第30話


 ──料理は我慢が大事で、待つことは料理において重要な調理法だと教わった。


 米が炊けるまで蓋を開けてはいけない。パンは生地を放置して発酵させなければ美味しくならない。カレーも煮物も寝かせれば寝かせられるほどいい。


 最初のころは、その待ち時間がとても退屈で、早くできないかって待ちきれなくて辛かったけど、できた料理の美味しさに、待つことを楽しめるようになった。


 ──料理は残酷なことをするものだと、そして残酷であればあるほど美味しくなるものだと教わった。


 魚は生きたまま神経を抜く事で鮮度が長く保たれて、動物の肉は何度も何度も包丁で叩いたり、フォークで刺したりする事でとても柔らかくなる。


 最初のころは、その後の調理を全部お父さんに任せてしまうほど気分が悪くなったけど、ものすごく美味しくなった料理に色んなものが薄まって、最後には消えていった。


 ──料理に限らず、人は時として誰かのために我慢しないと行けないし、残酷なこともしなければならないと教わった。


 もし、本当にそうだとしたら……わたしのやっていることは、ちゃんと誰かのためになっているのだろうか? 

 +++


 八月一日。『プレデター』の大移動が確認され、大規模侵攻が始まったとアルテミス女学園に設置されているスピーカーにて全体放送がされた。


 生徒会長である『蝶番ちょうつがい野花のはな』の声で淡々と語られる内容は、とても業務的なもので、十五時に中等部体育館にて大規模侵攻に関する詳細な説明を行ないたいから全ペガサスが集まるようにと言って締めくくられた。


 放送を中等部校舎で聞いていた兎歌とかは、居ても立ってもいられなくなったので高等部校舎へと赴き、兎歌の足は自然と生徒会室へと進んでいた。


 とくに考えがあっての行動ではなかったが、せっかく来てしまったんだ。改めて大規模侵攻が終わった後の事を聞いてもいいかもしれないと、理由を作って野花の顔を見ようとした。


「──それでは失礼します! 今日は本当にありがとうございました!!」

「……え?」


 生徒会室の扉が内側から開き、自分よりも小さな人物が外へと出てきた。室内にいるであろう生徒会長に頭を下げる彼女は見覚えがある人物で、兎歌は遠慮がちに名前を呼んだ。


「……亜寅アトラ?」


 生徒会室から出てきた少女は、元は同じ『勉強会』に属していて、今は猫都ねこみやグループへと移動した同級生である亜寅アトラだった。


 猫都グループでの騒動後、会えていなかった事もあり、意外な再会に驚く。


「な、兎歌……どうしてここに……って、生徒会長と知り合いだったんだよな。いてもおかしくねぇか」


 最初は驚きを露わにした亜寅だったが、声を掛けてきた人物が高等部に居ても違和感がない兎歌だと知り、ひとりでに納得する。


「亜寅こそ、どうしてここに?」

「あ、いや……」

「それに、その紙は?」


 亜寅は文字が印字されている1枚の紙を持っていた。それはノートやメモ帳とは違い、学園では、『生徒会室』でしか、ほとんどお目にかかれない紙の書類だ。


「もしかして……」

「か、勘違いするんじゃねぇよ! これはちゃんと生徒会長から貰ったんだ!」


 亜寅は少し悩んだが、兎歌に疑われるぐらいならと『生徒会室』に来た理由も含めて話し始める。


「……そ、のだ。生徒会長に大規模侵攻の時の配置を考えてくれって頼んだんだ」

「それって……」

「ああ、ボカさずに言っちまえば安全な所にしてくれって……新入生が多いからさ、ダメ元で言ってみたんだ……そしたら、へへっ、噂なんて本当あてになんねぇな。話してみたら優しい先輩だったぜ」


 そう言って嬉しそうに書類をゆらゆら揺らす亜寅。ここで兎歌は、書類の内容が約束を守る証明の類いだと把握する。


 大規模侵攻では、東京地区から送られてきた命令書を元に『ペガサス』たちは、『プレデター』の侵攻ルートとなる『街林がいりん』に配置される。しかし、その内容はあらゆる理由から雑なものとなっており、グループや関係性が高い『ペガサス』たちが、なるべく一緒になるように調整するのが、アルテミス女学園生徒会長の役目となっている。


