第35話


 ──結局、兎歌とかたち『勉強会』は最初の百体ほどの群れ以降、『プレデター』と戦う事なく夜を迎えた。前回とは明らかに違う様子に、不吉を感じながらも、『勉強会』のリーダー役を担っている『戌成いぬなりハルナ』の提案で、全員で拠点に戻る事となった。


「…………」

「…………」


『勉強会』が拠点に選んだ、比較的に損傷が無い四階建てのビルの最上階、瓦礫塗れの室内にて『夏相なつあい申姫しんき』と『上代かみしろ兎歌とか』の先輩後輩コンビは見張りをしていた。


「……兎歌、さっきの戦いで、どうして〈魔眼〉を使ったの?」


 学園で購入して持ってきた、アウトドア用の椅子を隣同士に並べて座り、『プレデター』が来る方角を見続けていること十分ほど、申姫が問い掛けた。


「……倒したほうがいいと、そう思って……」

「そう……」


 兎歌は、先ほどの戦闘で活性化率を大きく上昇させる〈魔眼〉を、必要だったとは言い難い場面で使用した。


 とはいえ〈魔眼〉の使用判断は『ペガサス』にとって、ひどく難しいものである。それこそ活性化率を上昇するのを嫌がって使用を控えた事で、ピンチに対応できず“卒業”してしまう『ペガサス』は毎年一定数存在する。だからと言って〈魔眼〉を連発して安全策を取り続けば、その分“卒業”が早まってしまう。


 〈魔眼〉の効果は多種多様、それに合わせて活性化率上昇もバラバラである事もあって、『ペガサス』が他に〈魔眼〉の使用はこうするべき、という話題は何時だってトラブルを生む。それを承知の上で申姫は兎歌に注意する。


「まだ低いからって思っているなら、その考えは改めたほうがいいよ……そうやって多用して後悔した時には、もう戻れないんだから」

「……はい」

「ハルナがとても心配してた」

「……ごめんなさい」


 ──〈魔眼〉を簡単に使用したのには、別の理由があるのだが言えるはずもなく、兎歌は心配掛けた事にひどく申し訳なくなりながら謝罪した。


「謝らなくていいよ、自分の“卒業”に関わる事なんだから」

「はい……」

「……あそこで、イノシシ型にあのビルを壊されていたり、街中に入られたら困っていたのは確かだから、別に使った事は間違っていないと思う……でも、自分の命を優先してはほしい」

「はい……大丈夫です……」


 ──違和感のある返答であったが、本人が話してくれるまで何も言わないと交わした約束に触れる部分だと判断し、申姫は、少し考えて話題を変える事にした。


「兎歌、全校集会で起きた事に関して、何か知ってることある?」


 大規模侵攻に関する全校集会にて、猫都ねこみやを筆頭とした中等部三年ペガサスたちが、生徒会長が個人の感情による配置決めを行なっており、懇意にしている『ペガサス』が居る『勉強会』を安全な場所へと配置した証拠である1枚の書類を持って告発するという事件があった。


 これによって『勉強会』は他グループと結んでいた共闘の話が白紙となり、孤立する事となったが、リーダーであるハルナは全く覚えがなく、ここまで何も言わなかったが申姫は、『勉強会』の中で高等部と繋がりがある、兎歌が行なったものではと考えていた。


「これも言えない事に関わるの?」

「あれは……亜寅アトラちゃんが──」


 兎歌は、短いながらも酷く悩んだすえに生徒会長室で、猫都グループに移動した元『勉強会』に属していた亜寅アトラとの会話の内容のみ、そのまま申姫に伝える。


 そもそも亜寅が、猫都グループに移動したのは『勉強会』の皆を想っての事である。大規模侵攻の途中、何かしらチャンスを狙って、猫都グループに思う所がある新入生ペガサスたちを引き連れて『勉強会』に合流する事で、人数不足を解決し、“仲間”の生存率を上げるというものだった。


 そして亜寅は自ら生徒会長に会って、人数の少なさを理由に、『勉強会』のみんなを安全な場所へと配置するようにと頼み込み、了承を得た。交わした約束の証拠に貰ったというのが1枚の証明書であり、あの猫都が体育館で証拠として出したものである。


