第39話



 アルテミス女学園高等部校舎は、かなり広い。そのため意識的に探索でもしなければ知らないような場所は幾つもあった。


 大規模侵攻以前、その内のひとつである部屋に、高等部三年ペガサスの『久佐薙くさなぎ月世つくよ』は赴いていた。生物の体温を感知して点灯する校舎内のライトとは違い、手動式であるため扉横にあるスイッチを押して右に傾ける。


 室内に明かりが灯り、ここが部室に必要な道具が置かれた倉庫である事が分かる。月世は文化系寄りのものが置かれている棚には、一切興味を持たず。奥へと足を進める。


「ここに居ましたか、探しましたよ」


 部屋の左奥、棚の配置的に扉のほうでは死角となる部分に目的の『ペガサス』が壁に凭れていた。月世が声を掛けても、指一本動かさず、元から正面を見つめている瞳も動く気配はない。


「朝の話はお聞きになっていましたので、単刀直入に要件だけお伝えします。どうか“叢雲のペガサス”となってくれませんか?」


 『ペガサス』は反応しない。微かな呼吸は聞こえているので生きてはいるが、生気が全く感じられず『ペガサス』のような“人形”と言われたら、信じる者が出るのではないかと思ってしまうほどであった。


 完全に無視される形となったが、この反応は予想通りであった月世は、彼女を動かすために必要な言葉を交えて説明しはじめる。


「今後、わたくしたちが生きていく以上、ひどく不愉快になる出来事が多く起こりえることでしょう。こういうのに限って心に傷となって残り続けてしまい、幸せを感じる機能に損害を与えてしまうものです。ですので、貴女の大切な真嘉まかが傷を受けて不幸になってしまわないためにも、是非とも叢雲のペガサスとなって活動してくれませんか?」

「……『叢雲』は、単なる偽装用の組織じゃなかったっけ?」


 人形みたいに動かなかった『ペガサス』、高等部二年の『白銀しろがね響生ひびき』は、ようやく首を動かして月世の顔を見て口を開いた。


 別に響生としては何かしらの思いで無視している訳ではなかった。異常な無気力によって、錆び付いているかのように体がちっとも動かなくて、言葉を理解しても思考する気力すら湧かなくて、真嘉の名前を聞いてエネルギーが生み出された事で、ようやく返事だけはする事ができた。


「はい、偽装用の組織である事には変わりありませんが、それだけでは勿体ないので、もう少し意味と実用性を加えたいと思いまして」


 月世の言っていることはよく分からないが、なんとなく月世が個人的なグループを作りたくて、自分を勧誘しているのは分かった。


「──確実に何時か、何処かで『ゴルゴン』を殺す時が来るでしょう、『ペガサス』と殺し合う時が来るでしょう、人間とも殺し合う時も来るでしょう。ですが、これらと戦うと先ほど言ったように、どうしたって心に傷が付いてしまうものです」


 月世の演説めいた言葉を聞いて、響生は真っ先に真嘉を思い浮かべた。別に戦うのはいい。だけど場合によっては殺したとき、真嘉はきっと酷く落ち込んで、一生抱えて生きてしまうと確信していた。


 ──特に『ゴルゴン』に関しては、確実に月世の言った通りになるだろう。活性化率が100%となって至ってしまえば、アスクでも元の『ペガサス』には戻せないと言う。ならば、生まれた『ゴルゴン』は確実に殺さないといけない。


「だから、必要だと思いませんか? 対“人”敵専門のペガサスグループ。内容的にも陰の生業となりますし、秘密組織としての活動としてぴったりだと思いませんか?」

「知らないよ」


 人あるいは人型の敵と書いて人敵じんてきと読んだ月世が語る、『叢雲のペガサス』とは、専門で人敵を躊躇無く相手取れる。そして人敵を殺せる『ペガサス』という意味であった。


「どうか、叢雲のペガサスになっては頂けないでしょうか?」

「……どうして、きょうちゃんなの?」

「だって、あなた──人を殺してもなんとも思いませんよね?」

「……そうだね。人と『ペガサス』は、まだ殺したことないけど、多分そうだと思う」


 ──段々と自分が何を考えているのか、感情がどういったものなのか判らなくなってきて、真嘉とか同級生のみんな、後は高等部や、とかりんでもなければ、殺した所で特に何も思わないと断言できた。なら確かに叢雲のペガサスに向いているのかと納得する。


「分かったよ。叢雲のペガサスになる……でも、まかまかが最優先だからね!」

「『叢雲』への御参加、心から感謝申し上げます」


 役割を与えられたからか、響生は途端に気力が湧き出てきて立ち上がって、頬を上げる。その様はまるで命令を与えられたロボット、というにはまだぎこちなく、精々操られるための糸を得られた人形のようであった。