 その事実からも、生徒会長には大規模侵攻時の『ペガサス』たちの配置を好きに変えられる方法があるのか、亜寅は知ってか知らずか、自分のお願いを聞いてくれた事に純粋に喜んでいる顔を兎歌に見せた。


「亜寅……その……よかったね」

「おう! ……本当によかった」


 兎歌は思わず、下手な賛辞を送ってしまう。自分の身を考えれば他の『ペガサス』から見れば批判されるような事をしたとしても、何も言えるわけがなく、むしろ自分と同じ場所に亜寅が寄ってきてくれたような気がして、嬉しく思ってしまった。


「……兎歌……ワタシはワタシなりに『勉強会』を思って、グループを移動したって言ったら信じてくれるか?」

「……どういうこと?」


 亜寅は『勉強会』から猫都グループへと移動した。その理由は生き残りたいからと分かりやすく納得できるものであったが、それ以外に理由はあると彼女は言った。


「猫都グループには沢山の新入生が加入したんだ。その中にはよく考えもせずに流れで入って、後になって嫌になった奴も大勢居る」


 亜寅の言う新入生同級生たちには、兎歌も覚えがある。新入生歓迎会の時、雰囲気が怖い先輩ペガサスたちに囲まれて、そのままグループ入りをした子を数名見た。


「それに、ワタシの勘だけど猫都先輩は今回の大規模侵攻で……“卒業”すると思ってる。活性化率はまだ余裕があるみたいだけど、あんなんだ。そう思った理由は兎歌だって分かるだろ?」

「それは……うん」


 一瞬だけ言葉に詰まった兎歌だったが首を頷かせて肯定した。薄暗い願望でもあったが、単体の強さは分からないものの、仲間やグループでの連携が何よりも大事と、敬愛する先輩から教えられてきた兎歌や亜寅にとって、猫都たち中等部三年ペガサスは、大規模侵攻を生き残る要素が薄く見えた。


「亜寅、まさか……」

「そのまさかさ。もしも猫都先輩たちが大規模侵攻の途中で“卒業”したのならば、俺は同級生たちを引き連れて『勉強会』に合流しようと思っている」

「それが、亜寅がグループを移動した本当の理由……」


 亜寅が立てた計画は、不満を持っている同級生たちに声を掛けておき、大規模侵攻時に猫都グループにおいて問題が生じた場合、その同級生たちと共に『勉強会』へ戻ることだった。


「もし猫都先輩たちが“卒業”しなくても、途中で抜け出したっていい。元からあのグループは一年の扱いがかなり適当だからな。不満や不安に思っている奴が多く居てさ、代わりに愛奈えな先輩から教えてもらった事を、ワタシが色々と教えて信頼は勝ち取れている……はず。だから全員とは言わずとも何人かは、ワタシに着いて来てくれると思う」


 ──『ペガサス』になる前から好きになった、高等部三年ペガサス、『喜渡きわたり愛奈えな』。


 そんな敬愛する先輩の傍に居たいからと始まった勉強会にて、兎歌たちは数多くの事を愛奈から教わった。亜寅は、そこで教えて貰った知恵や技術を、信頼を得るために猫都グループに所属している同級生たちに教えていた。


 亜寅は、この短い時間で着実に準備を進めていた。といっても、猫都先輩たちを怖れて踏ん切りが付かないのも居るというのが、亜寅の評価だ。だからこそ酷い言い草なのは自覚しているが、理想としては猫都先輩たちには“卒業”してほしいと思っていた。なによりも大事なのは『勉強会』のみんなだから。


「……もしかしたらワタシたち“九人”でも大規模侵攻を生き残れたのかもしれねぇ……。だけど愛奈先輩、ハルナ先輩や申姫しんき先輩、他にも色んな先輩から話を聞いてみて、このままじゃ駄目だって思ったんだ……」


 『ペガサス』は強い。それこそ『プレデター』たちの圧倒的な数の差に負ける事無く、何度も殲滅してきた。だけど、その強さは戦えば戦うほど体内に存在する『P細胞』の活性化率を上昇させてしまい、寿命を削って得られている諸刃の剣である。


 そのためアルテミス女学園ペガサスはグループなどを作り、集団で戦闘をする事によって自分に掛かる負担をできるだけ分散するように戦わなければ、進級する事すらできず“卒業”してしまう可能性だってある。


