九重ハジメ ce2


 ──友達の『落馬』による“卒業”を経験した『アイアンホース』は錯乱し、精神に甚大なダメージを受けた。


 当時の担任は“卒業”をさせてしまえば評価がマイナスされると、まだ一年目だったこともあって“返品”を選択。鉄道アイアンホース教育校の本校において、検査を受けるが短期間での完治は不可能とされ、“故障”判定を受けた。


 本校は、『アイアンホース』の精神が一定まで落ち着いたのを見計らい、再び紹介状を車掌教師たちに提出。こうして彼女は教室列車を乗り換えることとなった。


 ──『アイアンホース』の彼女は【303号教室列車】にて、新たにフタという名前を与えられる事となる。


「──本日から【303号教室列車】へと移動する事となりました一年目のフタです。よろしくおねがいします!」


 心を閉ざしてしまったフタは新しい環境に戸惑うことなく、優等生の如く機械的な挨拶を行なった。それに対して面と向かって立っている【303号教室列車】での先輩に当たる薄桃髪の『アイアンホース』は、敬礼を返してくれることなく全身をぷるぷるさせていた。


「……? あの、どうかしましたか?」

「──やったー! 後輩だー! いいね、可愛いね! ようこそ【303号教室列車サンマルサン】へ! こう見えて後輩は初めてだから本当に来てくれて嬉しいよ! ……はっ! こういうこと言ったら不謹慎かな!? ごめんね? 不快になったかな? でもごめん! 嬉しくて我慢出来なかったの許して!!」


 先輩アイアンホースにおける感情の爆発を浴びたフタは、頭を真っ白にする。


「あ、まだ自己紹介してなかったね。自分はハジメ! 三年目の先輩です! そういえば気付いた? 【303号教室列車】の名付けって、ちょっと人名っぽいのが特徴なんだよ。他には稼働中の教室列車の中で1番古い……じゃなかった1番歴史があるから、なんと2車両しかないの! だから狭いのがたまに傷、愛着はあるけど、もう一両生えてこないかなって何時も思うよ-」


 ハジメは『アイアンホース』らしからぬ、感情豊かでお喋りであった。不意打ちのマシンガントークを浴びせられて、フタは動揺から抜け出せない。


≪……ハジメ、私語を慎め≫


 スピーカーから中年ほどの落ち着いた男性の声が、ハジメを窘めた。それが先生の声である事を直ぐに理解したフタは、スピーカーに向かって反射的に敬礼する。


「あ、ごめん、まずは先生から紹介するべきだったね。この渋くて素敵な声の人は【303号教室列車サンマルサン】の車掌教師のゼロ先生だよ! 他の先生と比べても、すっごく寡黙だけど悪い人じゃないから、あんまり勘違いしないであげてね?」

≪再度警告する。私語を慎め、ハジメ


 確かに車掌教師によっては、担当する教室列車の運営方法は大きく変わるとフタは聞いた事があった、しかしながら、ゼロ先生の第一印象からハジメの態度は許されているものではないらしく、命令違反をする『アイアンホース』が、どうなるのか身をもって知っているフタは、大きく狼狽える。


「ち、な、み、に……自分の好きな人、きゃっ! 今日初めて顔を合わせたばかりの後輩に言っちゃった! ごめんね、突然こんなこと聞かされても驚くよね?」

「いえ、戸惑いしかないので問題ないです」


 ──そんな心境を知ってか知らずか、特大の爆弾を投げてきたハジメ先輩に、フタは意味分からなすぎて、意味がおかしい返事しかできなかった。


≪私語を……慎め、ハジメ

「もう、本当にいつも冷たいんだから、止めるなりしても、もうちょっと良い感じの言葉が欲しいな~。でも、そういう所が好き! 愛してる!!」

≪…………≫ 


 ──この先輩、『アイアンホース』として、かなりおかしい。


 欠陥品や、個性などいう言葉では片付けられない、ハジメ先輩のフリーダムさに、フタは本物のヤバイやつだと、ドン引く。


「さて、フタ。ここに来る前に色々な目に遭ったと思うし、これからも色々とあると思うけど……これから、よろしくね」


 ただ、自分が来た事を心から歓迎してくれるハジメ先輩に、フタは安堵のようなものを覚えるのであった。


「……はい、こちらこそ、よろしくお願いします。ハジメ先輩」

「──はっ、ハジメ先輩……先輩! いいね先輩呼び! ねねっ! もう一回呼んで! というかあと百回ぐらい連呼して、お願い!」

「勘弁してください」

「ねぇ、ゼロ先生~。後輩が可愛いよー。呼んでくれてありがとね! 好き、愛してる!!」

≪…………≫


 ──ただまあ、やって行けるかは酷く不安になった。


 +++


 日が経ち、ハジメ先輩の事を知っていくたびに、『アイアンホース』の常識が粉々に砕かれていった。


「よっ! せや! はいやー!!」


 『アイアンホース』の戦い方は訓練された兵士のようである。銃型ALISを主武装とし、極限まで無駄を省いた効率重視の挙動によって敵対存在を殺すことが望まれる。事実、成績優秀者であるフタの戦い方は無慈悲な物で、淡々とした様子で銃型ALISの引き金トリガーを引き、『プレデター』に風穴を空けていく。