「それで、何をしてほしいの?」

「別途頼みたいことは色々とあるのですが、“叢雲のペガサス”としては、ひとつ。もしもの時にはアルテミス学園の“癌”を殺していただければと」


 はっきりと月世はあまりにも軽い口調で、響生に中等部ペガサスの中に“卒業”させてほしいものが居ると発言した。


「癌?」

「簡単に言えばですが、生物を構成する細胞の中で、異常を起こして悪い物になったのを癌と呼ぶんです。ちなみに、その癌をどうにかする専門の細胞もあるんですよ」

「へー」


 ようはその細胞みたいになれと言っているのだろうかと生返事をする響生に、月世は、とても楽しそうに笑みを浮かべた。


「ふふっ、ミクロとマクロの違いがあれど、同じ人の社会的組織と呼べるものであるならば、参考にするのは至極当然な事だと思いませんか?」

「本当に知らないよ」


 響生は、後になって月世が割と最低な事を言っていたことを知る。


 +++


「──ひぃふーみーよーいつむぅななやーここのーとう」


 大規模侵攻の最中、亜寅たち生き残った猫都グループの『ペガサス』たちを逃し、追ってくるカブトガニ型を掃討したあと、『白銀しろがね響生ひびき』は、猫都グループの配置された地点から、すこし東北方面へと移動したところに居た。


 ここが目的地というわけではなかったが、目的の“もの”が有った事で響生は個数を数える。


「んー、きょうちゃん来る意味なかったなー。こりゃ骨折り損のくたびれ儲けだー」


 本当なら叢雲のペガサスとして自分がヤるつもりだった事が、先に起きてしまった事に、響生はワザとらしくアチャーと言いながら、こうなった理由を周辺の様子から探る。


 とはいえ、場所的に『プレデター』の群れに襲われたぐらいしか理由は思いつかないのだが、響生はどうもしっくり来なかった。独立種が現われたのかと、大袈裟に上半身を傾けて現場を見る。


「んー? ……あ、これ違うや! ──じゃあここのつだ! 九つだね。なら一つ足りないや」


 血に染め上げられた草原に、横たわる“大きめの肉塊”の数から、響生はてっきり全員居ると勘違いしたが、瞳孔の開いた顔で空を見つめる猫都ねこみやの“上半身だけとなった姿”と別れた“下半身”を別に数えていた事に気付く。


「ちゃんと数もかぞえられないなんて、きょうちゃんってほんとおバカだねー」


 響生の足元にあったのは中等部三年ペガサスと中等部二年ペガサス、計九名の“卒業”した姿であった。おバカネタを口にしつつ、響生は現場の様子から、何があったのかを大体の予想を付ける。


 ──活性化率が100%に達した時の変化は意外と静かだ。おそらく猫都を含めた三名ほどは状況を理解することなく“卒業”したようで、他の『ペガサス』はパニックを起こし固まってしまったもの、戦うもの、逃げるもの、とバラバラに動きすぎてしまったのが仇になったっぽく、ちゃんと抵抗できたものは皆無のようだった。どうやら〈魔眼〉も攻撃系であるっぽいから瞬だったに違いない。


「出番はまだあったみたいだね。よーし頑張っちゃうぞ!」


 血染めの大地にて、えいえいおーと斧型専用ALIS【アジサイ】を横に持って掲げて、陽気な声を上げた。べつに嬉しいわけじゃない。喜んだわけでも意気込んだわけでも、憂鬱な気分を切り替えたわけでもない。ただ心に残留している記憶に従って言動を行っただけに過ぎず、響生の内面は“相変わらず”微かな“何か”を残して虚無であった。ゆえに彼女の動作はどこかわざとらしい。


 靴が汚れる中、『ヘビの面』にて隠された目元が、どうなっているか、それを気にするものはここに居ない。


 +++


「──猫都グループが崩壊した? 本当に?」

「わざわざ嘘を吐く理由がないの」


 『勉強会』の元に猫都グループが崩壊したとの情報が入ってきたのは響生が助けに入ってから割と直ぐだった。といっても事態を迅速に把握できたのは、『玄純くろずみ酉子とりこ』が特殊なデバイスを自身のヘッドカムに接続して他のグループの通話を傍受していたからであった。


 アルテミス女学園内で最多ペガサス数を誇るグループが僅か二日目の朝に崩壊するなんてと、『勉強会』のリーダー役を担っている中等部二年ペガサス、『戌成いぬなりハルナ』にとって到底信じられる話ではなかった。


「でも、どうして? なにがあったの?」

「知らないの」

「酉子、ちゃんと答えて」

「……猫都たち上級生が唐突に第一防衛ラインへ行くとか言い出して、残された『ペガサス』たちが混乱している時に『プレデター』の群れに襲われたみたいなの」


 先輩である『夏相なつあい申姫しんき』に言われて、『玄純くろずみ酉子とりこ』は酷く面倒くさそうに答える。


「……は、はぁ!? なに考えているのよあの人!?」


 自分のグループを放って独断行動を起こすという狂気とも言える行いに今度は別の意味で到底信じられず、ハルナは思わず叫んでしまう。


「……あ、亜寅アトラちゃんと丑錬うしねちゃんはどうなりました!?」

「分からないの、猫都グループの『ペガサス』たちが、バラバラに逃げ出して別のグループに合流したり、断わられたりしているのは聞こえてくるけど、誰がどこにっていうのは不明。それらしい声も聞こえないの」


 猫都グループへと移動した二名の『ペガサス』がどうなったのか、『上代かみしろ兎歌とか』は、ついに耐えきれなくなって悲鳴混じりに尋ねたが、優しい口調で返ってきたのは無慈悲な事実だった。