「そんなことがあったのね……亜寅はこっちに合流する気なの?」

「分かりません」


 全校集会の件があって、亜寅の計画が破綻したのは間違い無く、合流する話もどうなっているのか兎歌には分からなかった。もしかしたら不遇な目にあっているのかもしれない。兎歌は他人事のように思う。


「この話、ハルナには言っていないのよね?」

「はい」

「なら、亜寅のこと内緒にしておいて」

「……いいんですか?」


 問い掛けたのは、これ以上なにか秘密を抱え込むのが嫌という拒否感からだった。


「お願い。これ以上ハルナの負担を増やしたくない」

「……わかり、ました……あの、亜寅ちゃんたちの事は……」

「私が、ちゃんと考えるから安心して」


 亜寅、そして同じく猫都グループに居る丑錬うしねの事はちゃんと気に掛けるという申姫の言葉に、兎歌は勝手ながら、少しだけ救われたような気分になった。


「──ごめんなさい」

「それは何に対しての謝罪?」

「……亜寅ちゃんのこと黙ってて」

「別にいいよ。むしろ良かったのかもしれない。もしも全校集会の日にハルナが事情を知ったら、多分嫌なことに成ってたと思うし」


 ──本当にどこまでも自分は勝手だ。なにも話さない事を肯定してくれたのに、兎歌は止めて欲しいと言いそうになった。


「──申姫先輩、兎歌」

「群花? どうしたの?」


 気まずい沈黙に戻った兎歌たちに声を掛けたのは、派手なオレンジゴールドの髪を古びたタオルで隠し、腰にショルダーポーチを巻いている中性的な見た目をした中等部一年ペガサス。『未皮ひつじかわ群花ぐんか』だった。


「まっ、いつもの奴っすよ。可辰かしんが飲ませたいものがあるって」

「そう、分かったわ。交代の時間まで待ってって伝えて」

「その必要は無いっす。時間は早いですが交代しますので上がってください。コノブの奴も、もう少ししたらやってきますんで」


 次の見張りの当番は群花と『亥栗いぐりコノブ』の二名で、交代するつもりだから、群花が呼びに来たのかと兎歌は気付いた。


「いいの?」

「戦闘では、あまり役に立てない分こういう時にはなっ、適材適所ってやつっすよ」

「そんなこと考え無くていいよ」

「まっ、拠点の設営が終わっちまって暇になったってのもあります」


 群花の戦闘能力は並みの中等部一年ほどであり、先の戦闘でも目立った活躍はできなかったが、彼女は野営能力が高く、大規模侵攻に関連する持って行く荷物から拠点場所の選別を主導し、そして生活拠点の設営も殆どひとりで行なった。


 スラム出身なもので、慣れてるんだ。そう言いながら“九人”が寝られる大型テントを手際よく立てていく姿を見て、『勉強会』の面々はむしろ手伝ったら迷惑になると思い、彼女に任せることにした。


「ぶっちゃけた話、申姫先輩、それに兎歌も次の戦闘に備えてしっかりと休んでくれたほうが、オレ的にはとってもありがたいっす」

「……分かったわ。『プレデター』の群れもそうだけど、小型種の接近にもちゃんと注意してね」

「うっす。小さな音には敏感なほうなんで任せてください」


 侵攻してくる『プレデター』の大群に関しては、音や振動によって気付きやすく見逃す事は早々ない。なので見張りがもっとも気を付ける事は、ビルに侵入してくる小型種であり、これを見逃して拠点の傍まで近づけてしまうと、大惨事になりかねない。


「兎歌、行こう」

「はい。群ちゃん、その……後はよろしくね?」

「あいよ。おっと兎歌……やっ、なんでもない。ちゃんと休めよ」

「うん、ありがとう」


 呼び止められた理由が気になる兎歌であったが、質問されるのが怖くて聞き返す事ができず、そのまま申姫と一緒に屋上に向かう。


「……もう飯作らないんかね。あいつ」


 いちおう、使うかと思って持ってきた調理台を設置したが、余計な事しちまったかもなと群花は見張りを始める。


 +++


 ──兎歌に申姫せんぱーい! 可辰がすごーいの持ってきたから早く飲んでみてね!


