第45話

 東京地区に向かって移動する『プレデター』が確認できなくなったことで、東京地区から正式に大規模侵攻の終了勧告が行なわれた。歴代最短となる三日目の昼時であった。学園から『街林がいりん』の『ペガサス』たち全員に通達。それぞれの思いを湧き立たせながらアルテミス女学園へと帰路につく。


 高等部ペガサスたちの奮闘によって第2防衛ラインへと進んだ『プレデター』の数が少なかったこと、そして、叢雲のペガサスたちの支援によって、中等部ペガサスの多くが自らの足で学園に帰れる事となった。


 誰も欠ける事の無かったグループも多く、過去の大規模侵攻に比べて、陰鬱な空気は薄く、みんな生き残れて良かったねと、大規模侵攻を通して距離が縮まった『ペガサス』たちの和気藹々な声もまた、数多く聞こえた。


 この日は特別だと、『ALIS』や通信機などの装備をAI機器に預けると、小雨が降る曇天の中、傘も持たずに商店街地区へと赴き、ケーキやフレンチなどを皆で食べて美味しいねと笑い合う。汚れた体を洗い、浴槽を満たすお湯の温かさに心がほぐれ、火照った体に冷たいジュースを流し込めば、日常が戻ってきたのだと実感する。


 戻ってきた平和な日常を謳歌する中等部ペガサスたち、しかし、その傍で大規模侵攻の洗礼を浴びてしまう事となった『ペガサス』たちも確かに居た。


『プレデター』に襲われた光景が、ずっと心に突き刺さり、体を丸めて震える中等部一年ペガサス、抑制限界値へと確実に迫っている活性化率を見て精神を摩耗させる中等部二年ペガサス。一緒に帰ってきた“卒業”した『ペガサス』たちを見送り嘆く先輩、後輩、友達たち。


 ──いつものとは大きく違った大規模侵攻なれど、変わらない光景も多かった。


 +++


「……終わった……んだよなぁ……」


 自分たちの住まう高等部寮へと帰ってきた『土峰つちみね真嘉まか』は、【ダチュラ】をメンテナンスルームに置き、『街林』から持って帰ってきた装備やキャンプ道具を片付けて、シャワーを浴び、ジャージ姿に着替えて、リビングのソファに体を預けても、まだ心が学園に帰ってきていないようで落ち着かなかった。


「【54%】……か、改めてとんでもねぇな」


 あれだけ〈魔眼〉を多用して、『ALIS』のアシスト機能を全開にしたのにも関わらず。言われたとおり活性化率を2%下げる赤い注射器を毎日体に打ち、また学園に戻ってきたアスクから直接“血清”を打ってもらった事で、真嘉の活性化率は50%台をキープしている。


 前年とはなにもかも違う。理解はしているし、何度も実感してきた事だが、まだまだ受け入れるのには時間が掛かりそうであった。


「……ふぅ、これから、どうすればいいんだろうな」


 ──全員生き残って帰るという望んだ勝利を得たのにもかかわらず、オレたち二年は微妙な空気で学園の門を潜った。愛奈先輩が機転を利かして距離を置くようにしてくれなければ、いつ破裂してもおかしくなかった。


 大規模侵攻は終わった。もう後回しにはできない。でも、どうすればいいのか真嘉は皆目見当が付かなかった。


「もっと……強くなんねぇと」


 そう口にはするが、自分の抱える問題が純粋な力で解決できるものではないのは分かっていた。なんとも言えない衝動を筋トレとかで発散したいと思うが、同級生、とくに『篠木ささき咲也さや』に休めと釘を刺されているため諦める。


「……オレは……どうすればいいんだろうな」


 高等部ペガサス全員で行なわれるお疲れ様会。それが始まるまで真嘉は、大切な同級生たちと、どう接していくか頭を悩ませていくのであった。


 +++


「……ふぅ」


 昼下がり、高等部校舎の室内にてハジメは緊張した面持ちで、ヘッドカムを起動した。指定された時間ではなかったが、大規模侵攻が終了した知らせが届いているはずの現状、どうしてか繋がるし、会話できるだけの時間を作ってくれていると分かった。