 長生きしたければ単純な話、人数を増やさなければいけない。だから亜寅は新入生がもっとも多く加入している猫都グループに目を付けた。そして内部事情を知ったとき、亜寅はこれなら行けると動いたのだった。


「もちろん生き残りたいってのはマジだぜ? ……みんなで生き残ろうぜ。兎歌」


 ──亜寅は言動こそヤンチャであるが、『勉強会』の誰よりも色々な事を考えていた。愛奈先輩には沢山の質問を投げかけていたし、戦闘での仮想状況を思い浮かんでは、どうするかをみんなに相談していた。だからグループ移動をする時も、たくさん考えて出した結論とは思っていたが、まさか『勉強会』のためだったなんてと、兎歌は純粋に驚く。


「……でもなんで『勉強会』にそこまで?」

「……あの日。ワタシが『街林』の地形を覚えられねぇって愚痴らなければ、愛奈先輩はもっと長生きできたかもしれない」


 愛奈とアスクヒドラが出会った日。彼女たちが『街林がいりん』に居たのは、『勉強会』の中でどうしても地図マップを覚えられないと不安を口にする『ペガサス』たちが居て、それなら実際に現地に赴いて覚えようとなったからである。


 その事を愛奈に相談して、何かいい方法は無いかと聞いたのが亜寅だった。命に関わる事だからと言いながら、特に危機感も無く、愛奈の提案に喜んで乗っかって、その結果が“いまに繋がって”しまった事を悔いていた。


「……愛奈先輩は低身長のワタシを見て馬鹿にしなかった、不安にも思わなかった。むしろ同じぐらいの背丈で、強くて気高かった友達が居たって話してくれて、その人を参考に戦い方とかを教えてくれた……そんな人は初めてだったからさ。あの人が残したものをワタシだって残してぇんだ……それによ、仲間には“卒業”してほしくない」

「……なんで、みんなに言わなかったの?」

「どうなるか分からないからな。手応えがあるまでは黙ってようと思って……それに、愛奈先輩に顔むけできるやり方じゃねぇしよ」

「そんなことないよ」

「へへっ、兎歌にそう言って貰えると、すっげぇ安心するぜ」


 亜寅は自分の計画に確かな手応えを感じたのもあって、体育館の全校集会が終わった後みんなに打ち明けるつもりだった。先んじて兎歌に話したのは、たまたま出会ったからであり、特別な理由はなかったのだが、誰よりも愛奈先輩に懐いていた兎歌が自分のやることを受け入れてくれたことで、最初に話せて良かったと思った。


 兎歌も亜寅が戻ってきてくれる事に良かったと思った。同時にどうしてわたしにこの話をしたのと理不尽に思った。


 ──亜寅は、きちんと自分たち『勉強会』のことを考えてくれていた。それに比べてわたしはどうだろうか? 愛奈先輩が生きている事、“血清”の事、高等部でのこと、最終的には打ち明ける予定ではあるが、本当に私が何も話さないのは、みんなのためなのだろうか? 


 兎歌は猫都グループ騒動の後、トイレに駈け込まなくなった。ぼかした返事であったが野花のはなから、中等部ペガサスに秘密にするのは猫都先輩が関係していると聞いたからだ。


 ──自分がこんなにも辛い秘密を抱えているのは猫都先輩たちの所為。


 明確な“所為”にできる存在の登場に、余裕のない兎歌は分かりやすく罪悪感を軽くした。しかしながら罪の意識が消えたわけではない。それらは自己嫌悪に変化し、悪感情の行き着く果て、無節操な自己否定を行ないはじめた。


 ──こんな自分が、本当に他人のためにしているのだろうか? 


 出来ないではなく“しない”。喋れないではなく“喋らない”。辛いなら何かするべきな筈なのに、苦しいなら何か変えるべきな筈なのに、思い浮かばないを言い訳に、実は何も考えていないだけではないのだろうかと? 