 移動の途中に出会った亥栗コノブが幸せそうなニヤけ顔で、こんな事を言いながら通り過ぎていき、申姫は首を傾げた。


 ──屋上は、群花の手によってアウトドア生活品が設営されており、数日間であれば快適に過ごせるようになっていた。群花にオススメされた事で『勉強会』の七名がお金を出し合って買った、トンネル状の大型テントは、寝室だけではなく、リビングとなる部分も存在しており、ポリエステル製の屋根の下には人数分の椅子やテーブルなどが置かれていた。


 両サイドの布壁キャノピーを開けられるとあって、かなり風通しがよく、かなりの快適さに、誰もが買って良かったと認めるものとなった。


「──申姫先輩! 兎歌ちゃんこちらです!」


 テントのリビングから立ち上がって兎歌たちの名前を呼んだのは、深い緑色の長髪以外、よく言えば素朴、悪く言えば特徴が無く地味で、邪魔にならない程度に制服に付けているアクセサリー類のほうが目立つ中等部一年ペガサス。『祝通はふりどうり可辰かしん』だった。


「申姫、兎歌も、見張りお疲れさま」

「お疲れさまなの、兎歌」

酉子とりこ、ちゃんと申姫も労いなさい」


 リビングには『ペガサス』が全員座っており、申姫はハルナの隣に、兎歌は同じ寮部屋に住む同級生である『玄純くろずみ酉子とりこ』の隣に座る。


 酉子は自分の通信機に繋げた機能拡張デバイスを操作して、別グループの通話を傍受して情報を集めていた。これによって『プレデター』の群れが小規模だったのは『勉強会』だけではなく、他グループも同じだった事がわかり、ハルナの心労は少し減ることとなる。


「それで可辰かしん、飲んで欲しいものがあるって聞いたけど、なに?」

「はい! 初戦は無事怪我も無く乗り切れましたが、大規模侵攻は続きます、大変である事は必至! というわけでして、みんな無事に終われるように、さらなる『加護チート』を得る必要があると考えました!」


 言ってしまえば、可辰はスピリチュアル系ペガサスであった。図書館にあった占星術本の内容を独自解釈し、何かしらの行為によって、それに関する『加護チート』を得られると信じており、アクセサリーを身につけるのも、『加護チート』が付くからといった理由である。


 その日によって、使用する『ALIS』も変える徹底ぶりであるが、万能手な才能と噛み合ってか、実際に加護によるものか、選んだ『ALIS』は場面において、ちゃんと適しているものが多かったりする。


 可辰は『勉強会』の面々にも、『加護チート』を得られると、自腹で購入した飲食物やアクセサリーなどをプレゼントする事が度々あり、そんな可辰の行動に色々と思うところはあるが、それが彼女なりの他者とのコミュニケーションの仕方だと“曖昧”に受け入れていた。


「争う事で発する希望、そして無事の終わりを司るものは沢山ありますが、しかしながら、何十年と続く因果と因縁の前には普遍的なもので太刀打ちするのは難しいでしょう!」


 受け入れられかたが“曖昧”なのは、可辰の言ってることがよく分からないからである。


「ですので! 大規模侵攻という恐ろしいものに劣らない『加護チート』を得るためには、それ相応な物が必要ということで、ご用意しました!」


 長めの、なんならハルナたちは二回目だったであろう前置きが終わり、可辰は申姫たちに見えないように手に持っていた物を前に出した。それは、表面には100%蜜柑ジュースと書かれている、すでに蓋の空いている190mlサイズのアルミ缶。


 ──感謝の気持ちです。どうか受け取ってください!


