第36話


 ハジメは、自分の担任である【303号教室列車】の車掌教師、ゼロ先生について、あまり知らない。


 彼は業務に関すること以外、口を開く事はなく、職務中は決して管制操舵室の外に出ない。駅に停車しても担当する『アイアンホース』とは決して顔を合わせるような事はしない徹底ぶりであり、そのため知っている事と言えば、ほぼ間違いなく偽名であろうゼロという名前と、それなりに歳を感じられる低い男性の声だけである。


 『アイアンホース』とのやりとりは、事務的なものばかりで、プライベートに関係する事を口にした事は、片手で数えられるぐらいである。マニュアルに厳格で規律に厳しく、『アイアンホース』の事を管理する生物兵器として見ているのに、不器用に優しい。


 月と星の光で、はっきりと遠くまで見える夜闇の中、ハジメは通信機にて本人と会話しながら、そんな事を考えていた。


「──以上となります」

≪……了解した。引き続き侵攻してくる『プレデター』の掃討に従事せよ≫

「はい!」


 四名の『ペガサス』および『アイアンホース』で合計二千を超える『プレデター』を殲滅した。ハジメの報告にゼロは猜疑的な反応を見せるが、問い直すような事はしなかった。自分の事を信用してくれているからとハジメは勝手ながら思っており、あながち間違っていないとも確信していた。


≪弾薬および装備の補充は?≫


 真っ先に戦闘物資の“補充”有無のみを聞いてくるゼロに、ハジメは苦笑を浮かべそうになった。車掌教師としては当たり前に思える質問ではあるが、実はそうではない。


 K//G社製の『ALIS』による攻撃は、元となった銃と同じく別途で銃弾が必要になる。しかし銃弾も装備も無料で配られるものではない、費用は『鉄道アイアンホース教育校』が持つとはいえ仕入れた分、消費した数は車掌教師の評価に強く影響する。


 そのため車掌教師は『アイアンホース』の装備に関して、なんとか節約しようとする。おかげで充分な装備が行き届いていない『アイアンホース』を何度か見かけたことがある。そんな事情の中で【303号教室列車】は装備という面では充実していた。


 単に仕事を無事に完遂させるために必要な行為としか思っていないのかもしれない。だけど出費が激しいから抑えろと本校だけではなく、出資元である『新日本鉄道』からも睨まれているのに、ゼロは決して抑えようとはしなかった。


 ──気のせいと言われれば、それまでだけど。装備の使用や消費に関して文句も注文も言わないゼロ先生のあり方が、自分たちの事を考えてくれている証拠だと感じていた。


「消耗が激しく半分ほど消費してしまいました……。これからも群れは数多く来るとのことで、できれば消費した分の補充をお願いします、どうぞ」


 転校してから数日後、銃弾の中では高価な狙撃用ライフル弾が大量にアルテミス女学園に届いた。装備からしてハジメしか使用する事の無いもので、それが日常扱いであれば数ヶ月分。見たことのない量に、ハジメはゼロ先生が注文してくれたものだと、ルビーに指摘されるまで気付けなかった。


 上層部には、かなり渋られた事だろう、彼の蔑称である“老害”だと確実に言われている。直前になって与えられた長距離通信も難なく可能な高性能インカムもそうだが、使い捨てを前提に転校した『アイアンホース』には余りあるものを、ゼロは何も言わずに用意してくれた。


≪了解した。最短でも学園に到着するのは二日目となる。留意せよ≫

「はい、ありがとうございます!」


 ──そして、いつものように大規模侵攻の“後”の事を考えて頼んだ補充も、淡々とした態度で注文してくれる事を約束してくれた。ゼロ先生は何時だってそうだ。教室列車の搭乗日に支給されるチーズケーキ。貴方が自腹で購入しているものだって気付いているんですよ。


 ゼロは支給されたとだけしか言わないが、ハジメは本校が用意してくれるのは食べ飽きたシリアルバーのみ。甘い菓子なんてのはもっての他であのチーズケーキは本来車掌教師用に注文できる嗜好品の類である事を知っていた。天然の乳製品を惜しみなく使用し、焼きたてを急速冷凍したもの、一切れとはいえ決して安くは無く、それを毎年『アイアンホース』に用意してくれる。


