第36話
彼は業務に関すること以外、口を開く事はなく、職務中は決して管制操舵室の外に出ない。駅に停車しても担当する『アイアンホース』とは決して顔を合わせるような事はしない徹底ぶりであり、そのため知っている事と言えば、ほぼ間違いなく偽名であろうゼロという名前と、それなりに歳を感じられる低い男性の声だけである。
『アイアンホース』とのやりとりは、事務的なものばかりで、プライベートに関係する事を口にした事は、片手で数えられるぐらいである。マニュアルに厳格で規律に厳しく、『アイアンホース』の事を管理する生物兵器として見ているのに、不器用に優しい。
月と星の光で、はっきりと遠くまで見える夜闇の中、
「──以上となります」
≪……了解した。引き続き侵攻してくる『プレデター』の掃討に従事せよ≫
「はい!」
四名の『ペガサス』および『アイアンホース』で合計二千を超える『プレデター』を殲滅した。
≪弾薬および装備の補充は?≫
真っ先に戦闘物資の“補充”有無のみを聞いてくるゼロに、
K//G社製の『ALIS』による攻撃は、元となった銃と同じく別途で銃弾が必要になる。しかし銃弾も装備も無料で配られるものではない、費用は『鉄道アイアンホース教育校』が持つとはいえ仕入れた分、消費した数は車掌教師の評価に強く影響する。
そのため車掌教師は『アイアンホース』の装備に関して、なんとか節約しようとする。おかげで充分な装備が行き届いていない『アイアンホース』を何度か見かけたことがある。そんな事情の中で【303号教室列車】は装備という面では充実していた。
単に仕事を無事に完遂させるために必要な行為としか思っていないのかもしれない。だけど出費が激しいから抑えろと本校だけではなく、出資元である『新日本鉄道』からも睨まれているのに、ゼロは決して抑えようとはしなかった。
──気のせいと言われれば、それまでだけど。装備の使用や消費に関して文句も注文も言わないゼロ先生のあり方が、自分たちの事を考えてくれている証拠だと感じていた。
「消耗が激しく半分ほど消費してしまいました……。これからも群れは数多く来るとのことで、できれば消費した分の補充をお願いします、どうぞ」
転校してから数日後、銃弾の中では高価な狙撃用ライフル弾が大量にアルテミス女学園に届いた。装備からして
上層部には、かなり渋られた事だろう、彼の蔑称である“老害”だと確実に言われている。直前になって与えられた長距離通信も難なく可能な高性能インカムもそうだが、使い捨てを前提に転校した『アイアンホース』には余りあるものを、ゼロは何も言わずに用意してくれた。
≪了解した。最短でも学園に到着するのは二日目となる。留意せよ≫
「はい、ありがとうございます!」
──そして、いつものように大規模侵攻の“後”の事を考えて頼んだ補充も、淡々とした態度で注文してくれる事を約束してくれた。ゼロ先生は何時だってそうだ。教室列車の搭乗日に支給されるチーズケーキ。貴方が自腹で購入しているものだって気付いているんですよ。
ゼロは支給されたとだけしか言わないが、
──ゼロ先生は、自分たちを人間扱いするような人間ではないのだろう。何よりも仕事を優先する人なのだろう。それにあまりにも不器用で中途半端で、だからこそ信じられる所があって、自分がここまでやってきたのはゼロ先生だからだと断言できた。
できるなら、今すぐにでも事情を話したい衝動にかられる
「……質問してもよろしいでしょうか?」
≪どうぞ≫
「アルテミス女学園周辺の『
≪まて、恐竜……? 太古に居たとされる絶滅した生物の事か?≫
「はい。そのようです。その恐竜型プレデターはアルテミス女学園ペガサスの間では『ギアルス』と呼称されており、どうにも独立種と異なるようで、なにか関連する情報があれば教えて貰いたく、どうぞ」
≪……恐竜と思われる姿をした『プレデター』に関する報告は受けていない……。だが、数ヶ月前から新種かもしれない未登録の個体が、幾つか発見されたとの知らせを受けている。その情報と『ギアルス』の関係性を確認しておこう≫
「ありがとうございます!」
改めて正面に視線を、わざわざ持ってきたらしい水性ペンとホワイトボードで、カンペを出してきた高等部三年ペガサス『
≪……
本日分の報告が終わったあと、ゼロがひとり言のように話し始める。それに
≪活性化率が2%上昇した……【86%】だ≫
