第38話
──猫都という人物は両親の言うことを素直に聞く、お行儀のいい子供だと評価されていた。
しかし実際の彼女は、ただ単に他人の言葉を真に受ける子というだけであった。
両親の言葉に素直に従っていただけの彼女は、年齢にしては礼儀正しく見えた事で先生や同級生たちに上品だと褒め称えられた。その中に含まれていた、まるでお姫様みたい、お嬢様みたいと言う、可愛らしい冗談を本気にして、次第に本物のお嬢様だと錯覚する。
言葉使いを変えるぐらいの時期は、まだ可愛げがあったが、お嬢様ムーブは次第にエスカレートしていった。下々の言うこととか抜かして他人の言葉を聞かなくなり、傲慢な態度による我が儘が多くなり、裕福ではない家庭なのに高価な生活を求めて、誰もが彼女の扱いに困り果てる。
──そんな問題児は、今のご時世“進路”が決まっている。両親は手遅れだと猫都を早々にアルテミス女学園送りにする事を決めた。
周りの声から『ペガサス』になる事はヤバイことだと漠然と認識しており、最初こそは猛抗議した猫都だったが、『ペガサス』というのは本物のお嬢様になるという意味だとか、市民のために戦うのは高貴なるものの勤めという、大嘘を真に受けて、最後には自ら乗り気で『ペガサス』に成ることを選んだ。
とはいえ、アルテミス女学園の生活は決して嘘ではなかった。猫都が求めていた豪華で煌びやか、高級な暮らしが有って、幸せな学園生活を充実する。
『プレデター』との戦いも、最初こそ怖かったが、高貴なる者の務め、ノブリス・オブリージュ。そんな適当に教えられた言葉が彼女を奮い立たせ、いつしか彼女は本物であると周りから一目置かれるようになる。
最初は面倒なやつだと認識された猫都は、戦いにおける勇敢さとセンスの高さ。接してみれば割と面白く、お嬢様的格差思想持ちだからこそ、
──充実な日々を過ごした。幸せな日々だった。だけど例外には成れなかった。猫都はアルテミス女学園ペガサスたちが通る酷い道に外れることなく進んでしまう。
仲の良い同級生、可愛がってくれた先輩たち、愛しい後輩たちの“卒業”。どうにも成らない現実に猫都は無力感と怒りを募らせる。
そして考えるのだ。いったいどうしてこんな事にと、『プレデター』の手によって、活性化率によって、それらの理由は誰もが当たり前過ぎて、彼女の耳に入る事は無かった。
『ペガサス』が次々と“卒業”していく状況に。猫都は心の底から嘆いた。どうしてだと、なんでだと噎び泣くが、理由が分からない。答えの見つからない慟哭が、慣れない思考に疲れたのか、もっとシンプルで性質の悪いものへと変化していく。幸せだった日々に、不幸を招き入れたものは何かを、猫都は探すようになった。
──こんな事なら生徒会長に……野花に、文句のひとつでも言うんだったな!
始まりは去年の後期の大規模侵攻のさいの、“卒業”する先輩の遺言だった。その先輩と生徒会長とは友達同士であった事から生まれた台詞であったが、そんな事情の知らない猫都は、嘆きと怒りの類いに聞こえた。
猫都は、今まで存在すらちゃんと認識していなかった生徒会長の事を考え始める。すると今まで聞く耳すら持たなかった、中等部ペガサスの声が入ってくる。
──大規模侵攻の配置、生徒会長が操作してるんだって。
──私たちが戦ってるのに、ひとりだけ安全な学園内に居るんだって。
──何もしてないのに、私たちの十倍お金貰ってるんだって。
──活性化率がヤバイと“進路相談”しに来るんだって。
──学園で“卒業”する『ペガサス』の何人かは生徒会長の仕業だって。
──大人たちにえこひいきされているんだって。
──ほんと酷いよね。ずるいよね。
不満から発生する真実と嘘が入り交じった結果、偏る事となった生徒会長の評価。口にした本人たちは単なるストレス発散ぐらいだったのかもしれない。だけど猫都は確固たる証拠がないのにも関わらず、その言葉たちを真に受けて、ひとつの答えに辿り着く。
──先輩や友達が“卒業”してしまったのは、日々の苦しみが増すのは全て生徒会長が原因。
いちおう猫都は同級生に何度も問い掛けた。全ての原因は生徒会長にあるのかと。
──え、ええ! そうよ!