 ──ゼロ先生は、自分たちを人間扱いするような人間ではないのだろう。何よりも仕事を優先する人なのだろう。それにあまりにも不器用で中途半端で、だからこそ信じられる所があって、自分がここまでやってきたのはゼロ先生だからだと断言できた。


 できるなら、今すぐにでも事情を話したい衝動にかられるハジメであったが、湧き出る強い気持ちを我慢していると、ペンを叩く音が聞こえた事で意識が切り替わり、音のした正面に視線を向けた。


「……質問してもよろしいでしょうか?」

≪どうぞ≫

「アルテミス女学園周辺の『街林がいりん』では、まるで恐竜のような姿をした『プレデター』が確認されたとの事です」

≪まて、恐竜……? 太古に居たとされる絶滅した生物の事か?≫

「はい。そのようです。その恐竜型プレデターはアルテミス女学園ペガサスの間では『ギアルス』と呼称されており、どうにも独立種と異なるようで、なにか関連する情報があれば教えて貰いたく、どうぞ」

≪……恐竜と思われる姿をした『プレデター』に関する報告は受けていない……。だが、数ヶ月前から新種かもしれない未登録の個体が、幾つか発見されたとの知らせを受けている。その情報と『ギアルス』の関係性を確認しておこう≫

「ありがとうございます!」


 改めて正面に視線を、わざわざ持ってきたらしい水性ペンとホワイトボードで、カンペを出してきた高等部三年ペガサス『久佐薙くさなぎ月世つくよ』の視線で、これでいいかと確認すると、首を頷かせた。


≪……フタおよびミツは変わらず健在である≫


 本日分の報告が終わったあと、ゼロがひとり言のように話し始める。それにハジメは反応せず黙って聞きに徹する。


≪活性化率が2%上昇した……【86%】だ≫


 ──自分の活性化率の事だろう、あれだけ長くアシスト機能をフル活用して戦っていれば2%も上がるのは当然かと首に嵌められている鋼鉄の首輪を優しく指でなぞる。


 ハジメは僅かに息を乱す。“卒業”が近づいたことによる恐怖からではない。現在の正しい数値を勘付かれるわけにはいかないという緊張からだった。同時に機械に詳しく、様々なものを開発する同級生によって弄られた嘘の数値が、正常に【303号教室列車】へと送られている事を知り、安心する。


≪戦闘中であれど、抑制限界値である【95%】となったら首輪の装置が作動する……留意するように≫


 首輪内部に仕込まれている針は、設定された数値に到達すると『アイアンホース』の首に深く刺さり、食道から胃へと直接毒が注ぎ込まれる。もっともハジメの首輪の中に毒は無く、代わりに『ペガサス』や『アイアンホース』の誰しもが望むであろう活性化率を下げる奇跡の液体“血清”が入っている。


 ──抑制限界値へと達して針が首に刺さった場合、超痛いのは変わりないが訪れるのは“卒業”ではなく“留年”だよ。そんな風に冗談混じりで説明を受けた時は、なんとも言えない顔をしてしまったが、“留年”という言い回しをちょっと気に入っていた。


≪……これ以上報告がなければ終了する≫

「はい、ありません」

≪……終わり≫


 いつものように淡泊な感じで通話が終わって、ちゃんと通信が切れたかを確認したあと、ハジメは蓄積された緊張を盛大に口から吐き出した。


「ふふっ、随分と楽しそうでしたね」

「……そうですね。きっと楽しかったんだと思います」


 ずっと自分たちの通話を聞いていた月世の揶揄い混じりの問いに、ハジメは正直な気持ちを答える。


 月世先輩に対して、ハジメが数日関わって抱いたのは達観である。鉄道アイアンホース教育校に新日本鉄道。あげくにはK//G社をも傘下とする財閥一族である、久佐薙の血縁者。


 そんな久佐薙の血筋がそうさせるのか、あるいは単に月世という人物がそうであるのか、ずっと誰かの意思に準じてきたハジメは月世の事を、人の上に立つ存在であり、人を食う怪物。先輩という立場を除いても逆らってはいけない、目上に立つ者。