≪──こちら【303号教室列車】、車掌教師のゼロ、どうぞ≫

「こちらハジメ……」


 いつもの開始文を口にしようとしたハジメは、途中で止めた。


「──挨拶をさせてください」


 そして、改めて『アイアンホース』であり、ハジメとしての会話を所望した。


≪……ああ≫


 はっきりとしない。だけど了承の返事。先生はこれが最後の通信となると考えているのが、声も重さで伝わってくる。


≪……どうする?≫


 本当に先生らしくない漠然とした問い掛けに、ハジメはなんだか笑いそうになった。そして自分の評価が間違ってなかったことがわかり、涙が出そうだった。


「この後に、アルテミス女学園の毒をもって自ら“卒業”したいと思います」


 ハジメは真っ赤な嘘を口にする。実際は“卒業”するつもりはなく、この通話が終わったら『すずり夜稀よき』の下へと赴き、首輪を外してもらう予定であった。


 胸が痛む、今なら先生が味方になってくれそうとは思う。だけど当初の予定を変えるわけには行かないと真実をひた隠しにして、話を進める。


≪……そうか……また、“卒業”するのか≫

「先生……」


 初めて聞く、ゼロ先生の悲痛な本音に、ハジメは呆気にとられる。本当は無難に終わらせるつもりであったが、どうしても聞きたいことができてしまった。


「……先生は“ハジメ先輩”を、どう思っていたのですか?」


 ──先代のハジメは非規律的なお調子者で、先生に接する彼女は欠陥品の烙印を押されるような『アイアンホース』であった、ハジメにとって良き先輩であり、大切なものを教えてくれた指導者であり、敬愛する姉のような『アイアンホース』であった。そんな先代ハジメは、ゼロ先生の事が異性として好きだった。


 毎日毎日、冗談みたいな口調であったが本心でゼロ先生に好きだと告白し続けていた先代ハジメに、ゼロ先生は最後まで応えることはしなかった。“卒業”しても何も語ることはなく、数字を繰り上げて己をハジメにした時は、心から怒りを抱いた


≪……俺は教師で、あいつは『アイアンホース』だった。だから個人的な会話をするべきではないと思ったんだ……最期のおまえたちのやりとりの時だって、結局は……≫

「やっぱり、聞いていたんですね」


 だけど、いつからか冷たいのではなく不器用な人であると知り、言葉にする事が無かっただけで強く思っていたのだと自然と察する。


≪数字を繰り上げるのも酷く迷った……だが、あいつはお前の事をとても可愛がっていたからな……≫


 ──自分だから、ハジメの名を受け継がせた。先ほどから初めて聞くことばかりなのに昔から知っていたかのような気がしているのは、とても嬉しいことのよう思えた。そして先生も少なからず先代ハジメを想っていたことに静かに驚く。


 ──車掌教師と『アイアンホース』、先代ハジメ自身が自覚していた叶わぬ恋であったが、報われていたんだと心が満たされた。するとある事を思いつく。


「……先生、ふたつほどお願いがあります」

≪……なんだ?≫

ハジメを名前として頂きたいのです。『アイアンホース』としての数字ではなく、自分の名前として」


 ──今日から完全に【303号教室列車】の『アイアンホース』でなくなるからと、ハジメは先輩から受け継いだものを、正式な己の人名として受け入れたかった。


「そして、先生に苗字を頂きたいのです」


 ──自分のこれからは未知数だ。【303号教室列車】の後輩たちとは必ず会う気ではあるが、先生とはどうなるか分からない、あるいはこれで今生の別れになるかもしれない。だから何かしら贈り物がほしかった。


≪……了解した、なら漢数字の九に重なると書いて九重ここのえはどうだ?≫

「何故ですか?」

≪……やっぱ別のにしよう≫

「理由を聞かせてください」

≪…………自分の本名が『九重ここのえれい』だからだ。自分の名字を与えるなど、気持ち悪いだろう?≫

「いいえ、そんなことありません! ……九重がいいです」

≪そうか、なら好きにしろ≫

「はい!」


 ──先代ハジメ、そして先生が掛け合わさって出来た名前に、ハジメ──九重ハジメは心から嬉しくなる。


「自分は、今日から『アイアンホース』の『九重ここのえハジメ』です」

≪ああ……≫


 それから会話が途切れる。できるなら気が済むまで話したいが秘密のこともあると迂闊な事を話せない。そして、先生も今日ばかりは切ろうとはせず、不快ではない沈黙がそれなりに続く。