「うわ! あぶなっ! お返しだよ!!」


 しかし、ハジメ先輩は戦闘において、開発元であるK//G社に副武装サブですら不適切と言われている、ハンドガン型ALISを二丁持ちにし、さながら古い西洋映画のアクションシーンのような無駄に洗練された無駄の無い無駄な動きっぽいのが目立つ挙動で戦っている。


 前衛フロントの役目において、派手に動き『プレデター』のターゲットを向けさせる囮役を担うのだが、それにしたってハジメ先輩は動きすぎるし、後衛で発砲するフタからすれば誤射をしそうになると、怖いので本当に辞めてほしかった。


 ──というか、本当に何度か危なかったので直接抗議した。


「ごめんごめん。でも、コレが自分の戦い方だから、フォローよろしくね!」

「『アイアンホース』としてチーム同士のカバーは当然の行為ですが、味方のフォロー前提の戦い方と言うなら改善してください」

「ぐうの音もでないね!」


 本当にごめーん! 後輩に平謝りするハジメ先輩、こんな風に反省の意思は見せても辞めてくれないんだよなと、フタはジト目で睨む。


『アイアンホース』は基本的に年功序列であり、経験豊富な年長者を指示役として後輩たちは付き従うのが普通だ。しかしながらハジメ先輩は、このように軽いノリで且つ、あまりにも『アイアンホース』らしからぬために、気がつけばフタは遠慮なく自分の意見を主張するようになっていた。


「そもそも、どうしてこのような戦い方を?」

「元々、大きい銃って合わないなって思っていて、そりゃ『ALIS』のアシスト機能があるから構えて撃って当てるぐらいならできるけど、いざ戦うとなると何か違うなー、こうじゃないなーって、どうしてもなってね。フタはライフル系を振り回しながら動くのって難しくないの?」

「特に感じたことはないですね」

「んー、この優秀っ子め~。そんなこと言うと、ますます後ろを任せたくなっちゃうぞ?」

「止めてください」


 フタが『アイアンホース』として優秀と評されるのは、移動射撃が得意だからというのがあった、そのためハジメ先輩が語る苦手な部分は、むしろ得意分野であると正直に答えてしまったことを、ちょっと後悔する。


「なんていうかさ、自分の動きたい速さや挙動と噛み合わないって感じ? それで段々と小さな銃で具合を確かめていったらね。なんとびっくり、いつの間にかここまで小さくなっちゃった!」

「確かに、あれだけ動き回るならば、大きい銃は無理ですね」

「でしょー? いえいえーい!」


 皮肉のつもりで言ったのだが、素直に同意されたと認識したらしいハジメは、鼻を高くして己の相棒である二丁のハンドガン型ALIS【KG1-P29/mワン・トゥーナイン・マグナム】の銃身を握り、マラカスのように振るって踊り出す。


「まあ、上手くやってみせるから安心してよ」


 とはいえ、援護がし辛い戦い方こそするがハジメ先輩は強かった。【KG1-P29/mワン・トゥーナイン・マグナム】を二丁持ち、どんな状況でも的確に命中させるし、なによりも前衛フロントとしての立ち回りが、とにかく上手かった。