「そんな……」


 亜寅たちの安否不明に心配、不安、そして歯止めが掛からなくなった罪悪感。できれば亜寅たちを探しに行きたいと兎歌は思う、ここまで来て自分の判断で動いて、今までのが台無しになるという恐怖に、どうしても言葉が詰まる。


「──ハルナ。お願いがあるの」

「申姫?」

「亜寅と丑錬を探しに行きたい、放っておくことはできない」


 兎歌が苦悩している中、手を上げたのは申姫だった。


「それは……分かるけど!」


 ハルナは、まず最初に申姫から、こんな提案をしてくることに驚いた。いつもの彼女であるなら冷静に『勉強会』の数の少なさを理由に、やきもきする自分に対して、どうする事もできないと諦めをうながす側である。


 ハルナは何故と理由を考えて、タイミング的に兎歌に関わりがある事なのかと気付き、どうするか考える。リーダーとして後輩たちの命を預かる以上、無理だと言わなければならない場面である。しかし、ハルナは悩む。どうしても亜寅たちを見捨てられないで居た。それに兎歌の精神もかなり心配だ。なにか関わっているというのならば、亜寅たちに何かあったさい取り返しの付かない事になるかもしれない。


 『プレデター』の群れは、初日に比べて多めには来ているものの、まだなんとか回っている状態がハルナの天秤をぐらつかせる。


「ハルナ」

「……次の群れが確認できるまでの間だけよ!」


 酷く悩んだ末にハルナは、申姫の提案を了承することにした。やっぱり大事な後輩たちの危険な状況を見過ごすことはできないという判断だった。そもそもハルナは年長者として『勉強会』では元より主導する立場であったが、非道な選択ができるほど経験が豊富というわけでもない。申姫が提案した時点で、どうなるかは必然だったと言える。


「それと兎歌! 貴女も申姫と一緒に亜寅と丑錬を探しに行って」

「え? で、でも……」

「申姫だけだと不安だから、お願い」

「し、申姫先輩はいいんですか?」

「どっちでもいいよ……でも来てくれたほうが助かるかな」

「……分かりました」


 これが先輩たちの気遣いによるものであるのは気付いていた。卑下する兎歌は自分が探しに行ってもいいのだろうかと悩むが、どうしても亜寅と丑錬の事が気になり、付いていくことにする。


「『プレデター』が来たらすぐに連絡して」

「分かってるわ。道中も安全とは言えないし、小型種には充分に警戒して」

「兎歌、気を付けてなの」

「うん……行ってくる」


 どれほど時間があるか分からないこともあり、行動は早いほうがいいと申姫と兎歌は、早々に猫都グループが有った方角へと移動しはじめた。


「……勝手に決めてごめんなさい」

「べつにいーですよ。亜寅ちゃんも丑錬ちゃんも無事だといいですね!」

≪何も問題ありません! 加護チートが付いています!≫

≪まっ、放っておくよりかは気分は悪くないっすよ≫


 自分の判断の正誤はまだ分からないが、何か有れば後輩たちに負担を強いるのは間違い無い。そんな気持ちから頭を下げるが、帰ってきたのは肯定的な返事ばかりで嬉しくなる。ちなみに酉子は相変わらずのガン無視である。


 +++


「……申姫先輩、ありがとうございます」


 跳躍を織り交ぜながら目的地に向かい最短ルートを進む中、兎歌は声を上げてくれた申姫に礼を言う。


「別にいいよ。約束したことだから、それにハルナに辛い選択をさせたくなかった」


 申姫が自分らしくない提案をしたのは、兎歌と交わした亜寅たちの事を気に掛けるという約束を果たしたというのもあるが、ハルナに後輩たちを見捨てるという選択を自ら選ばせたくなかった。


「それでも……ありがとうございます」

「ん。周囲をちゃんと見て、亜寅たちの事だから『勉強会』と合流するために、こっちに来ているかもしれない」

「はい……っ」


 申姫のお陰で微かに心に余裕ができた兎歌であったが、もしも亜寅たちが“卒業”してしまっていたらという、恐怖には苛まれ続けている。


 ──嫌な未来を幻視する。それが本当になったら、自分はどうすればいいのだろうか? 心配しているのは亜寅と丑錬の事か、それとも自分か、なんだか分からなくなってぐるぐると気持ち悪くなってきた辺りで、どうにか思考を打ち切る。


「亜寅……丑錬……無事でいて」


 祈る兎歌であったが、残念ながら移動の最中、亜寅たちを見つけることはできなかった。猫都グループが配置された地点へと到着した。


「亜寅ちゃん! 丑錬ちゃん! 居たら返事して!!」


 もしかしたら隠れているかもしれないと大声で呼び掛けてみるが声は返ってこず、『ペガサス』はおろか、既に『プレデター』の群れも通り過ぎており、殺風景な景色だけが広がっていた。


「申姫先輩……」

「まだそうと決まったわけじゃないよ。……絶望しないで」

「はい……」

「もしかして入れ違いになったかも」


 『勉強会』から、ここまでは、そう近い距離では無く、また申姫たちは最短を意識して、直線的に建物の上を飛んだりして進んできた。そのため入れ違いになった可能性は充分にあると、申姫はすぐに戻ろうとした。