≪──ちょっとまて≫

「先生……?」

≪──ハジメ、ですか?≫

「……! フタか?」


 断りを入れて、いちど通信を切った。再び繋がった聞こえてきた声は聞き馴染みのある女性の声──【303号教室列車】で長く共に過ごした、フタの声であった。


≪先生が話せとだけ言って、チャンネルをこちらに……≫


 最期である自分に対してできることをしてくれたのは分かるが、それにしても不器用にも程があると、ハジメは苦笑する。


「元気にしていますか?」

≪え、ええ、自分もミツも無事です。戦闘はありましたが特に問題もなく、活性化率の数値も上がっていません≫

「そうですか……。よかった」


 ──ゼロ先生から毎日、様子は聞いていたが、こうやって本人の声を聞けて本当に良かった。


≪……その、ハジメ

「あー、すまないフタ。ついさっき自分はハジメになったんだ。そちらで呼んでほしい」

≪えっと、なにが……?≫

「強いて言うなら気持ちとイントネーションですね」

≪わ、わかりました。努力してみます≫


 少しでも気が紛れれば、という気持ちで口にした冗談交じりの頼み事に、フタは真面目に了承した。


≪なんだか変わりましたか?≫

「いや……どちらかと言えば、昔に戻った気はしているよ」

≪ああ、そうですね。ハジメ先輩が居たときの貴女は確かにこんな感じで……ハジメ、やはりもう、帰ってこられませんか?≫

「そうですね。ずっと何日も戦いました、〈魔眼〉も使用した……見たこと無いくらい上がったよ」


 フタの悲痛な問い掛けに、日和ってしまったハジメは嘘を吐けず、単なる事実を濁して話してしまう。それはフタからすれば望まぬ答えとなる。


≪……ハジメ! 【303号教室列車】に戻ってきてください! ……自分は、自分にはハジメの名を継ぐのは無理です! ……どうか……どうか……≫


 ──自覚はないのだが、自分とハジメ先輩の事を間近に見ていたフタは、ハジメの名を神聖視しているところがあった。そのため自身の数字が繰り上げてハジメになることに、とてつもない重圧を感じているようだった。


≪貴女がいないと自分は……! ミツだってやっていけません!≫


 感情を爆発させて訴えかけるフタに、ハジメはどうするべきかと悩む。するとコンコンと音が聞こえてきたので、そちらを見て目を丸めた。


「──“ハジメは無くなってしまう”。でも心配しなくていい」

≪ハジメ?≫

フタ、約束してくれ、絶対にミツと一緒に生き残ると」

≪そんな……わかりました……できるだけやってみます≫


 ──無理だと言おうとしたフタであったが、最期の約束だからと思ってくれたからか、あるいは何かしら感じたのか、自信なさげにではあるが受けてくれた。


「ありがとう」

≪……時間です、ミツに替わります。その、さっきまで平気だったんですが、自分が話している途中に泣いてしまって……≫

「構わない。替わってくれ」


 そう言って、まだ時間が残されていたフタは、最年少のミツに交代する。


≪──グス──ヒクッ≫

ミツ……」


 すでに泣いてしまっている、最年少のミツに、どう声を掛けるべきかと悩む。


≪ハジメぇ……帰ってきてよ……≫

ミツ……」

≪ケーキあげるからぁ!≫


 ──大泣きするミツに、嘘を言うべき喉が詰まる。どうするべきか悩み、出されたカンペを見れば、“まずいと思ったら止めます”と書かれていたために、少し踏み込むことにした。


「……ミツ、約束をしよう」

≪グス……やく、そく?≫

「そうです。ミツが先生の言うことを聞いて、無事に生き残ってくれれば……また会いに行きます。絶対に」

≪……本当?≫


 危うい発言であるが、ハジメはこれを聞いているフタも先生も、相手はミツであることからグズる彼女のためについた最期の嘘だと思ってくれる確信があった。


「はい、本当です。約束してくれるか?」

≪……うん、する。だから、ぜったい、絶対に帰ってきてね!?≫

「はい、絶対に会いに行きます」


 ──そう、自分がアルテミス女学園に転校したのは、フタミツの未来を望んだからだ。なら、そう遠くない未来で必ず会いに行く。


ミツ? もういいんですか?≫

≪うん! こんど会った時にいっぱい話す!≫

≪……わかりました……ハジメ、それでは先生にお返しします……さようなら──≫

「……いいえ、またですよ。フタ


 悲しみを隠しきれずに震えた声でお別れをするフタ。返事ができなかったが、かならず再会するつもりなのだ、これで良かったのかも知れないと、ハジメは思った。


 相手が先生に戻る。とはいえこれ以上話すつもりはなく、物寂しさに尾を引かれながらも終わりにする。


≪──ハジメ、こちらからでも可能であるが本当にいいのか?≫

「……はい、自分は現在アルテミス女学園に属する『アイアンホース』ですので、こちらのやり方に従います」

≪そうか……≫


 自ら毒を呷って“卒業”するなんて、今でも狂気の沙汰だと思っているが、工作のためにはすると言わなければならない。それに嘘でも先生にこれ以上辛い思いをさせるのは忍びなかった。


