ルビー  ce1


 その女の子は何もなかった。自我が確立される前には、鉄道アイアンホース教育校が運営する施設で育てられており、両親の顔を知らない。


 施設での生活と、『アイアンホース』となるための訓練の日々は少女にとって、イライラが募るものであった。


 生活環境自体は訓練と監視と制限が厳しくても、人間としてのメンタル面は充分に配慮されており、個性の範囲内に収まるのであれば、ある程度の自己意識は許容されるし、それなりの自由もあると悪いものではなかった。


 しかし、許されている自由も大人たちが用意した枠内のものに限り、アルテミス女学園のようにお金を払えば自由に好きなものを探せるというものではなく、限定的に用意された品物の中で遊ぶなり、生活するなりをするしかなく、それらは少女にとって飽きてしまえば手に触れるのも嫌になるほどのものしか無かった。


 少女の最大の不幸は、そんな環境で育ちながらも削りきることのできない大きな感情を持って生まれたことだろう。特別を見いだせない日々は常に渇きに襲われているようで、湧き出る苛立ちは、いつしか自分にとって特別であるナニかが欲しいという欲求に変わっていった。


 けっきょく、少女は最後まで特別を見つけられることはなく、『P細胞』を無感情に受け入れて、『アイアンホース』になり、指名された【504号教室列車】へと乗車した。


≪──うん、写真で見ても思ったけど、やっぱり綺麗な赤い髪だね。とても可愛いよ──これからよろしくね、私の赤く可愛いルビー≫


 そこでルビーとなった『アイアンホース』は担任のタクヤ先生と出会いを果たし、己に因んだ宝石をプレゼントされて、そして最高の初恋を手に入れた。


 +++


「……ぐぬぬ」


 作戦が終わり、自身たちの住居である【504号教室列車】の三両目の廊下にて、ルビーは折り畳みの座席に座り、二両目へと繋がる扉の方を睨み付けて酷く悔しそうに唸った。そんなルビーを見て、他の『アイアンホース』たちは、またやっていると呆れて、無視をする。


【504号教室列車】では作戦終了後、タクヤの個人的な考えによって評価ポイントを付与。その数値の順番に応じたご褒美が『アイアンホース』に与えられるシステムを採用している。またMVPに選ばれた『アイアンホース』には管制操舵室に入室できる権利が与えられ、先生とふたりきりで過ごせるようになるというものがあった。


 そんなものが最上のご褒美として成立するかと問われれば、【504号教室列車】の『アイアンホース』にとって、タクヤ先生は恋する男性であり、愛したい大人であり、熱狂したいアイドルの様な存在であるため、なにも問題は無く──


 無意識下で性に準じた扱いを渇望する『アイアンホース』は多く、人間の女の子として優しく甘く振り回れることは、その精神を従順なものへと変えているほどのご褒美であった。


「またダイヤに……ぐぬぬぬ」


 そしてタクヤ先生に恋したルビーもまた、MVPのご褒美を強く望み、奮闘する『アイアンホース』であった。しかし、今回もまた選ばれたのは同じ日に搭乗したダイヤという名前が付けられた『アイアンホース』であり、湧き出る悔しさとやるせなさを消化できないでいる。


「……どうしてよ」


 思わずそう呟いてしまうのも仕方のないことであった。確かにダイヤは後衛バックの狙撃手であり、能力も申し分なく、大型種をはじめとした厄介な敵相手に確実に狙撃を成功させている


 とはいえ、狙撃手として当たり前の話にはなるが、その活躍はトドメの時のみになる事が多く、作業量で言えば前衛フロントである自分の方が動いているし、少なくとも今回は自分がもっとも活躍していたと自負があった。しかし、それでも選ばれなかった。


「……はぁ」


 タクヤ先生は公平な価値観で評価していると言ってはいるが、ルビーは戦果以外の理由でも常にダイヤが選ばれているのを感じ取っていた。


 ダイヤは美しい。『色狂い』によって誕生した腰まで伸びる光の反射によって極彩色に輝く純白髪は、この世の物とは思えぬほど綺麗で、触れれば折れてしまいそうな華奢な体に、完成された美貌は同じ『アイアンホース』とは思えないほどであった。


 ──綺麗。初恋により全てが彩られた世界にてなお、数秒ではあったが目を奪われた。それが同性として抱いた敗北感であったと後で気付く。


 それでも先生が褒めてくれた髪の色、紅玉色の武器に美の体現者である彼女と同じ土俵に立たず、かわいい系を目指し、MVPより下の褒美を用いて制服を改造、髪型を男受けするツインテールにするなどの努力をしている。最近新しくできた望みは魅力を上げるという化粧品を手に入れることである。