「ここには居ないみたいだし、別のルートで戻ろう」

「……」

「兎歌?」


 見逃しがないように、周辺を注意深く見ていた兎歌は、ある方向を凝視していた。


 ──視線の先にあるものを、『ペガサス』の視力を持ってしても、どうしてかボヤけてちゃんと視認できない。遠いからか、あるいは脳が認識を拒んでいるのか、どっちかは分からなかったが、嫌でも“アレら”に気がついてしまう。周りの瓦礫と比べて色が違って、ほんの少し前まではきっと生きて動いていたであろう物体。心臓の鼓動が速くなると共に、次第に鮮明に見えていって──。


「兎歌」

「っ!?」


 申姫は、兎歌の視界を遮るように正面に向かい合う形で目の前に立つ。


「あれは見なくていいよ」

「でも、あれは……っ!」


 自分が見ていたものが『ペガサス』の骸である事に気づいていた兎歌は、何かを言おうとして寸前のところで言葉を飲み込んだ。もう彼女の精神は限界であり、内容はなんであれ、一度でも栓を開けてしまえば、色んなものが飛び出てしまいそうだった。


「行こう、そう時間は残されていないよ」

「……はい」


 ついには俯いて前を見なくなった兎歌。とりあえず、ここから離れたほうがいいと申姫は考えて移動を開始しようとしたが、偶然にも、こちらに向かってくる物体を視界に捉えた。


「……」

「申姫先輩? どうし……なにか来てる?」

「兎歌、少し離れて」


 兎歌もまた、申姫の視線の先を追って、『プレデター』の群れが来る方向から何かがやってくるのが見えた。申姫は兎歌を下がらせると、矢筒から矢を取り出して、『械刃製第3世代・弓』につがえた。


って反応を見てから指示を出すから、すぐに動けるように準備してて」

「は、はい……!」


 弦を引っ張り、弓型ALISを構える申姫。兎歌はその傍でこちらに迫り来るものの正体を見極めようとする。近づくにつれて、徐々に鮮明になっていく。


 背丈は、自分と比べて少し高め、二足歩行で走る姿も近い。さらに近づいてきて、よりはっきり見えるようになると、腰を低くした奇妙な走り方をしている、左腕が無い。残った右手は“手”というか、とても巨大な金属の爪となっていた。同じ白い制服は血に染まっていて、ボロボロになって露出している皮膚の表面は“『外殻』”によって覆われていた。


「申姫先輩……あれって……」

「……前言撤回、兎歌、いますぐ逃げて」


 剣呑な雰囲気を纏いはじめた申姫の指示に、兎歌は直ぐに従うことはできなかった。見たことはないが、想像よりも遥かに自分たちと近しいが、もう正体は分かっている。だからこそ、自分だけ逃げるなんてできるはずがなかった。


 ──わたしたち『ペガサス』が、数年の合間に何れ“卒業”しなければならなかった存在理由が、走って来ている。すごい速さで走って来ている。


「あれは──『ゴルゴン』、なんですか?」

「──キアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」


『ペガサス』が活性化率100%になったときに至る、確認されている中で世界で唯一“だった”人型の『成れの果てプレデター』が、兎歌の疑問に答えるように、不快な奇声を発した。それが何故だか、自分たちを認識した合図であるように思った。


「いいから逃げて!」


 申姫は聞いた事のないぐらいの声量で兎歌に指示を出しながら、矢を放った。兎歌は申姫を思い、変わらず何もしない動けない


 迫る矢に『ゴルゴン』は、足を止めることなく右腕を盾にして、表面を纏う外殻で弾いた。『ゴルゴン』の走る速度から次矢を番える時間も無いと判断した申姫は、むしろ自ら『ゴルゴン』へと跳躍走行によって距離を詰めた。


「っ!」


 大胆にも白兵戦を仕掛けた申姫。自分に目掛けて振るわれた『ゴルゴン』の大爪を、あろうことか弓型ALIS本体で受け止めた。


「消えて……!」


『ゴルゴン』の強靱な腕力に負けそうになるが、強引に大爪を払うと、矢を握り締めて、そのまま『ゴルゴン』のこめかみに力の限り突き刺した。


「っ!」


 ここまでは想像通りに事が運んだが、誤算であったのは『ゴルゴン』になった事で得た『外殻』、そして皮膚や肉、頭蓋が、いくら矢とはいえ『ペガサス』の本気の力に耐えられるほどの硬度を手に入れていた事だった。骨には刺さっている、改めて両手で深く刺せば脳に届くと思われるが、大爪が振るわれるのを危惧して、申姫は後ろへと跳んで距離をとってしまった。後衛としての癖が出てしまった形だ。


 ──どうして〈魔眼〉を使わなかったの?