「それでは先生。フタミツをお願いします……今までありがとうございました!」


 するつもりは無かったのに、終わりとなって感極まった激情が、相手には見えない敬礼となって感謝を伝える。


≪ああ…………おわり──≫


 通信が切れて、ヘッドカムを脱いだハジメは感慨深い溜息を吐いた。そして自分の連絡をずっと監視していた『ペガサス』の方へと振り向き、姿勢を正して頭を下げた。


「おかげで【303号教室列車】のみんなと話すことができました。ありがとうございます、野花」

「いえいえ、ちゃんと話せてよかったですね! ──本当に──ボクもハジメ……いえ、ハジメと【303号教室列車】の『アイアンホース』がなるべく早く再会できるように頑張りますね!」


 ハジメが通話していたのは、生徒会長室であった。本来、ハジメは危険性を考慮して【303号教室列車】に通信を入れるつもりはなく、そのまま大規模侵攻の最中で“卒業”扱いにしてもらう予定であった。しかし、野花から自身の〈魔眼〉、通信機器に干渉出来る〈闇寧あんねい〉で会話を聞いてもいいなら、やってもいいと提案され、ハジメは甘えることにした。


「なにからなにまで」

「──大規模侵攻では助けられましたので──だからルビーの事もよろしくおねがいします!」

「……はい、必ず説得して見せます」


 高等部の秘密に勘付いて、それを恋する担任へと告げようとしたルビーは現在、高等部寮の一室にて拘束し、監禁していた。“卒業”させずに生かす事となったが、どうするか、そんな風に頭を悩ませている野花に、ハジメは深々と頭を下げた。


 ──もう一度だけ、もう一度だけチャンスをください!


 ──ルビーに関して二度も失敗している。そう自覚しながらも頭を下げて頼み込んだ。長年戦ってきたのだ。できることなら失恋して生気を無くした彼女の事は自分がどうにかしたかった。


 ダメ元であるのは百も承知。これ以上心象を悪くすれば、自分の立場ですら危ういかもしれないが、戦友を放っておくことはできなかった。そんなハジメの考えとは裏腹に、野花は呆気なく許可を出した。


 ──これは貴女の事柄ですので、お好きにどうぞ。


 野花は事前に月世に相談しており、全て委ねるという言葉をもらっていた。そんなわけで野花は悩みに悩んだ末に、もしも説得できるとしたら最初からハジメしかいないだろうと、彼女のお世話も含めて任せることにした。


「ルビーは本当に強かったです──ほんとやばかった──そんな彼女が味方になってくれるなら心強いのは間違い無いです!」

「はい。自分は『鉄道アイアンホース教育校』にて英雄と呼ばれていますが、それらの元となった戦闘には、隣にルビーが居てくれたからです」


 特に意図は無かったのだが、ルビーの心証を少しでもよくしたいという表れなのか、ハジメは被せるように賛同してきた。


「──はい、だからどうか──上手くやってください!」


 ──野花は口にこそ出さないものの、ルビーという存在はリスクの塊だ。失恋した今のほうが何をしでかすか分からない。でも心がどうのこうのと言ってしまえば、それこそ自分たちアルテミス女学園高等部の誰であれ言えることであるし、もうこうなってしまった以上、やっぱり“卒業”させますなんて言えるわけもなければ、することもできない。監禁して、どうにかして味方になるように説得する以外の選択肢は無かった。


「──本当によろしくお願いしますね」

「はい、今度こそ必ず……野花、何度も言わせてください。ルビーを生かしてくれて、本当にありがとうございます」

「──偶然ですよ──ボクは、最後まで殺そうとしました」

「それでも、その偶然を肯定してくれたのは貴女です」


 ──今後どうなるかは分からないが、ここまで感謝されるなら、これで良かったのだと信じられるような気がした。



 +++



 それから、今後の事について少し話し合ったあと、ハジメはルビーの所へと向かった。転校してからずっと傍に居たAエーも、今はルビーの監視役に任命されているため生徒会長室に居ない。


 久しぶりのひとりの生徒会長室にて、野花はうろうろとしながら考える。やることも、しなければいけないことも沢山あるが、大規模侵攻が終わって直ぐとあってか、どうにも頭がふわふわして纏まらなかった。