──自分の活性化率の事だろう、あれだけ長くアシスト機能をフル活用して戦っていれば2%も上がるのは当然かと首に嵌められている鋼鉄の首輪を優しく指でなぞる。
≪戦闘中であれど、抑制限界値である【95%】となったら首輪の装置が作動する……留意するように≫
首輪内部に仕込まれている針は、設定された数値に到達すると『アイアンホース』の首に深く刺さり、食道から胃へと直接毒が注ぎ込まれる。もっとも
──抑制限界値へと達して針が首に刺さった場合、超痛いのは変わりないが訪れるのは“卒業”ではなく“留年”だよ。そんな風に冗談混じりで説明を受けた時は、なんとも言えない顔をしてしまったが、“留年”という言い回しをちょっと気に入っていた。
≪……これ以上報告がなければ終了する≫
「はい、ありません」
≪……終わり≫
いつものように淡泊な感じで通話が終わって、ちゃんと通信が切れたかを確認したあと、
「ふふっ、随分と楽しそうでしたね」
「……そうですね。きっと楽しかったんだと思います」
ずっと自分たちの通話を聞いていた月世の揶揄い混じりの問いに、
月世先輩に対して、
そんな久佐薙の血筋がそうさせるのか、あるいは単に月世という人物がそうであるのか、ずっと誰かの意思に準じてきた
あと性格が悪い。本当に性格が悪い。
そう認識している月世の質問だからか、
「どう説明すれば正解なのかは分かりませんが、先生が気に掛けてくれる事が感じられると安心感に近しい、そんな気持ちになるんです」
──仕事人で、自分たちの事は『アイアンホース』としてしか見ていないのかもしれないけど、なにかと思ってくれているのは伝わってくる。
「車掌教師に関しては、あまり興味はありませんでしたが、貴女を見ていると会いたくなりました」
「基本的には業務上のやりとりしか行なっていませんよ。結局、全て自分の気のせいである可能性も低くはないですし」
「真面目過ぎる方なようですね。それに仕事に従順と、ただし立場は不遇……愚かな久佐薙たちは『富士の大災害』を引き起こしてからも変わった様子がありませんね」
月世は憂いている、もしくは嬉しいのか分からない笑みを浮かべてそう語る。
「
『富士の大災害』、越前岳を通過したあたりの元東海道新幹線エリア。
「『プレデター』の攻撃によって高架の柱が破損、それが原因で崩落したとはお聞きしました」
「公式発表そのままの内容ですね。それ、まったくの虚偽なんですよ。本当は久佐薙の馬鹿が、定められていた重量制限を遙かに超える荷物を詰め込んだ列車を走らせた事によって、高架橋が耐えられなくなって崩落したのが全ての始まり」
月世が語った真実は、事実であると確証させる証拠はないのだが、
「積み荷を一度に運べるだけ運べば褒めて貰えると思ったんでしょうね。そうやって久佐薙の馬鹿は周りの声を無視して、制限を遙かに超える積み荷を走らせて、一回目、二回目は無事に終わり、なんだみんな大袈裟じゃないかと安心した三回目、それは起きました」
全国に物資を届ける現代日本にて、唯一のパイプラインである元新幹線線路の崩落、そして何十両にも及ぶ車両が横転あるいは街林に落下。無数のコンテナがあらゆる場所に散らばる。きっと平和な時代だったとしても、復旧にかなりの時間を要する大事故。それが『プレデター』が跋扈する時代に起きてしまった、たった一人の無知で無謀なヒューマンエラーによって。
「その後の対応も本当に酷いものばかりで、失敗に失敗を重ねて、もしかしたら事故で済ませる事のできたものが大災害へと至ってしまいました」
人為的ミスは、最初だけでは留まらず負の連鎖は幾つも続き。最終的に元に戻すことは出来たが、二ヶ月の消費された時の中で生まれた被害は『アイアンホース』30名以上および東海道ペガサスセンターの『ペガサス』のべ50名以上が“卒業”し、久佐薙の血縁者を含めた十三名の車掌教師、三名のセンター講師が殉職。数多くの列車やコンテナなどが全壊し、西と東の物流ラインが途絶えたことによる経済的損失と資源消費は、数百の会社が倒産、数千の自殺者、数万の餓死者、そして数え切れないほどの生活崩壊者を生み出し、日本の寿命を大きく削る事となった。
「【303号教室列車】のゼロ先生みたいな真面目な方が最初から関わっていたなら、事故は起きなかった。あるいは最小限で抑えられたのかもしれませんね」
最初に月世が言っていた事と内容が繋がり、
「とはいえ、わたくしからしたら“居なくて良かった”と思っています。結果論になりますけどね」