 しかしながら、あのダイヤに魅力で勝負ができるとは、どうしても思えなかった。それは『アイアンホース』として育まれたリアリスト思考における確信であった。


「ほんと最悪……あそこで前に出ていれば……」


 だからルビーは『アイアンホース』として、圧倒的な戦果を叩き出すことによってMVPを勝ち取ることを決意。そのために貪欲に強さを求め、作戦が終われば脳内で何度も反省会を行ない、駅に訓練所があれば、そこに入り浸り、強くなるための試行錯誤を飽きずに行なう。生意気な先輩や同級生、後輩を実力と成績で締め上げて、ヒエラルキーの頂点に立ち自分が動きやすい環境を作り上げた。


「やってやるわよ……!」


 ──幸せを手に入れるためなら、ルビーはどこまでも本気になれた。


「────また怖い顔してる」


 耳の鼓膜を突き抜けて脳に直接届くような透き通る声に、ルビーの意識は現実へと戻される。顔を上げれば己の恋に立ちはだかる美しさを体現した鉄の馬、ダイヤが目の前に立っており、薄幸に染められた瞳で見下ろしていた。


 軍のBDUを参考に、機能性を追求した赤染の制服が似合っていないと考えてしまうのは彼女の美に当てられているだからだろうか、片耳に付けたダイヤのイヤリングが揺れるたびに、やけに鬱陶しく感じる。


「……なによ? なにか言いたいわけ?」

「…………笑ったら?」

「はっ、ごめんなさい。誰かさんが分厚い壁みたいにルビーの邪魔をするから、どうしても苛立ちが募っちゃってね!」

「胸はそこそこあるよ?」

「いつ! 誰が! 胸の話をしたのよっ!」


【504号教室列車】に乗ってから、周りの影響を受けて、すっかりと口が悪くなったルビーが苛立ち混じりに皮肉を言えば、ダイヤは明後日の方向にぶっ飛んだ返事をする。


「あんまり有ってもいいものじゃないよね、戦闘中すごい邪魔」

「話し続けるのなんなの? 馬鹿なの?」

「なんで男って、こういうの好きなのかな?」

「ルビーは、それにどう答えれば正解なのよ!?」


 ルビーは我慢できず怒鳴り声を上げるが、ダイヤはどこ吹く風と言った感じに己の胸をもみながら首を傾げた。


 ダイヤは会うたびに敵愾心を隠そうともしないルビーに絡んできた。本人に何度聞いても、理由を話すことはなく、天然が過ぎる恋敵であるダイヤとの会話は、酷く疲れるものであった。


「……それで、今日の先生ぇはどうだった?」

「別に……なにもないよ」

「強いて言うなら?」

「…………身嗜みがいつもより悪かった」


 ただ、ルビーにとってもダイヤとのやりとりは迷惑だけではなく、先生に最も近く傍にいる『アイアンホース』でもあるため、直接会わない限りは知り得ない先生のことを聞ける唯一の情報源であった。


「そうなの……今回は長距離移動が多かったし、トラブルにも見舞われていたから、長い緊張状態に疲弊したのかもしれないわね……疲れてだらしなくなる先生ぇ……いいわね」


 気怠そうに語られる本日の先生情報を、ルビーは舌で転がして味わう。ナニを考えているのか恍惚としはじめた乙女の顔を、ダイヤはジト目で見続ける。


≪──こちらタクヤ。ルビー、待たせたね、二両目に来てくれ≫

「はーい! いま行くね先生ぇ!」


 さっきまでの剣呑な態度はなんだったのか、スピーカーから流れたタクヤ先生の声をたったひと言聞いただけで、ルビーは途端にご機嫌となり、甘い猫撫で声で返事をする。もしや見た目が同じだけの別人かと誤解するほどの変わりようであるが、【504号教室列車】の『アイアンホース』たちは慣れたもので反応することは無かった。


 ルビー本人も、どうしてこんなにも態度が変わるのかは分かっていないし、だからといって改めるつもりはない。なにせ先生の声を聞けるだけで、好きな人に与えられた名前で呼ばれるだけで、こんなにも幸せになれるのだ。それ以上に考える必要なんてあるだろうか。