 あと性格が悪い。本当に性格が悪い。


 そう認識している月世の質問だからか、ハジメはゼロに対する曖昧であった感じている印象が、ある程度はっきりと固まった。


「どう説明すれば正解なのかは分かりませんが、先生が気に掛けてくれる事が感じられると安心感に近しい、そんな気持ちになるんです」


 ──仕事人で、自分たちの事は『アイアンホース』としてしか見ていないのかもしれないけど、なにかと思ってくれているのは伝わってくる。


 ハジメが感じているのは、言わば“父性”に近しいもので、例えそれが家畜や兵器として扱われる事によって生まれた感情であれど、年頃の『アイアンホース』にとっては得難く、生きるのに必要なものであるのは間違いなかった。


「車掌教師に関しては、あまり興味はありませんでしたが、貴女を見ていると会いたくなりました」

「基本的には業務上のやりとりしか行なっていませんよ。結局、全て自分の気のせいである可能性も低くはないですし」

「真面目過ぎる方なようですね。それに仕事に従順と、ただし立場は不遇……愚かな久佐薙たちは『富士の大災害』を引き起こしてからも変わった様子がありませんね」


 月世は憂いている、もしくは嬉しいのか分からない笑みを浮かべてそう語る。


ハジメは『富士の大災害』が発生した原因について、どうお聞きしていますか?」


 『富士の大災害』、越前岳を通過したあたりの元東海道新幹線エリア。街林がいりん上にある高架橋線路が倒壊、通過中だった貨物列車が転倒および落下した事によって起きた、『プレデター』が現われた時代にて、安定期に入っていた日本を襲った62日間続く未曾有の大災害。


「『プレデター』の攻撃によって高架の柱が破損、それが原因で崩落したとはお聞きしました」

「公式発表そのままの内容ですね。それ、まったくの虚偽なんですよ。本当は久佐薙の馬鹿が、定められていた重量制限を遙かに超える荷物を詰め込んだ列車を走らせた事によって、高架橋が耐えられなくなって崩落したのが全ての始まり」


 月世が語った真実は、事実であると確証させる証拠はないのだが、ハジメは当時を知る先輩の『アイアンホース』から、公表された理由は絶対嘘と何度も聞かされてきており、また偶然聞いた車掌教師同士の関する会話も、どうにも含みがあるものばかりだったので、やっぱりと納得するだけで、特に驚くことは無かった。


「積み荷を一度に運べるだけ運べば褒めて貰えると思ったんでしょうね。そうやって久佐薙の馬鹿は周りの声を無視して、制限を遙かに超える積み荷を走らせて、一回目、二回目は無事に終わり、なんだみんな大袈裟じゃないかと安心した三回目、それは起きました」


 全国に物資を届ける現代日本にて、唯一のパイプラインである元新幹線線路の崩落、そして何十両にも及ぶ車両が横転あるいは街林に落下。無数のコンテナがあらゆる場所に散らばる。きっと平和な時代だったとしても、復旧にかなりの時間を要する大事故。それが『プレデター』が跋扈する時代に起きてしまった、たった一人の無知で無謀なヒューマンエラーによって。


「その後の対応も本当に酷いものばかりで、失敗に失敗を重ねて、もしかしたら事故で済ませる事のできたものが大災害へと至ってしまいました」


 人為的ミスは、最初だけでは留まらず負の連鎖は幾つも続き。最終的に元に戻すことは出来たが、二ヶ月の消費された時の中で生まれた被害は『アイアンホース』30名以上および東海道ペガサスセンターの『ペガサス』のべ50名以上が“卒業”し、久佐薙の血縁者を含めた十三名の車掌教師、三名のセンター講師が殉職。数多くの列車やコンテナなどが全壊し、西と東の物流ラインが途絶えたことによる経済的損失と資源消費は、数百の会社が倒産、数千の自殺者、数万の餓死者、そして数え切れないほどの生活崩壊者を生み出し、日本の寿命を大きく削る事となった。


「【303号教室列車】のゼロ先生みたいな真面目な方が最初から関わっていたなら、事故は起きなかった。あるいは最小限で抑えられたのかもしれませんね」


 最初に月世が言っていた事と内容が繋がり、ハジメは腑に落ちる。何か含みを感じるが、褒めているのは間違いないらしく、ゼロ先生が評価される事にハジメはまるで自分の事のように嬉しくなる。