「可愛い後輩は、先輩である自分が絶対に守るからね!」

「……先輩のことくっそ守り辛いので安心できる要素がひとつもないです」

「後輩が厳しい! ……うーん、有りだね!」

「なに言ってるんですか」


 ──この時からフタは、荒んだ心を整理しはじめて、おかしな先輩の事を考えるようになった。


 +++



 ハジメ先輩はとにかく私語が多い、ゼロ先生が何度も慎めと注意し、その場で告白混じりに謝りこそするものの止めない。むしろ注意されたぶん余計に発言が増える。


 それはわざとでもあるが同時に素で、自分が喋り魔である自覚もきちんとあり、単に我慢する気がないだけなのだとフタは最近気がついた。


「──トリガラ味ってさ、トリが鶏から来てるのは分かるけど、ガラってなんだろうね? フタは知ってる?」

「分かりません……ガラ、ガラガラ?」

「ガラガラ……そういえば、そんな名前のヘビが居たような? だったら鶏味と蛇味のブレンドって事なのかな?」


 そんなハジメ先輩は、当然の如く暇さえあれば、暇でなくても隙あらばフタに話しかけていた。


「……だったらトリヘビ味とかにしませんか?」

「昔は蛇のことガラって呼んでいたとか? それで、ニワトリ型プレデターは今はいないけど、ヘビ型プレデターはまだ居るから配慮して使わないとか」

「何に対しての配慮なんですか……」

「例えばー、んー、どうしてもヘビだけはダメって『アイアンホース』が嫌がらないようにするためとか?」

「もし、それが本当なら知らないうちに嫌いなヘビ味食べさせられてるって、話がかなり最悪な方へといきませんか?」


 その内容の九割はくだらない雑談であるが、元よりフタは友達との軽口を好きでやっていたタイプであったため、次第に順応していった。


「ここしばらく雨だったからいい加減晴れてほしいよね~」

「そうですね……『アイアンホース』なので風邪を引くことはないんでしょうが、雨に打たれ続けるのはカッパ越しとは言え苦手です」

「分かるー、雨の音とか結構好きなんだけどねー」

「それにカッパだと、どうしても動きづらいので、装備が全て防水であるなら、いっそ雨の中でも通常通りでいいかもしれませんね」

「えー、それじゃあ体が寒くなっちゃうよー。はっ、閃いた! 終わったら自分がフタの事を暖めればいいんだ!」

「風邪引かないので結構です」


 フタは毎日の天気の話に生返事ではなく、会話をするようになった。


 +++


 作戦時には開始する前や、移動など非戦闘時間が、どうして生まれる。本来であれば周辺を警戒して過ごしてしかるべきなのだが、ハジメ先輩は、そんなこと知らんとばかりに休憩時間の如く、自由に過ごしていた。


フタ! これ見て! 今まで知らない色のキノコが生えてるよ。すごい綺麗! 食べられそうじゃない!?」

「このあいだ、そう言ってお腹壊したの忘れたんですか!? 『アイアンホース』の肉体に異常が出るって相当なので、キノコは食べないって決めたじゃないですか!?」

「こんなに綺麗だから 今度は行けるって!」

「むしろ危険を知らせる色にしか見えませんよ!?」


 流石に緊急性が高い作戦時はしないものの、自然が生い茂る地帯で活動するさいにハジメ先輩は、当たり前のように自然物を、つまみ喰いしていた。


 ただ、これに関してはハジメ先輩だけが行なっているものではなく、食事に乏しい『アイアンホース』たちが常習的に行なっている娯楽である。よって『アイアンホース』の中には、共同作戦時に出会ったさいに美味しくて安全で食べられる自然物の情報を秘密裏に交換する集団サークルも居るくらいである。


 もっとも、ハジメ先輩の駄目なところは見た目重視で、明らかに危なそうなものを口に入れようとすることであり、フタは心配でたまらなかった。流石に先生に止めさせるように進言したのだが、帰ってきたのは深いため息だけであり、いつも通り言っても聞かなかったんだろうなと悟った。


「あー! フタが美味しそうなの食べてるー、ずるいんだー」

「むぐっ……食べます?」

「食べる!!」


 そんなフタであるが、きっちりと先輩に毒されており、果実が有ったら、こっそりともいで食べていた。甘かったら最高、えぐ味が強かったら最悪、虫が入ってるのは本当に勘弁してほしい。


「あまーい! リンゴって思ったけど違うね? もしかして梨かな?」

「そうなんですか?」

「多分ね。というかフタも最近やるねー。この間もこっそり食べてたでしょ?」

「ば、バレてたんですか!?」

「むふー。後輩のことはじっとりねっとり何時も見ているのだ! ……はっ!? ごめん嘘! ちょっとしか見てないから引かないで!」


 ──こんな風にフタは、自由過ぎる先輩に影響を受けて『アイアンホース』を逸脱した楽しみ方を覚えたのであった。


 +++


 そんな日々を過ごしていると、新たな『アイアンホース』が【303号教室列車】へとやってきた。


「──は、はじめまして、本日から【303号教室列車】へと移動となった……え~と、ミツです。先生および先輩がた、これからよろしくお願いします」

「また新しい後輩だー! 綺麗アンド可愛いね!! ……はっ! もしかして同い年!? そうだったら後輩じゃなかったかも、ごめんね!」

「先輩、落ち着いてください」


 自分の時と同じぐらいのテンションで、【303号教室列車】へとやってきたミツに絡むハジメ先輩を落ち着かせる。この頃になるともう慣れたもので誰の話も聞かない先輩のブレーキ役となっていた。