 恐縮しながらも自分では到底買えないからと、貰って部屋の戸棚にしまっている“もの”を思い出した兎歌は、久しぶりに息の仕方を忘れる。


「これ、あの無駄に高い自販機の中にあるやつ?」

「そう、わざわざ買ったんだって」


 土地の大半を『プレデター』に侵略されている現代日本では、作物を育てられる土地が限りある事から、果物自体、富裕層の者でしか食べられない嗜好品となっている。そんな果物を加工して、価格が高騰し続けている中で金属資源を缶容器として使用する事から、東京地区に比べて物を安く買えるアルテミス女学園でも100%のフルーツジュース缶というのは、かなりお高い物となっている。


「争いの赤と希望の黄色、それらが混ざり生まれるオレンジは終わりを司ります。液体になった事で得た水属性は関係性を強化してくれるので、みんなで均等に飲めば絆による相乗効果を見込めます! そしてなによりも価値が高い分、数十年の因果に対抗できる加護チートが望めるでしょう!」


 よく伝わっていない解説を早口で言いながら、可辰は使い捨てのプラコップに、蜜柑ジュースを一口ほどの量を注ぎ、申姫、兎歌、ハルナ、酉子の四名に配った。


「まだ飲んでいなかったの?」

「群花とコノブが交代してくれるって言ってくれたから、申姫たちを待ってたの」


 ちなみに、群花とコノブは交代するにあたり先に飲んでおり、反応は違えど二名は人によって管理されて育てられたフルーツの自然な甘さに感動する。コノブに関しては記憶に強く残ったのか、味を思い出してニヤけては群花に気持ち悪いと指摘されていた。


「そう、待ってくれてありがとう」

「べ、べつにお礼言われることじゃないわよ!」

「ツンデレされるほどの事は言ったつもりないんだけど?」

「ちょっとびっくりしたの! というかツンデレ言うなって言ってるでしょ!」


 いつものやりとりをするハルナと申姫の中等部二年コンビ。休憩を挟んだのもあるが、『プレデター』が少ないのは他の所でも一緒だった、なんなら戦わなかったグループも存在してるという情報が、ハルナたちの心労を和らげて、落ち着かせていた。


「では! 折角ですので皆さんで一斉に頂きましょう!」


 勢いよく可辰がコップを持ち、それにハルナたちも続くなか、兎歌だけが俯き続けて微動だにしない。


「兎歌?」


 ハルナが名前を呼ぶが反応せず。心配になってもう一度呼ぼうとしたとき、すっと俯いたまま立ち上がり、体を階段のほうへと向けた。


「──ごめんなさい」


 兎歌は謝罪をひと言だけ口にして、その場から去ってしまう。


「……えっと、な、なにか粗相を……」

「可辰」

「そ、それともやっぱり、兎歌ちゃんは“あの事”を気にして──」

「可辰! 落ち着いて……兎歌も私たちも、誰も気にしていないわ」


 先ほどまでの陽気なテンションとは打って変わって、落ち込んで暗くなる可辰に、ハルナは咄嗟にフォローを入れて落ち着かせる。


「……兎歌、本当にどうしちゃったのかしら。酉子、何か知らないの?」

「知らないの」


 ハルナの問いに、酉子はデバイス操作を続けながら冷たく答える。兎歌以外には何時もこんな感じなので、態度に関しては誰も指摘しない。


 ──高等部三年ペガサス『喜渡きわたり愛奈えな』が“卒業”してしまってから、ずっと落ち込み続けている兎歌。それは当然だとハルナは思っている。


 特に兎歌は愛奈先輩の事が目に見えて分かるほど大好きだった子だ。仲が良かった友達や好きだった先輩が“卒業”して人格が変わってしまう『ペガサス』は少なくはなく、ハルナも何名か見てきたし、生徒会長を酷く憎む中等部三年先輩の『猫都ねこみや』も、元から面倒なひとであったが、あんなんでは無かった。


 でも、兎歌は何か違う理由で、ああなっている。それに大規模侵攻が始まってからより悪化している。だけど、原因も分からない中で問いただしても説得できるとは思えなくて、状況を悪化させるだけだと見守る事しかできなかった。