──私たちがこんなに必死に戦っている時も、アイツだけが戦ってないじゃない!
──ズルいやつよ、悪いやつよ!
──アイツさえ居なければ、先輩たちが“卒業”せずに済んだのはあり得ることよ!
猫都の目を見ず、上ずった声で、支離滅裂な内容で何もかもがバレバレなもので有るはずだったが、猫都は真に受けた。
──そうか、なら全て“
そうして時間が過ぎて、友好的だった『ペガサス』がみんな“卒業”し、中等部三年となった猫都は、会話した事のない蝶番野花を心から嫌悪し、憎悪する『ペガサス』となった。
「──ね、猫都……。本当にこのまま進むの?」
「ええ」
大規模侵攻二日目。猫都を筆頭とした中等部三年ペガサス四名全員。中等部二年ペガサス五名の計十名は、己のグループから離れて、配置された場所から『プレデター』が来たる方向にむかって移動していた。
「おかしいと思いませんの? 私たちに都合のいい配置に、大規模侵攻の初日でありながら少ない群れ。そして謎の音と震動に連絡が途絶えたグループ!」
「それは思うけどさ……だからって先に進むのはどういうわけ?」
「不可解な出来事の正体。あれら全てが蝶番野花の陰謀に関わるものかもしれませんわ!」
50名以上の『ペガサス』が加入している猫都グループは、多少離れているが短時間で合流できる隣同士に配置された。また立地的に大人数で戦いやすい場所となっている。猫都たちにとってはメリットだらけの配置であるが野花が配置操作したという考えが、全てを悪いものであると認識する。
また、『勉強会』と同じく前年と比べて数が少なすぎる『プレデター』の群れに、幸運だとはしゃぐ『ペガサス』が多い中で、猫都は確信する。
──この全てが生徒会長の何らかの策略だ。
確かに野花は意図があって配置を操作している。しかしそれは大人たちの雑な仕事の補填によるもので、猫都グループを、この場所に選んだのは大規模侵攻の間、まとめて大人しくしてほしいという思いからである。『プレデター』の数が少ないのも、第一防衛ラインの高等部ペガサスの奮闘によるものであるから、関係していると言えば是である。
だが、それを猫都は知らない。ただ非論理的なプロセスによって、いわゆる嫌いだから犯人であるのは間違い無いという幼稚な発想のもと組み立てられた、合わせ先のない答えを導き出した。
やってくれたな生徒会長。ならばこっちにだって考えがある。怒りに満ちあふれた彼女は、“何かは分からないが”生徒会長の悪行を阻止するために、そして今度こそ生徒会長の座を降ろし、今までの罪を“卒業”によって清算させるために、猫都は行動にでた。
──それが、高貴なる自分に与えられた使命だ!
そのためにも第一防衛ラインで何が起きているのか、この目で確かめる。そうすると決めた理由は特にない。そういった考えから猫都は自分のグループを放置して、呼び掛けに応じた『ペガサス』たちと共に移動を開始した。
「ちょっと、さすがに……こ、後輩たちを置いてくのはまずいんじゃないの!?」
「さ、賛成。もうちょっと様子見てからにしようよ!」
猫都に戻るように催促するのは同級生の中等部三年ペガサスたち、なんで無難に終わったのにと、なんとか説得しようとするが、彼女たちにとって残念ながら徒労に終わる。
「なに言ってるんですか先輩! あの場でじっとしていたら、ヤバイことになるかもしれないんでしょ!?」
「そうよ! 猫都先輩の言うとおり、なにが原因なのか調べないと!」
なにせ話を聞いて自主的に参加した中等部二年ペガサスたち五名が、心の底から猫都に賛同しており、中等部三年ペガサスたちの反対意見を封殺してしまう。彼女たち後輩は猫都たち中等部三年たちが語る、生徒会長の一方的な評価を鵜呑みにして、猫都と同じになったものだった。
だから、彼女たちの口にする言葉は猫都が考える事と一緒。そのため猫都本人にその気は無くても、後輩の言葉に意識が傾いており、もはや他『ペガサス』の意見を、ちゃんと認識すらしていない。それがいつからだったのか誰も分からない。
「ちょっと猫都! 返事ぐらいしなさいよ!」