「え? あ、その~……まだ1年目で~」

「じゃあフタと一緒だね! セフセーフ! いやー、綺麗なお姉さんタイプだから変に不安になっちゃったごめんね……あっ! フタ! フタは何て言うかボーイッシュ……だっけ? そんな感じでとっても可愛いからね!!」

「誰も聞いてませんって……」


 ──なにを思ったのか慌てた感じでフォローしてくる先輩に冷たく応じる。だが内心では変わらず自分のことを気遣ってくれる先輩に、ちょっと嬉しく思った。


ミツ、先に言っておきますが、ハジメ先輩はこういう方なので諦めてください」

「わ、分かりました……?」

「そして先輩の態度は別に許されたものではないので、気を付けてください」

「えぇ……」


 目をぱちくりさせるミツに、そういう反応になりますよねと同意する。


「これから、よろしくね」

「……ふふっ、はい。よろしくお願いしますね~」


 ──それでも魅力があるのだろう。ハジメ先輩の事を受け入れる『アイアンホース』は多く、ミツもまた純粋な笑顔を向けられて、自然に微笑んでいる。そんな周りを笑顔にする『アイアンホース』の後輩であることが、妙に誇らしかった。


 +++


「──フタ後ろっ!!」


 ある日、周辺の『プレデター』を全て排除したと思い込み、油断したフタに、死角からイタチ型プレデターが襲い掛かってきた。


 ハジメ先輩の大声で振り向いて、存在に気付いたが自らで対処するには、もう間に合わない距離に尾の刃が来ていた。


 そんなイタチ型プレデターが不自然に真下へと落ち、そのまま地面へとめり込み始めた。


 ──ダンダンダン!!


「──お、おお~、あ、危なかったぁ、怪我無い!?」


 続けての【KG1-P29/mワン・トゥーナイン・マグナム】の発砲音が鳴り、イタチ型プレデターに弾丸が命中。フタを“卒業”させようとした小さな脅威は液体化し、跡形もなく消え去った。


 ハジメ先輩に顔を向けると、感謝と抜けきらない驚愕混じりの表情、そして輝く瞳でこちらを見ていた。


「……先輩、〈魔眼〉を使ったのですか?」

「え? ああうん」

「なにしてるんですか!?」

「ええっ!?」


 フタは自分でも驚くほどの怒り声を上げながら、ハジメ先輩に詰め寄った。


「活性化率が上がってしまいますよ!?」

「そ、そうだね」

「それなのに〈魔眼〉を使うなんて……なにを考えてるんですか!?」


 ──フタにとって、ハジメ先輩は気がつけばとても大きな存在になっていた。それに伴って彼女の活性化率を考えるようになってしまった。だから〈魔眼〉を使ったのが、どうしても許容できなかった。自分を助けるためだったから余計に。


「こんな事で使うなん──ぶっ!?」

フタを守るために使ったの! こんな事とか言わない!!」


 理不尽な感情をぶつけるフタは、両手で頬を挟まれて逆に凄まれる。


フタミツも大事な後輩なの! だから〈魔眼〉を使った事に後悔なんてしないし、フタを助けられてすっごく良かったって思ってる! だからフタには感謝してほしいし、喜んでくれると嬉しい!」

「……だ、だからって〈魔眼〉を使わなくてもいいじゃないですか──!


 いつもの調子で、されど心からの本音を正面から受け取ってしまったフタは、自分でもわけがわからず深く帽子を被り視線を切ると、その場を離れるといった否定的な態度をとってしまう。


「あ、フタ! ──“待ってっ”!」

「──? ……っ!!」



《b》《font:102》──待って! 待って!! お願いまって! いやだっ! 死にたくない!!《/font》《/b》



 落馬した友達の、最期の声が鮮明に呼び起こされて、体の自由が利かなくなる。


 『待って待って病』。『アイアンホース』がよく患う故障原因のひとつであり、“待って”や制止する言葉に反応して、何かしらの異常反応を起こしてしまう精神病の一種である。