「ほんとに? ほんのちょっとでもいいの、分かっている事があったら教えて……酉子は、兎歌の様子がおかしい事が気にならないの?」

「しつこいの。兎歌は兎歌なの」

「……そう、分かったわ」


 とりつく島もない酉子に、ハルナは声を荒げそうになるが怒鳴っても仕方ないと我慢する。


「せめて、理由が分かれば何かして上げられるかも知れないのに……」


 ハルナは何よりもまず大規模侵攻を無事に乗り切る事を最優先としていた。それは今でも間違っていないと思っている。だけど後輩の心を二の次にしてしまった事を、余裕が生まれた今だからこそ、ほんのちょっとでも気に掛けて上げていればなんとか出来たんじゃないかと強く後悔していた。


「ハルナ。兎歌の事は今は考えなくていい。私がどうにかするよ」

「申姫? もしかして何か知ってるの?」

「事情は知らない。でも何か理由があるのは間違い無いみたい」


 申姫が個人的に兎歌と会話をしていた事を初めて知ったハルナは、多分まともに会話できなかったんだろうなと渋い顔になる。その事についても含めて兎歌と話したくて仕方がなくなったが、そもそも現状、平和ではあるが真剣に会話できるほどの余裕があるわけじゃない。


「なんにしても、まずは大規模侵攻を無事に終わらせないと……」

「……可辰的には、兎歌ちゃんには早く元気になってほしいです」


 ひどく遠慮がちに発言する可辰。今でこそ加護チートを元気いっぱいに勧める彼女であるが、出会った当初は、人見知りが激しく、他者にまともに声を掛けられず孤立する程だった。


「正直、愛奈先輩の事は知りませんでした……。でも会ってみたら本当にいい先輩で……何も知らない可辰に色んな事を教えてくれました。それになにより、こうやって皆さんに出会えたのは、兎歌ちゃんが誘ってくれたからです……そんな兎歌ちゃんに……」


 ──どうにか元に戻って欲しかった。言葉は続かなかったが意図はきちんと伝わった。


 愛奈先輩を教師役として勉強会を始めようとなった時、ひとりでも多い方が良いよねと変なテンションになった兎歌は同級生を手当たり次第に勧誘した事があった。そんな時にぼっちになりかけていた可辰も声を掛けられ、思わず首を縦に振った事が『勉強会』に入った切っ掛けだった。


 可辰にとって、兎歌は自分に居場所を作ってくれた恩人であり、それを抜きにしても優しく、料理が上手で、時々正直過ぎて鋭い事を言ってしまう事はあるけど、なんだかんだで付き合ってくれる友達だった。


 ──だから可辰は、愛奈先輩が“卒業”してしまい、兎歌が毎日辛そうにしているのは自分が怪我を負ってしまった事が原因かもしれないと考えると苦しくて、でも、どうにもできなくて、自分が信じているものも否定しそうになるほど辛かった。


「あの時、可辰がちゃんと気付いていれば……!」

「……よく聞いて可辰、あの時の『プレデター』の奇襲は誰が狙われても、ああなっていたと思うわ。むしろ誰も“卒業”しなかったのは本当に幸運な事よ。それこそ可辰の加護チートに救われたのかもね」

「ハルナ、先輩……っ!」


 自虐の念に囚われそうになる可辰を、ハルナは抱きしめて宥める。


「兎歌の事は、今はどうしたって見守る事しかできないの、何度も言うようだけど大規模侵攻の間はお願い。戦いに集中して、じゃないと自分自身が学園に戻れなくなるわ」

「……わかり、ました」

「可辰、ジュース飲んでもいい?」

「は、はい勿論です! どうぞ召し上がってください!」

「ありがとう、兎歌の分は後で私が持って行くわ」

「私が持って行くの」

「あっそう……じゃあ頼むわね、酉子……いま持っていくのね」


 酉子は作業を止めて、自分と兎歌の分のプラコップを持つと屋上を後にした。そんな自由過ぎる彼女の行動に、いっかい本気で注意したほうが良いのかしらと、ハルナは頭を抱える。