 いつもの自分であれば、矢を放つ前に躊躇わず己の〈魔眼〉を使用していた。『ゴルゴン』相手ならなおさらだ。しかし、申姫は無意識に温存してしまっていた。活性化率を気にしている場合じゃないのにと、自分を見る『ゴルゴン』の縦長い猫のような目が輝いていくのを見ながら、流れてくる走馬灯によって理由に思い当たる。


 ──ああ、ハルナに生きてって言われたからだ。


「────ごほっ!」

「申姫先輩ッ!?」


 ベコンという鈍い打撲音が鳴ったと思えば、申姫は大量の血を吐き出して膝から崩れ落ちた。兎歌は咄嗟に傍に寄って体を支えた。


「申姫先輩! なにが……申姫先輩!!」

「──コーヒュー──ごほっ! ──だめ……集中した所にゴホッ! ……衝撃を加える……〈境弾きょうだん〉……だ……」


 申姫は〈魔眼〉について伝えないと、という一心で血を吐いて制服を赤黒く染め上げながら口を動かす。


『ゴルゴン』は、『ペガサス』だった頃と同じ〈魔眼〉が使える。違うのは活性化率という制限が無いこと、〈境弾きょうだん〉という〈魔眼〉は、視線を集中した箇所に強い衝撃を加えるというものだ。これによって申姫は鳩尾に強烈な衝撃が襲い掛かり、肋骨が砕かれ、肺に突き刺さった。


 常人では致命傷となりえる怪我でも、『ペガサス』にとっては喀血かっけつこそしているが、10分もすれば体内の『P細胞』が折れた骨を分解し、栄養として溶けて消え、肺の傷も塞がり、肋骨も元に戻る“軽症”ではある。しかし、治るまではまともに動けない事に変わりなかった。


「喋らないで! 安静にしてください!! ──危ない!?」


 話している間にも『ゴルゴン』は動いており、気付いた時には間近に迫っていて大爪を振りかぶっていた。兎歌は申姫を抱えて地面を転がり寸前の所で回避、申姫の血が自分の制服にも付着するが、そんなの気にしてられない。


「──〈壊ッ時・四かいッじ〉!」

「先輩!?」


 申姫は今度は躊躇することなく〈魔眼〉を使用する。高等部二年ペガサス『土峰つちみね真嘉まか』と同じく、視界内の対象を数秒間停める〈壊時かいじ〉。ただ申姫の場合は効果時間が四秒と、長いものであった。


「──逃げて」


 申姫は、兎歌だけでも逃げるように言う。今の自分はお荷物にしかならず。『ゴルゴン』の速力では到底逃げ切れないとの判断をしながら、内心でハルナにごめんと謝罪する。


「──っ! 置いて行けません!」


 〈壊時かいじ〉の効果時間は残り二秒ほど、弓型ALISに矢を番えている時間は無いと、兎歌も瞳を輝かせ、己の〈魔眼〉である移動している物体を加速させる〈凶射きょうしゃ〉を、いつでも発動できる状況にしながら、矢を手で掴んだ。


 兎歌が行なおうとしているのは手掴みによる矢投げだった。思いつきによるものではなく、咄嗟の危険が迫った時に有用だと高等部三年ペガサス『喜渡きわたり愛奈えな』から教えられて、練習していた技だからこそ、この距離なら当てられる確かな自信があった。


 相手の頭をよく狙って矢を真っ直ぐ投げ、〈凶射きょうしゃ〉で加速させる。この距離だ。どれだけ頑丈と言えど、加速した矢は頭蓋を貫通するだろう。


 ──申姫先輩を見捨てて逃げるなんてできない! だから──


 だから、自分が殺さなければいけない。そう覚悟を決めて、兎歌は『ゴルゴン』をハッキリと視認する。


『ゴルゴン』の全体像は人の姿を保っているが、ひとめ見れば『プレデター』だとすぐ理解できるほど姿が変質している。猫のような縦長の瞳孔、口内の歯はまるでサメのように鋭い牙となっている。体の至る部位は『外殻』に覆われていて、手に至っては巨大な金属の爪になってしまっている。


 だからといって、『ペガサス』だった名残が全て消えるわけではない。例えば〈魔眼〉の使用頻度が少ないのは『ペガサス』だった時の名残だったとされる。特に外見となれば名残は強く残り、それこそが『ペガサス』たちを“卒業”させる、最もたる理由になっていた。


「──え」


 ──かなり変わっていたけども、見覚えのある顔だった。猫宮たちの中で一番後ろ端に居た中等部三年先輩のペガサス。周りの陰に隠れて申姫先輩の嫌なことをして、野花先輩を貶めていた。正直言って嫌いと思った先輩だ。でも、兎歌はその声を覚えている、『ペガサス』だったことを知っている。生きていた事を知っている。


 そういえば、野花先輩が活性化率を尋ねようとしたとき、頭が向いていたのは彼女が居た方向だった事を兎歌は思いだしてしまう。


 全身に入っていた力が、どこかへと消えてしまう。矢を投げる寸前だった腕がピタリと止まってしまう。ほんの一瞬の躊躇い。〈壊時かいじ〉の効果が切れて『ゴルゴン』が動き出し、瞬きほどの時間で兎歌の間近に迫ると、大爪を振るった。


「──兎歌っ!!」


 申姫が兎歌を抱きしめて倒れ込む。兎歌は見る。自分を庇った申姫の背中が切り裂かれて鮮血が飛び散る光景を。


「申姫……先輩…………申姫先輩!? どうしてっ!!?」

「……にげ……」


 致命傷は免れたものの、防刃素材が織り込まれている紺色の上着ごと切り裂かれた背中には、爪痕が深く刻み込まれていた。意識は保っているものの、激痛によって朦朧としており、自分の意思とは裏腹に指一本たりとも動かせなかった。