 『アイアンホース』によって症状は違うが、フタのはかなり重病であり己の意思に反して、数秒から数分の間肉体が一切動かなくなってしまう。


 体が動かなければ声も出ない。正常に戻れと念じれば念じるほど呼吸の仕方を忘れていき、五感が鈍る。自分がいまどのような状況か分からなくなっていく。


フタ、落ち着いて」


 ──誰か助けて、声に出ていない救援要請を受け取ったように、ハジメ先輩が背中から抱きしめてくれた。


「ゆっくりと息を吸って、吐いて、吸って、吐いて──」

「────~~!!」

「うん、その調子」

「──っはぁ! ふぅ──!!」


 指示通りに呼吸を繰り返すと、先ほどまでの辛さが嘘のように消えていき、フタは元に戻る。


「ごめんね、辛い目に遭わせちゃったね」

「──ちが、います! 先輩の所為じゃありません! 自分が油断したから! 今も、あの時も……っ!」


 ──あの時、自分が友達をちゃんと見ていたら、手が届かなくても、己の〈魔眼〉で助けられたんだ。そんな後悔が常にフタの心を抉り続けていた。


「うん、『アイアンホース』だもんね。たくさん辛い事があるよね、怖くなるよね……。自分がね、〈魔眼〉を使っちゃったのは、だからなんだよ」


 フタを抱擁し、優しく撫でて、心を解すようにハジメ先輩は語りかける。


「大事で可愛い後輩に、先に“卒業”して欲しくなかった」

「……自分だって、先輩に“卒業”してほしくありません」

「んー、そうだ。今日はミツも誘って一緒に寝ない?」


 唐突な提案だったが、フタは何も言わず、ただ小さく頷いた。


 +++


 その日の就寝時間。【303号教室列車】の『アイアンホース』3名は、ハジメ先輩の部屋へと集まった。流石にベッドは狭いと、床にシーツを敷いて三人で横になり、毛布を被る。


「【303号教室列車】の『アイアンホース』はね、こうやって皆で寝るのが伝統みたい。自分が後輩だったころ、落ち込んだときに先輩が、こんな感じで一緒に寝てくれたんだ」


 それから始まったハジメ先輩の過去話を黙って聞く時間だけが過ぎた。内容が行ったり来たり、脱線が多いことが、ちょうどいい感じで集中を断ってくれるからか、気がつけばミツの寝息が聞こえきた。


「お、ミツ寝ちゃったね。じゃあ自分たちも寝ようか」

「……先輩、先輩はどうして先生が好きなんですか?」


 フタはまだ眠たくなく、もう少し話を聞いていたいと、とっさに寝に入ろうとするハジメ先輩に先生のことを尋ねた。


 ゼロ先生。【303号教室列車】の車掌教師であり、『アイアンホース』に対して業務に関わること以外干渉しない冷たい人、それがフタの印象であった。


 そんなゼロ先生をハジメ先輩は大好きだと公言し、毎日飽きもせずに愛していると告白していた。しかし、先生からの返事は私語を慎めの注意ばかりで、それ以外は全て無視。どうして好きになったのか、そんなに好きで居られるのか。フタは皆目見当が付かなかった。


「……そうだねー、私が先生が好きなのはね、優しいからかな」

「優しい……ですか」


 だが、理由を聞いても疑問が解決されることは無く、数少ない先生と接した記憶を思い起こしてみるが、優しいと判定できる材料になるものがないと、余計に分からなくなった。


「……昔はあんなんではなかったんですか?」

「ううん。昔っからああだよ」

「だったらなんで……優しいと思えるんですか?」


 ハジメ先輩は、らしくない少しの間を置いて語り出した。


「……ほら私って、『アイアンホース』からすれば“欠陥品”って言われても仕方ないレベルじゃん? でも、先生は私語を慎めって言うけど、別に罰を与えることはしないでしょ?」

「それは……まぁ……」


 この時には既にフタは慣れてしまって忘れていたが、ハジメ先輩の言動は『アイアンホース』として許されるレベルを逸脱している。なんども注意されているのに態度を改めないのは車掌教師によっては、それ相応の厳しい処分だってあってもおかしくない。それを鑑みれば注意だけですませる先生は確かに優しいと言える。


「確かに先生は喋らないし、反応してくれないよ。でもね、それは単に不器用だからなんだなって気付いて……それから良い人なんだな、優しい人なんだなって想うようになって──自然と好きになっちゃった」


 ハジメ先輩の顔を見たフタは呆気にとられる。なにせ見たことのない儚く可憐な表情をしていたのだから。


「──あー、なんか初めて話したけど、恋バナってすんごい恥ずかしくなるね。もう寝ちゃおう寝ちゃおう」


 そう言うとハジメ先輩は静かになり、背中を向けた。フタも頭を天井に向けて、瞳を閉じた。


「……今日は助けてくれて、ありがとうございました」

「うん、助けられて良かったよ、また明日もがんば──」

「……え? 話している途中に寝たんですか? ……もう」


 結局、なにも解決はしていないかもしれない。それでも心は落ち着いて、久しぶりに何も考えずに微睡みに意識を委ねることができた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る