「どうするの?」

「じゃあえっと……大規模侵攻をみんな無事で終わらせて学園に帰りましょう!」

「ハルナ。もうちょっと言葉を整えてから言おうよ」

「いちいち指摘しないの! ああもう乾杯!」

「ふふっ、はい! 乾杯です!!」


 ぐだぐだなやりとりに、可辰はほんの少しだけ元気を取り戻し、みんなして乾杯し、ほんの一口ほどの蜜柑ジュースを飲んだ。


 ──とっても甘く、美味しい蜜柑ジュースに、ハルナたちは学園に帰ったらお金を出し合って買おうと約束する。


 +++


 高等部三年およびアイアンホース組たちは、夕暮れ頃に現われた第二群を今度は一体も後ろにやらずに殲滅しきった後、休息に入っていた。


「──なによもうっ! なんで説明書マニュアルとか無いのよ!」

「ルビー」

「……! 愛奈マヒル……なに? なんか用なの?」


 先生と話をすると拠点から少し離れた場所へと移動したルビーであったが、会話している声が聞こえず、しゃがんで何か悩んでいるようだったのが気になり愛奈は話しかけた。


 後輩の名前で呼ばれる違和感に耐えながら愛奈は、ルビーの傍まで近づき、彼女の悩みの正体を知る。


「化粧しようとしてたの?」

「……そうよ。でも、なにもわからなくて頭抱えていたってわけ」


 小さなキャンプテーブルの上にあったのは、アルテミス女学園で購入できる化粧品数点だった。


 ただ仕事としての家畜である事を望まれる『アイアンホース』たちは、自由なお金が得られない事もあって、化粧をしているものは誰も居ない。それでも“綺麗”なのは『P細胞』の肉体を常に最適に保つ機能ゆえのものである。


 ある日、ルビーは異性を惹き付ける魅力を上げる化粧という技術があるのを知った。どこで聞いたかは忘れたが、そんな漠然とした情報を心に深く刻み込み、アルテミス女学園に来て、ずっと憧れだった化粧品の数々を買った。


 夢中になって可愛いや綺麗だと思ったものを残高ギリギリまで買ったのは良かったものの、知識が全く無いルビーは、どうやって使用していいか、そもそも、どれがどの用途で使うものかすら分からなかった。愛奈が見る限り、違う会社の商品であるがマスカラが被っており、『ペガサス』には、あまり必要では無い乳液などもあった。


「……ルビーは、どんな化粧をしたいの?」


 そう聞きながらも、愛奈はルビーが化粧をしたい理由は購入していた化粧品が赤系に統一されている事からひと目見て解っていた。自分の髪や瞳に誇りを持ち、そんな自分をもっと輝かせたい。そして好きな人に振り向いて欲しいという強い気持ちが伝わってくる。


「自分をもっと綺麗にしたいんだね」

「……化粧ってそういうものなんでしょ?」

「ちょっといい?」


 ルビーの心象を的確に見抜いた愛奈は真横にしゃがみ込み彼女の化粧品の中から、口紅を手に持った。


「あんた、できるの?」

「うん、徳花なるか……友達に教えてもらったんだ。ちょっとしてもいい?」


 ──面倒見がよくて、お洒落を何よりも大切にしていて、きっと自分たちの誰よりも年相応の女子高生だった友達から、愛奈は色んなことを教わった。


「……どうすればいいの?」

「唇を出して」


 ルビーは躊躇いがちに唇を愛奈に出した。愛奈は慣れた手付きで口紅を彼女の唇になぞる。


「こんな風に唇を動かして」

「……これでいい?」

「うん、ばっちり! ……どうかな?」


 パウダーファンデーションの蓋裏に嵌め込まれている小鏡にてルビーは初めて化粧をした自分の顔を見た。罅も乾きも無縁なぷるっとした唇に、明るい赤の彩りが付け加えられていた。


「……綺麗」 


 ──心のどこかで単に色を塗っただけで何かが変わるとは思えない。そんな考えは元から無かったかのように吹き飛んだ。


「折角だし、もう少し触っていい?」


 返答を待たず、愛奈は乱れて気になっていたツインテールを直し始める。今日初めて話した『ペガサス』に大切な髪を触られているのにも関わらず、ルビーは大人しくされるがままになっていた。