「……これ以上、蝶番野花の思い通りにさせるわけにはいきませんのよ! 危険は承知の上、彼女の悪事を暴くことがなによりも、私たちが生き残れる方法ですわ!」
そうだそうだと、後輩達の賛同の声に中等部三年ペガサスたちは身の危険を感じて口を閉ざすしか他なく、かといって引き返す度胸も無いため内心でとても嫌がりながら猫都と後輩達に続く。
「──大丈夫、戦わなければ……だいじょうぶ……」
小さく呟かれた言葉は、誰にも届かなかった。
+++
──猫都たちに置いてかれた総勢四十名ほどの猫都グループに属する『ペガサス』たちは、混乱の淵に居た。なにせ朝になって聞き馴染みの無い
そして、猫都は他の配置されているグループ内『ペガサス』を一同に集めて、さっきの音に関係する話をするかと思えば、自分たちは、今から第一防衛ラインに向かうと言いだし、中等部三年全員と二年を五名を引き連れてどこかへ行ってしまった。
訳も分からず、『街林』に残された『ペガサス』は烏合の衆と化して、本当にどうすればいいか分からず、右往左往しているのを
「あ、亜寅……どうするのぅ?」
周囲に脅えながら問い掛けてくる丑錬に、アトラは少しは自分で考えてくれと文句を言いそうになるのを、今更だとぐっと堪える。
丑錬と亜寅は小学校の時からの幼馴染み同士であった。上級生に進級したころ、正反対ではあるが身長と性格が理由で、周りから浮き出した亜寅と丑錬は自然と一緒に居るようになった。
図体のデカさに反して、酷く気が小さい丑錬は虐めの標的にされるようになり、亜寅が止めに入るようになった。喧嘩っぱやく、立ち向かう事に恐怖を感じない彼女であったが、小さな体では負けるだけだったので、亜寅は次第に勝つために色んな事を考えるようになった。
「落ち着け……今は様子見だ」
「その…… 『勉強会』に合流しないの?」
「ばかっ! はっきりと言うんじゃねぇよ!」
「あうぅ、ご、ごめん」
今の丑錬の発言を聞かれてはいないかと、焦って周囲を確認するが誰もいないと安堵する。
亜寅が『勉強会』から猫都グループへと移動したのは、大規模侵攻中に猫都やこのグループに不信感を持つ『ペガサス』と友好関係を築き、タイミングを見計らって一緒に『勉強会』に合流するためだった。
──そうすれば『勉強会』の『ペガサス』たちは人手が増えて戦闘は楽になる。負担が軽減されて活性化率の上昇だって抑えられる。亜寅は思いついた時、これしかないと思うほどの良い手だと思った。
しかし、亜寅が念には念を入れてと思い、大規模侵攻の配置決めを行なえる権限を持つと聞いた生徒会長にダメ元で、『勉強会』の配置考慮を頼み込み、了承を得られた証拠として貰った証明書が、猫都たちにバレて体育館で告発に繋がってしまった事で事情が変わってしまう。
「で、でも亜寅だけでも抜け出せるんじゃ……」
「行けるわけないだろ……くそっ、なんで知っていたんだよ……!」
生徒会室前で偶然であった兎歌を除けば、誰かに見られる前に書類は上着の内ポケットにしまったのに、待ち構えていた猫都を含めた中等部三年ペガサスたちは、まるで最初から知っていたかのように書類を見つけ出した。
──確証は無いが、自分と生徒会長とのやりとりを告げ口した誰かがいる。いちばん怪しいのは兎歌だが、アイツは良くも悪くも正直で、直ぐに口に出てしまうやつだ。それに短い付き合いでも、そんな人を騙すような事をするやつじゃねぇ。
亜寅は犯人捜しをしはじめた思考を、そんなことしている場合じゃ無いと打ち切る。考える癖を付けてしまった結果、考えすぎるようになってしまった自分が嫌になる。
「なんにしても、このままじゃ戻れねぇよ……」
猫都たちが居なくなった状況は待ち望んでいた勧誘するのに最適な状況ではある。しかし、自分の行いによって『勉強会』の評価は最底辺となり、孤立した事が問題だった。計画通りに誘ったところで『勉強会』に合流するとなれば、猫都たちの思想は別にしても、難色を示されるのは目に見えていた。
合流するにしても他の『グループ』がいいと言われる未来しか想像できず、すでに取り返しの付かない事をしているだけあって、またやってしまったらという不安に、亜寅は動くことができないでいた。