 ────あ、違ったんだ。


『ゴルゴン』は既に動き出しており数秒ほどで、大爪か〈魔眼〉によって兎歌たちを“卒業”させるだろう。その中で兎歌は、気持ち悪いほど冷えた思考で、己の所業を振り返り、とある結論に達する。


 ──あくまでも食材が用意されていただけで、じぶんが調理しなければならなかったんだ。それに気づかないで何もしなかったから、いくら待っても料理は完成しな幸せは来なかったし、みんなを空腹にした苦しませたんだ。


「────だれか」


 たとえ秘密を持っていたとしても、やれることはたくさんあったはずだ。それなのに何もしてこなかった結果がこれだと兎歌は後悔し、絶望の淵に立った彼女は今まで溜め込んだ全てを吐き出すように、心の底から本音を吐き出した。


「──だれか助けて!」





「はーい! 石をどーん! もういっちょどーん!!」


 『ゴルゴン』の後頭部に、ゴンと強く小石が当たる。衝撃で頭こそ揺れたもののダメージは皆無。しかし攻撃だと判断した『ゴルゴン』は優先順位を変えて後ろを振り向くと、今度は額に先ほどよりも大きな石が打つけられて首が曲がる。石が粉々になるほどの威力だったのにもかかわらず、血の一滴すら出ないのは、やはり頑丈が過ぎるというものだろう。


 首を元の位置に戻して、正面を向いた『ゴルゴン』。その視界に映ったのは、靡くプラチナヘアーと小柄な目元を『ヘビの面』で隠した『ペガサス』。そして振るわれた専用斧型ALIS【アジサイ】であった。


「逃げた鬼さんみーつけた!」

「キアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


『ゴルゴン』は【アジサイ】を大爪で受け止める。鍔迫り合いの最中でも、『ゴルゴン』は鳴き続け、それは小柄な『ペガサス』に向けて、悲鳴を上げている、あるいは威嚇しているように見えた。


「あれー、とかりんたち? もーなんでいるのー?」


 【アジサイ】と片腕の大爪で鍔迫り合いをする小柄な『ペガサス』は、陽気な声で兎歌たちに話しかける。顔こそ『ヘビの面』で見えないが、兎歌は誰であるか直ぐに分かった。


「きょうちゃん先輩……?」


 兎歌は『ヘビの面』を被っている時は、『叢雲』という偽装組織の『ペガサス』として正体を隠している時だと教えられていたが、その設定を完全に忘れてしまい高等部二年ペガサス『白銀しろがね響生ひびき』をあだ名で呼んでしまう。


「あれは、高等部二年の……来てくれたんだ……なにあの仮面」


 大怪我を負った申姫であったが、宿主が危険な状況と判断した『P細胞』が、とりあえず“卒業”を回避するために応急処置を施したことで、表面の傷は塞がり出血が止まる。痛みもある程度引いた事で、ほんの少しだけ動けるようになった申姫は、兎歌に支えられながらも響生と『ゴルゴン』の戦闘が見える姿勢となる。


「おっと、はっと、どっこいしょ!」


 『ゴルゴン』が持ち前の腕力を振りかざし、強引に鍔迫り合いを終わらせると、響生は直ぐに体勢を立て直して、距離を詰めて【アジサイ】を振るう。


 ゴン! ガン! ゴンギンガンッ──!!


 『ゴルゴン』も隻腕の大爪で応戦、鈍い金属音が響き渡る鋭利な刃物による殴り合いへと発展する。


「とかりん、終わるまで絶対に動かないでね。〈魔眼〉の対象になっちゃうと流石に守れない」


 〈魔眼〉というものは恐ろしい兵器だ。対象を見つめるだけで効果が発揮されるものだ。下手に動いて、目を向けられただけで被害にあってしまう可能性は充分にあるもので、だから響生は、兎歌たちを逃がすのではなく、終わるまで、そこで息を潜めるように言った。


「──キアアアアアアアアアアアアアア!!!」

「いええええええええええええええええええい!!!」


 『ゴルゴン』の鳴き声に負けず劣らずの声量にて叫び返しながら、響生はひたすらに応戦する。


 客観的に見て、響生は明らかに攻撃や回避とは違う、回ったり、跳んだり、【アジサイ】を構え直したり、足を上げたりと無駄に見える挙動を何度も行なっている。おかげで追い込める場所で仕切り直しになったり、むしろ爪や足蹴りなどで反撃されるなど危ない場面を作っていた。


「……〈魔眼〉が発動しないようにしてる?」


 ふざけている、もしくは遊んでいるように見えても仕方がない響生の動きが『ゴルゴン』に〈魔眼〉を発動させないものだと申姫は察する。


『ゴルゴン』は、かなり凶悪な相手である。脳に残った『ペガサス』だった時の記憶記録が作用しているのか、戦い方は通常の『プレデター』と比べて知能的であり、武器使用、逃走判断、学習能力も確認されている。なによりも『ペガサス』たちの切り札である〈魔眼〉が、〈固有性質スペシャル〉として無制限で使えるのだ。