「とはいえ、わたくしからしたら“居なくて良かった”と思っています。結果論になりますけどね」

「……『富士の大災害』が起きて良かったと?」


 ハジメが怪訝な気持ちで問い掛けると、月世は楽しそうに理由を語り出した。


「『富士の大災害』の損失はあまりにも大きく、幾ら西の頂点に君臨する久佐薙財閥とはいえ、責任を取る必要がありました。市民の怒りは割とどうでもよかったのですが、関係者を黙らせるには、それ相応の贄が必要だったんです。それに選ばれたのが年齢的に『ペガサス』になるのに適しており、本家とあまり仲良くなくて十才の頃に東京地区に飛ばされていた“少女”でした」

「……その少女というのが、月世先輩なんですね」


 はい、と言い含んだ割にはハッキリと答えた。本人曰く結果的には良かった話であるらしいが、久佐薙家として生まれたというだけで、まったく関係ない大人の罪を被らざるを得なかった事に、ハジメはちょっとだけ同情心が湧いてしまう。


「まあ、結局、わたくしと“もうひとり”では足りなかったのか、数年後には分家である縷々川家の愛され娘も『ペガサス』になりましたけどね」

「……質問をしても?」

「はい、なんでしょうか?」

「結果的には良かったとの事ですが、どうして? 恨みは無いと?」


 ──もしかしたら、アルテミス女学園の生活の中で彼女は久佐薙家の復讐のために動くかも知れない。そのさいには、この先輩の事だ。確実に周りを巻き込んでくる。だから今のうち意思を聞いておきたかった。


「そうですね。短命になったこと自体は、どうでもよかったのですが、気に入らない奴らに好き勝手されるのは嫌なので、入学当時はどうしてやろうかと思っていました。でも直ぐにどうでも良くなったんです。それこそ感謝してもいいほどにね」


 そう言って月世は、とある方向に視線を向けた。その先にはルビー、そして彼女の様子を見に行った月世の同級生である『喜渡きわたり愛奈えな』が居る。


「なにせ、探していた“月”があったのですから」

「なるほど……」


 ──意味は分からなかったが、妖艶香る恍惚の表情に気圧されて、とりあえず頷く。ただなんとなくだけ、あの久佐薙生まれの月世先輩が、親友と銘打つ愛奈先輩に最大限の譲歩をしている理由を知れた気がする。


「では、久佐薙財閥には今後関わる気はないと?」

「いえ、邪魔なのでいずれは滅ぼしますよ。久佐薙家滅ぶべし」


 ──息を吸って吐いたぐらいの軽さであるが、本気である事が嫌に伝わる。愛奈先輩に関する話題を、深く掘り下げるのは危ない気がして、別の話題にしようとしたら、もっとヤバそうなものが出てきてしまったと、己の会話選びの下手さに嘆く。


「今後、わたくしたちの“自立”がどんなものになるのであれ、久佐薙家は最大の障害となるでしょう。それに極々一部を除き馬鹿な貴族か商売の怪物しか居ないので、関わるだけ面倒、きちんと滅ぼしたほうがいいんです」


 どうでもいいとか、感謝してもいいと言った割には、言葉の端々に久佐薙財閥に対する悪感情が零れ出ているが、滅ぼしたい理由に関しては嘘は吐いていないとハジメは感じ取る。月世は個人的な感情は二の次で、損益や面倒臭さによって血縁者を滅ぼす事に決めたのだ。


 ──ああこの人もやっぱり久佐薙なんだなと苦手度を引き上げる。


「安心してください。なにも久佐薙に関わる全てを滅ぼすつもりはありませんよ」


 ──生まれた不安を口にするか悩んでいるのが、顔にはっきりと出ていたらしい。なんとか我慢しようとしたが、体をピクリと動かし反応してしまう。


「みんなとは、随分と曖昧な表現をしましたね」


 ハジメが協力者になるために提示した条件願いは、【303号教室列車】の“みんな”を、こちらに引き込むというものだった。話の流れから在籍している『アイアンホース』は当然であるが、ハジメは、可能であればゼロ先生も、その“みんな”の中に入ってほしいと思って居た。