 兎歌が頑なに秘密を守ってきたのは頑張っている先輩たちに迷惑を掛けたくないという一点であったはずだ。それは兎歌を見てきた高等部ペガサスたちが認めているところだ。なのに、兎歌本人がもうなにをどうしたかったのか分からない。


 ──これからどうなるんだろう。わたしはどうすればいいんだろう。


 そう、自問自答するも心は頑なに答えてくれやしない。それがなんだか超えてはいけないラインを通り過ぎてしまった証に思えて、“慣れ”の感覚が急速に心を染め上げていった。


 ──だから、亜寅の事をとても羨ましく思ってしまった。『勉強会』のみんなの事を考えてくれた事が本心から嬉しい。でも、それとは別に自分と同じ『勉強会』や愛奈先輩のために行動しているのに、どうしてこんなにも違うのかと、理不尽な言葉が浮かんでは消えてくれない。


「ど、どうした兎歌? なにかあんのか?」


 心配そうに問い掛ける亜寅。偶然にも秘密について問いただすような言葉だった。兎歌は僅かに、でもやけに長く感じるほど悩み、口を開いた。


「…………ごめん。ちょっと驚いただけ……それじゃ、戻ってきてくれるんだよね?」

「ああ、いつになるかは分からないけど……必ず戻るよ。愛奈先輩の遺した場所に」


 ──遺してなんかないよ、それが言えたらどれだけ楽だろうか。でももう過ぎたことだ。亜寅が戻ってきてくれることに、兎歌は素直に喜んだ。


「ワタシはそろそろ行くわ。一緒に体育館行きてぇけど、猫都先輩たちは兎歌のこと目の敵にしちまっているし、丑錬うしねも待っているし……悪いな」

「全然気にしないで! ……亜寅! みんな、みんなで生き残ろうね!」

「勿論だぜ! むしろ兎歌たちのほうが人数的に危ないんだから絶対に無茶するんじゃねぇぞ!」


 溜めていた秘密を吐き出して、気が楽になったのか明るい表情となった亜寅は走り去り、兎歌は見えなくなるまで手を振って見送った。


「──失礼します」


 兎歌は『生徒会室』の扉をノックし、返事がする前に中へと入っていった。


 +++


 ──煌びやかな建物が多い中等部区画にて、あくまで運動する場所だからか日本の標準的なデザインの中等部体育館にて、アルテミス女学園全ペガサスが集まった。


 均等に並べられた椅子に、学年別で全員が座っている。その目先にあるのは体育館のステージであり、その壇上にてアルテミス女学園生徒会長、『蝶番ちょうつがい野花のはな』が立ち、大規模侵攻の詳細について説明していた。


 最初に初めて見る生徒会長の姿に新入生が少しばかりざわついた以外、何事もなく進んでいたが、話が『ペガサス』たちの配置となった時──猫都たち中等部三年全員が、おもむろに立ち上がり、ステージ前へと移動した。


「──私たちはこの場を以てっ! 生徒会長、蝶番野花が行なった不正を暴きますわ!」


 自己紹介などを長々と語ったあと、彼女たちが主張したのは自分の目的と、蝶番野花の罪についてだった。


「みなさんお静かに! 落ち着いてください!」

「ふん! そうやって誤魔化そうとしても遅くてよ!」


 猫都たちの中等部三年の行動に、他の中等部ペガサスは酷く動揺する。野花はそんな彼女たちを落ち着かせようとするが、猫都はそれすらも糾弾し、強引に話を進める。


「みなさん! どうか私の話をお聞きください! いま生徒会長に就任している蝶番野花という『ペガサス』は、その権力を私物化し! 好き勝手にしています!!」


 ──猫都以外の中等部の『ペガサス』が動揺しているのを見るに、どうやら猫都を筆頭とした中等部三年ペガサスによる突発的な行動だったらしい。きっと何かしら動くだけの理由がついさっき出来たのだろう、兎歌は他人事のように思った。


「この者は前回、前々回の大規模侵攻において、あろうことか『ペガサス』の配置を操作し! 懇意する『ペガサス』は安全な場所へ、反抗的な『ペガサス』は危険な場所へと送り……っ! たくさんの『ペガサス』を“卒業”に追いやったのです!」


