「もぐもぐ……そういえばハルナ先輩たち、どうしてメガネなんてかけてーるんです?」
『ペガサス』の瞳は『P細胞』によって〈魔眼〉となっているだけあって、視力もまた強化され、悪くなることがないためメガネは必要としない。なのでコノブの質問は当然の反応と言える。
「気分転換よ。ちなみにこれお洒落用の伊達メガネね、どう似合ってる?」
「似合ってます、多分ですけーど……もぐもぐ」
「自分から聞いたんだから、もうちょっと興味持ちなさいよ……」
ちなみに申姫がメガネを掛けているのは、ハルナが似合いそうだからと勝手に掛けたからである。
「自分の机を整理していたら一年の時に買ったのを見つけてね。久しぶりに着けてみたのよ」
「ハルナ先輩って昔はメガネ掛けてーたの?」
「そっ、『ペガサス』に成る前は目が悪くてメガネだったから作業する時に落ち着かなくてね……。そういえば知ってる? 『ペガサス』の“目”だと度が合わないメガネを掛けても普通に見えるの。だから裸眼でもはっきり見える事に気付くの結構後になっちゃった」
合わないメガネを掛けた場合、〈魔眼〉の方から調整を入れるために視界は良好のままである。なのでハルナは、メガネを外すまで眼球の変化に気がつかなかった。
──『色狂い』によって毛の色が変わった時よりも、運動不足であった自分がアスリート並みの運動記録を叩き出した時よりも、くっきりとした世界が裸眼で見えた時が、自分が人間から『ペガサス』になったんだと実感したのを覚えている。
「……んー?」
「どうしたの? 私の顔になんか付いてる?」
頭に話が入っていないと分かるぐらい、コノブは食べる手を止めて、メガネ姿のハルナの顔をじっと見て首を掲げていた。
「いや、メガネのハルナ先輩、なんかどっかで見たこーと…………あ──!!」
「んっ!? ……な、なに? どうしたの!?
コノブは朧気な記憶を思いだし、席を立ち上がって大声で叫んだ。それに驚いたハルナはコーヒーを吹き出しそうになる。
「──“HARU”のお姉さんだ──!!?」
ハルナの時が止まり、テーブルに戻そうとしたカップが宙で停止する。
「え? 勘違いじゃないよーね? あの東京地区ツアーの最終公演に出てきたHARUのお姉さんだよーね!?」
「コノブ、止まって」
「あ、えっと……ごめんなーさい」
有名人と会ったと興奮したコノブは無遠慮にハルナに迫ってしまい、申姫に窘められて頭を下げる。
「……いやまぁ、それはそうよね。同じ東京地区生まれだもの、知っていてもおかしくないか……」
──去年は『色狂い』によって毛の色が変わったり、メガネも外していた。そもそも“妹”とは双子にしてはあまり似ておらず、表に顔を出したのは、コノブが見たライブの時だけであるため指摘されるような事は無かったのだが、アルテミス女学園の『ペガサス』たちは同じ東京地区出身。誰が知っていてもおかしくないと、ハルナは納得する。
「じゃあ、やっぱり……」
「うん、私はHARU……
『ペガサス』に成る前の事は尋ねてはいけない。アルテミス女学園ペガサスの暗黙の了解を気にしているのか、気まずそうにするコノブに、ハルナは変に気を使われても何だしと自分から肯定する。
「HARUってなに?」
「なんで申姫が質問するのよ、まあいいけど……HARUは私の妹、『戌成春空』のアイドルネームよ。テレビにも結構出ていて東京地区だと有名だった気がするんだけど知らない?」
「知らない。テレビ見たことない」
「でしょうね」
「でも、ハルナがやけにアイドルに詳しい理由は分かった」
「言ったこと有った気がするんだけどね!」
やっぱり興味が無いと話半分しか聞いていなかったかと、想像通りの申姫の回答に、ハルナは呆れ混じりに溜息を吐く。
「わたーし、HARUの歌、何曲か知っていてカラオケでも歌ったこーとある! 『プリティ・ニブ』とかすーごい好き!」
「中でもアイドルソングらしくないのをピンポイントに……コノブらしいわね」