「……いつ『プレデター』が来るかも分からない状況で、いい気なものね」


 上手な手櫛に髪だけではなく、なんだか心も解されている感覚にルビーは思わず自分自身に向けた悪態を口にする。


「──振り向いて綺麗だねって言って欲しい人がいるの」

「うん」


 ──初めて会話をした時、愛奈マヒルの事を、ルビーは気持ち悪いと思った。なんだかこっちを見透かしてきて、答えを先に知りながら言葉を選んでいるようで、全てを見透かされているような得体のしれなさを感じた。


 自身が在籍していた【504号教室列車】の車掌教師に恋している事を宣言したら、愛奈は真っ先に“幸せになれるといいね”と言った。肯定してくれるのはハジメと一緒であるが、あろうことか愛奈は誰にも話した事がない筈の“真意”に触れる言葉を、一言目に放ったのだ。


 だからか、ルビーはこいつならいいかと、ハジメにも話したことのない“真意”を口に出す。


「ちょっとしかない時間の中で手に入れたから、どうしても叶えたくて、でも難しくて……」

「うん」


 だけど、それは難しい願いだった。同性の自分ですら認めてしまうほどの美貌を持つダイヤと名付けられた『アイアンホース』の前では、自分はガラスの宝石でしかなかった。だから誰よりも戦闘で活躍し、有用性を示し、評価して貰う道を選んだ。


 だけど、魔性の美の前では泥臭い戦果は眩むようで、与えられるご褒美に嬉しく思いながらも、自分の願いは遠ざかっていく一方であるのを、ルビーは自覚していた。


「でも諦めたくない。だってこんなにも──好きなんだから」


『アイアンホース』なのに、赤ん坊の時点で両親に売られた孤児だったのに、優しくしてくれた。褒めてくれた。可愛いって言ってくれた。少女である事を認めてくれる甘美な台詞を何度も言ってくれた。ルビーが担任に恋をしたのは、人からすれば、ありがちな理由だと言われてしまうものだろう。だけど普通の少女としての願いは、『アイアンホース』にとって何よりも尊く難しいものであった。


「返事が欲しいわけじゃないの。たった数秒だっていい、先生せんせぇを虜にできたのなら、ルビーは世界一幸せな『アイアンホース』に成れるって、そう思えるから」


 アルテミス女学園の『ペガサス』とは違い、人としての自由が許されない『アイアンホース』として、ルビーは最高に幸せな終わり方を得たい。そうして選んだのが、ほんの刹那の時間でも構わない、好きな人に自分を女として見て貰うことだった。それこそがルビーが抱く恋の“真意”。


「ルビーは心から先生が大好きなんだね」

「うん! 世界で一番大好き!」

「……できたよ。同じ形のツインテールにしたけど、これで良かった?」


 話を終える丁度、あるいは合わせたのか結びも終わり、愛奈お手製のツインテールを鏡で確認する。


「完璧、っていうかルビーより上手いんじゃないの? ほんと多才ねあんた……もうちょっと早く会いたかったわ」

「いつでも教えて上げるよ。先生とお話が終わった後でもいいし」

「『プレデター』が空気を読んでくれたらお願いするわ……これからもっと面倒になるのよね?」

「そうだね。多分、明日の群れには大型種も出てくると思うし、場合によっては独立種も現われ始めると思う」


 大規模侵攻における群れは後続になるにつれて数は少なくなるが、代わりに厄介な中型種や大型種が混じるようになってくる。また『街林がいりん』にいる時間が長くなればなるほど、単体で全国を動き回っている独立種と遭遇エンカウントする可能性も高くなり、恐竜型プレデターの『ギアルス』に至っては、どこかで確実に戦う事になるだろうと愛奈は直感的に思っていた。


「ルビー。あんまり無茶をしないでね」

「別にするつもりはないわよ。ルビーは絶対に生き残って【504号教室列車】に帰ってみせるんだから!」

「うん……その意気だよ!」


 ──願いを叶えるという、ルビーの強い意志を前にして、愛奈は辛さを隠した笑みを浮かべて同意する事しかできなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る