「……野花先輩、居ますか?」

「──居ますよ、どうぞ中へ」


 ──とはいえ、その内のひとつが来てしまった。野花は怖じける心を深いため息で気を引き締めると、入ってきた真白い後輩、『上代かみしろ兎歌とか』を迎え入れた。


「──兎歌、お疲れ様でした──よく頑張ってくれましたね!」


 ──このタイミングで労いの言葉を贈るのは、マイナスな結果にしかならないと、野花は百も承知だった。何故なら自分がされて本当に嫌だったし、ふざけるなと思った経験があるから。それも分かっていながら敢えて口にした。


 ──“想定外の事態”だったとはいえ、あの日から、この日まで、長い長い時間を苦しませてしまったのならば、どこかで爆発してしまう前に溜まりに溜まった感情のスイッチを押す必要がある、そんな考えであった。


 怒り狂って、ひたすら顔を殴られるのも仕方がないという脅え混じりの覚悟と、彼女なら命までは取らないでしょうという残念な甘えを抱きながら、なにかしやすいように自ら兎歌の傍まで寄る。


「……お願いがあります、わたしに──」


 ──どこかで兎歌の事を自分と同じと勝手な同族であると思っていたのかもしれない。優しい子というのが、どういったものであるのか全然分かってなかったみたいだ。


「──どうして?」


 重々しく語られる、纏まりのないお願いを聞き終えた野花は震えた声で問い掛ける。内容が理解できなかったわけじゃない、その考えに到ったのも、そうしようと思ったのも、兎歌の性格を考えれば納得できるものであった。だからこそ聞き入れたくなく、ずっと我慢していた事を口にしてしまう。


「──どうして──どうして我慢なんてしたの?」


 野花は、兎歌に高等部で起きたことの全てを秘密にしてもらうように頼んだ。そう言うしか無かった。


 その時は兎歌に関して野花は何も知らなかったし、猫都たちの事もあったし、中等部ペガサスは多く、そして新入生ペガサスとなれば活性化率や将来に関しての考えが、高等部ペガサスたちに比べて重みが乏しい。アスクヒドラの存在が大人たちにバレてはいけない以上、友達のひとりかふたりだったら良いですよなんて言えるわけがない。


 ──常に監視ができない以上、ほんの少しでもゆとりを与えてしまえばどんな広がり方を見せるのか不明確だ。だから原則として誰にも話さないでと頼むしかなかった。組織的にはそれが正しいのは間違い無く、大丈夫と言える勇気も無かった。


 その一方で、野花は無理に決まっている、どこかで絶対に兎歌は秘密を誰かに漏らすと予想していた。どんなに頑張っても、この秘密はひとりで抱え込むにはキツすぎる。だから野花としては、どこかのタイミングで彼女が話してしまった場合、あるいはもう無理ですと言ってきた場合など、ちゃんと想定していて、仕方ないですねと言って、用意していた対策案を提示するつもりであった。


「待っていたのに──どうしてですか?」


 でも兎歌は、どれだけ自分が傷ついていも、磨り減っても秘密を守り通した、それが野花にとって最大の“予想外”であった。そんなつもりはなかった。ここまでしてくれるとは思えなかった。最後まで耐えるつもりだと気づいた時には時期的に手遅れで、お願いだから折れてと強く思ったが、願いは聞き入れられず最後まで守り通してしまった。


 ──そんな、自分の甘い見積もりの所為で長く苦しく辛い思いをした後輩は、恨み事ひとつ言わずに、より苦痛が襲い掛かってくるであろう道に自ら進もうとしていた。


「──そのお願いは、聞きたくありません」


 確かに彼女が“してくれる”のであれば、これからの活動は幾らか楽になる。情けない話であるが先輩として大歓迎して承諾するべき願ってもない提案である。でも何故好き好んで後輩に対して死体蹴りのような事をしなければならないのか、謝るのも違う、否定するのも違う、蝶番野花として、お願いだから兎歌のほうからやっぱ無しと言ってほしかった。


「……お願いします。わたしはもう“なにもしない”は嫌なんです!」


 ──兎歌は、自分よりも遙かに覚悟を決めた表情で、野花に強く願う。


「だから、わたしに……中等部のことを任せてくださいっ!」



 +++



「──はぁ──どうしてこうボクは──」


 静かな雨が降り注ぐ外へと出た野花は重々しく足を動かしながら、何度目かの後悔を吐き出す。あの後、決して引き下がる事の無かった兎歌の圧に負けて、彼女の頼み事を了承してしまった。


 ──中等部ペガサスは動く爆弾のようなものだ。見て、確認して、適切な対処を取らなければ変に周りを巻き込んで被害を生む。だから、道徳抜きに言えば月世先輩がなるべく数を減らそうとしたのも分かるし、そっちの方が正しいのだとは思う、やってることは人の心を超えている所業だと思うけど。