──本当なら石を投げられる覚悟で戻って、戦力になるのが、罪滅ぼし的な意味でも正しいのは分かっている。だけどここまでの事をやらかして、なんの手土産もなく戻れるわけがねぇと己の計画を捨てきれない。
「丑錬こそ、先に戻ってろよ」
「で、できないよぅ……戻れないよぅ」
「……そうかよ」
丑錬が頑なに『勉強会』に戻らないのは、亜寅の事が心配であるのもそうだが、『勉強会』が発足する理由となった
自分が油断をしなければ、愛奈先輩は“卒業”する事は無かった。自分がお荷物になってしまったから、『勉強会』のみんなを曇らしてしまったと、丑錬は本気でそう思ってしまっていた。だから取り返しの付かない迷惑を掛けてしまった自分が、どの面下げて戻ればいいのかと考えてしまう。
そんな弱虫の癖に頑固者な幼馴染みが、自虐の日々を過ごし、弱っている事に気付いた亜寅は、なんとか事情を本人から聞き出し、『勉強会』から距離を置いたほうがいいと判断して誘ったのだが、余計苦しませてしまった気がして、やっぱり、ひとりで来るべきだったんじゃないかと後悔する。
「……丑錬、お前が戻るだけでも、めちゃくちゃ助かるはずだぜ」
──やっぱりダメかと思って諦めようとしたが、明らかに普通でない事態が続いており、ここに居たほうが危険な気がして、『勉強会』に戻るように説得し始める。
「で、でもぅ……」
「こんなこと言いたかないけどよ。お前が許されないっていうなら
亜寅は、そもそも実地研修をする事となった元凶である自分がなにを言っているんだと自虐しながらも、ごねる丑錬に説得を続ける。
「それこそ本気で申し訳ないと思ってるんなら、あいつらと一緒に戦ったほうが絶対罪滅ぼしになるって」
「……なら、亜寅も一緒に──」
「──ちょっと、ふたりともなにをしてるの?」
いつのまにか近くにいた『ペガサス』に声を掛けられて、亜寅と丑錬は反射的に背筋を伸ばした。
「べ、別になんでもないぜ!?」
「そう? まあいいけど」
どうやら会話は聞かれていなかったみたいだと、亜寅は緊張を緩める。
「あ、あの! これからどうするんですか?」
「それを今から決めるのよ……不安にさせてごめんね。私も予想外だったというか、本当になにも聞いて無くて……とりあえず今は中央に集まって大人しくしていてちょうだい」
申し訳無さそうにする『ペガサス』が誰かを亜寅は思い出す。第一防衛ラインに向かおうとする猫都たちを、誰よりも必死で止めようとしていた中等部二年の先輩だった。周りを見れば先輩の『ペガサス』が、狼狽える新入生たちを宥めている。
猫都グループと言っても、なにも全員が猫都の思想に賛同して集まったわけではない。中等部三年ペガサスたちの身勝手さに憤りを感じ、後輩を思ってくれる先輩ペガサスも居る。
──諦めきれないのには、そんな先輩、そして何も知らない同級生たちの存在もあった。こんな事なら猫都たちが書類の出所をバラして居づらくなったほうがマシだったと思ってしまう。なんだよ貴女は生徒会長に騙されただけって、どんだけ憎いんだよ。
「ちょっとそこ! 危ないから遠くに行かないで!」
遠くへ移動しようとした新入生二名を見つけた先輩は、注意しに向かってしまう。
「……言われた通り、真ん中に集まるか」
「う、うん」
計画を聞かれ掛けた事もあって、慎重になった亜寅は先輩に言われたとおりに集まることにした。中央としか聞いていなかったが、既に何名か『ペガサス』が固まっているところがあり、そこへと移動する、
「────まじかよ」
引き抜き候補であった同級生が居たので声を掛けようとした時、ふと視界に入って気付いてしまう最悪の現実。
──『プレデター』が、こんな時でも構わず無慈悲に来たる。
「え? え?」
「『プレデター』が来たの!?」
「た、戦えばいいんだよね?」
集まっていた『ペガサス』も気付くが、ここにきて最初の群れが呆気なく終わってしまったことによる経験不足。そして号令を掛けて統率できるものが居なくなってしまった事で、敵が迫り来ているのに『ペガサス』たちは意識を切り替えられない。