 スピーカーにも負けない大声にて放たれる猫都の声。理解の有無とは別に彼女の勢いに『ペガサス』たちは、話の半分も理解できないままショックを受ける。


「──これがその証拠よ!」


 そんな『ペガサス』たちの反応を知ってか知らずか、半ばパニック状態である『ペガサス』たちに向かって、くしゃくしゃになった1枚の“紙”を出した。


 メモ帳でもノートでもない。アルテミス女学園では珍しい文字が印字された1枚の紙。兎歌は思わず、亜寅を探したが位置が悪く見えなかった。しかし背丈が高い丑錬の横顔が真っ青になっており、その隣に居るであろう亜寅が、いまどんな状態であるか容易く想像ができた。


「この紙は蝶番野花が発行した事を表わす直筆のサインが書かれていますわ。そしてその内容は、高等部に強い繋がりを持つ上代かみしろ兎歌とかなどが加入している“『勉強会』”を、安全な場所へと配置するというもの!」


 ──戌成いぬなりハルナ先輩が立ち上がり、そんなの知らないと叫んだ。それはそうだろう。なにせそれは亜寅が誰にも内緒で野花先輩の元へと単身で赴き、頭を下げて手に入れたものなのだから。


 兎歌との会話で亜寅は嘘を付いてはいなかった。ただ安全な場所への配置を願ったのは猫都グループではなく『勉強会』のほうであった。


 亜寅はどこまでも『勉強会』のことを考えて動いていた。だけど、自分たちのための行動は野花を恨む中等部三年たちによって裏目に“されて”しまった。


「過去! 現高等部一年ペガサスたちが引き起こした惨劇の数々を! 『最低』たちの所業を覚えている人も多いでしょう!」


 猫都の演説は続く、野花は表情を変えないまま黙ってそれを聞く、憎悪の瞳を椅子に座る『ペガサス』たちに向ける猫都とは違い、その取り巻きたちは後ろを振り向き、野花を見て勝ち誇った笑みを浮かべている。その様子が、兎歌からすれば滑稽でしかなかった。


「前年、たくさんの『ペガサス』が、私たちの大切な先輩や後輩、友達が“卒業”しました……! それは過去に比べても類を見ないほどの人数で、事実っ! 中等部三年は私を含めて五人しかおりません!」


 猫都の言うことは正しく、昨年はアルテミス女学園のペガサスは過去と比較してもっとも多い“卒業”人数を記録した。しかしながら、それは『プレデター』側に原因があり、それこそデータ上、アルテミス女学園近辺に現われ、『ペガサス』が討伐することになった大型種および独立種の数だけでも、どの年と比べても圧倒的に数が多かった。


「ここまで多くの犠牲がでたのは──蝶番野花の私利私欲における権力の行使が原因に他ありませんわ!」


 猫都だって独立種が多かったことは把握している。しかしながら“それを含めて去年の出来事全てが蝶番野花”たちが引き起こしたものであると断言し、その証拠と言わんばかりに例の書類を改めてみんなに見えるように前に出した。


「そして! 前年あのような事があった事にも関わらず! あろうことか彼女は懲りずに今年も行なおうとしましたわ! よって私たちは蝶番野花に対して、その罪の清算を求め自主的な“そつ──」


 危ない要求を行なおうとした猫都であったが、体育館を揺らすほどの轟音と震動によって止められる。冷静を保とうとするもの、周囲に呼び掛けて制止をしたり、隣同士で抱き合うものもおり、兎歌も驚きのあまり目を見開いた。


「──五月蠅うるせぇ」


 重くドスの利いたひと言が、ペガサス全員の耳に入り込み静粛にさせる。邪魔された事に明らかに不機嫌となる中等部三年生たちは、その声の正体を睨み付ける。


「……土峰つちみね……真嘉まか先輩っ!」


 最前列に座る深い土色に黄色が数束混じるセミロングの高等部二年ペガサス、『土峰つちみね真嘉まか』。伸ばした足のかかとに触れている床が砕かれており。轟音の正体。それは真嘉まかが踵落としで体育館の床を粉砕した音だった。