 兎歌の願いを詳しく言えば、生徒会長の下にいることを明言して活動することで中等部と高等部の緩衝材になることであった。ヘイト管理をすると言い換えてもいい。抽象的な物言いであったため、こういうことかと聞き返せば、ハッキリとそうだと返ってきたから間違いない。


 だから、人手不足を解消する目処がなく、さらに忙しくなっていく状況、中等部の事は任せてくださいという兎歌の願いは渡りに船でしかなく、生徒会長として断る理由を見つけられなかった。能力の有無や、生じる別種のトラブルはともかく、間に挟んでくれるというだけでも大助かりとなるのは、野花が一番良く知っていた。


 ──じゃあ個人としてはと問われれば、自分が楽になりたいために断われなかった、そう言われても否定できないほどに理由として食い込んでいるのは確かだった。


 もちろん、フォローは全力で行うつもりであるが、自分が向けられてきたであろう悪感情を兎歌に向けられると思うと、やってしまった感がハンパない。


 ──ほとほと自分が極楽に行けるような善人ではないというのが嫌になる。別に仏になるつもりはないけど、生きているだけで罪状が増えていく一方な感じがするには本当に嫌だ。そしてこんなふうに考えてしまう時点でダメそうと思ってしまう。


 そんなふうにウダウダと考えていると、いつのまにか目的地である火葬場に辿り着いていた。雨にもかかわらず、入り口の所には数名の中等部ペガサスが居たので、野花は気付かれないように裏口に移動して、中へと入る。


 “卒業”した『ペガサス』を火葬するためだけの焼却室。装置の中に一度中に入れてしまえば、燃え残ってしまった骨も中で処理されてしまうため、『ペガサス』だった遺体は欠片たりとも二度と外には出なくなる。


 ──彼女たちは何処へ行くのだろうか? 地獄じゃないといいな。


 “卒業”した『ペガサス』と関係があったであろう後輩たちの様々な泣き声が鼓膜を揺さぶってくる中、野花は絶対に見つからないようにと音を殺しながら死角に移動する。


 野花が火葬場に来たのは、大規模侵攻の洗礼を受けた中等部ペガサスの様子を見たかったからである。


 後追いで“卒業”しそうな子は居ないか、恐怖のあまりに暴走しそうな子はいないか、危険思想に囚われてそうな子はいないのか、とりあえず見た感じでチェックしていく、もしも精神的に危うそうな子がいるなら、症状によっては策を講じなければならない。


 ──できれば、中等部校舎も視察に行きたいし、直接話ができたらいいけど生徒会長である以上、彼女たちがまともに反応してくれるとは思えず、場合によっては状況が悪化してしまう事となる。こういった事情からも兎歌の申し出は本当にありがたいと思う。生徒会長に連なるとはいえ、本人でもなければ高等部ペガサスではないという事で態度を軟化するかもしれない、少なくとも自分に比べれは対話できる『ペガサス』は多いはず。


 それに、『勉強会』に属する『ペガサス』たちに関しては、約束通りに秘密を明かす予定もある。彼女たちの反応次第であるが見ている限り兎歌は孤独となることはないように見えた。


 ──だからといって後輩にやらせていい仕事では断じてない。話が通じない『ペガサス』を相手取るのが、どれだけ辛くて危ないのか、猫都のところに行ったときなんて本気で殺されかけたし、響生先輩たちが居なかったら果たして逃げられたかどうか。


「──ねぇ、猫都先輩たちのこと聞いた?」

「聞いた。三年全員、自分グループの後輩たち置いていって、どっかに行ったかと思えば“卒業”したんでしょ?」

「そう、だから『街林がいりん』に取り残されたままなんだって」

「当然よね……。きっとこのまま『プレデター』に食べられちゃうんだろうな」


 猫都を含めた中等部三年五名全員は、今回の大規模侵攻によって全滅した、野花にとって予想通り、『ゴルゴン』になってしまった中等部三年ペガサスの手によって。


 生徒会長には“進路相談”を行うために『ペガサス』、『ALIS』のログを通して全員の活性化率を把握できる権限を保有している。その中に90%を超えていた中等部三年ペガサスがいることを元から知っていた。


 でも、放置は出来ないとして、酷く嫌々ながらも会いに行って話をしようとしたが、罵詈雑言の嵐を受けたと思えば猫都に引っ叩かれて拒絶。あの時点で野花は、彼女たちを助けるという選択肢に霞が掛かり、彼女たちが大規模侵攻で生存した場合の未来を何度もシミュレートして考えた。