「あ、亜寅!?」
亜寅は、即座にさっきの先輩に『プレデター』の事を報告することにした。そして、彼女は猫都たちに正面から反対意見を出せるし、自分で判断して動ける『ペガサス』だと、みんなを纏めるリーダーになってくれと頼むつもりだった。
先輩は、遠くに居たことから、まだ『プレデター』の存在に気付いておらず、勝手にどっかへ移動しようとしていた新入生たちに対して優しく注意しているようだった。それを見た亜寅は、直感的にリーダーになれるのはこの人しかいないと思った。
「先輩!」
──お願いがあります。そう叫ぼうとした時──先輩が何かに反応して瓦礫のほうを見た。
「──危ない!」
まだ、それなりに距離が離れている亜寅にも聞こえるほどの声量で叫んだ先輩は、己の『ALIS』を手放して後輩ペガサス二名を突き飛ばした。
──転がっていた瓦礫に紛れていた小さな物体が、先輩に飛びかかり顔面に張り付いたのを見て、亜寅は思わず足を止めてしまう。
小さな物体、それは亜寅も何度も見たことがあるものだ。倒した事もある。戦闘能力が低く、移動速度もそこそこ、冷静に対処すれば、そこまで倒すのに苦労はしない。されど人間を索敵する能力が高く、もっともこの国の人間を殺傷しているとされる──カブトガニ型プレデター。
──愛奈先輩の言葉を思い出す。カブトガニ型は本当に何処でも潜んでいるから『街林』で活動する時は、絶対に周辺の確認を怠らないで、常に音を聞く事に集中して、もしも掴まれたりしたら……どうにも出来ない事が多いから。
先輩は、なんとかして頭に張り付いたカブトガニ型プレデターを取ろうとするが、
──必死で考える。こうなった時の対策を教えてもらったはずだ。勉強したはずだ。そうだ怪我するのは仕方なしに槌型ALISで思いっきり叩くんだった。でも近くに槌型ALISが無い。手に持っているのは弩型ALISだし、この距離で当てられる自信が無い。なら〈魔眼〉だ。こういう時に使わないでいつ使うんだ。ワタシのは〈浸透〉っていう物体の中を見れるだけのハズレだから、誰か代わりに〈魔眼〉を使って先輩を一秒でも早く助けるべき──
実際に亜寅が何処まで考えたのかは定かではない。思考に埋め尽くされた脳は他の命令を出すことは無く、体が硬直したまま時間切れとなってしまう。
「──たす、け────」
カブトカニ型プレデターの内側にあるドリルが高速回転する音、頭蓋が削られる音。そして少女の絶叫における三重混じり合う不協和音が、ここに居る『ペガサス』全ての耳に届いた。時間にすれば数秒の出来事で、絶叫が消え、削る音が消え、ドリル音が空回ると共に先輩は膝から崩れ落ちた。
亜寅は、膝を畳んで仰向けに倒れた先輩を上手く認識する事ができない。はっきりと分かったのはひとつ──『ペガサス』が一名、大規模侵攻にて“卒業”した。
「おあ、お、あ──《b》ア゙ア゙アア゙アア゙アア゙アア゙ア゙アア゙ア゙ア゙ア゙アア゙ア゙ア゙ア゙ア゙アア゙ッ!!」《/b》
亜寅は生まれて初めて絶叫する。それに続き先ほどまで叱られていた『ペガサス』や、状況を理解した『ペガサス』たちが悲鳴を上げる。
「亜寅!? しっかりしてぇ! 亜寅!!」
十人十色の悲鳴がそこら中で生まれて大合唱。亜寅は丑錬に肩を揺らされて声を掛けられるも、反応することができない。そんな彼女たちを通り過ぎて二名の先輩ペガサスたちが“卒業”した先輩に近づく。
──カブトガニ型は群れで行動するプレデターだ、迂闊に近づくなと言おうとしたが、体がとった行動は不足した酸素を体内に供給する事だった。
まず先輩を“卒業”させたカブトガニ型プレデターは、近寄ってきた先輩ペガサスに取り憑こうとして飛びかかった所を呆気なく叩き潰された。しかし、そのすぐ後に遅れてやってきた数十匹のカブトガニ型に飛びかかられて、ついでに先輩の助けた同級生たちも纏めて群がられて二次被害が発生する。
「…………いえよ」
「あ、亜寅……?」
「“卒業”じゃなくて、ちゃんと死ぬとか言えよ!!」