 真嘉は物々しくもゆったりとした動作で猫都の前に立った。取り巻き達はそんな真嘉の雰囲気に気圧されたのか、止める素振りすらせず距離を置いた。


「……大事な時に、勝手なことして周りに迷惑かけてんじゃねぇよ」

「……騒がしくしてしまった事は謝罪いたしましょう。ですが、彼女を断罪しない限り、この地獄は──」

「野花が居ようが、お前がなにしようがな……。明日から待っているのは地獄だ──てめぇだって知ってんだろうが!?」


 真嘉の迫力に、猫都は堂々とした立ち振る舞いこそ崩さなかったが、口を閉ざした。


「てめぇが地獄の真っ只中で余計な燃料ぶち込んで酷くしようってんなら、オレだって黙ってねぇぞ?」

「…………」

「……リーダーなら、ちゃんと仲間のこと見ておくんだな」


 言いたい事を言い終えたと真嘉は、椅子へと座り直した。猫都は少し考えた素振りをしたあと、いちど野花を睨み付けて、大人しく自分の席へと戻っていき、それに中等部三年ペガサスも続いた。


「──少しばかりトラブルが発生しましたが、説明を再開したいと思います!」


 まるで何事も無かったかのように笑顔で説明を再開する野花。事情を知る兎歌からすれば同情するだけであるが、周りからすれば恐怖だか気持ち悪さを感じてしまうものとなっているだろう。


 兎歌は説明に耳を傾ける中で、何も知らない前年の事を少しばかりしれた気がした。


 +++


「──ちょっと待ってよ! 話を聞いて!!」


 大規模侵攻の説明会が終了した後、『勉強会』のリーダー的存在となっている、ハルナはとある同級生のペガサスに必死に願った。


「……ごめん。ハルナがあんなズルする子じゃないって知っているけど……無理、共同の件は無かったことにして」


 ハルナは、『勉強会』のみんなの負担を分散させるためにも、仲のいい同級生と話し合って、大規模侵攻では共同で活動できるようにと話を進めていた。


『プレデター』の襲撃具合によって、それぞれが大変な時、自分のグループの『ペガサス』を向かわせあうなどと話は纏まっていたのだが。猫都たちの騒動が原因となり、その話は無かった事になった。


「そんな! 考え直して! 貴女たちだって余裕があるわけじゃないでしょ!?」

「そうだけどっ! 猫都グループに目を付けられてるし、あの生徒会長と関わりがある。あんたたちと一緒に戦うほうがよっぽど怖いよ!」

「……っ!」


『勉強会』は自分たちが生き残るために、生徒会長に媚びを売り、周りの負担を考えずに安全な場所へと配置するようにと頼み込んだ集団。実態はどうであれ、そう認識した『ペガサス』も少なくない。それが、特別扱いされている事に対する嫉妬や狡いという個人的な感情だったとしても、年若い乙女たちにとって、それらの感情は物事を決めるのに重視されるものとなる。


「それこそ、生徒会長にどうにかしてもらったら?」

「そんなっ!」

「……ほんとにごめん。じゃあね。お互い生き残りましょう」


 そう言って別グループの『ペガサス』たちは、去ってしまった。なんとか引き留めようとするハルナを、申姫しんきが制止させる。


「……ハルナ先輩」

「……少しだけ……整理する時間を頂戴」


 茫然自失といった感じでハルナは申姫に支えられながら、その場を後にする。どうするかと宙ぶらりんになる一年ペガサスたちであったが、周囲の反応が危ないものになるのを感じた事もあって、その場で解散する事となった。


「……兎歌!」


 体育館を出ようとした兎歌は足を止めて後ろを振り向く、遠くのほうで酷い顔の亜寅が立っていた。


「ワタシは──」


 何かを言おうとする亜寅を兎歌は首を横に振るい止める。


「……ごめんね」


 察して項垂れる亜寅、それを慰めようとする丑錬を背に、兎歌は小さな謝罪を言い残し、早足でその場を後にした。


 +++


 ハルナ先輩たちは、ゆっくりとした足取りで歩いていたため、兎歌はすぐに追いつく事ができた。遠くで身を隠しながら様子を見ていると、人気の無い広場のベンチに座ったハルナは、申姫先輩の胸元に顔を埋めた。


「……申姫! このままじゃみんながっ……! どうしよう!? みんな生き残れないよ!」


 後輩の前では、どんな事があっても強がろうとしていた、ハルナの素直な泣き言だった。もしかしたら申姫にだけは見せていた姿なのかもと、兎歌は嫌に冷めた気持ちで思った。


「ハルナ落ち着いて、まだそうと決まったわけじゃないよ」

「分かってる! でも大規模侵攻は『プレデター』と戦うだけじゃない! 自分たちの活性化率をいかに上げないのかも重要なの! でも七人だけじゃ、どうしたって次に繋げられない! 私いやよっ! 自分が“卒業”するのも……みんなを“卒業”させるのも!」