「……『富士の大災害』が起きて良かったと?」
「『富士の大災害』の損失はあまりにも大きく、幾ら西の頂点に君臨する久佐薙財閥とはいえ、責任を取る必要がありました。市民の怒りは割とどうでもよかったのですが、関係者を黙らせるには、それ相応の贄が必要だったんです。それに選ばれたのが年齢的に『ペガサス』になるのに適しており、本家とあまり仲良くなくて十才の頃に東京地区に飛ばされていた“少女”でした」
「……その少女というのが、月世先輩なんですね」
はい、と言い含んだ割にはハッキリと答えた。本人曰く結果的には良かった話であるらしいが、久佐薙家として生まれたというだけで、まったく関係ない大人の罪を被らざるを得なかった事に、
「まあ、結局、わたくしと“もうひとり”では足りなかったのか、数年後には分家である縷々川家の愛され娘も『ペガサス』になりましたけどね」
「……質問をしても?」
「はい、なんでしょうか?」
「結果的には良かったとの事ですが、どうして? 恨みは無いと?」
──もしかしたら、アルテミス女学園の生活の中で彼女は久佐薙家の復讐のために動くかも知れない。そのさいには、この先輩の事だ。確実に周りを巻き込んでくる。だから今のうち意思を聞いておきたかった。
「そうですね。短命になったこと自体は、どうでもよかったのですが、気に入らない奴らに好き勝手されるのは嫌なので、入学当時はどうしてやろうかと思っていました。でも直ぐにどうでも良くなったんです。それこそ感謝してもいいほどにね」
そう言って月世は、とある方向に視線を向けた。その先にはルビー、そして彼女の様子を見に行った月世の同級生である『
「なにせ、探していた“月”があったのですから」
「なるほど……」
──意味は分からなかったが、妖艶香る恍惚の表情に気圧されて、とりあえず頷く。ただなんとなくだけ、あの久佐薙生まれの月世先輩が、親友と銘打つ愛奈先輩に最大限の譲歩をしている理由を知れた気がする。
「では、久佐薙財閥には今後関わる気はないと?」
「いえ、邪魔なのでいずれは滅ぼしますよ。久佐薙家滅ぶべし」
──息を吸って吐いたぐらいの軽さであるが、本気である事が嫌に伝わる。愛奈先輩に関する話題を、深く掘り下げるのは危ない気がして、別の話題にしようとしたら、もっとヤバそうなものが出てきてしまったと、己の会話選びの下手さに嘆く。
「今後、わたくしたちの“自立”がどんなものになるのであれ、久佐薙家は最大の障害となるでしょう。それに極々一部を除き馬鹿な貴族か商売の怪物しか居ないので、関わるだけ面倒、きちんと滅ぼしたほうがいいんです」
どうでもいいとか、感謝してもいいと言った割には、言葉の端々に久佐薙財閥に対する悪感情が零れ出ているが、滅ぼしたい理由に関しては嘘は吐いていないと
──ああこの人もやっぱり久佐薙なんだなと苦手度を引き上げる。
「安心してください。なにも久佐薙に関わる全てを滅ぼすつもりはありませんよ」
──生まれた不安を口にするか悩んでいるのが、顔にはっきりと出ていたらしい。なんとか我慢しようとしたが、体をピクリと動かし反応してしまう。
「みんなとは、随分と曖昧な表現をしましたね」
「……最優先とすべきは【303号教室列車】の『アイアンホース』、
「そのためなら、慕っている先生を切り捨てられると?」
「覚悟はできています」
──ゼロ先生は、自分たちを不器用なりに、『アイアンホース』と車掌教師の関係なりに思ってくれているのだろうが、だからと打ち明けて味方になってくれるか判断するには先生の事を知らなすぎる。彼は仕事人で鉄道アイアンホース教育校の
だから、
「でしたら、ルビーの事はこちらに任せてもらっても構いませんよね?」
──本当に、この人はどこまでも他者を弄ぶつもりなのか、感情的になりそうな思考を冷静に保とうとする。
「……質問、よろしいでしょうか?」
「いちいち伺わなくても結構ですよ」
「先ほど、ルビーの前で“血清”を使用したのは何故です?」
「もうわかっているんじゃないですか?」
そんなルビーに対して、表では“卒業”している愛奈と月世は、後輩ペガサスの名を借りて接していた。最初は正体を隠して共闘するためだと思ったが、それが勘違いだと気付く。
テントを張り終えたあたりで、月世は突拍子も無くルビーの目の前で“血清”入りの白い注射器を自分の腕に打ちはじめた。
──なに? 注射器?