 助けるだけなら、いくらでもチャンスがあった。方法もたくさん思いついた。でも、それからの猫都たちに割かれるであろう労力と与えられるストレスを考えると、勘定と感情が噛み合ってしまい、行かない理由の方が勝って、足が動かなくなった。


 ──組織を管理するものとしての判断だったというのには、あまりにも私情が溢れている気がして正しかったかどうかの判別ができない。月世先輩は、それで良いんですと肯定してくれたが、正直真っ当ではない人の意見だ、受け入れたら危ない気がする。


 彼女たちが“卒業”してしまった事で、中等部三年という空白が生まれた現状、管理者側として学園の解体を加速させる理由になってしまうだろう、逆にいえば猫都たちの命が失われて発生しうる大きなデメリットはそれぐらいで──。


「結局のところ、猫都先輩は、なんであんなに生徒会長の事恨んでたんだろうね」

「ね、気に食わないのは分かるけど、あそこまで恨んでいたのはなんだったんだろうね」


 ──なんだったろうね、ボクがいちばん知りたいよ。


「そういえば、仮面のペガサス見た? 『叢雲』って自称してたの」

「『叢雲』は知らないけど見たわ……アレってもしかして──」

「わかんない。他にも先輩に似たのも複数いたみたいだし、でも、あり得ないよね……?」

「でも声聞いたんだけどさ、やっぱりそっくりだった気がする……もう“卒業”したはずの先輩に──」


 情報を交換しあう後輩たちの会話を盗み聞きしながら、野花は、いつも通り色んなことを考える。


 ──中等部に関して、これで良かったのかは、まだわからない。



 +++



 数時間後、野花は全ての火葬が終わったのを見計らって、高等部寮へと帰路についた。雨は止んでおり、雲の隙間から覗き込む太陽が、やたら眩しい。


「ただいま──?」


 ──返事がない。そういえば時間的に、お疲れ様会のために台所で準備したり、買い物をしているといったところか、返事が無いのが、こんなに嫌なものだったっけと疑問に思いながら、野花はリビングへと移動する。


 ──そこには見た目騎士甲冑っぽい見慣れた人型プレデターが居た。


 リビングにはアスクだけが居て、ロングソファに全身を預けて読書していた。いつもなら愛奈先輩や茉日瑠など『ペガサス』の誰かが傍に居るため、彼だけというのは、なんともレアな光景を見た気分になる。


「──アスク……あ、いえ……こっち座りますね」


 つい無意識に名前を呼んでしまうと、“彼”は直ぐに本から目を離して顔を向けてくれた。何故だかしまったという気分になり、咄嗟に言い訳を口にして対面のソファに座った。


 ──アスクは何らかの理由で他者との意思疎通ができない。それらに関する行動はシステムのようなもので制限されているという。そのため指や首、あとは瞳の動きでしか意思を把握するしかない。そんな中で分かっているのは“彼”の中身が人並みに感情豊かであることだった。


 アスクと日々を過ごしていく内に嘘を言えない性格であったり、普通に優しいんだなというのが、数少ない挙動から感じることができた。それほど“彼”は判りやすく、現に単眼が本とこちらを行ったり来たりしていて、明らかに集中を欠いていた。


 ──“彼”とは碌に話をしてこなかった。正直言えば避けていた。出会った当初は『プレデター』だから信じ切れずに怖がり、“血清”を知った後は機嫌を損ねて彼がどこかへ行ってしまったら、取り返しが付かないと怖くて、そして、それなりに一緒に過ごして、彼の性格が分かってきてからは嫌われたくなかったから。


 ──“彼”は『プレデター』でありながら、常識的な人の心を持っている。であるならば自分がしでかした事、認めてしまった事、現在進行でやっている事を知ったら拒絶されるかもしれない。そんな気持ちばかりが強くなって気がつけば忙しさや、傍に居る誰かの邪魔をしたくないというのを言い訳に、自分から会おうとはしなかった。


 ──だから、ルビーを殺そうとしたのを止められた時、本気で終わったと思った。なので、その後、取り乱しまくって目に当てられない状態となってしまった。思い出すだけで“卒業”したくなる、死にたくないけど。


「あ、いえ……なんでもないです」


 頭を抱えたことで心配してくれたのだろう、本を置いて手を伸ばすアスクに心配ないことを伝える。僅かな変化も敏感に察知してくれて、心配してくれる“彼”に、このままでは良くないと、お疲れ様会が始まってしまえば、もう言えそうにないと覚悟を決めて口を開く。