口の前に体を動かす、そんな当たり前の事もちゃんとできないまま、新たに四名を“卒業”させたカブトガニ型プレデターの群れは、亜寅たちへと迫っていた。
「だ、だめぇ!」
丑錬が、亜寅を守るように抱きしめて、瞳を輝かせはじめる。先頭のカブトガニ型が亜寅たち目掛けて飛びかかった──が、その個体は真横から振り下ろされた形状の斧型ALISによって叩き潰された。
「え?」
「──ボーっといきてんじゃねぇーよ!」
「きゃっ!」
「いでっ!?」
唖然とする丑錬と亜寅は、雑に持ち上げられて十メートルほど後ろへと放り投げられる。
「な、なんだ!?」
「とーーーーーーーうす!!!」
「本当になんなんだ!?」
痛みと謎の奇声で、完全にではないが正気に戻った亜寅は、自分たちを助けてくれた『ペガサス』の正体を確認する。
恐らく専用であろう三日月斧を模した小振りな『ALIS』と、ほぼ同じ背丈なプラチナヘアーの『ペガサス』。
「あ、あんたは……」
亜寅は髪の色と自分ほどではないが小柄なシルエットに見覚えがあった。だけど記憶と違い高等部の制服を着用、なによりも謎の単眼レンズ付きの奇妙な仮面で目元を隠している事で、名前を発しかけた喉が詰まる。
「いまお喋りしてる時間ある? ないよね? ……あ、こういうこと言わないほうがいいんだっけ? ……不便だしいっか」
やっと脳が指示を出し始めて立ち上がった亜寅は、全くもって意味不明であるが、この“高等部の先輩”が何かしらの理由で正体を隠している事を察する。
「た、助けに来てくれたのか?」
「だから質問している時間はないでしょ? ほら、来てるよ?」
カブトガニ型プレデターは変わらず、亜寅たち目がけて向かってきている。『ALIS』を構えようとして初めて、腰を抜かした時に置いてきてしまった事に気づく。
──自分はいま、戦う事はおろか身を守る事のできない、そんな丸腰の状態に、また恐怖がぶり返してくる。
「……逃げれば?」
無機質に発せられた言葉に従うか否か、亜寅は迷わなかった。
「おーーーいっ!!」
亜寅は出来るだけ大声で叫びながら、『ペガサス』たちがもっとも集まっている中央へと向かって走った。遅れて丑錬も付いてくる。
「──ここは、ここはもうダメだ!」
「だ、だからってどっかに逃げるなんて……」
「いま戦ったって死ぬやつが増えるだけだろ!」
「じゃあ何処に逃げればいいの!?」
「別のグループと合流する。いいだろ!?」
「……わ、分かった。みんなもいいよね?」
状況を見て、ヤバイと思った『ペガサス』の中には既に、この場から逃げたものも居る。いま残っているのは自分で決められなくて戸惑いっぱなしなものたちである。そのため亜寅が勢いでした提案に、みんな素直に従う。
「丑錬行くぞ! もう嫌だとか言ってる場合じゃねぇだろ!?」
「う、うん!」
とにかく今は、この場からの避難が最優先だと、亜寅は落ち着かない思考を必死に動かして『プレデター』の居ない、偶然にも『勉強会』が居る方向へと誘導しはじめる。
「んー。できれば付いていったほうがいいんだろうけど、カブトガニ型群れ相手だと守りながら戦うのはベリベリハーだよね!」
襲いかかってくるカブトガニ型を仮面のペガサス──高等部二年ペガサス『
勢いよく【アジサイ】を振り回す、その姿は獰猛さを感じさせるが、よく見ると響生の動きはとても機械的であり、“何も感じていない”のか、ミスすれば“卒業”する場面でもありながら響生は、無機質にカブトガニ型プレデターの数を減らしていく。
「そろそろ、いいよね」
カブトガニ型の群れを半分ほどにし、残った個体が完全に自身を標的にしたのを確認した響生は、『プレデター』の群れが迫っている事もあって、亜寅たちが逃げた方向とは別に移動を開始、カブトガニ型たちは自分たちの末路を考える事は無く響生をどこまでも追いかけ始める。
──二日目の早朝、こうして最大規模であった猫都グループは崩壊する事となった。大規模侵攻の何時もの光景を作りながら。
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