「どこ行くの?」

「はぁ? 呼び出し聞いていなかったの? 先生ぇ! いま行くからね!」

「…………」


 ルビーは短い通路をスキップ混じりで移動する。その背中をダイヤは幸薄い顔でじっと見ていた。


 +++


「先生ぇ!」

≪──ルビー待たせてしまって申し訳なかったね≫

「ううん、先生ぇのためなら丸三日だって待ってみせるよ!」

≪先生として流石に、そうならないように努力するよ≫


 管制操舵室へと案内されて、先生と対面を果たして告白する夢は叶っていない。しかし決してなにもないわけではなかった。


 タクヤ先生はMVPと選んだダイヤ以外にも、きっちりと時間を設けていた。それは順位に見合った願い事を聞き入れたり、報酬を与えたりする時間であり、そして『アイアンホース』たちが望む甘言を与える時間でもあった。


≪今回も大変な任務だったけど、ルビーのお陰で良い結果に終わった。本当にありがとう、君にはいつも助けられてばかりだ≫

「えへへ、先生のためなら単身で独立種を倒してみせるよ!」

≪そう言ってくれるのは嬉しいけど、無理はしないでね≫

「先生ぇ……」


 自分だって疲れているはずなのに細かく労ってくれる。そんな先生の対応にルビーの乙女の心臓はギュンギュンする。


≪それとごめんね。時間が押しちゃってるから、今回はあまりお話できる時間がなくてね。代わりにだけど、こんど改めて時間を作るからお茶会をしようか、紅茶とマカロンを用意するよ≫

「ほんと!?」

≪本当だとも、約束だ≫


 それを聞いてルビーは嬉しさのあまり飛び跳ねたい気持ちになった。タクヤ先生は約束を破ったことがない。実際にスピーカー越しではあるがふたりきりのお茶会は既に何度か開かれており、ルビーの楽しみのひとつであった。


 でも甘いお菓子も、高い紅茶もルビーにとっては些細な喜びしかなく、自分のために時間を作ってくれるというのが何よりも嬉しかった。


≪ルビーの話は躍動感があって楽しいからね、私も聞きたいよ。赤く可愛らしいルビー≫

「えへへ」


 ──普通の女として優しく扱ってくれる。きっと先生がやっている事を分析すれば、これだけの事なのだろう。それが何も持てなかった少女にとって、何よりも尊く得難いものであった。


 先生のやっていることが、『アイアンホース』を効率的に扱うだけの手段だったとしてもだ。余計な考えは全て搭乗した日に貰った赤色の宝石の中に仕舞い込み、幸せだけに浸る。


≪ああそれと、お茶会の件は今回、時間を取れなかったための謝罪だ。いつも活躍してくれるルビーには別できちんとお礼がしたい。なんでもいいから言って欲しい、可能であれば絶対に答えるよ≫

「そんな……いいの?」

≪もちろんだよ。いつもMVPに選べないこと、本当に申し訳なく思っている。だからせめて君には好きなものを与えたいんだ≫


 先生とふたりきりになれて話せるだけでも幸せなのに、さらに別で褒美をくれるという。こんなに幸せでいいだろうかと思いながらも、なにか欲しいものは無いかと素早く考えはじめる。


 ルビーが欲しい品物と言えば、己を可愛くする化粧品なのだが、過去に求めていたが、車掌教師で購入できる商品の中にないと断わられてしまっている。かといって他に欲しいものも思い浮かばず長考する。


「ちょっと待って……あ、あのね先生ぇ、もしも良かったらなんだけど、本当にそれだけでいいんだけど、ルビーも先生の顔を1度でもいいから見てみたいなって……」

≪──ごめんね、それはできないんだ≫

「ううん! こっちこそごめんなさい!」


 せめて顔ぐらいは今のうちに見てみたいという思いでお願いしたが、優しい口調とは裏腹に取りつく島も無い拒絶の意思を明確に感じ取り、すぐに撤退した。やはりMVPにならない限り無理かと、焦った自分を内心で叱咤する。


≪……いま思いつかなかったら、また後日でいいよ?≫


 ──そう提案してくれる先生には申し訳ないが、後回しになるのは嫌だった。なにせ自分は『アイアンホース』なのだ。いつ何時、それこそ今日の内に“卒業”したって、おかしくない存在であるのだから。


「じゃ、じゃあもう少しだけ時間をもらっていい?」

≪別にいいけど、どうするつもり?≫

「…………ルビーのこと、褒めて?」


 流石にちょっと恥ずかしく、紅玉色の髪に負けないほど頬を赤らめながらルビーはお願いを口にした。


≪それぐらいお安いご用だよ──ルビー、宝石にも劣らない素敵な赤色の『アイアンホース』、君にはいつも助けられてばかりだね──≫


 とっさの思いつきだったが悪くない、むしろいいと恋する乙女であるルビーは十分間の褒め時間を堪能し、その日はニヤケ顔が戻らなかった。


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