コノブはアイドルとか芸能人とかに心から熱中こそしなかったものの、年頃の少女らしく流行には、それなり乗っかっていた。とはいえライブに行くほどではなかったのだが本当に偶然、一回り年の離れた姉がチケット余ったからと、HARUの東京地区ツアーラストライブに連れて行ってくれた。
そのライブの時の事は鮮明に覚えていた。アイドルHARUの生歌やパフォーマンス、そしてライブの空気はコノブにとって最高の刺激となり、心から楽しんだ。
そんな時間も終わり、誰も居なくなったステージに向かって意味も分からずにファン達に交じってアンコールと叫んでいると再び現われたHARU。そしてその手に連れられてステージに出てきた人物こそ、実の姉である戌成ハルナだった。
──ここまで、来られたのはお姉ちゃんのおかげです。
突然現われたハルナの事を紹介、そして自分がアイドルとしてやってこられたのはハルナのお陰だとHARUは語り、どうしても皆に知ってもらいたかったと、ツアーの最後に一緒に歌いたかったとして、HARUとハルナはデュエットをする事となった。
ハルナは、コノブから見ても普通だった。明らかにステージ慣れしておらず、涙を溢れさせて、歌声は上ずっていた。それでもHARUがリードする形でデュエットをする姉妹の姿は心から仲良しだと分かるもので、コノブにとって羨ましい光景として記憶に残るものであった。
だからこそ現在、ハルナがHARUの姉である事に気付いた事で、コノブは形容しがたい気持ちとなり、そうなった理由を絶対に口にしないように努力する。
──ハルナ先輩は自分と同じく“漢字が無い”。もしかしたら違うかもしれないけど、聞ける訳がなかった。
「そういえば、ハルナがマネジメントに覚えがあるのは妹に関係してるって言っていたけど、もしかしてアイドルのマネージャーでもやってたの?」
「……まあね。正確にはセカンドプロデューサーってやつ。ちゃんとした仕事って訳じゃ無かったけど、HARUに関する、あれこれを決めてたの」
ハルナは戦場の指揮官として未熟であるが、年にしては個々の能力や事情、その性格などを把握した上でのアドバイスなど『ペガサス』をプロデュースする事に手慣れていた。それをコノブたち『勉強会』の後輩組は、どうしてかと疑問に思っていたが、『ペガサス』に成る前に培った経験によるものだと知る。
「妹がね……まあ色々とあって、アイドル辞めるって言い出して、それにちょっと納得いかなかったから、春空のマネージャーとか事務所の社長とかに抗議しにいったら、あれこれあって春空と事務所の調整役みたいになったのよ」
「ハルナらしいね」
「ひと言で完結するんじゃないわよ! ……まあ、その後、春空が私の言うことしか聞かないって言い出して、そっからアイドルHARUのプロデューサーって形で芸能界で色々とやる事になったわ」
「す、すーごい……」
飛ぶ鳥を落とす勢いの小学生アイドルHARUの引退や休止は手ひどいダメージであり、なんでもいいから、どうにかしたくて必死だったと後で聞いたが、それにしたって子供にプロデューサーの真似事をさせる決断をした、大人たちはなんど振り返っても頭おかしいと思う。
──そのお陰でHARUの、春空の、妹の傍に長い時間居られて、得難い経験もできた。子供の言う事だからと蔑ろにしなかった大人たちに対して、ハルナに有るのは感謝だけだった。
「でも、それならどうして『ペガサス』になったの? お金持ってるんだったら税金払えたでしょ?」
『参人壱徴兵法』は産まれた一人目を最初とし、11才ないし13才の間に男子なら自衛隊に、女子なら『ペガサス』にしなければならない法律であるが、実の所、この法を破ったとしても両親は犯罪者として裁かれる事は無く、“罰金”も無いが、代わりに国からの支援金が貰えなくなり、“国防支援税”、“地区支援税”と名前がついた重税が課せられる事となる。
逆に言えば税金さえ払えば親は子供を徴兵させる必要性は無く、大人気アイドルとして活躍している双子の妹が居るなら、支援金も必要なければ、高い税金も払えたのではと対人能力に問題がある申姫らしい質問をした。