 そのため『ゴルゴン』との戦闘では、如何にして〈魔眼〉に対処するかが重要であり、響生が謎の挙動を行なうのは、そういった事情があった。


 〈魔眼〉は発動してしまえば、効果が現われるまでの時間は光速に等しい速度である。しかし思考が起動を承認してから実際に効果が発動するまでには、僅かな待機時間インターバルが存在する。その待機時間の合間に対象、あるいは集中している部分を何かしらの手段によって遮ってしまえば、〈魔眼〉の稼働はキャンセルされる。


 響生は、その〈魔眼〉の“仕様弱点”を利用して、視界の外に出るのは勿論のこと、『ゴルゴン』の視界に映るものを予測して、自分から【アジサイ】へ、【アジサイ】から自分へと戦いながら対象を入れ替えて〈魔眼〉の発動をキャンセルしていた。


 明らかに『ゴルゴン』と戦い慣れている響生。彼女の〈魔眼〉を発動させないための挙動はどこか大胆且つ滑稽で、相手を小馬鹿にする道化のような、しかし、常に〈魔眼〉の発動をキャンセルし続けている正確性は達人を通りこして、どこか冷たく機械プログラム的な印象を受けるものであった。


「……あは、あははは!」


 同じ背丈である【アジサイ】は、響生にとって色んな持ち方をしやすく自分の姿を隠しやすく、逆に出しやすかった。手品師のステッキの様に【アジサイ】を振り回すのは相手を楽しませるものではなく、ひたすら対象の変更を行ない〈魔眼〉を封じるものである。


「あはははははははははは!!」

「なんで……笑ってるんですか?」


 戦っている最中で、わざとらしく笑い声を出し始めた響生に兎歌は脅える。


 永遠に続くかと思われた【アジサイ】と大爪の振るい合いは響生が『ゴルゴン』を蹴飛ばしたことで終わりを告げる。距離が離れたことで『ゴルゴン』は〈境弾きょうだん〉の使用を選択、縦長の瞳を輝かせ始めた。


「その天丼、つまんないよ!」


 響生は『ゴルゴン』の行動を読み切っており、後ろへと蹴飛ばして直ぐに、自らも迫るように跳躍していた。輝かせた瞳で『ゴルゴン』が見た景色は、正面間近に迫っている響生の頬を上げた表情であった。


「お前とはやってらんないね!」


 地面に足を着くのを待たず響生は【アジサイ】を首目掛けて横薙ぎに振るい。『ゴルゴン』は首を守るために再生途中の右腕を盾にした。


【アジサイ】の刃先は腕に入り切断するも、その分勢いが殺されてしまい首の『外殻』によって受け止められる。『ゴルゴン』は輝く猫目で響生を睨み付けるが、響生のほうが早かった。


「もういいや──【手向けの花アジサイ】」


 響生は片手で柄の真ん中を握る持ち方に変える。『ゴルゴン』の首に目掛けて腕の力を込めて刃先がブレないように安定させると、思念操作によって【アジサイ】のとある装置を起動させた。


 ──【アジサイ】の斧腹内部にあった縮まった特殊合金製のバネが解放されて、元の形へと戻る。その復元力によって、【アジサイ】の刃先が勢いよく伸びて、外殻を砕き首に深々と入り込んだ。ただあまりにも強い衝撃によって『ゴルゴン』の体が浮き上がって吹き飛んでしまい、途中で刃が滑って抜けてしまう。


「どうも、ありがとうございました! ……ってやっぱり死んでないよね。またちゃんと締められなかったな」


 脊髄を切った感触は無かったので、地面を何回転かしたらすぐに立ち上がっても響生は驚かなかった。まだ致命傷ではないが流石にダメージが蓄積された『ゴルゴン』は辛そうに、片膝から崩れ、なんとか立とうとするも失敗している、完全に瀕死の状態となっていた。


「──あの、本当にこのまま……このままするんですか……」


 激しい戦闘から一転、気持ちの悪い静粛に空気が変わったところで、兎歌は口を開いた。誰かに問い掛けるものではなく、ただ考えている言葉が口に出てしまっているような感じであった。彼女はもう限界を既に通り越していた。


「ダメだよ、兎歌」

「分かってます、『ゴルゴン』になったら仕方が無いって……で、でもこのまま……このままだと……ど、どうして……」


 たしなめられて、返事をしたように見えるが、もはやうわ言の類いであり、申姫の声は既に聞こえていない。ある種の自己防衛本能か、『ゴルゴン』に至ってしまえば二度と『ペガサス』に戻れないし、正気を取り戻す事は無いと頭で分かっていながらも、これから起こることが嫌だった。もう耐えられなかった。


「わたしまだ何も作ってないんです。だ、だから……だから一度だけ……」

「〈創哭きずな〉」


 響生は『ヘビの面』越しに己の〈魔眼〉を発動する。〈創哭きずな〉の能力は見続けているあいだ対象の溝を広げると言ったものだ。“溝”として判定されるモノの範囲は幅広く、直線的である程度細くて深みがある窪みであればいい。


 そう例えば、生物の傷口だって、それが直線的で溝がある斬り傷なら効果は発揮される。『ゴルゴン』の首が傾く、全身を悶えさせる、そして【アジサイ】が入った首の斬り傷が広がっていき──。