「……最優先とすべきは【303号教室列車】の『アイアンホース』、フタミツのアルテミス女学園の転校です」

「そのためなら、慕っている先生を切り捨てられると?」

「覚悟はできています」


 ──ゼロ先生は、自分たちを不器用なりに、『アイアンホース』と車掌教師の関係なりに思ってくれているのだろうが、だからと打ち明けて味方になってくれるか判断するには先生の事を知らなすぎる。彼は仕事人で鉄道アイアンホース教育校のサラリーマン車掌教師として従順に働いている人間だ。自分が抱いている気持ちは、全部気のせいという可能性だってある。


 だから、ハジメは最悪な未来も想定していた。もしもの時は自分が行なうべきだと、とりあえずの覚悟も決めていた。制服の裾に仕込まれている小型ピストル型ALISを無意識に撫でる。もしもそんな未来が来たとしてもコレだけは使えない、ごめんなさいとハジメは内心で元の持ち主である“ハジメ先輩”へと謝罪する。


「でしたら、ルビーの事はこちらに任せてもらっても構いませんよね?」


 ──本当に、この人はどこまでも他者を弄ぶつもりなのか、感情的になりそうな思考を冷静に保とうとする。


「……質問、よろしいでしょうか?」

「いちいち伺わなくても結構ですよ」

「先ほど、ルビーの前で“血清”を使用したのは何故です?」

「もうわかっているんじゃないですか?」


 ハジメ、そして別行動しているAエーとは違い、同じ『アイアンホース』であるルビーは、アルテミス女学園高等部の事情をなにも知らないまま、大規模侵攻を一緒に戦っている。だからアスクヒドラはもちろんのこと、“血清”の存在だって知らない。


 そんなルビーに対して、表では“卒業”している愛奈と月世は、後輩ペガサスの名を借りて接していた。最初は正体を隠して共闘するためだと思ったが、それが勘違いだと気付く。


 テントを張り終えたあたりで、月世は突拍子も無くルビーの目の前で“血清”入りの白い注射器を自分の腕に打ちはじめた。ハジメは驚きのあまり、その光景を呼吸を忘れて見ている事しかできなかった。


 ──なに? 注射器?

 ──アルテミス高等部ペガサスは大規模侵攻の間、この注射器を毎日打たないといけないんです。

 ──ふーん、大変ね。


 ルビーは、それ以上注射器に興味を持つ事はなかった。その時、ハジメはただ安堵しただけに終わったが、後になってじわじわと月世の行ないが最悪のマッチポンプだったと分かって、ぞっとする。


 ──あの時、もしもルビーが注射器に関して深く追求したら、それを理由に月世はルビーを躊躇いなく切り捨てていた。そして自分に対しての警告なのだろうと、月世が自分たち『アイアンホース』と一緒に戦うのは、このように何かあれば何時でも“卒業”させるためなのだと分からされた。


「……大規模侵攻は、これからより厳しくなると聞いています。戦力を減らすような事は避けたほうがいいと愚考します」

「算数をすれば、ルビーが減った場合。関係者しかいなくなり、野花、茉日瑠まひる、そしてAエーが合流できるようになって、人数は増えますね」

「あくまで人数の話で、戦力となるかは違う話のはずだ」

「ふふっ、冗談ですよ。一年後輩たちに前線で戦わせるのはあまりにも酷な話。だから“生きています”でしょう?」


 逆に言えば、他に戦力に数えられる『ペガサス』が居れば、月世は早々にルビーを“卒業”させていたと言う。


 ──確かに、ルビーの事を考えれば、できるだけ早くどうにかしたいという気持ちは理解できる。分かっている。先生に恋する彼女が、こちら側に来てくれる可能性がどれほどの確率なのかというのを、むしろ彼女は先生の役に立ちたいと、自分たちの情報を伝えるのが目に見えて浮かんでしまう。だからと言って納得できるかは別問題だ。


 ハジメは、ルビーの事をどうしても諦めきれなかった。ハジメにとって、彼女は幾多の死線を乗り越えてきた戦友であり、何度も危ない場面を助けてくれた恩人であり、抱く恋が成就してほしい尊敬する友達だから、なんとかしたいという一心で月世に食い下がる。