「アスク、あの時は本当にごめんなさい──本当にごめん──えっとですね、こう言っては何ですが──結果論になるけど──」


 こういう時、友達を羨ましすぎるあまり、自分のしでかした事を認めたくないあまりに、生まれてしまった後遺症がより言葉を詰まらせて、しどろもどろな感じを助長させているようで嫌になる。


「──止めてくれて──嬉しかったです」


 ──色々と思うことはあるけども、罪を重ねるのを止めてくれた“彼”に、偽りを含まない本音を伝える。


 アスクは親指を立てた。そのさいの緩やかな動作が、まるで自分を受け入れてくれると言ってくれているようで、もう止まらなかった。


「……唐突に言われても戸惑うだけかもしれませんが──アスクは──ボクが生徒会長を辞めたいって言いましたら──賛成してくれる?」


 アスクはじっと見つめてくるだけで是非の挙動をしなかった。なんとなく理由を聞きたいのだと分かった。


 ──生徒会長を辞めたい理由を、いざ語ろうとしたが上手く言語化できない事に気付いた。漠然としているからではなく、言葉にするにはあまりにも理由が多くて纏められなかった。


「……理由はたくさん有ります──話したいことも──でもいざ語るとなるとどうしたらいいか──シンプルにこれから生徒会長としてやらなければならない業務とかを想像すると辛いからですかね──」


 ──ぐっと喉が閉まるが、ここで言わなかったらもう駄目だ!


「──ボクはっ!──……私は、友達を殺しました──活性化率が抑制限界値ギリギリで、いつ『ゴルゴン』になるかわからないからと──そう、殺したんです──ボクの友達も、助けを求める『ペガサス』、そして愛奈先輩の同級生も──殺しました」


 ──話し出してしまえば、どうして今まで頑なに黙っていたのかと思ってしまうぐらい、隠してきた非業をアスクに告白する。もう、こうなったら後は“彼”の反応次第だと、改めて尋ねる。


「アスク──こんなボクでも、生徒会長を辞めてもいいですか?」


 ──アスクは首を縦に振るい即答した。何度も上下した。肯定してくれるのはどこかで予想していたが、あまりの勢いの良さに唖然としてしまう。そんな中でアスクはテーブルをどかして傍まで寄って来たと思えば勢いよく、されど優しく手を握ってきた。


 人外の大きな手は、野花の小さな手を包み込む。


「……冷たいんですね」


 金属の手の平は冷房によって冷えていた。それがなんだか心地良かった。


 ──できれば、駄目だと言って欲しかったな。そうすれば“彼”の言う事だからと諦めがついたのに。


「アスク──まだボクは“血清”を打つのが怖いです」


 ──〈魔眼〉を多用した事で現在の活性化率は【86%】と、そろそろ打ってもらうべき数値だ。最初は全然信用していなかったからだった。そして今は長生きできるようになるという事は、より苦しいこと、辛い事を経験して、新しい罪を犯してしまう機会が多く現われるからと考えてしまい、踏ん切りが付かなかった。


「今でもボクからは打ってとは頼めません──だからアスク、本当にいつでもいいので貴方の判断で打ってくれませんか?」


 ──それが、一番許された気がするから。


 アスクは、こくりと頷いた。じゃあ今すぐとしないのが本当に彼らしいなと思えた。


「……ありがとうございます──本当に、ありがとうございます……」


 ──なんだかアスクからは嫌だと思って、自分から手を引っ込めた。名残惜しさが半端じゃない。


「あれ、野花帰っていたの?」

「──夜稀、はい先ほど」


 ──やっぱり、もう一回握って貰おうかな、なんて悩んでいると作業終わりの夜稀がリビングへとやってきた。友達である彼女は、アスクと自分を交互に見たと思えば、安心したようにほんの少しだけ頬を緩ませた。


「そう──おかえり」

「――ただいま」


 考えることは沢山あるのだろう、慮らなければならない事も、でもアルテミス女学園生徒会長『蝶番野花』は、この時ばかりはと、全てを忘れてお疲れ様会を心の底から楽しんだ。



 ──その数日後、忙しなくも平和な日常の中でアスクは野花に“血清”を打った。







+++++++



これにて、2章は終わりです。

よろしければ、応援のほうをして頂けると幸いです。


カクヨムでの更新は暫くストップします。

ハーメルンの方にて、頂いた支援絵や、設定の一覧表、また2.5章を先行公開しているので、よろしければ見てください。

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