──アルテミス高等部ペガサスは大規模侵攻の間、この注射器を毎日打たないといけないんです。
──ふーん、大変ね。
ルビーは、それ以上注射器に興味を持つ事はなかった。その時、
──あの時、もしもルビーが注射器に関して深く追求したら、それを理由に月世はルビーを躊躇いなく切り捨てていた。そして自分に対しての警告なのだろうと、月世が自分たち『アイアンホース』と一緒に戦うのは、このように何かあれば何時でも“卒業”させるためなのだと分からされた。
「……大規模侵攻は、これからより厳しくなると聞いています。戦力を減らすような事は避けたほうがいいと愚考します」
「算数をすれば、ルビーが減った場合。関係者しかいなくなり、野花、
「あくまで人数の話で、戦力となるかは違う話のはずだ」
「ふふっ、冗談ですよ。
逆に言えば、他に戦力に数えられる『ペガサス』が居れば、月世は早々にルビーを“卒業”させていたと言う。
──確かに、ルビーの事を考えれば、できるだけ早くどうにかしたいという気持ちは理解できる。分かっている。先生に恋する彼女が、こちら側に来てくれる可能性がどれほどの確率なのかというのを、むしろ彼女は先生の役に立ちたいと、自分たちの情報を伝えるのが目に見えて浮かんでしまう。だからと言って納得できるかは別問題だ。
「とても……気に入っているように見えましたが?」
「そうですね。やんちゃで誇り高くて、叩けばきちんと反応してくれる彼女の事は大好きです──でも、それはそれ、これはこれです。ふふっ、まるで貴女とゼロ先生みたいですね」
あまりにも酷い冗談であるが、
「まあ、“彼女”たちとは違い、可能性がゼロというわけではありません」
「でしたら!」
「ですが、限りなくゼロです。恋とはそれほどのものですよ」
「──なに辛気くさい顔してんのよ?」
「ルビー……、その顔は?」
タイミングよく、あるいは月世は分かっていたのか話が終わったあたりで、話題の張本人であるルビーが戻ってきた。その唇は明るめな赤色の口紅が塗られていた。心なしか何時ものツインテールも、とても整っているように見える。
「綺麗でしょ?
「ええ、とても綺麗ですね!」
「あんたには聞いてない。それでどう?
「……」
よほど気に入っているのか、自慢するように頬を吊り上げて唇を見せてくるルビー。疎い
「なによ? なんか可笑しいわけ?」
「……先生とは話したのか?」
「そうなの! 先生ったらお化粧したって話したらね! とっても綺麗なんだろうね、是非とも見てみたいって言ってくれたの!」
誤魔化し半分で尋ねると、ルビーは心底嬉しそうに語り始めた。そんなルビーに
「お化粧を手伝ってあげたんですね、
「……? あ、うん! そうなの!!」
どうにも偽名で呼ばれる事に全然慣れないのか、愛奈は名前を呼ばれるたびに妙な間を置いてしまい、
「それでルビーに化粧を教える事になったんだけど、しばらくテントの中に居ていいかな?」
「いいですよ、と言いたい所でしたが、ちょうど来てしまったようですね」
──遠くから数千の足音が聞こえてくる。『プレデター』の第三群がやってきてしまった。
「はぁ、最悪、空気読みなさいよ!」
「また今度だね」
「ルビー、活性化率の事もある。もう少し消極的に動いてくれ」
「それが出来れば苦労しないわ……あんたも撃ち過ぎなのよ。別に後ろに流していいんでしょ?」
「うん。できれば倒しておきたいけど、無理しないでね」
「夜は見え方が違ってきますから、昼間以上に小型種などに注意してくださいね」
自分たちの事情なんてお構いなしに、『プレデター』は続々と向かってくる。各々が自身の『ALIS』を手に持って、脅威が来たる方向へと自ら進んでいった。
+++
日付が変わった深夜帯、上空にて自衛隊の戦闘機が飛び立った。
鳥取砂丘から緩やかな速度で東京方面へと向かう、未確認飛行物体が観測されたことによる
航空自衛隊は未確認飛行物体を、飛行能力を持つ『プレデター』だと断定。当番だったコンビの他に、対応した基地の熟練パイロットを発進させた。
戦闘機という戦力は、日本人側の虎の子である。このご時世、パイロットも含めて失ってしまえば、替えを用意することは難しい、もう用意できないかもしれない。そんな貴重な戦力を司令部は、飛行能力を持つ『プレデター』の脅威を知るが故に出し渋ること無く発進させた。
──その日、日本の航空戦力は大打撃を受けることとなる。発進した戦闘機、パイロットは誰ひとり帰って来なかった。彼らが遺した通信、映像などを見た自衛隊関係者たちは、『プレデター』の正体を知る。
「鳥……いや、翼が生えた蜥蜴……もしかして恐竜……か?」
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