「とても……気に入っているように見えましたが?」

「そうですね。やんちゃで誇り高くて、叩けばきちんと反応してくれる彼女の事は大好きです──でも、それはそれ、これはこれです。ふふっ、まるで貴女とゼロ先生みたいですね」


 あまりにも酷い冗談であるが、ハジメは何かを口にしてしまった時点で、この話は終わってしまうと沈黙で返答する。


「まあ、“彼女”たちとは違い、可能性がゼロというわけではありません」

「でしたら!」

「ですが、限りなくゼロです。恋とはそれほどのものですよ」


 ハジメは思わず浮き上がってしまった腰を、ゆっくりと下ろす。頭の中のルビーに恋を捨てて生きろと説得できる言葉を、なんとか探し出そうとするが、出てきたのは深い深いため息だけだった。


「──なに辛気くさい顔してんのよ?」

「ルビー……、その顔は?」


 タイミングよく、あるいは月世は分かっていたのか話が終わったあたりで、話題の張本人であるルビーが戻ってきた。その唇は明るめな赤色の口紅が塗られていた。心なしか何時ものツインテールも、とても整っているように見える。


「綺麗でしょ? 愛奈マヒルにやってもらったのよ」

「ええ、とても綺麗ですね!」

「あんたには聞いてない。それでどう? ハジメ、なんか言うことないの?」

「……」


 よほど気に入っているのか、自慢するように頬を吊り上げて唇を見せてくるルビー。疎いハジメの目からしても紅玉色の彼女に、明るい赤の口紅は確かに似合っていた。


「なによ? なんか可笑しいわけ?」

「……先生とは話したのか?」

「そうなの! 先生ったらお化粧したって話したらね! とっても綺麗なんだろうね、是非とも見てみたいって言ってくれたの!」


 誤魔化し半分で尋ねると、ルビーは心底嬉しそうに語り始めた。そんなルビーにハジメは何も言えず、話を聞いていると、少し遅れて愛奈が戻ってきた。


「お化粧を手伝ってあげたんですね、愛奈マヒル

「……? あ、うん! そうなの!!」


 どうにも偽名で呼ばれる事に全然慣れないのか、愛奈は名前を呼ばれるたびに妙な間を置いてしまい、ハジメは、本当に勘弁して欲しいと緊張でおかしくなりそうだった。


「それでルビーに化粧を教える事になったんだけど、しばらくテントの中に居ていいかな?」

「いいですよ、と言いたい所でしたが、ちょうど来てしまったようですね」


 ──遠くから数千の足音が聞こえてくる。『プレデター』の第三群がやってきてしまった。


「はぁ、最悪、空気読みなさいよ!」

「また今度だね」

「ルビー、活性化率の事もある。もう少し消極的に動いてくれ」

「それが出来れば苦労しないわ……あんたも撃ち過ぎなのよ。別に後ろに流していいんでしょ?」

「うん。できれば倒しておきたいけど、無理しないでね」

「夜は見え方が違ってきますから、昼間以上に小型種などに注意してくださいね」


 自分たちの事情なんてお構いなしに、『プレデター』は続々と向かってくる。各々が自身の『ALIS』を手に持って、脅威が来たる方向へと自ら進んでいった。


 +++


 日付が変わった深夜帯、上空にて自衛隊の戦闘機が飛び立った。


 鳥取砂丘から緩やかな速度で東京方面へと向かう、未確認飛行物体が観測されたことによる緊急スクランブル発進だった。


 航空自衛隊は未確認飛行物体を、飛行能力を持つ『プレデター』だと断定。当番だったコンビの他に、対応した基地の熟練パイロットを発進させた。


 戦闘機という戦力は、日本人側の虎の子である。このご時世、パイロットも含めて失ってしまえば、替えを用意することは難しい、もう用意できないかもしれない。そんな貴重な戦力を司令部は、飛行能力を持つ『プレデター』の脅威を知るが故に出し渋ること無く発進させた。


 ──その日、日本の航空戦力は大打撃を受けることとなる。発進した戦闘機、パイロットは誰ひとり帰って来なかった。彼らが遺した通信、映像などを見た自衛隊関係者たちは、『プレデター』の正体を知る。


「鳥……いや、翼が生えた蜥蜴……もしかして恐竜……か?」


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