「キ、キ、キアアアア、ア、ア──キア────」


 ──どこかで聞いた事のあるような。そうだ、これより小さいけども、食肉を手で剥いた時の音だ。それが心地良くて、すればするほど美味しくなるって思うと、いつもちょっとだけやりすぎちゃうんだ。


「兎歌、見ちゃだめだよ……見ないで……」


 申姫は後輩の視界を塞ぎたかったが、体が言うことを聞かず声を掛けることしかできない。兎歌はずっと目の前で起こっている出来事を、響生と同じくずっと最期まで見続けた。


 『ゴルゴン』は最期まで暴れ回り、叫び、液体を撒き散らし、そして最期には胴体から離れた首が地面に転がった。地面に倒れると『プレデター』と同じように肉体の液体化が始まり、血で染まったボロボロの制服だけが残った。


 +++


「マジでごめんなさい!」


 終わったあと、響生は兎歌たちに向かって傍まで来ると正座して謝りたおした。


「片腕と尻尾を切ったと思ったら逃げちゃってさー。でもまさか、とかりんと申姫しきっきが、こっちに居るなんて思わなかったよ」

「…………」

「……いえ、『ゴルゴン』から助けて頂きありがとうございました」


 あんな事があったのに、響生は何時もの調子で兎歌たちに話しかけた。憔悴して反応すらしない兎歌の代わりに、立てるようになるまで回復した申姫が対応する。巻き込まれて大怪我を負った彼女であるが、相手はあの『ゴルゴン』だ、そもそも響生が戦ってなければ五体満足の『ゴルゴン』と戦うことになって“卒業”していたかもしれないと、礼を述べる。


「でもなんでここにいるの?」

「……亜寅と丑錬を探しに来たんです」


 立った響生は、どこまでもわざとらしい体を傾ける動作を行いながら質問する。色々と気になる事はあるが、申姫は、それらを頭の片隅において、行方知らずの後輩たちを優先する。


「響生先輩。彼女たちが何処に行ったのか知りませんか?」

「知ってるよ。生き残った猫都グループの『ペガサス』と一緒に、あっちに逃げたんだけど見てない?」

「……分かりました」


 響生が指を差したのは『勉強会』がある方向だった。ならばやっぱり入れ違いになってしまったらしいと、できれば直ぐにでも探しに行きたかったが自分は傷が癒えきっておらず、兎歌の心も限界を超えてしまったために、しばらくはまともに動ける状況ではなかった。


「んー、それだとしんどそうだし、きょうちゃんの方で探しておくよ! それでいい?」

「……お願いします」


 自分たちの現状で『街林がいりん』を移動するのは、自主的な“卒業”行為でしかならず、亜寅たちの捜索を響生に任せるしかなかった。


「あ、とかりんちょっといい?」

「…………」


 ふと気になった事があった響生は、兎歌の耳元で囁いた。



「──なにもしてないよね?」



 彼女的には高等部の秘密に関わることを漏らしてないかの確認でしかなかった。あったら報告しないと行けないし、どうするか指示を受けないといけない。事情を知らないと思われる申姫が傍に居る以上、なにか隠語的な表現を使ったほうが良いかと、少なくとも響生にとっては質問以上の含みなんて無かったが、兎歌はそれを違う意味で受け取ってしまう。


「う……あ……」


 兎歌の様子が明らかにおかしくなる。響生はアレと首を傾げて、なんでこうなったかは分からないが、またやってしまったのだろうと思い当たった。


「あー、ごめんね。きょうちゃんって昔からを外しちゃうんだ……あ」


 幾度の戦闘によるカメラの動作のし過ぎで『ヘビの面』の電池が切れてしまい。吸着機能がオフになって外れてしまった事で、響生の素顔が露わになる。


 ──笑っていた。正確には頬を吊り上げていたのは見えていた。でも仮面に隠されていた感情がない瞳を見て、その表情はまるで作られた時から、そういう表情しか許されていない人形のようだと思った。


「仮面くっつかないや、だめだこりゃ!」


 『ヘビの面』を片手で抑えて目元を隠し、明るく笑いかけてくる響生は得体の知れない“何か”でしかなかった。


「それじゃあ、亜寅とらりん丑錬うしねんね探してくるから、ふたりはしっかり休んでねー! ぴゅ~~~~!」


 響生は最後まで『ヘビの面』を手で押さえながら、亜寅たちが向かったとされる方向に走っていった。


「──兎歌」


 残された兎歌に、申姫はどうすればいいか分からなかった。でも、もう取り返しの付かないところまで行ってしまったのであろう後輩を放っておけなくて、ぎこちなくも優しく抱きしめた。


「……うっ──あ、あああ────!」


 ずっとずっと、溜め込んでいたものを吐き出すように、兎歌は慟哭する。ここは『プレデター』がどこから来てもおかしくない『街林戦地』だ。それでも、兎歌は叫び続けて、申姫はその間ずっと抱きしめ続けた。


 +++


「……とかりんたちの様子、知らせたほうがいいよね」


 仮面をはめ直すのを諦めて、裸眼で周囲に目を配るなか、響生は兎歌たちの状況を報告するために通信を繋げた。

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