「あんたほんとね、愛奈先輩に怒って貰うわよ!? ……はぁ、もう察しているとは思うけど、私が『ペガサス』になったのは産まれた時に決まっていただけよ」
「やーっぱり名前に漢字が付けられてないのって……わたしとおなーじ?」
「そう」
コノブは申姫の無遠慮具合にヒヤッとしつつ、ここまで来たら自分も気になると、遠慮がちであるが話を進める。
「それに、お金が払えるとしてもペガサス逃れは、酷いバッシング対象になるしね」
「……それーってHARUの、妹さんのアイドル活動に支障がでないようにってことでーす?」
「ハルナは妹のために『ペガサス』になったんだ」
「なっ! べ、別に違うから! これはその……あくまでも私のためなんだからね!」
図星を突かれて顔を真っ赤にして否定するハルナを見て、本当に妹とは仲良しだったんだなと、コノブは純粋に羨ましくなった。
「……私のためにってのは本当……私は結局なにをしても“ハルナ”だったってだけよ」
「ハルナせーんぱい……」
「……っ! ああもう! なんなのよあんたたち!? というか申姫か! 去年は何も聞かなかったくせに今更なんなのよ!?」
ほんの一瞬だけ見せたハルナの切ない表情に、コノブは深入りしすぎてしまったかと反省していると、ハルナは、なんか考えている内にイラッとしてきたのか、うがーっと怒鳴り声を上げる。
「ハルナの事が気になるから、色々知りたくなったの」
「……ぐっ!」
『ペガサス』に人間時代の事を尋ねないのは暗黙の了解であり、気になっても聞かないように努めるものだが、申姫の場合は興味が無かったから聞こうとしなかっただけであった。
なのに、ここ最近はハルナなど他者に興味が湧いてきたらしく、だからこそ無遠慮に尋ねてくる親友にハルナは普通に困った。
「……わ、私の過去は、そんなに安く無いんだからね!?」
「なにか対価を払えば聞かせてくれるの?」
「申姫先輩、さすがにまずーいですって」
もう長い付き合いである申姫が、興味を持つ対象に対して鬼詰めすることをハルナは承知であり、半ば諦め気味にどうするか考える。コノブも止めに入るが、本音では話を聞きたいという気持ちがバレバレである。
「──すいませ、戌成さん、いま良いですか?」
別に申姫とコノブになら話しても良いか、愛奈先輩には既に話しているしと観念して口を開こうと決めた矢先、第一食堂にハルナを求めて同級生の『ペガサス』が声を掛けてきた。
「そ、そうね……どうしたの?」
「相談事が」
「……分かったわ、ちょっと外で話しましょう」
大規模侵攻が終わってから、ハルナは中等部ペガサスの相談役みたいな立ち位置となっており、このように毎日、何かしらの悩み事がハルナの元へと舞い込んでくる。
「というわけで、話聞いてくるから、私の過去話はまた今度ね」
「分かった。後でね」
「いってらーっしゃいです、ハルナせーんぱい」
どうやら多人数に聞かせたくない内容らしいと判断したハルナは、訪ねてきた『ペガサス』を連れて食堂の外へと出た。
「……やっぱり聞いたら駄目だったかーな?」
「ハルナは本当に迷惑だと思ったら、ちゃんと拒否するから大丈夫……妹の話をするの嬉しそうだったし」
「そーです?」
冷静に考えたらやばかったよねと反省するコノブに、申姫は平常運転で返事をする。そんな先輩にコノブは本当に駄目だった場合でも、こんな感じなんだろうなと思った。
「……そーいえば、申姫先輩がアイドルしてって言い出したのって、ハルナ先輩の影響?」
「たまにアイドルに関して話を聞いていたから」
申姫らしく、はっきりした肯定にコノブはやっぱりと苦笑する。あの日“卒業”したと思われた先輩と再会できて嬉しかったとはいえ、申姫らしくないお願いをしたと思っていたが、まさかこんな所で繋がりがあるなんてと、コノブは答え合わせができたと妙にスッキリとした気分となった。
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