 『ペガサス』たちには活性化率というものがある。これが【100%】になってしまった時。人間としての人格は完全に死を迎え、人型の『プレデター』──『ゴルゴン』へと変貌する。


 なので、アルテミス女学園の『ペガサス』は、常に“卒業”用の毒を持ち、『ゴルゴン』に成る前に服用しなければならない、あるいは“させなければならない”義務がある。


 ──『ゴルゴン』と成れば、他人事ではなく自分の命だって危うくなる。だから、もしもその『ペガサス』が“卒業”を拒むのならば、周りの『ペガサス』が対処しなければならない。或いは自分でするのが怖くなって、頼まれるケースだってあった。とにかく、どんな事であれ碌でもない事には変わりなく、ハルナが嫌だと叫ぶのは当然の反応でしかない。


「……ごめん。ハルナ、こういうとき、私はどうしたらいい?」

「……生きて……お願い……愛奈先輩がいない世界が貴女にとってどれだけ辛いものなのか分かってる……でも私と……みんなと、一緒に生きて……」

「──うん。頑張るよ」


 申姫はよく分からずとも、自分が“敬愛する先輩”にして貰った時のように、胸元で泣くハルナを優しく抱きしめた。


 ──兎歌は、しばらくじっと見守り、最終的にはなにも言わずにその場を後にした。


 +++


 ひとりとなって、しばらく兎歌は当てもなく彷徨う。俯き隠れる顔は他人が見えないように隠れてしまっている。


 夏日の晴天、真白い少女、その中身は様々な感情が混ざり合い酷く濁っていた。


 ふいに立ち止まり、ぼそりと呟く。


「……これでいいんです……よね?」


 亜寅が去った後、兎歌は『生徒会室』へと入り、中に居た野花にひと言だけ質問をした。


 ──亜寅の渡した紙、アレは本当に必要なものですか? 


 念書か証明書かは分からないが、アレには亜寅が望んだ事が書かれていた。それこそ誰が見ても内容が分かるものだったのだろう。


 兎歌は、野花の仕事ぶりを知っている。全てではないが少なくとも彼女が、ああいう約束事に分かりやすい証拠を残すような人物ではないという事を知っている。


 ──念のために発行しました。


 野花もまた、たったひと言だけ答えた。それを聞いた兎歌は何も言わずにその場を後にした。


 兎歌の思考では、野花の考えを読み取る事はできない。だけど確実に友達を陥れるであろう策略に何も言わなかった。何故なら、あの時点でもう兎歌はある種の共犯であったから、なにも言えなかった。


 あの紙を見た時点で、兎歌は違和感を持った。もしも亜寅の事を本気で考えるなら、その違和感に乗っかり、亜寅の腕を引っ張って野花の元へと駆け寄り、事情を聞いて真実もなにもかも全てぶちまけるべきだっただろう。


 だけど、兎歌はしなかった。何でと誰かに問われても説明できる自信は無かった。先輩たちに迷惑が掛かるリスクを考慮したのか、亜寅の反応に恐怖したのか、猫都に対してなのか、全部なのか、それとも全く違う理由なのか。


 なんにせよ、兎歌が選んだのは、“なにもしない”である。


 流されたゆえの言動ではなく、複数浮かんでいた選択肢の中、明確に自分の意思で亜寅に対して“なにもしない”ことを兎歌は選んだ。


 ──そう、料理でも待つのは大事だ。だから何もしないで待つべきなんだ。


 だからハルナにも、申姫にも声を掛けなかった。自分たちの事を想ってくれている彼女たちであれば、秘密を喋ってもなんら問題ないと確信を得ながらも、兎歌は自分の選んだ道を、そのままにした。


 ──時には残酷な事をしなければならない。料理だってそうだ。だからこれも後で必要なことなんだ。


 ふいに思い出した父の教えが歪み変わり、兎歌の心を慰める。


 見失っている道を真っ直ぐ進みながら、兎歌は過去を思い出す。それは自分の料理を食べてくれた、みんなの顔。


 きっと、終わったらみんな笑顔になれるはずだから。そんな慰めの言葉を何度も何度も思うのだった。


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